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2013-08-08 あなたは「黙祷」で何を考えていますか

広島原爆投下の日時 8月6日 08:15分には、私は、NHKのテレビの前で1分間の黙祷をすることにしています。

正確に言うとですね、08:09分くらいから、椅子の上に座って、目をつむって、イメージを始めます。

原爆を投下した、B-29 エノラ・ゲイ号が、広島市街を目視で確認したのが、その時間。

そこから、高度1万メートルで広島市内に入ってくるイメージをして、同12分、B-29が自動操縦に切り替えて、目標を補足後、8時15分17秒に自動投下されます。

43秒間の自由落下後、地上600メートルに達したところで、原子爆弾リトルボーイが炸裂。

摂氏3000度。

福島原発の5重の壁をやすやすと破った、地球上で再現できる最高レベルの灼熱温度。

太陽から地球までは、149,600,000km。それでも真夏の太陽の光は、人間の皮膚を簡単に焼く。

その太陽と同じものを、たった600メートル(1000分の1の1000分の1の1000分の1の距離)程度しかない、人間(しかも非戦闘員)の頭の上で、爆発させた奴がいた。

―― いた。

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どんなに痛かっただろう。

どんなに熱かっただろう。

どんなに苦しかっただろう。

そして、その後も、生まれてきたことを憎悪するくらいの、地獄を生きなければならなかったのだろう。

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私の黙祷は「穏やかなる原爆犠牲者の鎮魂」ではありません。

私の持ちえる限りのあらゆる情報を最大限総動員した「原爆投下時の地獄の再現」です。

そして、目をつぶりながら、あらんかぎりの憎悪と憤怒と理不尽に拳を握りしめる ―― これが、私の8月6日の「黙祷」です。


2014-08-08 私、新人教育のころ、「報告書を4コマ漫画で提出できますか」という質問を真面目にしたことがあります。

(昨日の続きです)

現在執筆中の報告書の話に戻ります。

I want to go back to the report that I am writing now.

現在の研究では、各種の解析手法を試みており、その概要説明の章を設ける予定です。

I am trying several analysis methods in the study at present, so I am going to make one chapter for the introduction.

その一つとして、ある推論手法があるのですが、その説明に、 この図を使って良いものか否かについて迷っています。

According to one of the methods, I wonder if I use this picture for the introduction.

これを使えば、一発で、その手法を理解して貰えるとは思うのですが、今度は部長がふっ飛んでくるだけではすまないかもしれないです。

Though everybody can understand the method easily only to watch this picture, I am afraid that I will never get away with being scolded by my manager,

まあ、サラリーマンですから、ここは「冒険しない」が正解でしょう。

I am just a business person, so I should not run a risk.

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Apart from the above,

しかし、報告書というものは、読み手に理解させてナンボだと思うのです。

the significance of reports is to make readers understand well.

そこに、モラルやら品位やらが入り込み、表現の制約が入ると、いきなり読み難くなるような気がするんです。

In my opinion, it becomes to be hard to read reports that include moral, dignity, and quality.

私、新人教育のころ、「報告書を4コマ漫画で提出できますか」という質問を真面目にしたことがあります。

When I was a new face, I asked an adviser whether I can submit a report as four-frame cartoon seriously.

あの「困惑した講師の顔」は、今でも良く覚えています。

I remember the puzzled adviser’s face very well.


2015-08-08 ですから、―― 「鼻栓」というのが、あっても良いと思うんですよね。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

電車の中で、電話でしゃべる人は最近減ってきました。

In a train, people who talk on the telephone decreased recently.

10年くらいの月日を経て、「マナー違反」であるとの認識が浸透してきたようです。

After the time of around ten years, a recognition that the call in the train "was manner violation" seemed to penetrate.

また、Podの低価格化によって、そのような不快な会話(あれは、会話の一方しか聞こえない為、不快になるそうです)を聞こえなくできるようになりました。

In addition, the price reduction of music pod gives up an environment to prevent you from hearing such an unpleasant conversation (It is said that it is for the sounds like only one side of the conversation)

つまり、「耳栓」が完成した訳です。

In other words "ear plugs" has been completed.

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ですから、―― 「鼻栓」というのが、あっても良いと思うんですよね。

Therefore I think that "nasal plug" should be needed.

水泳選手の付けているようなものを、オシャレでポップな感じにして ―― という方向ではなくて、エンジニアリング視点で、

That is not fashionable pop-type a swimmer usually uses, but from the view of engineering.

―― 鼻呼吸が可能で、しかも、外部から視認できないよな「鼻栓」

"The "nasal plug" which nose breathing is possible and cannot confirm from the outside".

です。

潜在市場は物凄いと思いますよ。

I think that the potential market is frightful.

日常生活だけでなく、医療や介護現場の必須アイテムですから。

Because it is medical care and a required item of the care spot as well as everyday life.

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それでは、私は明日から、夏休みの全日、実家の家事の為に帰省してきます。

Then I am going to go my parents home to do housework from tomorrow to the end of this summer holidays.

仕事も、3本持っていきます。

with three works I will have to finished.

今回は、次女がついて行くというので、アクションリストも増えました。

In addition, the counts of action list is increasing, because my junior daughter want to go with me.

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今の、私の願いは一つ。

My hope is simple.

『早く終われ。夏休み』

"Finish the summer holiday as soon as possible"


2016-08-08 "「とても良い」★★★★★"

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

どうせ「安かろう、悪かろう」だろうと思って、洒落で「夏用スラックス」を1着、購入してみたのですが ――

Anyway, "cheap and nasty" I thought, and I tried to get "summer slacks" from Amazon with just joking , however,

これがビックリするほど、サイズもピッタリで、着心地が良く、(私が見る限り)デザインも無難で、つまり、私にとっては、

the slacks were surprisingly good for me, about the size, pleasant texture and normal design (for me).

For me, the value of the slacks are

"「とても良い」★★★★★"

"Very Good ★★★★★"

なのです。

まぐれ当たりの可能性もあるかと思って、今度は、色ちがい(紺)も購入してみたのですが、

I might have won by a fluke, so I re-tried to get the same slacks in other color(dark blue).

―― 一見、学生服のようにも見えますが ―― 私には、全く文句はなく、毎日、快適にスラックスを履いて、通勤しています。

Even having the appearance of school uniform, I have no complaint to wear it and to go to office everyday.

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「大量生産の時代は終った」と言われて久しいですが、敢えて逆張りをする、このビジネスモデルに心から感心しています。

Some people say that "mass consumer society" had finished " for quite a long time, though, I am impressed by this reversed business model at the bottom of my heart.

これは、『ほとんどの場合、返品が無条件で認められる』というAmazonのビジネスモデルともマッチしており、

This model goes well with Amazon's return policy, that permits good returns without conditions in many cases.

そして、

Moreover, I think that this business model is revolutionary, because

『衣服に対して、機能のみを求め、娯楽の要素を、1mmも感じない』

というユーザ層を発掘し、そのハートを見事に射貫いた、という点において、革命的とも言えるビジネスと思います。

they find a consumer layer, who are not interested in clothes design and entertainment at all, but pursuit the function only.

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ただ、このサービスの享受を受けるには、自分の体を、一定のパラメータの中に収める必要があります。

However, in order to derive advantage from this service, we should keep our body specifications into the standard.

過度に大きい、小さい、肥満、痩身の人は、このサービスから弾かれる訳ですが ―― よく考えれば、それは、普通の服屋でも同じことですね。

The people who are too big, too small, too fat, and too slim are excluded from this service.

On second thought, however, it is same as the ordinal clothing department.


2017-08-08 江端:「あなたの母国語の語彙が、英語の1/10しかないというのは ―― 大変失礼な質問とは存じますが

以前、浜松で開催された国際学会に参加した時、アフリカ出身の研究者の発表を聴講しました。

Previously, I attended a lecture whose speaker came from a small country in Africa.

確か、母国にあるマイノリティな言語を、英語などの他の言語に翻訳するエンジンを作成する、という内容の発表だったと思います。

As I recall, he was trying to make an translation software between their mother mother tongue and English, e.t.c.

一番の問題は、「語彙数の非対称性」なのだそうです。

He said that the most important problem is the asymmetry postulate of amount of vocabulary.

要するに、そのマイノリティの言語の辞書は、英語の辞書の1/10しか言語が記載されていない、とのことでした。

In short, the vocabularies of the minority language dictionary is just one tenth of those of English

発表後に、質問してみました。

I asked him a question after the lecture.

江端:「あなたの母国語の語彙が、英語の1/10しかないというのは ―― 大変失礼な質問とは存じますが

Ebata:"I am interested to hear about the less numbers of vocabulary in your country. I don't mean to be rude, but I want know the reason. Now I have two ideas.

(1)あなたの国の言語表現力が低い、

(1)Representational power of your native language

あるいは、

or

(2)あなたの国の言語は、組み合わせることによって、バラエティのある言語を表現できる

(2)Your native language can express a variety of meaning using complex combination of the vocabulary.

のいずれか、ということでしょうか?」

研究者の方:「いえ、そういうことではなく『単に、電子辞書の整備が遅れている』ということです」

Speaker:"Both are incorrect. The reason is simple, "a development of electronic dictionary is delayed"

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『そりゃそうだよなー』と思いました。

"Quite so", I think.

人間が生きているところであれば、当然、そこに発生する概念は、概ね同じになるはずです。

Wherever human beings live, I think, the concept coming into being, should be almost same naturally.

極端な例ですが、喜怒哀楽の、「怒」だけがすっぽり抜けている、という言語というものは、ちょっと想起するのが難しいです。

For an extreme example, I cannot bring a language without a concept of "anger" to mind.

しかし、「怒」だけがすっぽり抜けている国があったら、そこで生まれ育った人は、結構幸せなのではないかな ―― などと考えていました。

On the other hand, I also think that people might be happy in the country where they live.

特に、私のように「アンガーコントロール」が苦手な人間にとっては。

Especially, for a person like me who is not good at "anger control"


2018-08-08 『これを読んだら、とっとと失せろ』

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

ネットで調べると「直葬」の情報については沢山でてきます。

When I look it up on the net, I will have plenty of information about "direct burial".

直葬を選ぶ人の理由は、

The reason why people can choose "direct burial",

(1)経済的事情(お金がない)

(1) Economic circumstances (there is no money)

(2)宗教観の変化(特に信仰がないからお坊さん呼ばなくていい)

(2) Changes in the view of religion (I do not have to call a monk as there is no faith in particular)

(3)人間関係の希薄化(参列者がいないからお葬式やらなくてもいい)

(3) Dilution of human relations (Since there is no participant, it is not necessary to do a funeral)

で、それぞれ、もっともな理由です。

And, each is a good reason.

私の場合は、(2)(3)ですね。

In my case, it is (2) (3).

(1)のようにお金がなくなるかもしれませんが、金があるなら「普通の葬儀をやったと思って、その金で、海外旅行でもして、現地の言葉や文化を学んでこい」と勧めます。

As in (1), money may be gone, even if I have money, I will recommend going an overseas trip and learning a language and culture of the country with the money for my family

都心部に「直葬」を選ぶ人が多いようです。都市部は、そういう「しがらみ」を避ける傾向がありますから。

Many people in the city center seems to choose "direct burial". Because urban areas tend to avoid such "disturbance".

逆に言えば、地方では「直葬」をやりにくいということでしょう。親類縁者は勿論、近所の人からのクレームもあるそうです。

Conversely, in rural areas it will be hard to do "direct burial". There are complaints from neighbors as well as relatives.

「何かをやらない」ということが、「何かをやる」のと同程度、あるいはそれ以上のエネルギーが必要なこともあります。

"Do not something" may require the same or even more energy than "doing something".

『私一人なら、トコトン世間と闘ってやるわい!』と思うのですが、闘うのは、「私」ではなくて、「遺族」になる、というのが、最大の難点です。

Even if I am alone, I will accept a challenge to a quarrel. However in this case, the target will not be me but my "survivor".

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これらの話は、全て家族の了承済みです ―― 条件付きですが。

All these stories are acknowledged by family members - although conditional.

家族からは、『直筆で本人の意志であることを明確にしておけ』と、散々言われています(面倒なので、ここ数日間のブログを電子署名にすれば足るという方向で家族には納得して貰うつもりです。

My family has ordered me that "Make it clear by handwriting for our safety" (Because it will annoy me, I will tell them that digitally sign for blogs in the last few days, is enough.

で、その文面の最期には、文面の最期には、

In the end of the sentence, I will add the following sentences.

『私が葬式をやらないのは、私の死後に、私の家族を困らせるような、あんたみたいなヤツに、来て貰いたくないからだ』

"The reason I decided not to do my a funeral, is YOU, who annoys my family. I don't want you to come to me"

『これを読んだら、とっとと失せろ』

"After reading this, go away"

と、付け加えておきます。

(続く)

(To be continued)


2019-08-08 ―― お前ら、土下座して、私に謝れ

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

私が、人生において、パソコンの創成期に立ち会えたことは幸せなことだとも思えます。

Well, it seems happy that I was able to witness in the early days of PC in my life.

しかし、同時に、私はパソコンを取り扱えるが故に、常に、敬意と迫害の両方を受けてきました。

But at the same time, I have always been both respected and persecuted because I could handle PCs.

当時、『オタク』とは、PCを扱える全ての者を示す蔑称でした。

At that time, "otaku" was a generic name for everyone who handles PCs.

アニメの愛好者は『オタク』とは言われていませんでした ―― というか、そもそも、アニメのコンテンツが、今のように溢れていませんでした。

Anime lovers weren't called "otaku". In the first place, the content of anime was not as full as it is now.

『いい大人が、いつまでも漫画(×アニメ)なんか見ていて、みっともない』という考え方が、当時の社会常識だったと記憶しています。

I remember that the idea that "it is shameful that good adults were still watching manga (x anime)" was common sense at the time.

―― PCと会話をするような人間は、人間とはまとにも会話できない

"A person who has a conversation with a PC, can't really talk to humans"

という、恐るべき偏見が蔓延(はびこ)る社会、それが「パソコンの創成期」という時代でした。

A society with tremendous prejudice, that was the era of "PC creation".

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そこから40年、今や、パソコンは、「第2の頭脳」として機能する携帯型デバイスになるまでに発展しました。

In the 40 years since then, PCs have been developed to work as portable devices that function as "the second brain".

これは、40年前には予想のできなかった未来です。

This is a future that was unforeseen 40 years ago.

今や、国民のほぼ全員が、この40年間の技術を享受し、その恩恵を受けています。

Now almost Japanese enjoys and benefits from the technology of the last 40 years.

だから、私は、今、上から目線で、言い放ちます。

So I'm gonna tell you from the top right now

―― お前ら、土下座して、私に謝れ

"Prostrate and apologize to me"

と。

(続く)

(To be continued)