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2013-08-03 「役員」やら「管理者」なんぞに、本当に成りたい人がいるのか

女性役員、女性管理者を増やすという、国策(?)について色々読んでいるのですが、「現時点で、私は、理解できていないな」と思っています。

夫婦別姓問題は、ほぼ100%、腹にストンと落ちたという実感があり、同性婚については、理論面からの理解が50%程度という感じです。

特に、夫婦別姓問題にについては、「賛成側」「反対側」どちらからでも論じることができて、かつ、ディベートに持ちこめば、どっちの側に立っても「勝てる」というレベルにあると思っています。

「同性婚」については、まだ、このレベルに至っておらず、「女性役員、女性管理者 増強計画」に関しては、まったく何も論じられないと思っています。

字面(じずら)としては分かるし、別段反対する理由もなく、メリットも理解できる。

しかし、仮に、自分がリーダーとなって、この計画を積極的に進めれるか、というと自信がありません。

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この根底にあるものは、私の意識です。

女性であろうが男性であろうが

『「役員」やら「管理者」なんぞに、本当に成りたい人がいるのか』

という、私の個人的かつ本質的な疑問です。

私は、ティーンの時に、身の丈に合わない責任のある立場(学級委員とか、生徒会長とか)をやらされて(もっぱら、大人たちの陰謀で)、

「リーダーは、全く割に合わない」

ということを、身に染みて感じているからです。

「リーダーを行うことで、人間として成長するのだ」

と言われれば、

「なんで、成長する必要があるの?」

と、つぶらな瞳で質問し返してしまうくらい、本当によく分からんのです。

-----

私には、「女性役員、女性管理者 増強計画」というのは、

「不幸な人間を量産するプロセスを、女性のエリアまで拡大する」

という風に読めてしまうのですよ。

ですから、「不幸な女性を量産」しても、得るべき利益がどっかに(国家か、組織か、企業か、なんだかか知らんが)あるのだろうなー、というくらいの意識しかないのです。

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分かっています。

今回も、間違っているのは私です。

そこで、ご相談です。

誰か(特に女性でキャリア指向の方)、私の誤った認識の修正を施してくれませんでしょうか?

私は、「上」を目指したいという人がいれば、それが女性であれ、男性であれ、「助けたい」という気持はあります。

少くとも、私は、あなたたちの「邪魔」にはならない程度の、理論武装はしておきたいのです。

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で、昨夜、この話を嫁さんと長女に話したら、面白いレスポンスを貰いました。後日続けます。


2014-08-03 「江端くん、今の子・・・誰?」

(昨日の続きです)

「見ないでよね!!」

"Don't look at me!"

「江端くん、今の子・・・誰?」

"Who is the girl who you talk now?"

「江端くんのために、一生懸命作ったんだよ」

"I make this my very best for you"

「今回だけは許してあげる」

"I forgive you only this time"

「なっ、なんであんたなんかのためにそんなことしなくちゃいけないのよ!」

"I can't understand the reason why I should do such a thing for you"

-----

こんなセリフしゃべる女性を、私は一度も見たことがありません。

I have never seen women who speak the above for my life.

本当にいたら、凍った笑顔のまま後ずさりして、その後、全力疾走で逃げます。

If I meet them, I back off with frozen smile, and run out with full effort.

つまり、このゲームは、現実世界への投影が一切なく、「シミュレーション」にすらなっていないんじゃないかと思うのです。

In conclusion, I think that there is no reflection to the real world, and we cannot call this game "simulation".

-----

さらに、WikiPediaを読み進めてみたところ、「シミュレーション」とは、

I read Wikipedia again, I found that the another definition of "simulation" is

「現実のシステムを動かしてその挙動や結果を確かめることが極めて困難、不 可能、または危険である場合に用いられるもの」

"A method that is used for things that is very difficult impossible and dangerous to activate, or confirm the conditions and actions"

とも、記載されていました。

この定義に因れば、「恋愛シミュレーションゲーム」を実施する主体は、

According to this definition, subjective persons who play "love simulation game" are

『恋愛をすることやその結果を得ることが、極めて困難、不可能、または危険な者』

"Very difficult impossible and dangerous to activate, or confirm the conditions and actions"

ということになります。

-----

この検討の帰結は以下のようになります。

The consequence of this study is as follow.

「恋愛シミュレーションゲーム」の実施者は、現実社会において(以下省略)。

The persons who enjoy playing "love simulation game" are in real society (the rest is omitted)


2015-08-03 『年配の週末研究員は疲れる』

今、私は「週末研究員」というコンセプトを発信している最中ですが、一つ、申し上げることを忘れていましたので、つけ加えたいと思います。

Now I am broadcasting the concept of "weekend researcher" on the web site. But I forgot to write a important information about this issue.

『年配の週末研究員は疲れる』

"Senior weekend researcher becomes tired"

-----

「週末研究員 = 楽しい休暇の過し方の一態様」というのは、事実なんです。

I think that it is true that a weekend researcher is one of the enjoyable life styles.

実際、ちょっと前までは、これで良かったのです。

In fact, there was no problem of this idea shortly before.

最近、ここに「疲労」という、経験したことがない要素が入ってきています。

Recently, "fatigue" is coming, that I have never seen before.

疲れるんですよ、データ解析やら、シミュレータの作成に。

I am tired of making data analytics and simulators.

正直、びっくりしています。

To tell you the truth, I am really surprised that

好きなことをやっているのに、疲れる。

I become tired, though even I do what I want.

こんな経験は、今までありませんでした。

I have never experiment such a stranger thing until now.

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で、まあ、シニアエンジニアからの呪いのような言葉になるのですが、

So I want to cast a spell on you, from as one senior engineer,

『今(の幸せ)が、ずっと続くなどと思ってんじゃねーぞ』

"You must realize that your happiness does not last forever."

とだけ、申し上げておきたいと思います。


2016-08-03 ―― 誰か褒めて欲しい

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

で、冒頭の話に戻りますが、

Going back to the board,

私が、選挙の投票に行くということは、

one reason I go to a voting place, is

「国民としての最低の責務は果たす」という親の姿を娘たちに見せておきたい、

to show my daughter to my policy that I perform my duty as a Japanese

という見栄もあるのですが、

vainly,

私としては、できるのであれば、

For me, if possible,

■そういう賄賂を受けることもなく、

- not to accept any bribe,

■立候補者の一人一人をきちんと調べて、

- to research all candidates one by one,

■心から支持できる候補者が絶無、

- not to find any candidate from the bottom of my heart,

という状態にあって、それでも、投票所に足を運ぶ私を、

Even so, I who go to a voting place,

―― 誰か褒めて欲しい

should be applauded

のです。

褒めて貰えるのであれば、私は、がんばれると思うのです。

If you applaud me, I could continue my effort for many years to come.

(続く)

(To be continued)


2017-08-03 「最近の、北極ラーメン、少しづつ、甘くなっていませんか?」

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

昨日、2ヶ月かけて改良を続けてきたプロトタイププログラムの一番最初の稼動を確認したお祝いに、一人で北極ラーメンを食べに行きました。

To celebrate completing the first version of the prototype program which has been improving in two months, I went to eat Hokkyoku-ramen alone.

これは、北極ラーメンフリークの皆さんに質問なのですが、

This is a question for Hokkyoku-Ramen freak,

「最近の、北極ラーメン、少しづつ、甘くなっていませんか?」

"Recent Hokkyoku-ramens become sweet little by little doesn't it ?"

以前は、3口ごとに、その辛さで咽せて(むせて)、ラーメン一杯を食べきる間に、7杯くらい水を「おかわり」していたものです。

Previously, drinking the soup every just three times, made me cough, and seven refills of water were needed by the finishing the bowl.

昨日、咽せた回数はゼロ回、昨夜も水のおかわりは一回だけでした。

Yesterday, there was zero time to cough, and just one time to refill to water.

なにより、昨日「北極ラーメン」を食べ終ったあと、『旨い』とは思いましたが、一回も『辛い』と思わなかったことに、慄然としています。

Above all, I am really filled with horror that I could feel "delicious", however, not "hot" at all.

-----

今、私は、

Now I feel thought attack that

『北極ラーメンが、大衆化路線に舵を切った』

"Hokkyoku-ramen is going to be downmarket"

という、国家レベルの陰謀が進行しているのではないか、と、疑心暗鬼の状態になっています。

with a back door at the at a national level.

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思えば、近年の「蒙古タンメン中本」の、メディアへの露出度は、非常に高くなっていると言えます。

Considering the "Mouko Tanmen, Nakamoto", the shop becomes very much in the news more and more.

私は『"辛い"は"世界平和"』という、極めてロジカルな政治信条を有している人間です。

I have a political gospel of ""hotter tasting" is the way to "global peace"", with a reasonable logic.

故に、このような「蒙古タンメン中本」の世間への認知度の向上を、大変望ましいものととして眺めてきました。

Therefore I have observed the improved visibility of "Mouko Tanmen Nakamoto" with my joy.

しかし、新興の「極辛」カルトが、「蒙古タンメン中本」を政治利用しようとしているのであれば、

However, if new "hot" cult want to use "Mouko Tanmen Nakamoto" for political purposes, I cannot turn a blind eye to the cult, as one of

「"極辛"ファンダメンタリスト(原理主義者)」

"Hot fundamentalist"

の江端としては、看過できないのです。

(続く)

(To be continued)


2018-08-03 その中でも、この「故人を『笑って』偲ぶ」という葬儀は、素晴しい文化のトップクラスに入ると思っています。

米国赴任中、私の隣りのパーティションのマイクが亡くなり、私は、米国での葬式を体験することになりました。

During my assignment to the US, "Mike" who was next to my partition, died, and I experienced a funeral in the United States.

教会の中には、ちょっとしたコンサート会場のようなホールがあり、そこには、街中の人間全員かと思われるほどの沢山の人が集まっていました。

There was a hall like a little concert venue in the church, and a lot of people, as if all people in the town.

何人かの人が、そのホールのステージで故人の思い出話を語り、そして、参列者はその話を聞いて

Several people talked about memories of the deceased at the stage of the hall, and the participant listened to the story and was raising

―― 大爆笑

"very loud laugh"

していました。

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故人がテニスをしていた時の話では、

In the story when the deceased was playing tennis,

「ファイナルマッチになった時、相手が打ち込んだスマッシュが、コートぎりぎりで入り、私たちが残念そうな溜息を付い時、彼は、大声で叫んだのです ―― 「アウト!」と」(*)

"When it became a final match, when the opponent's smashed came in at the end of the court, and we got a sorry sigh. But He shouted out loud - "Just!" (*)

(*)一般のテニスでは、このようなセルフジャッジで、試合をします。

(*) In general tennis, we play games with such a self judge.

つまり、『故人は、勝ちに拘る、ズルくて、面白い奴だったんですよ』と楽しげに語って、会場の笑いを誘っていたのです。

In other words, he said "he was a funny and fun guy that the deceased is vulgarious about winning", and he was inviting the laughter of the venue.

私は、2年間の米国赴任で、『米国には、素晴しい文化と、素晴しくない文化が、だいたい半分くらいづつある』という所感を持っていますが、

I have been in the US for two years, and I feel that "there are about half a wonderful culture and a non-wonderful culture in the United States"

その中でも、この「故人を『笑って』偲ぶ」という葬儀は、素晴しい文化のトップクラスに入ると思っています。

Among them, I think that the funeral "to remember the deceased with smiling" goes into the top class of a wonderful culture.

(但し、あそこ(フォートコリンズ)は、米国の中でも、先進的で大きなIT会社と州立大学からなる、エリートが集まる学園都市であったということは、差し引いて考える必要はあると思いますが)

(However, you need to think a little, that among the United States, "Fort Collins" in Colorado, had large IT companies and a state university and most people were intellectual people)

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比して、我が国の葬式を見直すに ――

In comparison, to review the funeral in our country

■辛気臭い意味不明なお経と、線香の匂い

- Odorless meaning Unknown senescence, smell of incense sticks

■うつむいて歩いて焼香するだけで、それ以外何もできない参列者

- Participants who can not do anything other than burning incense by walking

■何をしゃべっているのか分からない上に、我が社の新人のプレゼンよりも滑舌の悪い坊さんの説教

- Buddhist sermon, we do not know what they were talking about, and worse than our newcomer presentation.

■ありきたりで、代わり映えのない、喪主挨拶

- With ordinary, no substitute greetings by the mourner

『一体、誰の為の何の葬儀なのだろう』

"What on earth is it for anyone?"

『葬儀とは、その故人を偲ぶ為のものではないのか』

"Is not the funeral to remember the deceased?"

と思ってしまうのです。

I always think it again and again.

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前日の通夜の挨拶で、「スピーチ失敗」との自己評価を下していた私は、本葬での喪主挨拶での挽回を画策していました。

I was self-evaluating "Speech Failure" on the previous evening's greeting, and I was planning to recover from the mourning greeting at the main funeral.

「どこにでもいるような人物」の話ではなく、『私の父の話を、私の気持と、私の言葉で語る(しかも、1分以内で)』と ――

It is not a story of "people like everywhere". I will talk about my father's story with my feelings and in my words (and within a minute)"

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誰もいない深夜の通夜の会場で、棺の中にいる父を前にして、私は、スピーチの内容の推敲を続けていました。

At the venue in the late night night without anyone, I was continuing to elaborate the contents of my speech, by myself in front of my father in the coffin.


2019-08-03 ―― 人生における恋愛の重要性はどれくらいか

私は、毎日帰宅が遅いのですが、娘と話す時は、一気に深夜に3時間くらい会話することがあります。

I go home late every day, but when I talk to my daughter, I sometimes have a conversation for about three hours at midnight.

先日、

The other day, I was talking in the thesis of

―― 人生における恋愛の重要性はどれくらいか

"How important is Love in Life?"

というテーゼで話をしていました。

「予め、ここでいう重要性というのは、「酸素」とか「炭水化物」とかのように、『自分の生存の為に必要な、心を占める比率』という意味と定義しておこう。もちろん、主観値でO.K.」

"Preliminarily, let us define the importance here as "oxygen or carbohydrate" as meaning "the proportion of the heart necessary for one's survival". Of course, there is no problem in the value of subjectivity.

と宣言して始めました。

I declared and started it first.

-----

娘(長女):「じゃあ、私は、6割くらいかな」

Daughter (Eldest daughter): "Well, I'm about 60%"

江端:「凄いな。まさに『愛こそ全て』という感じだな」

Ebata: "It's amazing. It's a feeling that love is all."

娘(長女):「・・・何か言いたいことある?」

Daughter: "... what do you want to say?"

江端:「いや、『若いなぁ』って」

Ebata: "You're young, it's good"

娘(長女):「どうせ、そう言うだろうと思っていたよ。じゃあパパは?」

Daughter: "I thought you would say that anyway. So what about you, dad?"

江端:「『焼きソバの紅ショウガ』くらい」

Ebata: "Like red ginger of grilled buckwheat"

娘(長女):「味気ないなぁ。パパだって、若い頃は、もっと多かったでしょう」

Daughter: "You were poor. Would you have been more when you were young ?"

江端:「若い頃、若い頃ねえ・・。『鰻重にかける山椒(さんしょ)』くらいだったかもしれない」

Ebata: "When I was young, maybe ... it might have been pepper in Unaju Don"

娘(長女):「今の方が、増えてる?」

Daughter: "Is it increasing now?"

江端:「『ゼロ割り』くらいの増量だな」

Ebata: "It's almost an increase like a division by zero"

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ここで、長女が嫁さんに話題を振りました。

Here, she brought up a subject to her mother.

娘(長女):「じゃあ、ママは?」

Daughter: "What about you mom?"

嫁さん:「・・・」

Wife:"...."

娘(長女):「・・ママ?」

Daughter: "Mom?"

嫁さん:「8割くらい・・・かな」

Daughter: "It is about 80%, isn't it?"

娘(長女):「8割?」

Daughter: "80 percent?"

嫁さん:「8割。『自分の生存の為に必要な、心を占める比率』でしょう?」

Daughter: "80%. You said that "the proportion of the heart necessary for one's survival""

娘(長女):「う、うん・・そう」

Daughter: "Well, yes, yes"

といいながら、長女は私の方に目を移しました。

While saying, my eldest daughter turned to me.

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私は、うなずきながら、娘に言いました。

I said to my daughter while nodding.

「パパも結構な色々な人から『凄い』と言われること多いけどな ――

"I'm often told "Ebata is something" from various people, however,

意外に気がつかれていないけど、ママの『凄い』は、もっと『凄い』んだ」

Everyone could not notice, but mom is really more "something" than me.