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2013-09-01 心底から敬意に値する「低能さ」 [長年日記]

最近、非常識な悪ふざけを、Twitter等のソーシャルメディアに投稿して、騒ぎになる事件が後を立たないようです。

かかる事件を置こす彼ら/彼女らは、共通して、以下に示す「5重の低能さ」を露呈していると考えます。

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(1)そのような所業しなれば、自己アピールができないという「低能さ」

(2)上記(1)を記録媒体に残すという「低能さ」

(3)上記(2)をネットワーク上に配布するという「低能さ」

(4)上記(3)の行為が社会的に認容されるという見込の甘さや、そのような自体によって発生する影響を推定できないという「低能さ」

(5)ニュース、新聞等のメディアを全く視聴していないという「低能さ」

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これは、「低能 of 低能s」、まさに「低能のエリート」「低能の帝王」といっても言いくらいの、低能さです。

これは、冗談でも皮肉でもなく、心底から敬意に値する「低能さ」だと私は思っているのです。

同じ「低能」であるなら、ここまで極めなければならない。

人間は、どうしても、ここまでの「低能さ」を発揮することは難しいと思うのです。

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それともう一つ、彼ら/彼女らの行為は、素晴しいことをしてくれています。

このような、ニュースになっている程度の規模を発生させている「低能者」は、私の計算する限り、100人には至っていないように思います。

この数は、本当に事件を発生された確定的にGivenな固定の人数であり、その人数以外には当て嵌まらないと言って良いでしょう。つまり、この100人以上の人間には、無関係であることが、はっきりしているからです。

我が国の15~22歳の人口は、ざっくり、960万人ほどいるのですが、その内の、100人というのは、

「10万人に1人」程度です。

これは統計的な観点から見た「母集団に対する歩留まり」から考えても、

―― 驚異的に小さい値です。

このような観点から見ると、「5重の低能さ」は、間違いなく個人の資質に起因するものと断定して良いでしょう。

このような「低能」さを、若い世代全体に一般化する人(マスコミや評論屋も含めて)は、若者に対して「失礼にも程がある」上に、その程度の計算もできない程、自分自身が「低能」であることを主張しているようにさえ見えます。

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私達の世代は「しらけ世代」「遊んでばかりいる大学生」と批難されていました。

しかし、私が知る限り「しらけ」つづけていて、続けられるような勉学ではなかったし、「遊んでばかり」いて、卒業できるほど大学のカリキュラムは甘くはなく、本当に、日々、勉学とのバトルでした(少くとも、私には余裕などなかった)。

ですから、無神経に、このような「一般化」を、マスコミや世間を、心底から

―― 「憎悪」していました。

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若い世代に対する、根拠のない不当な「一般化」は止めましょう。

「五重の低能者」は、その資質として「選ばれし低能者」であり、

世代とは全く無関係に、本質的に根本的に絶対的に「低能」なのです。