江端さんのひとりごと               「遺書」  最近、私は体の調子が芳しくありません。  週末を除いて大抵体がだるい状態が続き、吐き気がこみ上げてくることが多 くなりました。眠りも浅く、加えて通勤時間3時間と言う状態も加わり、十分 な睡眠をとることもできません。  朝起きるのが七転八倒の苦しみで、帰ってきても畳の上に座り込んで立ち上 がれないこともありますし、特に疲れて帰ってきた日などは、特に椅子に座っ た直後は足がもつれて真っ直ぐに歩行できないことがあります。  夢の中に分厚い英語の仕様書が出てきて私を苦しめますし、朝起きて毎朝の ビタミン剤の投与は当たり前。  結果、帰宅時間は遅くなり、週末は死んだように眠る日々と成り下がってし まいました。  思い返せば、先日やっと研究員に昇格し、同時に課の異動に伴い切れ者の上 司と巡り会ったのが運の尽き。  並列して5つくらいの複数の仕事と、2人の後輩の世話に走り回り、人々が 家に帰る頃になって自分の仕事を始める有り様です。  こういう言い方は好きではないのですが、はっきり言って「忙しい」です。  -----  私は、自分の忙しさを自慢する人間が嫌いですし、睡眠不足をまるで偉いこ とのように吹聴する奴は、「アホ」と思う以上の感情はもてません。  特に『その日は、ニューヨーク出張で、テニスの練習会には出席できないで す。』などと恥ずかしげもなくメールに書いてくる馬鹿は、ニューヨークでも サンフランシスコでもエジンバラでも何処でもいいから、とっとと消えてなく なって欲しい。  しかし、その一方で 、私はそういう人達に大いに期待しているのです。  『俺が会社を支えているんだ。』と言う思い込みを持った方には、是非とも 会社の家畜として頑張ってもらいたい。勝手な言い分ですが、是非私の見えな いところで『会社を支えて』頂きたいとは思っているのです。  そういう方には、私の雇用と生活を守っていただき、家庭を顧みず会社の為 だけに生きて、そして病気になりろくな補償も受けられず、おまけに家族に見 捨てられ、絶望の中で死んで頂き、その間に、私はせっせとエッセイを書き、 嫁さんと楽しく過ごし、四季おりおりの美味しいものを食べて、人生を楽しく 過ごして生きたいと考えております。  -----  私は、結婚したときに「出世」と言う言葉を、私の辞書から消し去りました 。  大好きな娘を手に入れて段階で、私の人生の目的はすでに達成されました。 後はお迎えを待つばかりなのですが、お迎えを待つ間は、楽しく過ごしたいと 思っています。  つまり、私は嫁さんと楽しく過ごしたい一心で仕事を続けている訳です。  ここで、ちょっとここで注意なのですが、上記の内容には 「俺が稼いでいるから、お前たち家族は幸せに過ごせるんだ!」  と言う封建的なニュアンスの解釈もできますが、私の場合、全くこの逆で、 「ちゃんと稼いでくるから、お願い、もっと笑って!」  と言う、立場限りなく弱く、態度あくまで卑屈な私のポリシーが反映されて います。  今の仕事の内容は一応気に入っていますが(と、言ってもどうせまた仕事が かわるだろうから、あてにはならないけど)、嫁さんと比較すれば勝負にもな りません。  万一にも『仕事と私、どっちが大事なの!』と聞かれれば、会社を捨てるの に3秒もかかません。即日辞表提出です。  嫁さんも冗談にもそういうことは言い出しません。私がやりかねないことを 十分に知っているからです。  ---------  先日のことです。  私の疲れは最高潮に達し、立っているのは勿論、すわっていても意識がある だけで辛い、と思うほど全身がしんどくなりました。  帰りの電車の中で、青白い顔をしながら肩でゆっくりと息をしていたのです が、突然全身から疲れが、あっと言う間に引いていきました。  「え?どうして?」と、こわごわと体を動かして全身の疲労を確かめても、 確かに疲れが一瞬にいなくなった感じです。不思議ですが、疲れがとれて嬉し くなった私は、鞄から読みかけの文庫本を読み出しました。  そして、2、3ページが過ぎた頃、『ぞくっ!』と来るような寒気を感じて 、私は全身を硬直させました。  肩から首にかけて走る、不気味な寒気。それは20年前の忌まわしい記憶の 再現の開始でした。  (まさか、あれか?あれが来るのか?)  肺の中に砂が入り込んできたような不快感と、気管支が無数の切り傷で痛め つけられる様な微かな痛み。そして、息をすると喉の奥から絞り出されるよう な「ひゅー、ひゅー」と言う不気味な音。  20年前に、私にこの世の地獄を思い知らさせたあの病気が帰ってきたので す。  やがて、本格的な呼吸困難が襲ってきました。  私はとっさに、『症状は軽い』と見て取りましたが、呼吸がどんどん出来な くなってきているので、意識的に深呼吸を繰り返して酸素の摂取に務めました 。深呼吸の度に「ぜーぜー」と言う声が絞り出されてきます。  電車を下車してからは、急いでアパートに向かいました。とりあえずアパー トに帰れば嫁さんがいます。万一、私が倒れたまま動けなくなったとしても、 彼女が何だかの処置をしてくれるはずです。  ドアのブザーを押して、嫁さんが鍵を開けてドアを開けてくれるのを見て、 私はほっとして部屋の中に入って、畳の上に座り込んでしまいました。  少年時代の江端さんに、予告もなく降りかかり常に発作の恐怖に怯えさせた その病気とは「喘息(ぜんそく)」でした。  -----  結婚後、どういう訳か私は突然魚貝アレルギーになり、光り物を食べるとじ んましんが発生する体質になってしまいました。  さらにそのアレルギーが喘息を併発することがわかり、『あんた、魚を食べ ると死ぬかもしれんよ。』と医者に脅かされたのですが、魚を食べられない人 生になんの意味があろうかと開き直った私は、魚貝類を食べまくっていました 。  程なく、魚介アレルギーの方は収まってきたのですが(理由はわからない) 、今度は仕事で疲れすぎたりした時に、じんましんが発生するようになりまし た。  『一生懸命に仕事をすると、死ぬかもしれんなあ。』などと冗談半分で考え ていましたが、こういう事態が発生するとなると、あながち冗談ではないかも しれません。  生命の危機に晒されていることをことを自覚した私が、ふと、わが身を振り 返ってみると、私は若く美しく才能に溢れるケビンコスナーであり、優しく美 しい妻と、幸せで明るい家庭を持つ江端家の家長でした。  (このまま、想いを残したまま死んだら、絶対成仏できん)と看破した私は 、早速今日から、仕事を積極的にさぼる作業と平行して、本文章、いわゆる「 遺書」の作成に取りかかることにしたのです。  ---------  まず「遺書」を書き始める前に、私が死に至る過程に発生した原因とその責 任と処理方法ついてあらかじめ述べておきます。  私が私の納得のいく形で(と言っても死んでしまった私が納得はできないか ら、状況から見て『江端なら納得するだろうな』と思える場合で)死を迎えた 場合については、誰にも何も要求しません。  第3者が、殺害の意図を持って私を殺害した場合には、自害をもって私(遺 族ではない)に詫びを入れて頂くよう強く勧告します。この他、麻薬中毒や飲 酒運転などのような自己喪失状態の「殺意無き殺人」の場合も、同等の扱いと します。子供だってわかる社会のルールを逸脱しておいて、心神喪失もなにも あったもんじゃありません。  甘えるな。死んで詫びを入れろ。  自殺なら、私は加害者に対して『悪霊となって祟る』ことを中止する準備が あります。私を殺した挙げ句のうのうと生きるている奴を、私が許すはずあり ません。  意外に知られていませんが、私は極めて狭量で心の狭い人間です。恨みを買 うと、終生祟ることは間違いありません。  勿論、自害は、私の遺族に対して法が定めるところの全ての責任(刑事+民 事補償)を果たした後で、実施して頂くことになります。  -----  さて次に、自分の意志で自分の肉体が制御できなくなるような、植物人間状 態や脳死状態になったことを想定しておくことにします。  まず常に念頭に置いて欲しいのは『苦痛回避』です。  そもそも、私は「痛い」と言う状態が大嫌いでして、歯医者でも治療の前に は完全に感覚が消えるまで麻酔を打ち込んでもらう程です。  そもそも『苦しみに立ち向かう』と言う考え方がありません。風邪を引いて 伏せっている時でさえ、『死んだら楽になるんだろうなあ・・』と考えるくら いですから、病気と名の付くものに対しては、どれでも常に後ろ向きです。  私が自分の意志や肉体を自己制御できなくなったら、私は延命処理を望みま せん。しかし、回りにそれを悲しむ人がいるというなら、延命処理を受けるこ とにやぶさかではありません。  しかし、苦痛を伴うような延命処理に関しては、絶対に止めて下さい。論外 もいいとこです。繰り返しますが、私は「痛い」のは心底嫌いなんです。  脳死状態の判定は、その時代の法律に照らし合わせて判定してもらってかま いません。私の脳死後(心臓死も含む)は、必要としている人へ私のありとあ らゆる臓器を提供します。  ただし、私が臓器を提供する人間は以下の条件をクリアせねばなりません。 (1) 私と同じように、脳死後あらゆる臓器の提供を積極的になうことを確約   する人。 (2) 江端さんの執筆したエッセイを読み、その文章に感銘し、江端さんの   「愛の永久理論」を実践して生きていくことを約束できる人。 (3) 私の臓器を移植した後、生まれ変わったように生き生きと生きていくこ   とを約束できる人。  さらに、以下の人間には、私の臓器の提供を断固として拒否します。  臓器提供希望者の目の前で、私の臓器をどぶに捨ててもいいので、絶対提供 してはなりません。 (1) やくざ、チンピラ、不良、暴走族、過激派、政治家、犯罪者、その他い   わゆる暴力やその他の手段で、『意図的』に人を傷つけ不幸にした、あ   るいはしている人間。 (2) 喫煙者、麻薬常習者、アルコール中毒者、ワーカーホリック、その他自   分の肉体を痛めることを承知で、その習慣を断たない人間。  生きている間に、意図せずに誰かを傷つけ不幸にしてしまうことはあります が、それを『意図的』にやるような奴を助けるのはごめんです。  また、自分の体を守ることもできない人間の為に、私の体を役に立てる気は さらさらありません。  それと、私は私が死んだ後の医学の進歩なんぞに貢献するつもりは全くあり ませんので、いかなる実験用献体も拒否します。  特に医学生の実験用献体に関しては、たとえ爪の先、毛の一本であろうが、 実験の材料となるつもりはありませんので、そのように処置下さい。  アメリカでは、未来の蘇生技術に賭けて、自分の体を冷凍して未来で治療を 受けようと言う人が結構多くなりつつあるそうです。  30世紀あたりの考古学博物館で、醜悪な自分の冷凍パックにされた肉体を 披露された挙げ句、客に嘲笑されるがオチ、と言う気がしますので、こういう システムも使いません。  『江端はアバンギャルドだったからなあ・・』と言って、こういうシステム をおもしろ半分に使うこと無きようご注意下さい。  -----  次に、墓の件です。  私達夫婦は、死が二人を分かつ時までは一緒にいるつもりですが、死後は「 自由行動」とする事を約束しております。  嫁さんが、実家のご両親の元でゆっくり眠りたいと言うのであれば、何人も 、たとえそれが私の血縁の人間であろうとしても、断じてそれを妨げてはなり ません。たとえ、嫁さんが「昔の男の墓に入りたい。」と言っても、私はこれ を圧倒的に支持します。  原則として、死んだ後はお互いの元の両親の墓に入ろうと言うことになって いますが、『夫婦二人っきりでずっと一緒の墓の中なら、それもいいね。』と 話し合っています。  この場合、私の子供達やその子孫は必ずしも私達夫婦の墓に入ってくる必要 はありません。  しかし、私が生前好きでない人間だったら、絶対に入ってこないようにして 下さい。「入墓拒否リスト」は、何だかの形で必ず残しておきますので、それ を参照して、そいつの侵入を阻止して下さい。  死後まで鬱陶しいのは嫌ですから。  嫁さんが先に死んで実家のご両親の元に帰っていった場合、私も両親の元に 帰っていってもいいですが、私が愛して止まない京都にも帰りたいと思ってい ます。  こう言う時、広域に分散して納骨が可能な「分骨システム」は、良くできて います。  私の遺骨は次のように処理して下さい。 Step.1 砂状に砕き、それを10等分して下さい。 Step.2 2等分を両親の墓に、もう2等分を嫁さんのいるところに入れて下     さい(墓の中に入らなくてもいい。墓の近くにばらまいておいて下     さい。私の墓石名や卒塔婆は不要です。)。 Step.3 残りの6等分を、次の場所にばらまいて下さい。     ・同志社大学今出川校のキャンパス内、生協の前にある木の根本 (*2)     ・学生時代の下宿、岩倉の松尾荘に生えている木の根本     ・岩倉の定食屋「ひよし」の横にある土の部分     ・学生時代に住んでいた学寮、壮図寮の庭の桜の木の根本     ・北山の鴨川の河原     ・京都御所 (*2)ちなみに、江端家の本籍は同志社大学今出川校地の住所です。  なお、このStep.3の方法は、確か現行の法律では違法扱いになっているはず です。また、その場所のオーナーが、そういう気味の悪いことを許可してくれ るともおもえません。  散骨は、迅速かつ速やかに終わらせて、何事もなかったように立ち去るよう にした方がよいでしょう。  もし、誰かが私を偲んで集まってくれるのであれば、墓でもいいですし、同 志社のキャンパスに純米大吟醸を持ってきてくれると嬉しいです(キンキンに 冷えているとなお嬉しい)。  間違っても、『サントリーのレッド』とか『いいちこ』とか言うような体に 悪い安い酒を注がないようにして下さい。  -----  次に葬儀の件です。  葬儀は、納骨と散骨が終わった後、知人を招いて盛大に行って下さい。  場所は、天気が良ければどこかの広場とか公園などがいいですが、まあこれ はどうでも良いです。  基本コンセプトは「和気あいあい」です。進行は、現在の結婚披露宴の方式 を踏襲して下さい。  司会者が進行を仕切り、故人の偉大な業績を称える紹介を行ったのち、乾杯 をします。  乾杯の音頭の最後は、当然次のようになります。  「故人の偉大な業績を称えると共に、永遠の『冥福』を祈って、乾杯!」  ここから食事ですが、故人の好きだった中華料理(ただし、高級食材ではな くて、チャーハン、餃子をベースとしたものに)と、タイ料理などの辛い料理 、そしてカレーライスは忘れずに出して下さい。  これらは、葬儀実行委員会の手作りが望ましいです。食材は、全て「御霊前 」から出費するか、参加する方が持ってきた食料を利用して下さい(*3)。 (*3)ここで嫁さんから「手作りは大変だよ」とクレームが付いたので、   食料は何処かで買ってきてもいいです。  酒は、各人が気に入ったものを持ち寄り、霊前において下さい。  可能なら、テレビ、新聞社などのマスコミも読んで、この前衛的な葬儀の収 録や、可能なら実況中継をしてもらってもやぶさかではありません。  それから、葬式の間にかかっている音楽は、軽快なピアノジャズをベースと して下さい。  それと出席者の服装は、普段着をベースとしたものとします。  普段着の意味の解釈を巡って、参加者の皆さんが困らないように定義をして おきましょう。 「男女年齢に関係なく全員ジーンズを着用すること。」  ジーンズを着用していない場合は、どこかで買ってきてから入場して頂きま しょう。  それで、必ず故人の遺志を無視して、現行のつまらん葬儀システムを踏襲し ようとする奴が出てくると思いますが、そういう奴には「江端なら、必ずあん たに怨念深い恨みを込めて、災厄を降らすぞ。」と言って脅して下さい。  私なら、その程度のこと、本当にやります。  最後は、適当な人物が挨拶して終了。葬儀の時間は、絶対に3時間を越えて はなりません。長い式は飽きさせるものです。なお、葬儀は納骨の後に実施さ れますので、当然「通夜」などと言うものはありません。  この葬儀形態は、葬儀の世界の一大革命になることは確実です。  参加者の皆さんは、この革命的葬儀を実施した者として、江端の偉業を後生 に伝える義務を持つことを忘れないで下さい。  -----  次に遺族への遺言です。  嫁さんの祐子には、私の死後1年間の再婚を禁じます。  1年間は、毎日私のことを思い出して笑うように。くよくよ悲しむのは私の 本意ではありません。1年と1日目からは、好きなよう生きて下さい。何人も 祐子の生き方に対して干渉してはなりません。  再婚して新しい人生を送るのであれば、私があっちの世界から、新しい家族 をひとまとめにして守って上げましょう。  財産みたいなものがあれば、全て祐子に贈与します。ただし負の財産(借金 等)の場合、それを引き継ぐ必要はありません。  私が有名人になり財産家になったら、「江端の昔の女」とか「江端の子供」 みたいな奴が出てくるかもしれません。  当然、無視してください。  そんな女はいるはずはありませんし、第一私の死後に出てくるような卑怯で 軟弱な奴は、私の生き方を理解しておりません。江端の関係者を名乗る資格す らありません。  子供の場合は、DNA鑑定でもさせて白黒付けて下さい。  DNA鑑定で、黒がでてきても『突然変異』と言って突っぱねましょう。  -----  その他、気がついたことを書き添えておきます。  私が生存中に私のエッセイ(日立こぼれ話、江端さんのひとりごとなど)を 製本できていなかったら、それをお願いします。  印税は、製本に携わってくれた方に半分差し上げます。残りの半分は嫁さん の祐子にあげて下さい。エッセイを書き続けることが出来たのは、嫁さんのお 陰ですから。  『江端智一エッセイ集』のあとがきは、私を絶賛した内容で纏めて下さい。 私の批判を書いてはなりません。  もう一つ、特に心配していることに、嫁さんが私のことを「無類のパソコン 、ネットワーク好き」と勘違いしていることにあります。嫁さんは、私の遺体 を焼く段階で、棺桶の中にノートパソコンやらイーサーケーブルやらを入れる つもりのようですが、これは断じて止めさせて下さい。  私のことだから、霊界−人間界ネットワークをも作りかねません。霊界ドメ インからメールが届いたら、誰もが嫌なはずです。  棺桶の中に入れるなら、その辺の文庫本やコミックでも入れて、粗大ごみの 処分を兼ねるというのはいかがでしょうか。私はそういう合理的なことが好き です。  -----  最後に、私の子供達、あるいは次の世代の者たちへの遺言で終わりたいと思 います。  私が死んで嫁さんが生きている間は、全力を挙げて嫁さんをサポートして上 げて下さい。私と嫁さんが死んだ後は、世界がどうなろうが知ったことではあ りません。これから発展しようが、あるいは種としての滅亡の道を進もうが、 私には関係ないことです。  ただ、願わくば、どの様な道を進もうとも、いつでも「楽しく」あり続けて 貰えることができればいいな、と思っています。  しかめ面しながら前に前に進んでいく生き方が賞賛されるこの時代に、笑い ながら後退していくことを恐れない生き方を、私は強く希望します。  『自分に納得が出来るような生き方を』などと、これ程難しいことも無いの に、平気で言う奴がいます(『お前はできているのか!』と聞きたいことがあ る)。納得のいく生き方などありませんし、後悔のない選択などないのです。 まあせいぜいあるのは『後悔の程度』の差だけでしょう。  どんな失態したって、100年後にそれを覚えている人は一人もいないんだ から、評判を気にする生き方はあんまり意味がないし、誰もが納得のいく生き 方は出来ないかもしれないけど、どう生きたって人生なんぞ大して変わりはし ないと思っています。  だから、私は子供たち、次の世代の者たちに特に言うことはありません。  「できれば、『楽しく』過ごしなさい。」  それだけです。  では、私無き後の皆さんに、大きな「楽しさ」がありますように、祈りつつ 、筆を置くことと致しましょう。  では、ごきげんよう。  さようなら。  --------------------------  この江端さんのひとりごと「遺書」は、ギャグベースで書かれてはいますが 、執筆時点(1997年9月6日)の私の想いを綴ったものであり、嫁さんの祐子も 執筆原稿の校正に携わっています。従って、本エッセイの遺言は法的に有効で あることを宣言します。  この「遺書」の内容全部を全部実現するのは困難と思いますが、出来うる限 り私の意志に沿って実現していただきたく、何卒宜しくお願いいたします。 (本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、転載して頂いて構いません。本文章を商用目的に使用してはなりません。 )