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2013-04-05 老婆心ながら

私、根が小心者なので、他の人のお願いした事項に関して、細かいツッコミを入れることが多いです。

例えば、今日などは、

「老婆心ながら、当方より提供させて頂きました、(1)娘(次女)のイラスト、(2)N次創作の説明図、(3)PCLの年表の図も嵌め込んで頂けますよう、よろしくお願い致します」

などと、まず先方が間違えることがありえないようなことまでも、念押しのメールを送付してしまったりします。

先方には少々不快な気持にさせているかもしれません。

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もう10年以上も前の話なので、時効ということで許して貰いますが、

海外に赴任する前の面倒な手続について、ある人に任せていたのですが、それが全然進まないので、心配していました。

上司にその旨を報告したら、逆に怒られました。

「ちゃんとフォローをしない『お前』が悪い! 自分のことであれば、それは、全て自分のこととして対応しろ! 大体、あいつがだなぁ・・(以下自己規制)」

もっとたくさん「老婆心」を登場させるべきだった、ということです。

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ところで、今日ふと気がついたのですが、

「老婆心ながら」って、もの凄い差別用語だと思いませんか。

まるで歳を重ねられたご婦人の全てが、ナーバス、神経質であるかのような表現ですよね。

少くとも、私はその反例を何人も知っています(無神経、がさつで、随分迷惑もかけられました)ので、多分、正しい用語ではないとは思います。

で、ちょっと調べてみたんですが、「老婆」という言葉は、「放送禁止用語」には入っているようです。「老婦人」と言う言葉に置き替えられるようです。

ちょっと面白かったものに「トルコ嬢」→「ソープレディ」、「やばい あぶない」→「危険」などもありました。

それはさておき。

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仮に、「老婦人心ながら」と言い替えても、失礼の本質さには変わりはないでしょう。

しかし、今のところ、私には大変便利なフレーズですので、誰かが声を上げ始めた時に、再度考えることにします。


2014-04-05 「朝から、なんという邪悪なオーラを出しているんだ?」

今朝、起きて階下に降りてきたら、黒いオーラの圧力で、体が後ろに押しかえされました。

When I step down to the living room, I was flicked out from a black aura.

「なんだ、この邪悪なオーラは?」と思ったら、その向う側に、今日から高校生になる長女のすさんだ姿がありました。

After saying "What is this evil aura?” I found exhausted my senior daughter beyond the aura.

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私も「黒いオーラ」を出すことでは定評があります。

I am very famous for lapping black in my family and company.

嫁さんは、―― 二階の自分の部屋の中で閉じ籠っている時の私の黒いオーラを、階下で感じることができる、―― とまで言い切ります。

My wife affirms that she can see my black aura on the first floor when I am in my room on the second floor.

その父親の娘が、暗黒オーラを出せるのは、まあ、当然としても、父親の歩行方向を変える程のオーラを出すとは、尋常ではありません。

However it is naturally that the daughter of the father could lap her aura by herself, it is not usual that her aura force to change the direction of my walking,

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「朝から、なんという邪悪なオーラを出しているんだ?」

"What are you making an evil aura from morning?"

と尋ねたところ、娘は虚ろな目でいいました(昨夜、眠れなかったらしい)

When I asked her, she replied me with a vacant stare.

―― クラス替えがある

"Changing class"

と。

「私のこの一年は、今日のクラス替えの構成と、その発表直後の10分で勝負が決まるの」

In addition, she said "this year of mine is going to be determined by the new class members and just ten minutes after releasing it."

と、どうにも訳の分からないことを、いい残して、黒いオーラを纏いながら、娘は学校に向いました。

I could not what she wanted to say, and she went to school with cling the black aura.

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その後、長女はご機嫌で帰宅したのですが、私の疑問は残ったままでしたので、先程、彼女を部屋に呼んで、理由を聞き出しました。

However she went back home with all smiles, I didn't know what she implied this morning. So I called her to my room, and asked her about it.

インタビューには、小一時間かかりましたが、その内容は衝撃的でした。

After the less than one hour’s interview. I was astonished to hear her shocking story.

彼女達が日常的にやっていることは、びっくりするくらい複雑な「政治」であり、想像を絶する高度な「外交」でした。

What she and her classmates are doing everyday are complicated politics breathtakingly, and sophisticated diplomacy beyond my imagination.

(To be continued)


2015-04-05 それぞれの季節の風景や気候、そして、―― これが一番大きいのですが ―― 空気の香りが、とても楽しいのです。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

二宮尊徳が、「時間を惜しんで勉強をしていた」ということは事実だと思うのですが、多分それがメインではないと思うのです。

It might be true that Ninomiya Sontoku was both reading and studying to save time, but it was not a main reason.

彼は、以下のようなことを知っていたと思うのです。

I think he knew the following very well.

(1)本を読むことに集中できること

(1)Being able to concentrate reading

歩いている最中には、他の情報にアクセスすることができません。

During walking, I cannot access another information except for reading.

一定の歩調のペースを取りながら歩くことは、一種の無我の境地(禅の境地?)に入ることにもなります。

I can attain a state of perfect self-effacement walking at a uniform pace.

(2)効率が良いこと

(2)Efficient performance

言うまでもなく、(a)本を読むこと、(b)荷物を運搬すること、(c)身体を鍛え健康を維持すること という、3つの事項を同時に実施しうることになり、限られた人生をより豊かにしてくれます。

Needless to say, he could do three things at the same time, (a)reading books, (b)carrying firewoods, (c)building a strong body, keep his good health. These activities might have given him his rich life within limited life time.

(3)楽しいこと

(3)Pleasure

それぞれの季節の風景や気候、そして、―― これが一番大きいのですが ―― 空気の香りが、とても楽しいのです。

I can enjoy seasonable view and climate, and "smell of the air " gives me joy, in particular.

梅や桜のようなものだけでなく、新緑や雪、猛暑の日差し、極寒の深夜、毎日、それぞれの時間で、香りが変わるのを感じながら、本から目を離して、ちょっと立ち止まる時、とても幸せに感じます。

Not only plum and cheery cherry, but tender green, snow, sunshine in hot day, frigid climate in cold might. Everyday, every time, when I stop walking to notice changes of the smells, I feel happy very much.

(ですので、歩きタバコをする人間が、500メートル以内の前方を歩いていると、その日は、台無しになります)

(So, I am pretty spoiled at the day when a smoker walks ahead of me less than 500 meters.)

(続く)

(To be continued)


2016-04-05 『「"これ"というものを極めることなく人生を終える」ということを極める』

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

「一つのことを一心不乱に取り組んでいくこと = 正しい、美しい、立派」

"To concentrate one thing with whole heart = Right, Beautiful and respectable"

という考え方が ―― それはもちろん立派な価値観であることは認めますが ――

The thought is, I agree, a great sense of worth, however,

それが、唯一の正論のように語られると、私は「カチン」と来るのです。

I am getting annoyed when it is spoken as a single correct answer.

例えば、私は、「青春全部を1点集中しなかった」おかげで、色々なことに手を出し、不要な雑学が山のように蓄積し、それらが今の私のコラムの下地となったと思っています。

As for me, I could not concentrate one thing in my youth, so I had experimented a lot of things, and they have been accumulated as a big mountain. After all, they become my column's platform.

ただ、それが良かったことなのか、悪かったことなのかは、今でも、自分でも分かりません。

But I am wondering whether it was good or not now.

何が正論なのか ―― 結局のところ、いつでも、誰にも(自分にも)、分からない、と、私は思うのです。

What is right, beautiful and respectable ? Nobody knows them anytime, anywhere, after all.

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私は、未だにバラバラに色々なことに手を出し続けていて、その挙句、まとまりのない検討結果(ダイエット、電力、原発、著作権、サンマとサバ等々)を、世の中に垂れ流しています。

Now I have been doing a lot of things now, and I am broadcasting ambiguous results (of diet, power, atomic energy, copyright and electronic oven).

加えて、これまで、私に対して、「人生の浪費」とか「才能の無駄遣い」とか忠言する人も結構な人数いました。

In addition, a lot of people gave me their advice of "waste of my life" and "loss of my talent"

うん、その通り。

That's right.

私は、これまでの人生で、「一つを極める」ということは、全くできていないように思えます。

I am afraid that I have not been able to concentrate one thing for my life, ever.

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ならば、私は「価値観」の方をひん曲げようと思います

So I am going to change the interpretation of sense of worth.

私は、

I make up my mind to fix my purpose of my life as follow.

『「"これ"というものを極めることなく人生を終える」ということを極める』

"I concentrate "I don't concentrate one thing for my life""

ということを、私の人生の目標としてセッティングします。

このような人生が、

I am not sure that the way of my life is going to

「自分を幸せにしているか」、

"make me happy"

そして

and

「世間様が良しとしてくれるか」

"be appreciated as "good" by people"

ということに関しては、私以外の人に、私の人生の後に、ゆっくり評価して貰うことにしたいと思います。

So I will ask people expect for me, to estimate my sense of worth slowly after my death.


2017-04-05 ―― うん、本当にいい時代だった

今月からスマホ(低速データ通信のみ)を始めています。

From this month, I have started to use a smart-phone(low-speed data communication only).

目的は、以前も申し上げた通り、(1)日本語入力の訓練と、(2)満員電車でのパソコンの代替です。

As I mentioned before, the purposes of the smart-phone are, (1)training of IME of a smart-phone, (2)replacing PC.

正直、結構苦労していますが、この苦労なくして、次の展開もありませんので、今回は腹を括ってがんばっています。

To tell you the truth, I work hard for the training, however, if I don't do it, I will not go to the next stage. This time, I prepare myself for the worst.

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昔、パーソナルコンピュータ(パソコン)を日本に広めたのは、NECのPC9801という機種でした。

In past years, the PC whose name was "PC9801" spread out the concept of PC in Japan.

しかし、(正確なデータはなく、風評ではありますが)個人購入したPC9801の9割が、「押入の中で眠り続けていた」という話は、結構有名です。

However, (it might be just a rumor) it was a famous story that more than 90% of PC9801 for private use, were sleeping in closets.

その当時、パソコンには、アプリケーションは言うまでもなく、オペレーティングシステムすらインストールされておらず、ユーザがその作業を行わせなければならなかったからです。

At that time, PCs were not installed not only applications but also Operation System. So end users should work for the installations and activations.

イメージとしては、iOSやらAndoroid本体を、自力でスマホにインストールようなものでしょうか。その技術的な敷居の高さはハンパではなかったです。

Thoses were, like trying to install iOS and Andoroid to your smart-phone by youself. The technical quality was incredible high.

ですから、この話は、「9割の人が使えない」ではなく、「1割もの人が使っていた」というべきです。

Therefore, this story should not be "more than 90% of people can not use" but "at least 10% of people used it".

実際に、当時、「パソコンが使える」ことは、どんな学歴よりもモノをいう、「エリートの証明」だったのです。

In fact, at that time, "being able to use a personal computer" was a "proof of elite", that is more meaningful than any educational background.

実験レポートをワープロで提出し、パソコン教室でアプリケーションの使い方や、簡単なプログラミングを教えて、バイト代を稼いでいました。

I made experiment reports by word processor and submitted it, and teaching how to use applications and simple programming in the PC classroom. I earned wages by PCs.

―― うん、本当にいい時代だった

"Yeah, it was a really good time."

また、『パソコンの初期設定してくれない?』と、女の子の方から声をかけられること、数限りなく ・・・ って、そういうことだけはなかったかな。

Also, numerous girls who talked "Can you initialize the PC?" to me .. was not ture unfortunately.

そもそも、私の記憶の中において、キャンパスライフに登場してくる女性って、両手で十分に足りる程度でしたから。

In the first place, in my memory, women who appeared in campus life were enough with the fingers of both hands.


2018-04-05 ―― アナログで困る人はいない

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

その一方、「町内会」と「IT化」というのは、これ以上もないくらい相性が悪いです。

On the other hand "neighborhood association (NA)" and "IT" are incompatible awfully.

町内会は、その性質上、「4割の人間を切り捨てる」ということができないのです。

Because NA cannot "discard the 40% persons" by nature.

「自発的」な「地域住民」への「平等なサービス」を唄うのが町内会の存在意義であるからです。

Significance of existence of NA, is to provide local residents with "voluntary" and "equal" services.

そして、もっとも厄介なことは、

And there is nothing more annoying than

―― アナログで困る人はいない

"Noone can annoyed by analog"

という事実です。

つまり、従来の「アナログ」による運用であれば、町内の全員がサービスを享受でき、提供することができるわけです。

In short, even by current analog managements and services, all local residents can get get and provide current services.

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しかし、デジタルに慣れた人から見れば、アナログの運用というのは、アホみたいに、金も時間もかかって、効率が悪く、モチベーションが低下すること、この上もありません。

However, from the viewpoint of "digital native", analog managements spend much money and time is inefficiently, the motivation is going down dynamically.

で、この非効率なタスクに嫌気がさして、町内会を脱会していく人が後を断ちません(事実です)

Now, many residents is leaving the association because of being out of conceit with this inefficient.

幾つか例を上げてみますと、

Let us show the example as follow.

(1)毎週日曜日の会館予約業務

→ Webでやれば、業務そのものがなくなる

(1)Receptionist of community hall on every Sunday

-> the task will be lost by Web service.

(2)週末を使った定例会議

→ メーリングリストや、電話会議を使えば、定例自体が不要となる

(2)Regular meeting in the weekend holiday

-> The tasks are also lost by mailing-list and tele-conference system.

(3)回覧版

→ Webなら、印刷コストゼロ。回覧遅延ゼロ。

(3)Circulation board

-> No cost and no delay by Web

(4)打ち上げ、慰労会

drinking party, e.t.c.

などです。

こんなものに、貴重な休日の数時間を持っていかれたら、誰だって(少くとも、私は)怒ります。

Any "digital native" (at least, I) will get angry if the valuable weekend time of mine is spent.

(特に、休日も「週末エンジニア&ライター」をしてる私にとっては、憤慨ものです)

(Especially, these outrage me, as a weekend engineer and writer)

(続く)

(To be continued)


2019-04-05 ―― 私を逆さにして振っても、絶対出てこない考え方だ

小学生のころから、私は「読書しながらの一人飯」が大好きな少年でした。

Since elementary school, I have been a boy who loves "one person while reading".

まだ、土曜日が登校日だった時代、土曜日は、午前だけの授業で給食はなく、帰宅してからの昼食となりました。

Still, when Saturday was the school attendance date, there was no lunch on Saturday, I could go home afternoon.

両親は共働きでしたので、私は、小学生のころから自炊していました。

My parents used to work together, so I cooked myself since elementary school.

1週間に1度だけ、自分の好きな料理を、自分の好きなように「アレンジ」し、かつ、自分が望むままに「手を抜く」 ―― このような「実験的」料理は、それなりに面白いものでした。

Once a week, I "arranged" your favorite food as I liked, and "cut corners" as I wished. Such "experimental" dishes were quite interesting for me.

そして、その料理を食しながら、文庫本を読むのが、至上の楽しみでした。

And it was a pleasure to read the paperback while eating the food.

どういう訳か、私は、井上靖先生の著書の中に出てくる、食事のシーンを読みながら一人飯をするのが、大好きでした。

I don't remember the reason that I loved eating a meal, while reading the book of Inoue Yasushi-sensei.

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今、嫁さんから、「スロウハイツの神様」の小説を借りて、読んでいます。

I am reading a novel of "The God of Slow Heights" from my wife now.

丁度、絵描きの女性の話のシーンになっていて、ふと思い出したことがあります。

I remember an old event, when reading a scene of a female painter.

昔、女の子と一緒に美術館を回っていたとき(これを、一般にはデートというのでしょう)、

When I used to go to art museums with a girl in the old days (this is generally called a date), she said to me,

『私、絵の前で10分間くらい動かなくなることがあるかもしれないけど、その間、声をかけずに放っておいて欲しい』

"I may get stuck for 10 minutes in front of a picture, but please leave me alone for a while"

と言われました。

私は、美術に対して造形が深い訳ではありませんが、「その感じ」はよく理解できましたので、当然に了承しました。

I'm not an expert in art, but I could understood "the feeling" well, I accepted her wish naturally.

私達は、それぞれに、それぞれ好きな絵に魅入って、概ね同じ時間に、出口付近で再開しました。

We were fascinated by each favorite picture, and met each other around the exit at about the same time.

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昨日、電車の中で、若い男性が友人と話しているのを聞きました。

Yesterday I heard on the train that a young man was talking to a friend.

『俺、もし転勤になったら、友達いなくなって死んじゃうかもしれない』

"If you get transferred, I might die without friends"

と喋っていました ―― 勿論、話を盛っているとは思うのですが。

I know that he was exaggerating,

しかし、

however, I also thought

―― 私を逆さにして振っても、絶対出てこない考え方だ

"It is an idea that I can not do absolutely"

と思いました。