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2007-09-15 魔法の勉強法

私が大学在学中に、アルバイトをしていた時の話です。
通信教育の教材を販売している大手の会社のバイトで、その教材で分からなかった箇所を、一時間教えるというものでした。

生徒にはそれぞれ「カルテ」と呼ぶものがあり、そこには別の講師がこれまで何を教えてきたかが記載されています。

その中に、勉強の方法を教えて欲しいという理由で、20回以上も連続して通っていた生徒がいました。

どうやら彼は、成績を上げる「魔法の方法」を教えて貰いたいらしいようでした。

当時でも、「短期間で成績を上げる」とか「今からでも間にあう受験」てな本が山のようにありました。

私が彼にいったことは、こんな内容だったと思います。

君がここに通ってくるのに往復何時間かかっている?
そうか2時間くらいか。
で、君は2時間あれば、英単語を幾つ覚えられる?
君の通ってきた回数20回は40時間だね。
一日3時間勉強したとして、13日以上も勉強する時間があったころになるね。
こんなところに「魔法の方法」を尋ねにくることなんて止めて、その分、真面目に勉強に回したら?
これが、本当の「魔法の方法」だと思うよ。

彼はそれから私のところには来なくなりましたが、多分、それは納得したのではなく、痛い所を突かれたからではないかと思います。


2013-09-15 「イプシロン」の打ち上げ中止は正しい

昨日、JAXAの新型ロケット「イプシロン」が打ち上げに成功しました。私としては、東京オリンピックより、こっちの成功の方が、はるかに嬉しい。

ところで、前回の打ち上げ中止の原因となったのが、「0.07秒のタイムラグ」というのが、―― こういういい方をすると誤解を招きそうなのですが ――「いいなぁ」と。

打ち上げ中止のプロセスを、私はこんな感じに理解しています。

(Step.1) 地上の計算機(管制センタにあるパソコンという理解でいいです)からロケット搭載の計算機(ロケットに搭載されているボードコンピュータという理解でいいです)へタイマーをスタートせよとの命令を送る。

(Step.2)この命令が地上側からロケット側に届くのに0.07秒を要したため、地上側とロケット側のタイミングが最初からずれてしまった。

(Step.3)ずれてしまうと、本来のデータと違う値がやってくることになる(確か、0.07秒前のデータが、"ヌル(NULL)"だったから、と記憶しているけど→間違っていたら誰か教えて下さい)、管制センタのパソコンが「ビックリこいて」しまった。

管制センタのパソコンの気持になって、めちゃくちゃ乱暴に表現してみると、「あれ?イプシロンが地上に『寝っころがっている』じゃないか!!」と、誤解してしまった、と。

―― そりゃ、発射中止するわな

「タイムラグ」を想定できなかったことは頂けないけど、発射中止は当然で、妥当な処理だと思えます。

特に、私は。

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「0.07秒」というと、大したことないと思われるかもしれませんが、皆さんが普段使っている電車の運行管理では「0.02秒」の時間が生命線だったりしています。

「0.02秒」の3倍の時間で、システムは電車を止めてしまいます。必要なら全部の電車も止めてしまうこともあります。

GPSの世界では、0.0000000001秒(1ナノ秒)の世界で勝負しています。こんな凄い時間制御モジュールが、あなたの車のカーナビやスマホの中に、フツーに入っています。

この1ナノ秒で勝負するモジュールは、秋葉原で5000円くらいで購入可能です。

人類は、このエンジニア達の脅威の時刻同期技術に、のけぞるくらい、驚嘆すべきだ ―― と思う。

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前回のイプシロン発射中止で、「時刻を合わせること」の重要性が世間一般に理解して貰えるといいな、と思っています。

時刻同期制御のネタで飯を喰っている私としては、もう十数年程度、このネタを使い回したいのです。


2014-09-15 だから、あなたは、今、私を攻撃しなくても大丈夫です。

聡明で美しい妻と、可愛く知的な二人の娘を持ち、社会では、一定の収入を会社から貰っている、サラリーマンの江端です。

I am Ebata, having a bright and beautiful wife and two pretty and intelligent daughters, and giving constant payment from my company.

「リア充」です。

I am a person who is satisfied with my real life.

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さて、本日は、妻も娘達も、それぞれ外出しており、自宅にはいません。

Today, daughters and wife went out and nobody was at home.

彼女達の夕食として、肉じゃがと味噌汁を作っていました。

For them, I made Nikujaga and miso soup.

本日、彼女らの帰宅は遅いので、一人で食べていました。

Today I had a dinner alone, because they were late.

そして、食器を洗っている時、ほんの0.5秒くらいですが、

When I washed dishes, for just half second,

―― 凄く寂しい

I felt alone terribly.

と感じました。

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なるほど、バランスは取れている。

Well, it gets the balance.

「リア充」は、いずれ、その「リア充」を超える、凄い報いを受けることになります。

A person, who is satisfied with my real life, will receive the worst retaliation eventually.

「リア充」を知ってしまったが故の、果てしなく底のない寂寥感の闇の中で、一人死んでいくという、もっとも残酷な報復を受けるのです。

The person will become to reach his/her death alone in darkness and endless of a feeling of desolation without the bottom.

だから、あなたは、今、私を攻撃しなくても大丈夫です。

So you don't have to attack me now.

私の最期は、あなたの期待に沿える程度には、残酷なものになるはずです。

My death should become cruel that is equal to your expectation.


2015-09-15 ―― 人気をコントロールできない

私は、結構な頻度で自分のコラムを発表する機会を頂いているのですが、その度につくづく思うことは、

I think I am happy, because I am given a lot of change to present my thoughts through some Web media. And I often come to think that

―― 人気をコントロールできない

"I cannot control the popularity of my contents"

ということです。

脳漿(のうしょう)が絞り出てくるかと思えるほど、考えて、考えて、考え抜いて、仕上げた作品が、全く人気がなかったりすれば、

A work, that I think, think and think a problem with feeling my gray cells melting, was no popular with readers.

自分としては、『今回は検討が十分ではない。ロジックも破綻ぎみである』と思う作品を、恐る恐るリリースしたら、滅茶苦茶なNV(ページビュー)を叩き出すこともあります。

The other work, I thought , was not enough to consider, and broken logic and I released fearfully, got enormous page views.

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ことに、最近思うのは「ダイエット連載」の人気の低迷ぶりです。

Especially, I think the popularity of "diet series" is going down.

私は、可能な限り、論理的に、数理的に、客観的に、「ダイエットの真実(というか、ダイエットの嘘)」を明かにしているつもりなのですが、

I want to make clear of "true mechanism of diet (false of diet)" logically, mathematically and objectively. But,

―― 私の想い、届いていない。

"My passion cannot come up to you."

(続く)

(To be continued)


2016-09-15 「惜しい人をなくした」というフレーズがありますが、これって、結構、辛辣だと思うのです。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

それはさておき。

Set it aside,

「惜しい人をなくした」というフレーズがありますが、これって、結構、辛辣だと思うのです。

There is a phrase of "we have lost a person of much account", and I think this is an acid phrase.

私が拘っているのは、「その人の何が『惜しい』のか」ということです。

What I am obsessed with is "what is an account of the person?"

『惜しい』のは、その人そのものではなく、その人のスキル、思想(に伴う行動)、作品、文芸です。

I think that it is not about a pure and simple person, but skills, ideas, actions, works and services of the person.

私には、『惜しい人をなくした』→『それらのスキル等を、私の利益の為に、もう暫く使わせて貰いたかった』と聞こえるんです。

As for me, I hear that "we have lost a person of much account" is the same phrase of "We want to use the person's skills for our profit."

さらに、この考えを(悪意を伴って)進めていくと、「別段、惜しく『ない』人をなくした」というフレーズも成立する訳です。

Moreover I come to think it with evil emotion, I can reach a concept of "a person of less account"

勿論、「言い掛かり」ですけどね。

Of course, I know that this is a kind of "misrepresentation",

なぜなら、『惜しい人をなくした』とは、誰かが亡くなった悲しい気持を表現する時の、一般的な慣用フレーズのようなものですから。

in order to express condolences to a death person as an ordinal method.

-----

それにしても、『惜しい人をなくした』よりは、

To think again, "a person of much account" will not make me happy, however,

「あの人と一緒にいるだけで嬉しかった」

"I was glad with him/her anytime"

「もっと一緒に楽しみたかった」

"I wanted to enjoy talking more with him/her"

「あの人がいなくなった後の私は、本当に寂しい」

"I feel lonesome because he/she has gone"

というフレーズの方が、私は良いです。

I like the above phrases more than "a person of much account".

-----

しかし、

However, I decided,

―― うん、これ以上考えるのは止めよう。

"I will stop thinking it anymore"

私が死後に何を言われるか ―― 批判とか非難とかでもあれば、まだマシな方で、

After my death, even if any criticism and disrespect against me, will be rather welcome,

音読で『江端が死んだ』と読み上げるよりも短い時間で、

in the less time than reading out "Ebata is dead"

「そんな奴、最初からいなかった」ものとして、記憶から抹消されるだけ、

everyone becomes to write out all memories of Ebata, as if Ebata hasn't existed from the start.

―― ということを、私は知っているのです。

I know well that.

-----

「何故、そんな確信を持っているのか」と問われれば

"Why is Ebata confident about it ?"

それは、普段、私が、そういう風に、亡くなった人の記憶を抹消し続けているからです。

Because I live my life with keeping deleting my memories like the above.


2017-09-15 『書いたモノは、読んで貰ってこそ、ナンボ』

『書いたモノは、読んで貰ってこそ、ナンボ』

"What is written should be read by people"

と考えてしまう私は、『そもそも、この論文書いたところで、世界中で10人も読むかな?』と思うと考えてしまいます。

I think the above soon, and I come to think "To begin with, is there more than ten people who try to read my paper in the world ?

そう考えてしまうと、モチベーション上がらないこと、この上もありません。

If I start thinking about the topic. my writing motivation is going down dynamically.

いや、もちろん、私も、これが「暴論」であることは、よく分かっているのです。

Of course, I know well that this is "verbal abuse".

複数のキチンとした査読者(*)を配置し、それなりに権威のある組織によってチェックを受ける「論文」には意義があります(*)。

Any paper is going to be checked by plural intelligent reviews in a authoritative organization as such,

Here is a counter-example.

■仕事であれ、研究であれ、それは、人に伝達可能な状態にして、どの人にとっても、再現可能な状態にしてこそ価値が出てくる訳ですし、

- Any work and research activity comes to be "values" if it become communicable or repeatable outcome.

and

■そして、その仕事であれ研究であれ、誰が見ても「価値がある」ものであることを、氷のように冷たい視点で検証されてこそ、「価値がある」ことの客観性が与えられる訳ですし

- Any work and research activity is given a objective feedback of "valuable", after being checked by many icy eyes.

論文とは、そのようなことを実現する、一つの手段なのです。

A paper is one of the methods to realize the above.

これが、"明細書/コラム/日記"と"論文"の決定的な違いです。

This is a big difference between "patent applications, columns, diaries", and "papers"

(続く)

(To be continued)


2018-09-15 「ラズパイ」は楽しいけど ―― 決して「簡単」じゃない、ということ

『世界の累計販売台数が1900万台を超え、その人気が定着した超小型で安価なボード型コンピューター「Raspberry Pi(ラズベリーパイ)』

""Raspberry Pi", an ultra-compact and inexpensive board-type computer, and total sales volume in the world exceeds 19 million units, and it is popular"

うんうん

Yes. Yes.

『手のひらに載る名刺大の大きさながら本格的なパソコンとしても使えるだけでなく、電子工作やプログラミング教材としてお子様と楽しんでみたり、組み立てた後も複数の電子パーツと組み合わせて音声リモコンやAIスピーカーなどを作るなど、アイデア次第で用途は無限大です』

"You can use it as a full-scale personal computer, even the size of the business card on your hand, enjoy with electronic work and programming teaching materials with your child. After that, you can assemble multiple electronic parts to make audio remote control and AI speaker.Depending on your idea, the applications are infinite."

うん、まあ、それはそうなんだが・・・ちょっと、この記事の内容には、注意した方がいいと思う。

Well, I think I agree with the point. But we should pay attention for this article.

「ラズパイ」は楽しいけど ―― 決して「簡単」じゃない、ということ

"Raspberry Pi" gives us a lot of fun, however it is not easy.

私には、最低限のUNIXコマンドや、最近のLinuxディストリビューションのパッケージ取得方法、プロセス、スレッド、ソケットの概念を知らない人が、いきなり「ラズパイ」を使えるとは思えないのです。

I don't think that people who don't know the minimum set of UNIX command, the ways to get software packages of the latest Linux distribution, the concepts of process, thread, and socket, can use "Raspberry Pi" from the beginning.

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以前、『複数のラズパイを使った実験をやりたいので、未使用のラズパイを貸して下さい』と、研究所内で声をかけたら、直ぐに数台を提供して貰えました。

Previously, as soon as I announced "I want to do experiments using multiple Raspberry Pi, so please lend me your unused Raspberry Pi", some younger researchers in our Lab. thankfully offered several units immediately.

もちろん、ラズパイを貸してくれた彼らは、本気を出したら、コンピュータの1つや2つ、軽くハックしてしまう実力を有している研究員たちですが(多分)、

Of course, they who borrow their Raspberry Pi, are novel research engineers. They possess the ability to lightly hack one or two computers easily (I hope it).

そんな彼らでも、ちょいちょいと遊べるほど「ラズパイ」は簡単ではない、ということだと思うのです。

Even they are so, I think that 'Raspberry Pi' is not easy, as they can be played with a little bit.

(By the way, at the three places of Kagoshima, Nagoya, and Tokyo, the Raspberry Pis work well in operation for 24 hours non-stop test)

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この私のイメージを、不等式で記載するのであれば、

If this my image is described in inequalities,

"Windowsでオフィスアプリを使える" <<<<< "ラズパイでシステムを構築する"

"To use the office on Windows" <<<<< "To build a system with Raspberry Pi"

というイメージです。

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―― で、私は、

So I come to think,

『コマンドラインインターフェース(CLI)という概念を知らない親子』

"Parent-child who does not know the concept of command line interface (CLI)"

に、ラズパイを上手く扱えるのかな?

What on earth can they do?

と思ってしまうのです。


2019-09-15 相手を、コンペティター(競合)として「育てて」しまうような経済戦争は、最低にして最悪です。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

技術が10年以上も、一定の場所(国や地域)に定着すれば、放置しておいても品質というものは向上してしまうのです。

If technology is located in a certain place (country or region) for more than 10 years, the quality of products will improve even if it is left unattended.

それは、「競争」の観点が、「価格」で止まることなく「品質」に移行してしまうからです。

This is because the viewpoint of "competition" changes "quality" with "price.

20年もモノ作りを続けていれば、もはや、誰も追いつくことができないレベルにまで品質が向上する ―― これは、我々エンジニアにとっては常識以前の話です。

"If continuing to make a thing for 20 years, the quality will improve to a level that no one can catch up anymore".This is just a common sense for our engineers.

そんなことも分からないエンジニアは、「バカ」と言って、切り捨てても良いレベルです。

An engineer who cannot reach to the thought, is "stupid", and should be ignored by the world.

で、実際、世界中に製品を供給している、あの大陸の製品について、

In fact, about products on that continent that supply products all over the world, nobody said

"Wouldn't it. It is made by China"

という人は、もういません(少なくとも、私の回りの製造関係の人間は言いません)

At least, I cannot find the engineer.

もっとも、この時、私が本気で腹を立てていたのは、

However, I was really angry with, at this time

『この程度のこと、きちんと調べてれば分かるはずなのに、それさえ怠り、学生に誤った知識を与え続けている"低能な教授"』

"low-powered professor" who cannot understand such a fact with neglecting the researches, and keep giving false knowledge to his/her students

だったと思います。

その新人には罪はなかったでしょう。

The newcomer would have no sin.

悪いことをしたと反省しています。

I regret that I did something bad to him.

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経済戦争というのは、武力を伴わないだけの国家間の戦争で、きちんと使えば効果のある戦術(×戦略)ではあります。

An economic war is a war between nations without armed forces, and it is an effective tactic (x strategy) if used properly.

しかし、使い方を間違えば『強力な製造能力のある国家/経済力のある国家建設』の『手助け』になってしまいます。

However, if we use it incorrectly, it will become "help" for "a nation with strong manufacturing ability / a nation with economic power".

これは、前述した、「大陸」や「戦後の我が国」の例の他にも、

In addition to the examples of "the continent" and "Japan after the war" mentioned above,

「第一次大戦後に、物凄い経済復興をして、その勢いにのって、次の戦争で、ほぼヨーロッパの全土を手に入れかけた国(第三帝国)」

"After the First World War, a country(Third Reich) that made a tremendous economic recovery, and gained the momentum to get almost all of Europe in the next war"

などの、否定しようのない実例があります。

There is a fact that cannot be denied.

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経済戦争は、落とし所と実施期間を決めて、計画通りに実施することで、最大の効果が得られます。

An economic war will get the maximum effect by implementing as planned, to decide the position and period before the war.

相手を、コンペティター(競合)として「育てて」しまうような経済戦争は、最低にして最悪です。

Economic wars that "raise" our opponent as a competitor are the worst.


2020-09-15 ―― 小田急の乗客の多くに愛され続けている「名代 箱根そば」について、熱く語れる女子高校生

私の娘たちは、自慢できる娘たちですが ―― 可愛いだの、綺麗だの、聡明だの、博識だの、多芸だの ―― そんなことは、私の娘ですので、語るまでもありません。

My daughters I can be proud of, is, of couse, -- pretty, beautiful, intelligent, knowledgeable, versatile --. However, I don't need to tell you, because she is my daughters.

特に、次女について自信を持って自慢できることは、

In particular, what I can confidently boast about my junior daughter, is

―― 小田急の乗客の多くに愛され続けている「名代 箱根そば」について、熱く語れる女子高校生

"A high school girl who can talk passionately about Odakyu's "Myoudai Hakone Soba", a specialty of Odakyu-line, which has been loved by many of its passengers"

である、という点です。

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例えば、私は、「コロッケそば」というものに、未だに手を出せずに、この齢に達してしまいました。

For example, I've reached this age where I still haven't been able to get my hands on something called "croquette soba".

しかし、次女は、

However, she

■「コロッケそば」の世界観について語り、

- talks about the world of Croquette Soba.

■その食し方の作法について説き、

- preachs on the etiquette of eating it

さらには、

and

■その分野に手が伸びない私のことを『ヘタレ』

- calls me a "slacker" for not reaching out in that area.

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もちろん、彼女は、インスタ映えするショップや店舗についても、語ることができるようです。

Of course, she seems to be able to talk about instagrammable shops and stores as well.

私は、次女の「立ち食い蕎麦」を含めた、食に対するコスモポリタリズムやフェアネスに、敬意を払っています。

I have a lot of respect for cosmopolitanism and fairness of her world, including "stand-up soba".

(といいながら、偏食があるのは頂けませんが)

(Although, I can't accept her eccentricities.)

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―― ということを、

I thought that with watching TV drama of

"The Fast-Food Detective "Tachibana""

を視聴しながら、思いました。