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2012-02-27 私のリベラル度

米国では、同性愛婚というのが公的に認められつつあるようです。

しかし、これは米国全体が、国是として同性愛を認容している、という訳ではないようです。

これは、米国赴任中に聞いた話ですが、米国人の保護者達は、

○社会的な同性愛婚を認容しつつ、

○自分の息子からホモセクシャルであることをカミングアウトされることを何より恐れている

という、矛盾した二面性をもっている、のだそうです。

しかし、人間とはそういうものでしょう。別段、矛盾しているとも思いません。

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「痛車(いたしゃ)」と呼ばれる車があります。

アニメのキャラクターを巨大に拡大したステッカーを、自動車の全面、背面、側面に張った車のことです。

なんというか「武士は喰わねど高楊枝」の真逆を走る、確かに痛々しく、しかし、潔い自己主張。

社会にどう評価されようが、好きなアニメの女性キャラクターを世間に開示して生きる姿は、清々しいとも感じます。

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と、そこまでは理解できる、・・・できるんだけどね。

仮に、娘が、「痛車」に乗った婚約者を自宅に連れてきたら、という仮説を勝手に作って、勝手に苦しんでいます。

―― 大丈夫よ。

私のパパは、いつだって

『価値観というものは個人に依存する不可侵なもので、

我々はどのような状況であれ、多様な価値観を認めれる人間でなければならない』

って、いつでも私に語っている、その「当事者」なんだから ――

と彼氏に言い含めて、そんでもって、その彼氏がそれを真に受けて、本当に「痛車」を自宅前の道路に駐車させた時、

私は一体、何を言い、どのように振舞えば良いのだろうか、と。

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良い機会です。

私も、カミングアウトしましょう。

「私のリベラル度など、所詮はこの程度です」


2013-02-27 バスタブに沈没した本たち

「あの江端が、今度はコンピュータゲームを作るはじめるのか」というのは、到底成立しない仮説です。

なにしろ、私は、一つのコンピュータゲームを完了したことがありません。

ゲームを終らせるくらいなら、「戦争と平和」を読了する方が、多分楽と思えるくらい、コンピュータゲームが苦手です。

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今回の次回の「英語コラム」は、ミリタリーをモチーフとして記載しています。

ところが、「戦闘中の戦線に、食料や武器などの物資を送り込む後方支援を、なんと言うんだっけ?」 を探すのに、3時間も費してしまし、その面倒くささに疲れてしまったのです。

# 答えは「兵站(へいたん)」

本質を理解しているかどうかはともかく、まず用語が分からないと、文章書けないなー と、軍事関係の辞書を探していたのですが、そのような専門書は高価な上に、分かりにくい。

例えば「少佐」と「少尉」の違いなどは、

■「エロイカより愛を込めて」のクラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐)

■「はいからさんが通る」の、伊集院忍少尉

の二人しか知らないし(この二人、どっちが偉んだっけ?)

大隊とか小隊とか司令部とかの用語も全然分からんし、「図書館戦争」も参考にはならん(あれはフィクションの度合いが大きすぎる)。

「シビリアンコントロール」とか「集団的自衛権」とかの方向であれば、、少しは話せるですけどね。

まあ、そもそも、この程度の貧弱な知識でですね、ミリタリーをモチーフとしたコラ ムを書こうという、その根性がずうずうしい。

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という訳で、もっと軽量な参考資料を探していたところ、先日本屋で見かけたのが、この本。

――ウーム、これでまた、2000円か。正直、痛いのう。

多分、戦争をモチーフとするコラムは、今回と次回だけだろうしなぁ。

当然、地元図書館にも検索をかけたのですが、蔵書なし、と。

まあ、しゃあない。買うか。

と、Amazonでポチっと購入のボタンを押した訳です。

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この手の本が我が家には、多いです。

「TPP」とか「著作権」とか「初音ミク」とか、もうボロボロになるまで書き込み、何冊かはバスタブに沈没させています。

しかし、大体コラム書き終わると、部屋のすみで積み上げられることになります。

まあ、「本」とは、このような使い方をする、が、正解ではあるとは思っているのですが、

―― ちょっと、本に対して「愛がないかなぁ」

と、自己嫌悪してしまうのが、嫌なのですよね。


2014-02-27 「これといった理由は思いつかないんだけどなー。とにかく、なんとなく嫌」

In my diary of the other day, I wrote the following story.

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そして、自宅では、絶対に嫁さんが料理してくれることのない料理達が、安価で食せるところがイイのです。

Secondly, the foods are good.

どてやき、とんたん(豚舌)、ガッツ(胃)、レバー、ホルモン(内臓)

Organ stew, pig tongue, gut, lever, and organ meat

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というお話をしました。

昨夜、「なんで、それらの食材を食べることができないか」という質問を嫁さんにしてみました。

Last night, I asked my wife why she could not eat the above foodstuffs and hates them.

嫁:「これといった理由は思いつかないんだけどなー。とにかく、なんとなく嫌」

"I don't know the reason explicitly. Unconsciously I have believed so."

私:「その気持ちは分かるが、なんとか言語化してみよう。ガンバレ!」

"I can understand the feeling well, but let's try verbalization. Go for it! "

嫁:「そうだなぁ・・・。『内蔵』などが、視覚イメージできてしまうとダメかなぁ」

"Let me see... If I could visualize organs of animal, I never eat the foodstuffs"

私:「しかし、鳥、豚、牛の肉の解体作業なんぞ、バラエティ番組でも普通に放送しているぞ」

"But I think that the images like them are always broadcasting in variety shows.

嫁さん:「うーん、それは『日常』の映像として、形而上化してしまっているんだよ」

"They have already been metaphysical concepts as usual images.

―― と、言うか、

"Let me try another way,"

She continued.

と嫁さんは続けていいました。

嫁:「私は、食肉をスーパーマーケットのパックとして認識している訳だよ。そこに『在る』肉は、すでに、鳥、豚、牛という生物の一部という概念では把握していないの」

"I recognize the meats as packs of food in supermarket. I don't think that chicken, pork and beef meats are parts of creatures.

私:「なるほど。その食肉は、その発生時において、すでに「パック」として存在し続けていた、と」

"I see. They have been the meats as the packs from the beginning of story of creation."

嫁:「でもね、これを、『舌』『胃』『肝臓』『内蔵』と特定されると、いきなり具象化するでしょう?」

"On the other hand, as far as we call them "tongue", "gut", "lever", and "organ", we can image the parts concretely.

私:「つまり、結論として、鶏肉、豚肉、牛肉は、『概念』であって、生物の部位ではない、と」

"In short, chicken, pork and beef are just concepts. They are not part of creature body.

嫁:「そう」

"No"

私:「では、鶏肉の『もも肉』と『ささみ』の違いは?」

"So what is difference between "dark meat" and "white meat"?”

嫁:「味と形と値段の異なる『違う種類の鶏肉』という『概念』があるだけ」

"Both of them are also just concepts. There are differences of taste, form, and price."

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とても分かりやすい話でした。

It was a good story to understand easily.

やっぱり夫婦の会話は大切ですよね。

Actually, conversation of couple is important, isn't it?


2015-02-27 ―― 体重が落ちないことを、私に八つ当たりしているように感じる

4月の次女の入学式に向けて、家族でダイエットをやっています。

My family has been on diet for the entrance ceremony for my junior daughter.

私のダイエットの目的は、メタボ解消で、分かりやすい目標設定日と仲間(家族)がいるので続いています。

The purpose of my diet is a prevention of metabolic syndrome, I can continue the diet with the reasonable target day and my family.

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ネット情報とか調べながらやっているのですが、今家族全員が「停滞期」というのに突入している状態のようです。

According to the internet information about diet, all members of my family is rushing in "stagnant period", so called.

日々の努力に対して、体重が減らない(下手すると増える)日が継続する時期です。

This is the period that our weight has not been los against our efforts.

家族全員がイライラしています。

We all are irritated.

私は、研究員ですので、体重に関する各種の情報を調べて、家族に教えるという役割も負っているのですが、

I have tasks to study about diet and to inform them to my family.

―― 体重が落ちないことを、私に八つ当たりしているように感じる

Is probably just paranoia that I feel that they often take it out on me?

のは、私の被害妄想でしょうか。

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ところで、この「停滞期」は、成果が現われない為、ダイエットの失敗の大きな理由の一つになっているようです。

This "stagnant period" is one of the reasons of diet failure, because we cannot confirm the fruits of our efforts.

そして、さらにマズいことに、停滞期は、一種の飢餓時であり、身体のエネルギー吸収効率は最高潮に達している状態にあります。

To make matter worse, the stagnant period is a sort of time of starvation, and the effectiveness to efficiently absorb energy become under the maximum situation.

この時期は、普通の食事に戻すだけで「リバウンド」が発生する状態にあるのです。

In this period, if we return to the daily normal meal we become in condition of "rebound" easily.

(To be continued)


2016-02-27 ―― その理解の方向が、ほとんど逆ベクトル

Previously, I described about the Studio Ghibli works "Kaze-tachinu(The Wind Rises)".

#ところで、「風立ちぬ」の英語訳って、"The Wind Rises"(Youtube)なんですね。『すごく美しい英語を見た』と、えも言えぬ感動を感動を感じたのは、私だけでしょうか

嫁さんと娘たちも見にいったのですが、評価は「良かった」というものでした。

My wife and daughters went to the movie, and the evaluation was "good".

私も一人で見にいってきたのですが、評価は「良かった」でした。

I also went to the movie, and the evaluation was "good".

しかし、

But

―― その理解の方向が、ほとんど逆ベクトル

"The direction of the understanding is almost Inverse vectors."

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私は、主人公であるゼロ戦設計者のエンジニアとしての生き方や思想を、ほぼ100%、そんなこと「取り立てて言うまでもない、普通の生き方」として、特に意識もせずに理解していたのです

I could understand perfectly that the way of the hero as an engineer of the Zero fighter design, is "a normal way of life, needless to say special".

しかし、嫁さんや娘たちは、「あの人(主人公)、一体、何を考えているの?」という、宇宙人を見るような感じだったようなのです。

However, my wife and daughters felt that "that person (the hero), what is he thinking?" with looking like the alien.

例えば、『病床の最愛の妻を、実家において置いて、その日のうちに仕事に戻る』という主人公の行動は「人間として、どうよ?」という感想を持たれてしまうのは ―― まあ、当然でしょう。

For example, the hero's action, "he leaves his wife's country house back to work on the same day, in spite of her serious sickness" might be blamed with "what is he thinking?"

しかし、私は、この主人公の振舞いを、「ロジック」ではなく「感性」として理解できるのです。

However, I can understand the behaviour of this hero, as "sensibility" instead of "logic".

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「ロジック」ではないので、上手く説明できないのですが、

It is very hard for me to explain it logically,

―― 人間愛だけが、最高の価値である

"Only human love is, is the best value"

という「正論」に対して、100メートルくらい離れたところで、小さな声で『そうかな』とつぶやきたくなるような感じ(×ロジック)です。

might be a "sound argument", however I have a feeling (not logic) that I want to mutter as "Is that so?" in a small voice at a distance of about 100 meters.

人間愛は大切だけど、同じように他の多くのものだって等しく大切だ、と思う。

I think "Human love is important but others are also important about the same"

例えば、「これだけが、もっとも一番大切なサブシステム」という考え方をするシステムエンジニアはいません。

There is no engineer who thinks "this is the most important sub-system", for example.

もっと具体的にいえば、「時計にとって、時計盤だけが一番大切である」という考え方をする、時計職人はいないだろうと、ということです。

Speaking in more concrete, there is no watchmaker who thinks "only watch board is the most important thing of all the watch parts"

『ある一つ愛だけを特別に取り扱う人は、その一つの愛すら、ぞんざいに扱っている』というように思えるのですよ、私には。

I think that "a person who thinks "human love" is special, doesn't even take care of the love itself "

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まあ、今日のこの話は、

Well, this my small talk is that

私の上記の見解の是非を問いたいのではなく、

I don't ask you my thought's pros and cons, though,

そういう発想ができてしまうところに「エンジニア」という人間の資質(というか、特徴?)が表われるんだろうなぁ

this might be a typical characteristic of "engineers",

と、気がつかされたということです。

I noticed that.


2017-02-27 ―― うーむ、いっそ、この機会に、ブログも、コラムも、仕事も止めてしまおうか

今回の、家族での台湾旅行で、私は、「国際WiFiモバイルルータ」なるものを始めて利用してみました。

In this family overseas trip, I tried to use "International WiFi mobile router" for the first time.

私を除き、家族全員がスマホユーザとなっており、台湾国内でのインターネット利用のニーズが高かったことと、音声通話の為に、現地のキャリアを使ったら、シャレにならない金額の課金が発生することが分かったからです。

Except for me, all family has become smart-phone uses, and they wanted to use the Internet in the Taiwan. In addition, I knew that enormous payment would happen, if they use the local carrier for telecommunication.

そこで、私が、家族全員の為に ―― 文字通り「モバイルルータ」となって ――、金属の箱を持ち歩くことになったのです。

So I decided that I went around with a metal box and work as "mobile router" in the literature.

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ところが、その私自身が、そのルータを使えないという事態となりました。

However, as for me, I could not use the mobile route during the trip.

持参したパソコンが、無線アクセスポイントのサーチを行わず、そしてホテルの有線LANもIPアドレスを取得できない、という状況で、手も足もでませんでした。

The PC I had brought in Taiwan could not search the WiFi access points, and could not get IP address by Wire LAN either. It had been quite helpless.

その結果、私は、おそらく19歳から現在に至るまでの人生で、始めて、4日間連続でパソコンに触れないという、稀有な経験をすることになりました。

As a result, I had a rare experiment that I could not get in touch PC for four days, since I was 19 year's old.

メールのチェックはできない、日記は更新できない ―― そんな日々を送ることが、私に可能だろうか?

I wondered if I could not check e-mails, and update my diary.

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可能でした。

It was possible,

そして、結構、快適でした。

and pretty comfortable

特に、夜にパソコンを使わないことが、睡眠に対して非常に効果があることを、実感しました。

In particular, I had a gut feeling that stopping using PC at night was more effect for quiet sleep.

―― うーむ、いっそ、この機会に、ブログも、コラムも、仕事も止めてしまおうか

"Um.. Shall I stop the diary, columns and works, taking this opportunity ?"

とさえ、思いました。

I really thought that.

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帰国後、4日分のブログの更新と、数日後に迫ったコラムの締切の為、

After the trip, I engaged to update the diary for the four days, and write the column for deadline for several days.

あっという間に、元の生活に戻りました。

As a result, I could return to my old life.


2018-02-27 なんだろう、この猛烈な不安感は。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

特許査定とは、

In order to get "notice of allowance"

●発明者(または出願人)と特許庁審査官が、

A inventor (or an applicant) and an examiner at Patent Agency,

●「拒絶理由通知書」を宣戦布告として始まる、知の限りを尽して行う論理(ロジック))の応酬であり、

fight for exchanging of cannonball by "notice of reasons for rejection" as a declaration of war

●権利範囲の落とし所を求めて、両者が熾烈な陣地合戦(補正と減縮)を繰り返す、究極の知能バトル

and continue intelligent battles to get border line of the patent right severely by correction and limitation repeatedly

の果てに、最終的に勝ち取るものである ―― という思い込みがあったからです。

Finally, they are going to reach a compromise -- I have taken it for granted that the above scenario.

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ところが、今回、生まれて初めて、拒絶理由通知なしの、「一発『特許査定』」というのを貰って面喰っています。

However, I could get "notice of allowance" without "notice of reasons for refusal", and I was very surprised at this fact.

未だかつて経験のないこの行政処分に、正直、私は、うろたえております。

I have never experienced in this administrative decision before, and it paniced me seriously.

なんだろう、この猛烈な不安感は。

What is this keen uneasy feeling ?

特許庁の審査官様が『もう江端と(ロジック)で遊ぶのには、飽きたよ』と思われたのではないかと思うと、不安でたまりません。

My heart was tight with fear, if the examiners at Patent Agency come to think "we tired to play with Ebata by his logic"


2019-02-27 私が、毎朝の徒歩通勤で見続けてきた風景も、「それ」とは違うように見えました。

今回のコラムは「外国人労働者の労働力の効率的な搾取」がテーマです。

The theme of this column is "efficient exploitation of foreign worker's labor force".

これを書きながら、思い出したことがありました。

While I was writing this, I had something I remembered.

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私、米国赴任中、会社まで徒歩通勤していました。

I was commuting to the company while I was in the US.

『それがどうした?』と言われるかもしれませんが、これ、米国では結構な非常識だったりします。

You might say "What about it? . This is quite insane in the United States.

After all, I was a famous person at the company to which I was dispatched, as an Asian who was commuting to the company on foot.

私の米国滞在は高々2年間程度でしたが、それでも、屋外で働いている人の"多く" ―― ではなく、"ほとんどの人"が、ヒスパニック系の人達であったことは、よく覚えています。

My stay in the US was at most about 2 years, but still I remember well that "most people" (not "many") were Hispanic people who were working outdoors.

ちなみに、車を使わずに、毎日徒歩通勤している私に、彼らは陽気に手を振ってきてくれました。

By the way, they used to cheerfully waving their hands to me who commuted to work everyday without using a car.

私は、自家用車を購入することもできない、気の毒な日系労働者として、

As a sorry Japanese-born worker, who could not even buy a private car,

―― 彼らから、同情をされていた

"They had sympathy with me"

ことは、確実と思われます。

It seems to be reliable.

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ともあれ、

Anyway,

米国は、かなり多くの国民が、「自由と平等」を標榜し、理想とし、価値があると、信じている国、みたいに言われています。

The United States is said to be "a country that is worthy, idealizing as" freedom and equality ".

しかし、私が知ってる範囲の米国人は、それを100%信じているようではありませんでしたし、

However, the Americans in the range I knew did not seem to believe it,

私が、毎朝の徒歩通勤で見続けてきた風景も、「それ」とは違うように見えました。

The view that I watched every morning walking commuting, said to be different from "It".

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近い未来、我が国も、米国と同様に、屋外で働いている人の"ほとんどの人"が、外国人になると思います。

In the near future, in Japan "most people" who work outdoors will become foreigners, just like the United States.

これから私がどんな風景を見るのかは分かりませんが、できれば、「違う風景」 ――

I do not know what kind of landscape I will see from now. If possible, I will want to see "different landscapes", for example,

that makes "my heart look hotter and feels kindness".