江端さんのひとりごと          「結婚式のスピーチ(その6)」  ただ今、紹介に預かりました明渡さんの大学の後輩で江端と申します。 この度は誠におめでとうございます。  私、大学時代には『独身主義』を高らかに宣言し、明渡さんとよく議論をし たものでした。  「明渡さん、およしなさいって。結婚なんて意味がないですよ。」と再三に 渡って、明渡さんを説得し、「もし、私が結婚したら、真っ赤なポルシェを買 って差し上げます。」とまで申し上げました。  しかし、明渡さんは「いや、江端。俺はそう思わん。俺は結婚したい。」と 頑固に主張されておられました。  ちなみに、私、明渡さんとの約束を、ついうっかり忘れていまして、今年の 3月結婚してしました。しかし、私は、明渡さんが本日のこの良き日にあたり まして、「ポルシェ」の約束をすっかり忘れて下さることを確信しております 。 ---------  さて、お手元の新聞のコピーをご覧下さい。  こちらのロボットは、明渡さんが研究室で、何カ月にも渡り、自ら図面を引 き、材料を加工して作り上げた4足歩行ロボットです。このように新聞の一面 で大きく紹介され、その後も色々な雑誌にも掲載されました。  私たちは、電気関係では専門でも、機械関係にはまったくのずぶの素人でし たけれど、明渡さんは全くの独学でこのロボットを0から、こつこつと自力で 作り上げました。その後、研究室においてこのロボットを越える作品が生まれ た、と言う話は聞いておりません。  明渡さんの、まじめなご人徳と才能、そして何より「努力の人」であること がおわかりになると思います。  ちなみに、この新聞記事の、この辺に書かれています「障害物回避の歩行計 画の研究」の下り、あの、少ししか書かれてませんけど、ま、それは「私の研 究テーマ」でした。  ・・・いや、だからどうという事もないのですけどね。 ------------------  明渡さんは、とてもフレンドリーな方で、後輩に決して命令を下したり、怒 ったりするようなことはしない方です。  勿論、「今の明渡さん」は知りませんが。  しかし、私もたった一度だけ、それもつい最近まで忘れていたのですが、明 渡さんに『命令』をされたことがあります。  京都の北山を鴨川沿いに上がったところに、居酒屋が出来たと言う情報を、 研究室にやってきた私の友人の一人が知らせてくれました、その日は「飲み放 題、食べ放題でタダ!」と言う情報に乗せられて、夕方になって私は明渡さん をバイクの後ろに乗せて大学を出ました。  ずいぶん探したあげく、住宅地のはずれの地味な場所に、何というか『オシ ャレ』とは全く逆のこじんまりとした、どことなく荒んだ感じのする、白い壁 にドアが一つだけあるような怪しげな店がありました。そしてその店の看板に は、「スナック ゆうこ」。  ・・・だったか、よく思い出せませんが、私の嫁さんの名前が『祐子』なの で、このまま話を進めます。  「スナックゆうこ」の中には、濁声でしゃべるおじさんや、大声で甲高い声 を上げているおばさんがひしめき合って、安物のウイスキーの水割りと、バタ ーピーナッツと柿の種だけが、テーブルの上に置いてありました。そのウイス キーとおつまみがなくなると、継ぎ足されて行くだけで、他のものは何も出て きません。 明渡さん:「おい、江端。『飲み放題、食べ放題』って、これのことか?」  江端 :「どうも、・・・そのようですね。」 明渡さん:「こんなもん、いくら喰ったって飲んだって、嬉しないぞ。」  江端 :「・・・・。」  私たちは、がっかりして店を出ていきたかったのですが、大部分の人が『出 ていきたい』と言う顔をしながら、我慢して水割りを飲んでいるのを見ると、 なんだか私たちだけが、「ゆうこ」から脱出することがはばかられました。  その内、司会をしている人が、マイクを持って若い人を紹介し出しました。 司会者:「期待の新星〜!、演歌界の待望の新人!! 「なんとか、あきら」      が歌います。歌は、「男のなんとか」です。ではどうぞ〜!」                    (「なんとか」の内容は忘れた。)  若い演歌歌手がマイクの音量を一杯にして歌っている最中に、私と明渡さん は顔を寄せあって、お互いの耳にささやきかけました。  江端 :「明渡さん、(この人)知ってます?」 明渡さん:「しらん。」  私と明渡さんは、その歌手が一生懸命歌えば歌うほど、なんだか寂しい気持 ちになってきて、うつむきながら水割りをちびちび舐めていました。「期待の 新人」が、サイン入りのレコードを配っている最中も、私と明渡さんは手元の グラスをじっと見つめながら、彼が遠ざかるのを待ちました。  そして、その演歌の歌にあわせて二人の人物が現れたとき、私たちは硬直し ました。  男の人は30代のおじさんでタキシードを着ていました。そしてもう一人の 人は・・・、年にしたら50代と言うくらいのお年の、実に堂々とした格幅の 良い女性の方でしたが、黒のバレーのトゥシューズに、両手あわせて3本の指 に光る原色系の指輪、黒の下着と見間違う程の真っ黒なバレーコスチュームと 、異様な程短いスカート。濃いなどという表現ではかたり尽くせない、その仮 面のようなお化粧・・・・。  その二人は、場末のスナックの貧弱なスポットに照らされ、演歌にあわせて ワルツを踊り始めました。  「スナックゆうこ」は、演歌の歌を除けば、誰一人動かない絶対静寂に包ま れ、ワルツを踊っている二人のシューズの音まで聞こえてきそうでした。  (恐い・・・。)  明渡さんも私も、恐怖にのけぞり、血の引いたような真っ青な顔でシートの 背もたれに張り付いていました。 明渡さん:「江端・・・・。」  江端 :「・・・は、はい。」 明渡さん:「なんとかせい。」  明渡さんは小さく、震えるような声で私に命じました。  江端 :「は?」 明渡さん:「この状況を何とかせんか!」  江端 :「何とか、とおっしゃられましても。」 明渡さん:「騒ぎを起こせ。」  江端 :「は、はあ。」 明渡さん:「騒ぎを起こして、その隙に俺をここから連れ出さんかい!」  その時の明渡さんの目は、決して笑っていませんでした。 ---------  後にも先にも、明渡さんに命令されたのはその時だけです。ご結婚された後 、新しいご家庭を作られる時も、決してお嫁さんにきついことを言ったりする ようなことは絶対に無いと思います。  ただ、お嫁様が一つだけ注意して頂きたいのは、もし明渡さんが散歩の最中 などで、突然立ち止まって工場の機械を注意深く見始めたり、遊園地のジェッ トコースターに乗るときに、動力駆動部やモーターをにらみつけることがあっ ても、優しい気持ちで、明渡さんに満足するまで十分に眺めさせて上げて下さ い。  なにしろ、私たちはここにいらっしゃる戸高先生や石原先生に、そういう風 に厳しく教育されてきましたから。 ---------  さて、少し長くなりましたが、これもご愛敬、と言うことでお許し下さい。  新郎新婦のご多幸をお祈りしつつ、私のスピーチとさせていただきます。  本日は誠におめでとうございます。 (本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにお いて、自由に転載していただいて構いません。)