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2013-07-26 「殺したい程の憎悪」をすることに対する最低限の礼儀 [長年日記]

最近、ツイッターので、我が国の近隣国の悪口が凄く多くなった、と思っていたのですが、300人中の2人ほど、フォローを止めたら、

―― そのような内容のツイートが"0"になった(誇張ではなく本当に"0")。

なんだ、そういうことか。

たくさんのツイートがあれば、たくさんの意見があるように見えるというのは、ネット世界の盲点ですね(今更ですが)。

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まあ「誰の何がそんなに憎い」のかは、私にはどうでも良いことなのですが、

19歳の時から、世界のいくつかの国を一人でテクテクと歩いてきて、

「その国に住んでいる人」と「その国の政府」は、完全に別人格であることを、嫌という程知っている私としては、

そのようなツイートを読まされるのは、愉快ではないのです。

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マスコミの記事が、多くの読者に読まれることを期待して、わざわざ刺激的な見出し(キャッチー)や、表現や、事実と推測をゴッチャにして、読者を恣意的に誘導することは、常套手段です。

なぜ、そのように言い切れるのか?

『私自身が、そのようなことをやってきたから』

です。

具体的には、

『これまで、そのようなコラムを量産してきたから』

私が、コラムを読み易く、面白くする為に、表現を過激にしたり、必要以上に誇張していることは事実です(この日記を見ても明かでしょう)。

とはいえ、私はエンジニアなので、「ここまでは事実」「ここからは推測」という風に、テクニカルライティングの作法は遵守しているつもりです。

また、特に、間違った事実の流布に関しては、病的な程怖がっているのは、ご存知の通りです。

まあ、私の言い訳はともかくとして、私が何がいいたいかというと、「読まれる為の作為が入っていない記事」など絶無である、ということです。

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我々が、他国の政府やマスコミの書いていることを、信じることは仕方がないことです。

我々には、それしかニュースソースがないのですから。

しかし、私としては、一度でいいから「外国を国を自分の足で歩いてみてはどうでしょうか」とお勧めしたいのです。できれば、僅かな期間でも良いので滞在してみることは、強くお勧めします。

特に現地の食事を、現地の人と一緒に食べて、一緒に寝泊まりすることは、圧倒的かつ絶対的にお勧めします。

そうするとですね、一般的に流布されている情報と、現地の事実との間に、ビックリする程の乖離(かいり)を感じることができます。

さらに、そうするとですね、一般的なマスコミの記事というのが、日常生活で「事実」ではなく、単なる「参考資料」にまで、転がり落ちていく感じを体感することができます。

これは、長い人生において大変意義があることではないか、と思うのです。

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何かや誰かを殺したい程憎むのであれば、その対象は「国」やら「政府」のような抽象概念で語っていては、全然足りない。

「集団」でも足りず、「個人」までブレークダウンし、きちっと憎悪の対象として認識し、認定すべきだと思う。

そして、そのことに対して、自分なりのロジックを組み立てて、コラムや論文程度の体裁に仕上げて、そのURLを公開した段階で、「殺したい程の憎悪」は、そこで初めて「完成する」と思うのです。

それが、「殺したい程の憎悪」をすることに対する最低限の礼儀だと私は思うのです。

「殺したい程の憎悪」が、人のツイートのリツイートや、数十文字程度の感想ですか?

笑わせないで下さい。

パソコンの前で、140文字程度を使って、憂さを晴らす程度の中途半端な怒りを、私には届けないで欲しいのです。

そういう覚悟のないツイートは、私にとっては、鬱陶(うっとう)しいだけですので。

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で、文頭に戻るのですが。

『鬱陶しいツイートをしてくる人のフォローを止める』という、凄く簡単なことにも気がつかなかった私は、

―― 本当に阿呆だなぁ

と、今さらながら、実感していたりします。