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2013-01-14 「体罰」を放棄する代償

あまりにも腹が立ったので、数日、この日記をリリースするのを差し止めていましたが、数日経過しても、私の気持には揺らぎがないことを確認したので、リリースします。

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教育現場において「体罰」に「効果」があるのはあたりまえです。

「銃を付きつけられたら、誰だって従う」という、この野蛮な理屈と同じであるからです。

私は、少くとも我が国は、

―― 「体罰」に「効果」はあるのは知っているが、それを「止めよう」と決めた国

であると思っていました。

例えば、クラウゼヴィッツを出すまでもなく「戦争は政治(外交)の延長である」のは自明です。

しかし、戦争が、どんなに優れた外交的効果が期待できたとしても、我が国は、

―― 決して戦争をしない、

―― 決して核兵器を持たない

と決めました。

本当に凄いことだと思います。

一方、

―― 我が国の教育現場は、「体罰」を絶対的な意味において封印した

この教育方針は、この「戦争放棄」の理念と並び立つ、我が国が誇る教育信条であると、私は、ずっと信じていました。

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「今まさに、自殺をしようとしている子供を力づくで止める為に、止むなく体罰を行使した」という、緊急避難的な状況での話なら、ともかく、だ。

高々「チームを強くする為」程度のことに、「体罰が有効だ」と、この教師は言ったそうですね。

多分、この教師は人気があって、生徒からも同僚からも信頼を得ていて、間違いなく人間として尊敬するに足ると思われている人間だろうとは思います。

なにせ「校長」から体罰を「看過」して貰っていた程の人間ですから。

だが、私は、そんなことはどうでもよいのです。

この教師は、「効果」として「体罰」をいう手段を行使した ―― この一点において、私はこの教師を絶対に許せない。

この教師は、信じられないくらい、無知で、低能で、下劣で、百万の罵声を浴びせても、まだ足りないくらいに、「最低な奴」と、私は決めつけます。

その程度の知性しかない人間が教師をやっているかと思うと、絶望的な気分になります。

『「体罰」以外のありとあらゆる手段を考えて、試して、実施して、それでも上手くいかなくて辛くて、悔しくて、そうして一人で泣く』 それが、教師だろう、と思うのです。

私は、この教師を含め、「体罰」に「効果」を求める全ての教師を、問答無用で、絶対に許しません。

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何度も書きましたが、私は、学生の頃、ギリギリまで迷い、最後の最後で「教職」を断念した人間です。

私は、自分のことを

『効率的な手段を求めて、簡単に「体罰」を行使するタイプの、狭量で卑怯な人間だ』

と自分自身で、よく判っていたからです。

だから私は、「教師」を選んだ奴には、絶対に優しく接しない。

教師という、この世で一番辛い職業を選んだのであれば、一番辛い道を歩け。

その覚悟がないなら、初めから教師なんか選択するな、馬鹿野郎めが。

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しかし、教師が生徒の全ての責任を負わされる、という今の状況は、絶対的な意味で、間違っていると思います。

「体罰」以外の方法を全て試みても、なお、思いの届かない子供もいます。

それは、もう、

―― 諦める

という選択をする時期に来ているのではないか、と思うのです。

それは、教師、子供、保護者、社会の全てを不幸にするものではありますが、「どっちもダメ」などと、外部の者が勝手に言うことは、甚しく卑怯であると思えるのです。

「体罰」を放棄する代償として「諦める」というのは、概ね、妥当な対価であると、私には思えます。

今回のケースに当て嵌めるのであれは、

「体罰を行使してまで強くしたチームの実力など、髪の毛程の価値もない」

で良いのです。

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金八先生や、GTOや、ごくせんは、どこにもいない。

どこにもいないからこそ、これらがドラマとして成立する。

そんなことは、もう誰もが知っていることです。


2014-01-14 呼吸ができなくなるという恐怖は ―― これは、体験者ではないと、なかなか分かって貰えないと思います。

私はタバコの煙が苦手です。

Smoke of tobacco is hard on me.

匂いの問題もあるのですが、(今では殆ど発病しませんが)喘息の気があり、これが発動する可能性があり、これが結構怖いのです。

I care the smell, moreover I have slightly asthma and I am scared of falling ill.

呼吸ができなくなるという恐怖は ―― これは、体験者ではないと、なかなか分かって貰えないと思います。

It might to be hard to understand the frightfulness of breathing difficulty, unless you have asthma.

ですが、私は、喫煙者に対して、憎悪に近い感覚を持つことはできないのです。

But I don't have deadly feeling against smokers.

20歳の時に10ヶ月間だけ、喫煙をしたことがあるのですが、

When I was a college student, I smoked for just ten month.

―― あれは、間違いなく「旨い」

It was absolutely great.

今、その感覚を得ることはできないとは思いますが、―― 食後の喫煙や、強いお酒を飲みがらの喫煙は、もう、パラダイスでした。

Though now I don't remember the feeling correctly, smoking after dinner or with drinking took me a paradise.

もう、煙草が切れれば、学寮の食堂で、先輩の吸殻をバラして、キセルで吸っているくらいでして ―― もう、ほどんど、阿片窟の廃人ですよ。

When I run out of tobacco, I went to the cafeteria of the student dormitory, broke curbstones in an ashtray, picked slice tobacco leaf out, and smoked again with a pipe. It looked like a wreck in a poppy cave.

という訳で、まあ、喘息の恐怖を抱えながらも、喫煙者の「気持ち」は理解できる訳です。

So I can understand the feeling of smoker, in spite of the frightfulness of asthma.

だからといって、マナーを守らない喫煙者に対して、非難を続けているのは、ご存知の通りです。

But I am not tolerant anyone who smokes without common manner, you know.

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同じ理屈で、

By the same theory,

■街の中でイチャついているカップル

As for a couple who are billing and cooing,

も、「まあ、若い内は、バカでいいんだよ」という寛容な気持ちになれます。

I can allow them to be such a disgraceful attitude.

また、同じ理屈で、

And by the same theory,

■深夜に消音装置を外して、法定速度を超えて、集団で珍走をくりかえす、間抜けな集団

As for absurd goofy runaway group with removing the silencer in the middle of the night, beyond the legal speed,

に対しては、全員を、機関銃で虐殺しても、良心の呵責の欠片も感じることができないだろう、という、

Even if I massacre all members of the group with machine gun, I cannot feel even pieces of compunction.

確かな確信があります。

I am sure the above.


2015-01-14 I ignore what the user want to make, for the first time.

(Continued from yesterday)

私は、自分のソフトウェアのreadme.txtを作る時には、必ず、

Whenever I write "readme.txt" about my original software, I make the chapter of

『先ずは、だまって、私の言うモノを、私の言う通りに作れ』

"Firstly, make what I tell, as I tell you"

という章を作るようにしています。

最初は、ユーザが作りたいものは、完全に無視します。

I ignore what the user want to make, for the first time.

とりあえず、簡単でも動かすものを作ることができればいいんです。エンジニアは、「動いたもの」を、自分の望むものに変化させていく能力があるからです(多分)。

An engineer can work something only one time. She/he might have the capability of change it to what she/he wants.

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このアプローチは、そのモノを動かす手段としては、一番良い手段だと思うのですが、なかなか採用されないようです。

Unfortunately, this approach seems not to be acceptable for many people, thought I think that it is the best way to start working something.

エンジニア向けのマニュアルしかり。

The manuals for engineers are also the same.

そして、我が国の英語教育しかり。

Japanese English teaching is also the same.

マニュアル(教科書)を完璧に叩き込まれるのですが、その製品(英会話)は動き出さない。

Though somebody hammers some ways of manuals or textbooks into our head, the products or English conversation does not start.

どんなに簡単なものでも、「動くもの」が一つできれば、後は転がっていくと思うのですけどね、私は。

I think if we make one thing to work, it might be easy for us to expand it.


2016-01-14 ―― では、そろそろ本音で行きましょうか

昨夜、娘の通っている学校での「とある事故」の保護者説明会に参加してきて、心身ともに疲れ張ててしまいました。

Last night, I was very tied of attending the explanatory meeting of an accident of my daughter's school.

滅多に使わない強めの睡眠薬を飲んで眠ったところ、朝のアラームにも気が付かないで、泥のように眠り続けて、

So, I took strong sleeping tablets last night, and I was sleeping deeply like in sea of mud, and I could not notice the clock alarms.

―― 今朝、寝坊をしてしまいました。

I rose late this morning.

すぐに会社に連絡をし、スケジュールを確認したのですが、幸いなことに本日は打ち合わせ等はなく、まずは安堵しました。

I sent the mail to the office, and I checked my today's schedule. I breathed a sigh of relief because no important event at today.

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で、今、出社途中の駅のベンチで、日記の内容を考えていたところ、駅のアナウンスが流れてきました。

When I think about today's daily at the station now, I hear the announcement.

「今、愛甲石田駅で、人身事故が発生しました為、この電車は急遽、運行を終了させて頂きます」

"The accident resulting in injury or death at Aikou-Ishida station now. We am sorry but we have to abandon the service of this train."

どの時間帯でも、問答無用で発生する「人身事故」に、もう私は何も感じなくなってきていました。

I don't feel a pain against the accident that happens any time with no question asked.

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今、決断しました。

Now I decide,

―― 「ダイエット」の後は、「自殺」で、数字を回す

"The theme of next my serialisation is "suicide" after "diet"".

今月末に、編集部の方との打ち合わせの機会がありますので、、そこで行う「自殺」のプレゼン資料を持ち込ませて頂く予定です。

At the end of this month, I am going to have an meeting at the editorial department. I will present this new serialisation about "suicide".

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―― では、そろそろ本音で行きましょうか

Let us talk genuinely.


2017-01-14 ―― この私にラクをさせ、楽しませる為だけに、動け

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

いずれにしても、「どのように生きるか」は、外部にインターフェースを持たない、自分自身に内在する問題です。

In any case, the question of how to live is is a problem inherent in oneself without external interface.

ですから、「人生をどう生きるべきか」とか本の表題を見る度に、

Therefore, whenever I look at the title of book "How to live life", I think

―― うるせえ、バカ野郎

"Noisy, bastard"

と思っています。

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私は、「アウトソーシング」だの「シェアリングエコノミー」とかいう用語を、なんとなく不快に感じるのです。

I feel somewhat uncomfortable whenever I hear the term "outsource" and "sharing economy".

そこに、働ける人がいて、動くデバイスがあれって、利用可能なリソースがあれば、

There are people who can work, operating device moving, and usable resources,

「循環型社会」がどうの「デジタルソリューション」がどうの、という能書きはどうでもよく、

I do not care the boasting ""Recycling-oriented society" and "Digital Solutions".

単に

Simply,

―― この私にラクをさせ、楽しませる為だけに、動け

"Move to make me feel easy and entertain me,

と思っています。

I think.

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だから、私の、古いデジタルガジェットの活用や再利用を、

So, if someone try to make a 'Nice talk' such as 'reuse of resources'

「資源の再利用」などという「美談」になんぞ仕立て上げる奴がいようものなら、

about use or reuse of old digital gadgets,

―― そいつのパソコンに「トロイの木馬」を送り込んでやるぞ

I am going to send "Trojan horse" on their computer.

というくらいの気持ちはあります。

seriously.


2018-01-14 ―― コーディングで、発狂しかけています。

私、週末エンジニアモードで、日本の全人口の1億人を使ったシミュレーションを作ったことがあります。

I made a 100 million population simulator for Japan, as a weekend engineer.

今回、私が取り組んでいるシミュレーションは、それぞれのオブジェクト(ヒトやモノ)を地図上で移動させるので、格段に難しい内容になっており、

Now, I am trying to make a new difficult simulation, because the objects of the simulation(persons and mobilises) keep moving on a map, and to tell you the truth,

―― コーディングで、発狂しかけています。

I am crazed with the programming.

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先日、シミュレーションの中で作った人間、「約20万人」が、行方不明になっていることを発見して、悲鳴を上げました。

The other day, when I found that more than 200 thousands person in my simulator were missing, I was about to give a scream.

一日かけて、この「20万人誘拐事件」の探索をし続けて、誘拐先の場所が特定できた時は、へなへなと床の上に座り込みそうになりました。

In order to resolve this "200 thousands person's abduction", I kept searching these disappearance places. When I found the point, I came to lose my strength.

さらに、その次の日には、「3人誘拐事件」が発生していることが分かり、このたった3人の場所を特定するのにも1日がかかりました。

In addition, the next day, I found "three person's abduction", and I needed one day to find the position.

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私としては珍しいことなのですが、最近、

I think this is rare case, however

「心底、コーディングが嫌いになりそう」

"I am about to go off programming"

な心理状態になっております。

of my mental state.

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連載コラム等で、私が作るシミュレーションプログラムは、非常に純なもので、その全体を自分の頭の中にイメージできるものです。

In my column serial, I make a simple simulator. So I can image the output of the simulation.

登場する人物も、高々、数十人から百人程度です。

The counts of the target objects are more from dozens to one hundred at most.

しかし、このオブジェクト数が、100万、1000万、1億を対象とするものになると、もう私の頭の中でイメージすることは、絶望的に困難です。

However, even if the counts become "million", "10 million" and "1000 million", it becomes despairingly impossible to make a image of the movement.

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今も、コンピュータが悲鳴をあげながら、計算を続けていますし、

Now my computer continue to calculate the simulator with screaming, and

私も悲鳴をあげながら、デバッグを続けています。

I also continue to debug with screaming