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2013-06-14 ジョージ・オーウェルの「1984」が、現実性を持って開始された日

以前、「どーでもよくなる」という日記を公開したことがあります。

ここのところ、久し振りにLBS(Location Based Service)の調査をしていたのですが、Googleが、「Google Maps Coordinate」というモバイルワーカー管理ツールのサービスを開始しています。

「モバイルワーカー管理ツール」というのは「全社員位置監視ツール」ということです。

無論、この程度のツールはすでに存在していましたが、これをGoogleが提供を開始したということには大きな意味があります。

ジョージ・オーウェルの「1984」が、現実性を持って確かに開始された、ということです。

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Googleといえば、我が国でも一時期大騒ぎになった「Googleストリートビュー」に関する騒動って、どうなっているんでしょうか?

私が調べている限り、この件について、国内で係争中の裁判を見つけられていません。

この理由は、推測の枠を出ませんが「訴状が書けなかった」のではないかと思っています。

裁判を提訴する為には、当然告訴が必要なのですが、その告訴の理由は、正当な法律の条文を引用したものでなければ、裁判を開始することすらできない(請求却下)のです。

「気持ち悪い」とか「止めて欲しい」だけでは、原則、訴状を構成できないのです。

ただ、「Googleストリートビューのせいで、精神疾患になった」と認められる場合は、その当事者とGoogleの間で、損害賠償請求とか、その家の表示だけを停止するような差止請求は可能と思います。

しかし、「Googleストリートビュー」のサービス自体を潰すのであれば、国民の8割程度が精神的疾患に陥いっていることを、客観的に証明する必要があるでしょう。

それはさておき。

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ジョージ・オーウェルの「1984」は、強権的な国家権力によって開始すると思っていたんです、私は。

これが、よりによって「インターネット」上で、「Googleによってスタートした」という点に、私は、歴史の皮肉さを感じています。

ひしひしと。


2014-06-14 「今年死ぬ確率は1割」

以前、人口変動シミュレーションプログラムを作って、「3222年に日本人が一人もいなくなる」という結果を出したことがありました。

Before, I made a simulator of population estimation, and got a result that all Japanese is going to vanish away by A.D. 3222.

合計特殊出生率と、死亡率の2つのパラメータを使って行っただけの単順なプログラムです。

It was a simple program that was used both total fertility rate and death rate.

死亡率のパラメータを手で入力していったのですが、これが、なかなか感慨深い作業だったのです。

Though I have to input the death rate in my program source file by my hand, this is an interesting process.

例えば、

For example, the death rate is

■10歳での死亡率は、10000人に1人

One of ten thousand in the 10's

■20歳での死亡率は、10000人に6人

Six of ten thousand in the 20's

ですが、

■85歳での死亡率は、10000人に1200人

One thousand two hundred of ten thousand in the 85's

■90歳での死亡率は、10000人に2025人

Two thousand and twenty-five of ten thousand in the 90's

■95歳での死亡率は、10000人に3188人

Three thousand and eighty-eight of ten thousand in the 95's

となります。

現在の私は、「来年には、もう存在していないかもしれない」という考えを持たないで生きています。

Now I don't have to think that "I still might not to be in next year"

しかし、近い未来に、

In the near future, I am about to calculate

「来年も生き残っている確率は9割」

"The probability to survival is in next year is 90%"

と勘定するようになるのだなぁと思うと、感慨深いですが、

It might interest me, though,

「今年死ぬ確率は1割」

"The probability to death is in this year is 10%"

と考えると、結構恐いかもしれません。

will make me unhappy.


2015-06-14 「デザインとして表現すると、考えが限定的になってしまう」という主張もあるようですが、その主張は二重の意味でナンセンスなのです。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

特に大学関係者のプレゼンに、「文字だけ」の資料が多いです。

For example, college researchers is apt to make character presentation material without picture.

大きな文字を書いて、読みやすくしている『つもり』になっているようですが、サボっているのは見え見えです。

Though they are about to make their materials easier to read, it is obvious that they want to cut corners.

また、「デザインとして表現すると、考えが限定的になってしまう」という主張もあるようですが、その主張は二重の意味でナンセンスなのです。

Some persons tell that design restricts expansion of technical thoughts, but this is a nonsense as a double meaning.

デザインというのは、技術の具現化の一番最初のフェーズですから、デザインのない技術というものは存在できません。

Design is coming at the first phrase of technical realization. So there is no technology without design phrase.

そもそも「抽象的な技術的思想の創作を保護する」ことを目的とする特許においてですら、『実施例』の記載が義務づけられています。

Above all, the purpose of patent rights is to protect creations of obstacle technology thoughts, however, practical example should be attached in patent applications.

これは、特許法が、「デザインを作り、具体化して、実施可能なものが、最低1つはないと、権利(特許権)はやらん!」と宣言しているということです。

This means, patent law declares "I don't give you any patent right without specified application with designs and method. You should open at least one example"

まあ、それ以上に、

More over, the story will arrive at the following saying,

―― デザインすらできない技術的思想なんぞ、何の役に立つ! ボケ!

"Don't be dumb! Technology without design ? What is on earth it?"

という、当然の話に落ちます。

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もちろん、方法の発明(アルゴリズム)とか、製品コンセプトなど、デザインしにくいものがあるもの事実です。

Of course, I know well that some object is difficult to realize as a design, like method invention(algorithm) or product concept.

しかし、それらのものでさえ、デザインとして表現する方法はあるのです。

But even if that, we can make them as design.

その一つの手法が「擬人化」です。

One of them is "personification".

(続く)

(To be continued)


2016-06-14 『主催者は、独身男性が、猫の里親となる資格を「欠いている」というデータを出せ!』

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

しかし、ナンシーが、『EU残留に利益がある』ということを立証した場合(完璧な立証である必要はない)、

On the other hand, if Nancy can show the profit of "EU stay",( and it is O.K. even if it not perfect),

今度は、トムに、『EU離脱に利益がある』ことを、立証しなければなりません。

the next time, the "burden of proof" moves to Tom, who should show the profit of "EU breakaway"

反証です。

It is "counter proof".

「立証責任の転換」という言い方をすることもあります。

It is said "change of burden of proof"

もし、この反証ができない場合には、トムはナンシーに論破されたことになります。

If Tom fails to do this "counter proof", Tom is going have the worst of this dispute.

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なんかねー、自分の論の正当性を主張する為に、「相手に証拠を出させる」ことが、当然のごとく振る舞うような、

I think that in order to insist the claim of their own, some people are likely to act, for example, "making opposite people put the proofs", is normal.

However I am afraid that it is a clear

―― 不合理なロジック

"unreasonable logic"

が、まかり通っている気がするのです。

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例えば、ですね、

For example,

先日、「猫の里親会」に、独身男性の参加が拒否されて憤慨されている方(たぶん男性)のコメントを見ました。

The other day, I read a comment, that there was a meeting of foster parent(FP) of cats that rejects to join single men, and a person (maybe "male") became resentful.

これは、主催者が「独身男性」は猫のマネージメントができない(とか、あるいは異性の出会いの場として利用されている)などの理由で、拒否していることが起点となっているようです。

In this case, the promoter seemed to reject joining a single man with reasons of luck of cat management (or abuse intention to meet a single woman (just my estimation, though)).

この男性は、

This man seemed to claim

『主催者は、独身男性が、猫の里親となる資格を「欠いている」というデータを出せ!』

"The promoter should show me the data that a single man lacks the management capability of cat management."

と主張されているようなのですが、

and,

そして、―― その憤慨している気持ちも理解できるのですが ――

to tell you the truth, I can understand his anger deeply, however,

この場合、その憤慨している男性自身が、

in this case, it is reasonable that the man who get angry,

『独身男性が、猫の里親となる資格を「欠いていない」という客観的なデータ』

"should show the promoter the data that a single man doesn't lack the management capability of cat management."

を提出して、反論するのが「筋」なのです(もし「本気で反論しようとするなら」ですが)

and argue against the meeting policies(even if he really want to do it).

これが「立証責任」の考え方の、基本的なサンプルです。

This is a simple and basic example of "burden of proof".

(続く)

(To be continued)


2017-06-14 ただ、"学問"とか"勉強"のない世界は、「エコ」ではないだろうな、とは思います。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

「ピタゴラスの定理」がなくても、世界は問題なく回っていく ―― という事実は、私にとっては、残念なことですが、事実だと思います。

"Unless the Pythagorean theorem exists, the world is moving". I am afraid, but this is true.

(あるいは、少数の専門家が存在していれば足りる、という理屈もあるかもしれまえん)

(Or, there might be a logic that it is no problem to exist some few experts )

同じように、古文がなくても、世界史がなくても、英語がなくても、国語がなくても、そして、どこぞのアホな作家夫婦の著作物の全てが焚書されても ―― 世界は回っていくのです。

In much the same way, the world that no ancient writing, no world history, no English, and no Japanese and no books that are written by a simple-minded author couple, is also moving.

畢竟、"学問"とか"勉強"などなくても、多分、世界は大丈夫なのでしょう。

Extremely speaking, "learning" or "studying" is not indispensability for the world.

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ただ、"学問"とか"勉強"のない世界は、「エコ」ではないだろうな、とは思います。

However I think the world without "learning" or "studying" is not good for "ecology".

「もの凄く、効率悪そうだなぁ」と。

It looks "it is tremendous inefficient" for me.

なぜなら、"学問"とか"勉強"の目的は、会話(コミュニケーション)だから、と思うからです。

Because I think that the supreme goal of "learning" or "studying" is conversation (or communication).

基本的に、

Basically,

■数字や数学や科学は、モノや物理法則の間との会話ですし、

Numbers, math. and science are for conversations with objects,

■古文や歴史は、過去の書物や、過去の人(の考え方)との会話ですし、

Ancient writing and history are for conversations with past era and people,

■英語は、言語が異なる人どうしの会話ですし、

English is for conversations with people who use different language each other,

■国語は、同じ言語での、さらに細かい意思伝達の為の会話です。

Japanese is for conversations with people who want to convey the detailed intentions.

会話の成立しない世界での、世界の理解の仕方は、基本的に1つしかありません。

The method how to understand the world without conversations is unique.

「暴力」です。

It is "violence".

「暴力」だけの社会は、どう考えても、膨大なリソース(人命を含む)の無駄遣いが永遠と続き、命が保証される安全安心な社会とは、縁遠そうです。

The society made by just "violence" is, obviously, wasting tremendous resource(including human life), and far from unassured daily life.

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「ピタゴラスの定理」が分からないことと、「古文の助動詞の活用」が分からないことの間には、大した差はないののかもしれません。

There might be almost same between blindness of "Pythagorean theorem" and "auxiliary verb conjugation of ancient writing".

多分、どちらも同じように重要で、同じようにどーでもいい。

Maybe, both are important, and at the same time we don't care them at all.

しかし、これらの全てに背を向けるということは、「世界との会話を拒絶」する、ということであり、

However if we build against "learning" or "studying", it means that we will reject a conversation with the world.

仮に、それは「非効率」で、そして「安心できない人生」をもたらす ―― という、江端仮説が真であるとすれば

"It is insufficient and gives us unassured daily life", if this Ebata's assumption is true,

色々な分野のことを、数多くを知り、かつ、理解できるようにしておくことは、

Knowing many things in many field, and keeping them in our mind, are

―― 「ラクな人生」を生きる為に、かなりてっとり早い方法

good methods to put daily life at our ease

と言えるかもしれません。

might be true,

まあ、そうでないかもしれませんけど。

Well, it might not be true, however.