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2011-10-23 『一体、誰が責任を取るんだ? 』

義務教育の国語に推薦図書というのがありました。

『ありゃ、一体何の為に推薦しているんだろう』と思います。

子ども達から、読書という習慣を「奪う」ことを目的としているのかと邪推してしまいます。

まさかとは思いますが、日本国政府は、

晩年、2度目の革命を試みて、人生の晩秋を汚しまくった阿呆な中国の革命家と、と同じことを考えているのではないかと、

と疑ってしまいます。

# ま、それは、考え過ぎでしょうが。

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私は、高校卒業するまでの間に、夏目、芥川、三島、太宰、川端、谷崎、その他、一通りは目を通しました。

そして今なお、これらの作品のどこがどう面白いのか、私は分からん。

私の感想は、『こいつらの屈折した精神、歪んだ社会観が生みだす阿呆な小説に、苦痛を伴いながら貴重な時間を使われた恨み』の一言につきます。

これを面白いと思える小学生や中学生がいたら、私は、心の底から『気持ち悪い』と思う。

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たった一度でいい。

宿題の読書感想文に、

『この著者は、精神を病んでいると断定する。愚劣なレトリックと、卑俗な人間関係。唾棄の一言に価する、読むに耐えない劣悪な著書である』

と一行書いた、感想文を書いてみたかった。

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面白い本の定義は、単に、「読むことが止められない本」で良いのです。

『まだ、あと◯◯ページもある』と思えるような本は、その場で読むのを止めてしまえば良いのです。

そのままゴミ箱行きでも構いません。いや、むしろ捨ててしまえ、そんな本。

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文学者や文学研究者が、「文豪」を褒め称えるのは構わんが、それを、子ども達に押しつけるな。

間違いなく、彼等は「迷惑」しているのです。もうそろそろ、本気で気がつけ。

中学受験の際に、文学者とその著書を記載される問題を見て、心底私は憤慨しました。

受験生達は、これから、この文学者と著書を「憎悪」の対象とするかもしれない。

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こんな本を紹介するくらいなら、何も紹介しない方が本当にマシです。

「世の中にある全ての本は、全部こんなに楽しくないものか」

と子どもたちが錯誤してしまったとしたら、本当にそれは

『一体、誰が責任を取るんだ? 』


2013-10-23 『この反革命分子が! 貴様みたいな奴に、真のプロレタリア革命の戦士たる資格はない! 』

まんがライフ12月号の「ラーメン大好き小泉さん」に、今回、天下一品のラーメンが登場しました。

私が、学生時代、京都の街で、何度、この天下一品のラーメンを食してきたことか。

天下一品は、学生の私の散財に対して、株の一部を譲渡しても良いくらいだ、と思う。

特に、試験やあるいはレポート提出前日の徹夜を覚悟する為に、腹を括るために、わざわざバイクで、岩倉から一乗寺(天一本店)まで食事の時間をいれて、約1時間を費やし ――

―― はっきりいって、バカ

そんな時間があるなら、勉強するか仮眠を取るのが正解です。

だが、あの天下一品のこってりラーメンには、我々に奇跡を起こしてくれるような錯覚を起こさせる「何か」があったのです。

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「ラーメン大好き小泉さん」を読んでからというもの、「天一ラーメン」の悪夢に苛まれました。

そして、本日やっと、出張先の秋葉原から、一番近い神田店を見つけだし、携帯ナビを使って、やっと天一ラーメンに辿りつきました。

学生時代の当時、友人の前で、ラーメンの大盛りを頼むことは勇気のいる行為でした。ましてや、唐揚げ付きの定食で頼むことなどは、「ブルジョア」の汚名を着せられるも同然の暴挙でした。

『この反革命分子が! 貴様みたいな奴に、真のプロレタリア革命の戦士たる資格はない! 』

などと言う友人は ―― 勿論、一人もいなかったのですが(生れてくるのが15年ほど遅かった) ―― ある時期、自治寮の寮長なんぞもやっていたんで。

私の中の内なる声が「唐揚げ定食メニュー」を遠ざけていたのです。

しかし、今の私は、大手電機メーカの主任研究員。

組合員を弾圧する(こともできる)中間管理職員であり、そして、妻と二人の娘を有する小市民、プチブルの見本のような者です。

もはや、私が、天下一品ラーメンを「唐揚げ定食」として注文しても、何人たりともそれを妨げることはできません。

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美味しかったです。

本当に美味しかったのですけどね。

でも、学生の頃ほどには、美味しいと感じませんでした。

何が足りなかったかと問われれば、それは「後ろめたさ」だと思うのです。


2014-10-23 そして、荒んだ職場に、私は、「北極ラーメン」を放り込んでしまったのです。

「北極ラーメン」というコンセプトを、職場に持ち込んだのは、多分私だと思います。

I took the concept of "Hokkyoku-Ramen" into my workplace.

「私は、一生、それを否定することはできない」とも思う。

I also think I could never deny the fact in my life.

でも、最近、ちょっと私の職場がおかしい。

However, recently, my workplacee becomes wired.

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私は、今、比較的大きなプロジェクトの事務局をやっています。

Now I am working as a head office of a big project.

かなり厳しい締切を決めて、プロジェクトメンバ達に対して、追い込みをやっています。

I bully the project members into an hard deadline.

債権者を追い込む金融機関、から依頼を受けて、「組」の正規の構成員にすらなれずに、下っ端として走らされているチンピラのような気分です。

I am a feeling like the hooligans, who cannot become a regular member of a Yakuza-group and works as an bottom man. I am about to bully a creditor, in response to the request from the financial institution.

そして、荒んだ職場に、私は、「北極ラーメン」を放り込んでしまったのです。

In addition, I have thrown "Hokkyoku-Ramen" into the dissipated workplace.

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『江端さん。私はもう疲れたよ』

"Ebata-san, I was already tired."

と、いう文面のメールに、

was described in my mail and sending

―― 北極ラーメン完食の写真を送ってくる

"a photograph of the Hokkyoku-Ramen eating up"

プロジェクトメンバ達が、

I feel that the project members are scared recently.

最近怖いのです。


2015-10-23 ―― 自分が、粉々に粉砕されるかと思えるほどの衝撃を受けた

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私は、大学在学時代、ある同学年の学生が、『実験レポートの課題』にはない課題を自分で見つけて、それを自分のパソコン(当時の8ビットパソコン)でシミュレーション計算して、それを付録として付けていることを知って、

When I was a college student, I knew that a student of same grade of mine, tried to find a new original problem of "experiment report", that was not mandatory, and he also made a simulation program of the problem just by 8-bits PC at that time, and tried to solve the problem as an appendix.

At that time,

―― 自分が、粉々に粉砕されるかと思えるほどの衝撃を受けた

I remember that I was shocked as if I had been crushed into pieces.

のを覚えています。

それは、その当時、政治的なアジテーション、デモ、勉強会などでキャンパスを走り回りながらも、『何か違う』と感じていた私を、一瞬にして崩壊させるほどの衝撃でした。

That was a tremendous impact for me, with running around the college campus for the event of political agitation, demonstration and workshop, and I felt that these activities are something different from my real intention.

暗い夜道を歩いているだけのような私の目の前で、核爆弾のような閃光で「浮び上がった」、峻烈な「狂気」でした。

It was an act of sheer madness, emerging like a flash of nuclear bomb in front of me, during walking a road in a dark night.

「提示された課題をこなす」ことだけが、勉強なのではない。

"Solving the indicated problem" is not all.

というか、それは 、実際のところ「勉強」ですらない。

Indeed, it is not "study" in fact.

私は、「私が『勉強』のなんたるかも理解していなかったこと」を、理解してしまったのです。

I understood that I had not understood what the purpose of "study" was.

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彼は、そのような自分で見つけた課題をレポートに記載していることを、誰にも話さず、ましてや、自慢とか吹聴とかもしていませんでした。

He didn't tell his activity to anyone. Moreover, I was not proud of it, and didn't let it be known.

なぜなら、彼は、自分で見つけた課題を、自分で解くことが、ただ「楽しかった」だけなのです。

Because he just enjoyed solving the problem that he found by himself.

これは、私に第二の衝撃を与えました。

This gave me the second impact.

That means,

勉強とは、誰からも認めて貰う必要もなく、誰に主張する必要もなく、単純に、

"Study" is not needed for credit and argument, but

―― 勉強とはアミューズメント(娯楽)である

just an amusement.

という事実でした。

(続く)

(To be continued)


2016-10-23 ―― 他人だって「頼まれること」が好きではないハズだ

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

もちろん、組織の仕事が「互譲の精神」に成り立っていることは、言うまでもないことないことですが、しかし、同時に、人間は自分の考え方を、他人に投射して考えてしまう癖があります。

Of course, needless to say, any work of a organization makes ends meet in "mind of the give-and-take", however human being is likely to projects one's way of thinking on another person at the same time.

―― 他人だって「頼まれること」が好きではないハズだ

"Even another person cannot like "being asked" "

という風にです。

like the above.

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「『誰かに頼むなら、自分でやった方が早い』という考え方は危険」という考え方は、正解です。

I can agree that "The thought of "If I ask for my work someone, I will do it by myself because it is faster" is danger"

しかし『誰かに頼むなら、自分でやった方が早い』というのも正解なのです。

However, it is true that "doing it by myself is faster than asking it to others".

本当に早いからです。

Because it is true that "faster"

下手すると、誰かに頼んでいる時間で、その仕事を完了させられるくらいの時間になることだってあります。

We can finish the work without any delay before asking someone to do it.

誰かに頼めば、必ず自分のイメージした仕事との齟齬を生じます。その修正にかかる時間とコストは、なかなか無視できないです。

If we ask a work to someone, something different from our image of the work, is going to happen. In addition, the cost and time for the modification should be considerable.

それ以上に、「自分だけでやった仕事に対して、自分だけが責任を持つ」という分かりやすさは、なかなか快感です。

Moreover, it is a pleasant feeling that "I will takes responsibility for for the work that I did only by oneself".

それに、人に頼んだ部分の仕事で、私が叱責されることは、嫌です(褒められるなら良いですが)。

In addition, I hate to be scolded by someone because of other's fault of the work( Of course, any praise is welcome)

(続く)

(To be continued)


2017-10-23 ―― 寝て居る"娘"でも、叩き起こして、使い倒せ

本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。

Today, new my column is released, so I take a day off.

Let's turn the world by Number(44) : Work style reform(3)

Nobody knows "productivity improvement" identity : the economy grows without human beings?

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「立って居る者は親でも使え」という諺(ことわざ)がありますが、今回のコラムのポイントは、

There is a proverb "Make use of anybody who is at hand"

In this column's point, a father, who

―― 寝て居る"娘"でも、叩き起こして、使い倒せ

"Make use of your daughter who is in bed"

を、実践した父親が、本当に実在する、

has existed really.

という点にあります。