「ホワイトアウト」

江端さんのひとりごと

「ホワイトアウト」

2001/02/10

 昨年9月24日に、コロラド州のフォートコリンズで、私たち夫婦は、積雪15cmを越える降雪を目の当りにしました。

 数日前までクーラの側に倒していたエアコンのスイッチを、暖房側に切りかえ、最大出力にしました。

 と、思った次の日には、透き通った快晴の空から、紫外線をたっぷり含んだ太陽光線で、目が焼けるかと思う目にあったりもしました。

 コロラドの冬は、日本の関東地区に比べれば寒いはずで、実際、夜には氷点下数度まで下るのですが、不思議なくらい寒さを感じません。

 重くない、とでも言うのでしょうか。

 湿度が非常に低いので、まとわりつくような寒さはないのです。

 雪は一晩で15cm位積るのですが、日本の東北や北海道の地区とも違い、大抵次の日から快晴となり、2、3日で溶けてなくなってしまいます。

 毎朝、玄関のドアを開けると雪が傾れこみ、積雪をラッセルしながら、会社に出社するものだと思っていた、私たちの目論見は外れ、殊、雪に関しては、今迄と変わることなく、朝の徒歩通勤を続けていますし、帰宅時には、嫁さんのピックアップで自宅に帰るのですが、会社がスタッドレスタイヤの費用も出してくれたこともあって、現在のところ、事故を起すことなく運転しているようです。

 ただし、雪の降っている朝だけは、危険かもしれないと言うことで、嫁さんが会社まで自動車で送ってくれることになっています。

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 私は、静謐で美しい風景、一面の銀世界、生命が息を潜めて雌伏するこの季節が好きです。

 フォートコリンズは、渡り鳥のグースの中継地点となっているようで、最近は、毎朝数百羽のグースが群れとなって集まっているのを見かけます。

 今朝、家の前のBoardwalk Driveを、20羽程度のグースがきれいに一列になって横断して、自動車を止めていました。

 私が運転手の方の顔を見ると、「仕方ないね」と言う顔で苦笑していました。

 ある朝、私がHP社の前にあるLSI Logic社の前の野原を歩いていた時のこと、抜けるような真っ青な冬の全天を、天の河の大きさもあろうかという帯が、南東から北西に向って流れていました。

 それは、地平線から現れ地平線に消えていく、何千羽ものグースの群れでした。

 私は、その流れの一番最後尾が見たくて、空を見上げながらその野原に立ちつくしていましたが、いつまでもその流れが止まることはありませんでした。

 フォートコリンズの街の上空は、丁度、旅客機の航路となっているようで、空のキャンパスに、真っ直伸びる鮮かな白の軌跡を、時には、同時に10以上見ることもできます。

 そして、後を振り向くと、藍色の空をバックに、切り立った氷河のように輝くロッキー山脈の稜線が見えます。

 このように、私は毎朝、徒歩通勤を楽しんでいるのですが、やはり、雪の降った翌日の朝は格別です。

 全ての建物が目映いばかりに光り輝き、息を呑むほど美しいです。

 地面を踏みしめると、足がやわらかく大地に吸いこまれるような感蝕と同時に、雪の粒が煙のように舞い上ります。

 雪を掌ですくい上げると、指の間から雪が流れ落ちていきます。

 日本では、スキー場でさえ、こんな極上のパウダースノーにお目にかかることはできません。

 マウンテンスキーの板を履いて出社する、という計画もあるのですが、フォートコリンズでは車道の除雪が徹底していることと、どうしてもまとまった積雪量にならないことから、現在のところ、実現できないでいます。

 嫁さんが、帰路を迎えに来てくれるからこそ出来ることでもあるのでしょうが、こんなに楽しい1時間10分もの通勤時間を、自動車でかけ抜けてしまうのは、私には、とても勿体ないことのように思えます。

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 先日、夕方から降り始めた雪は、翌朝になっても止むことなくり続けていました。

 一度くらいは、降っている雪の中を歩いてみたいと思っていた私は、その日の朝を決行の日と決め、心配する嫁さんを言いきかせて、雪中行軍の準備を始めました。

 テーブルの上に、いつもの通勤スタイルである、極寒仕様の毛糸の帽子と手袋、マフラー、膝まであるぶ厚い綿入りの黒のナイロンコート、インターネット経由で毎日録音している英語ニュースと、「携帯版 英会話とっさのひとこと辞典」のカセットテープとウォークマンを用意しました。

 厚めのセータを着こみ、膝上まである道路工事の現場作業員御用達の長靴を履いて、準備を完了しました。

 ドアを開けた瞬間、ぶ厚い冷気の壁と雪が吹き込んできて、家の中に戻されそうになりましたが、それを押し付けるようにして外に出ました。

 吹雪という程のものではなかったものの、風におおられて雪が右往左往しながら、時々は真横になって宙を舞っていました。

 空の低いところに灰色の雲があり、わずかに雪のガスも出てきており、視界も悪くなってきていました。

 多分、気温は氷点下10度くらいだっただろうと思います。

 流石に除雪も間にあわなかったのか、Oakridge Driveの道も真っ白なまま、自動車のタイヤに圧雪されて、理想的なアイスバーンとなっていました。

 しかしそんな道路を、この街の人達は、ノーマルタイヤで、車体をドリフトさせながら平気で運転しています。

 流石、としか言いようがありません。

 雪の上を歩く時は、そのわずかな雪の高さを見て、車道と歩道を見分る必要があります。

 間違えて車道側に足を踏み入れると、そのまま車道に転げ落ちていく恐れがあるからです。

 抜群の視力を誇る私でさえも、今朝は車道と歩道の境界が見えません。

 それは、一つに、雪が降り続いていることと、もう一つは、目を開け続けていることが出来なかったからです。

 私は、全身を防寒着で完全にくるんでいたのですが、唯一、目の部分だけを覆うことは出来ませんでした。

 そんなことをしたら、何も見えなくなって、歩く以前の問題です。

 風にあおられた雪が目に飛びこんでくる時は、ちょっとした痛みを感じますが、それ自身は大したことではありません。

 問題なのは、その後です。

その状態では雪の結晶が眼球に張りついて見えなくなりますので、瞬きをすることで、その雪を解かすのですが、これが涙と一緒になって目の外に出ます。

 この涙がやっかいなのです。

 この涙は、一秒もしないうちにアイラインで氷結します。

 そして次の瞬きに、瞼の上と下のアイラインの氷がぶつかり、一瞬溶け、そして、この上下の氷は一つになって一瞬の間に凍ってしまうのです。

 この結果は明白。

 目が開かなくなるのです。

 指で目を擦ると、指についた雪が、さらに事態を悪くしまうので、力を込めて瞼を開けます。

 こういうことは、日常生活ではめったに体験できないでしょう。

 力づくで瞼を開くことを続けている内に、今度は睫(まつげ)に小さな氷柱が出来てきて、瞼が重くなってきます。

 よく、眠くなることを「瞼が重くなってくる」と言う言い方をしますが、喩えでもなんでもなく、本当に『お、重い・・・』。

 不思議なもので、瞼が重くなってくると、本当に寝くなってきました。

 雪の中の歩行は、普通の歩行より何倍も体力を使います。

 雪の吹き溜りを踏みつけて、体のバランスを崩しながら歩かねばなりませんし、以前降った雪が溶けずに、完全に氷結して氷河となったような場所も越えて行かねばなりません。

 普段よりも集中力が要求されるのです。

 加えて、時折襲ってくる横なぐりの雪の束に目も開けていられません。 運悪く、昨夜は眠りが浅い上に5時間くらいしか寝れなかったので、普通よりコンディションも悪かったのです。

 眠ったら終りだ・・・

 この時、私を支えていた思いは、「美しい妻や可愛い娘を残して死ねるものか」と言う想い・・・ではなく、『雪の中を徒歩通勤していた変な東洋人、通勤途中にて凍死』とフォートコリンズ新聞の一面に掲載されるであろう記事と、葬式の際に、ハンカチを握りしめて、うつむきながら、泣いているふりをしながら、笑いを堪えている参列者の光景でした。

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 HPの正門前で、ウォークマンのカセットテープが終ったので、ナイロンコートのポケットからウォークマンを取り出して、テープを裏返しして、再生のボタンを押したのですが、うんともすんともいいません。

 変だな、と思って、あちこちのボタンを押して見たのですが、上手く再生してくれません。

 その時、このような機械が保証する動作環境の温度は、確か下は0度から、上は50度くらいだったことに、はたと気が付きました。

 私は、HP社の門の前に立ちすくみながら、氷点下10度より低い極寒仕様のウォークマンなど、どこにも売っていないんだろうな、とぼんやり考えていました。

 その時の私は、毛糸の帽子に雪を積らせ、手袋は内部から凍りつき、長靴の中に入ってしまった氷が、溶けずに凍ったまま残っていると言う状態で、体も思うように動かすことができず、雪の平原を彷う、黒装束のゾンビのような状態だったと思います。

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 Harmonyの徒歩通勤者

"Walking Pedestrian in Harmony Road"

 は、今では、HPはもとより、フォートコリンズでもすっかり有名になっているだろうと思います。

 そのうち、私の通勤路である野原に、地元のテレビ局の車が待ち構えてインタビューをしてくる時の為に、すでに私の頭の中では英語の質疑応答集が出き上がっています。

 "Why have you kept walking on this field, that is NOT a road, every day ?"

 "I can always feel a existence of GOD through walking in the field. It is a kind of a field of talking to GOD."

 フォートコリンズの教会の、名誉司教くらいには成れるかもしれません。

 そんな風に、私の通勤風景に慣れたフォートコリンズ市民も、その日の私を見て、皆、一様にぎょっとしていました。

 私の行為が、神秘の国ジパングの名を、ますます高めているものだと自負しております。

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 まあ、街の中だし、比較的視界も良く、ホワイトアウトを喰らって『HPはぁ!HPは、どっちだぁぁぁ!!!』などと叫ぶような場面もなく、いつもより15分遅れで、無事会社に到着しました。

 寒くて痛くて結構辛かったけど、やっぱり楽しかったな、と思えました。

 私は、根っからのスキーヤーなんだ、と再認識しました

 その日、嫁さんのピックアップで自宅に付き、ふと、テーブルの隅の方を見ると、そこには昨夜久々に読み直し終えた、真保裕一の「ホワイトアウト」が置かれていました。

 『俺が今行かなかったら、誰がHPと日立を救えるのだ!』

 などと言うような、馬鹿な妄想に憑かれて、雪中行軍をしようとしていた訳では断じてないと思っていますが、もしかしたら、自分の気が付かないところで、何かのスイッチが入っていたのかもしれません。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)