徒歩通勤

江端さんのひとりごと

「徒歩通勤」

今朝、プロジェクトのマーケッティングマネージャをしているMikeさんに「Tom」と呼び止められて、尋ねられました。

「君、今朝、Harmony Road沿いの原っぱを歩いていなかったか?」

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Harmony Roadは、フォートコリンズ市内を東西を貫いてインターステーツ(*1)25号線に至る車線数6の大きな道路で、制限速度60マイル(時速100Km)を越えるスピードの車が、終日途切れることなく走っています。

(*1)州間を結ぶ高速道路

「アメリカは車社会」と言われますが、私はここに来て、その本当の意味を理解しました。それは、「アメリカは車社会」ではなく、「アメリカは、歩いていける所には何もない」ということです。

特にコロラドは、それはなんと形容していいのか分からないくらい、とにかく『広い』。東西南北どちらに向っても、30分も車で走れば、全展望360度の地平線が見られます。

時々、こちらのテレビのコメディードラマを見るのですが、まあ、そのドラマで出てくる主人公のおじいちゃんの設定は、ほぼ間違いなく、

 - 『コロラドのおじいちゃん』と呼ばれ、
 - 地平線まで広がる広大な農場で、トウモロコシをつくっている

と、なっているはずです。コロラドというところは、一言に纏めれば、そういう所なのです。

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アメリカという国は「歩いていける所には、何もない国」と言うか、より正確に言えば「人間が、歩いて行くことを全く想定していない国」と言うのが正しいようです。

じゃあ、アメリカ人は全く歩かないのか、と尋ねられれば、勿論そんなことはなく、毎日根気よく歩いています。

スポーツセンターで。

私のアパートの横には丁度、フォートコリンズ内に2つあるスポーツセンターの一つがあり、家族全員で利用しております。

そのスポーツセンターの営業は、早朝から始まっています。

先日、早朝フライトに乗るために、朝の5時にデンバー空港に向かったのですが、すでにその時点で駐車場の大部分が車で埋まっていました。

朝から、ペットボトルのコーラを飲みながら、鼠回し(あるいは、ウォーキングマシンとも呼ぶ)に乗って汗を流してから、会社に出社すると言うのが、アメリカ風のスタイルのようです。

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先日から、私はこのHarmony Road沿いを、自宅のアパートから、歩いて出勤しています。

しかし、これがまた普通の徒歩通勤と違って、非常に大変。

まず、第一の障害が、散水機。

ここフォートコリンズでは、どこのどの敷地でも、芝生が植えられており、その管理たるや病的とも思えるほどです。よく分かりませんが、一つのステータスシンボルなのかも知れません。  

なにせ雑草が全然見あたらないほどの徹底さ。朝も早くから、アルバイトと思われる若者が芝刈用のカートに乗って、芝の上を走りまわっています。

時間になると自動的に動きだす散水機のノズルが、地面から現れて、芝の上を越えて歩道まで水を撒き散らします。

今朝、散水機の放水で「通せんぼ」されてしまったので、しかたなく強行しました。びしょ濡れは覚悟の上だったのですが、水に打たれて大変痛い思いをしました。

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次の障害は、歩道。

でも「ない」のです、歩道は。

いえ、正確にはあることはあるのですが、それはアパートやらスポーツセンタやらスーパーマーケットが施設している歩道ですから、その施設が無くなるところで、歩道も無くなってしまう訳です。
 
そうするとどうしなければならないか、と尋ねられれば、2つの手段を取らざるを得ません。

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まず一つは、車道沿いに歩くこと。

しかし、これが非常に恐い。特に、車道の横断は、文字通り命がけです。

だいたい、フォートコリンズに来てから、車道を横断しようとしている歩行者を見たことがありません。

なにせ、私が車道の横断をしている最中でも、近づいてくる自動車は、減速する気配すらありません。恐るべき、自己管理の国です。

また、横断歩道は、唯一、大きな交差点の信号にあるのみですが、これが、また全く信用ならない。

アメリカでは、赤信号でも車両右折が許されています。ですから、歩行者用の信号を信用して渡ったら、間違いなく右折車に轢かれます。

右折レーンの車の動きに注意するだけでは駄目です。車を運転している運転手の目を見て、その視線の方向を定めなければなりません。

こんなことは、きちんと視力を計れば、3.0はあるかもしれない、私のみに可能な芸当です。

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二つ目は「道なき道を行く」。

文字通り、施設と施設の間の原っぱを突っきって進んで行くのです。

私の通勤路を御紹介しましょう。

朝、Miramontのアパートを出て、スポーツセンタの歩道を歩いて行くと、第一の関門である、Lemay Ave.にぶつかります。4車線の広い道路で、当然横断歩道などありません。タイミングを見計らって、一気に駆け抜けます。

そのままOakridge Dr.を歩いていくと、途中で歩道が無くなります。

車道に降りて、左側通行で歩きます。野原の中を通っているこの道路は、交通量が少ないので、比較的安心して歩いて行けます。Hampton Innホテルとその隣の工場の歩道は、Harmony Dr.と並行して敷設されていて、そのまま進むと鉄道の線路にぶつかります。

歩行者用の踏切などないですから、向き出しになって錆で赤茶けた線路を枕木に沿って乗り越えます。すでに気分は、ゴールドラッシュに金を掘りにきた、コロラドの鉱夫です。

Timberline Rd.の信号交差点の歩行者用ボタンを押して、右折車に巻きこまれないように注意して渡ると、最大の難関、建築中のHarmony Campusが表われます。この建築中の施設は、金網で囲まれていたので、初めて徒歩通勤を始めた日、私は大変困りました。

携帯電話は、嫁さんに持たせておいたので、救援の電話をすることもできません。

仕方がないので、金網を叩き壊すための手ごろな岩を探していると、トラックの出入り用のゲートが見つかりました。

ゲートには鍵がかかっていたのですが、人間一人分がかろうじて通れる隙間を見つけたので、荷物を金網の向うの野原に投げこんだ後、その間を這うように潛りぬけました。

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ここから、一部の歩道を除いて1マイル強(2Km弱)の、野原の行軍が始まります。

現地の人間によれば、毒を持つ蛇などもいるとか。くさむらの中で、「かさかさ」という音が聞こえると、心臓が飛び出るような思いがします。

たまに、野うさぎが目の前を駆け抜けて行き、雁が頭上を飛んで行きます。Harmony Roadの方を見ると、轢かれて放置されたままの狸が見えました。

そうして、BoydLake Roadに出ると、目的地は、もう目の前にあります。

Harmony Roadの横断と言う最後の難関を突破して、ヒューレットパッカード社の門を通って、広大な駐車場を通り抜けます。

家を出てから1時間10分後、オフィスの自分のパーティッションに着き、パソコンのスイッチを入れて、メールを読みながら、コーヒーを飲んでいる時、込み上げてくる高揚感に悦に入ります。

「今日も、勝ったな」

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Mike:『なんで、わざわざ、あんなところを歩いて来るんだ?』

Tom: 『最近疲れやすいようなので、運動不足の解消に、と』

Mike:『だったらBike(自転車)を使えばいいのに。びっくりしたよ。Harmony沿いの野原を人が歩いているのを見たのは、初めてだ』

Tom: 『歩くのが好きなんです。それと、私の場合、特に英語の勉強をする時、歩きながら英語のヒアリングや暗記をすると効果があるようなんです』

Mikeさんは、日本人の考えていることはよく分からん、といった風に首を傾げて、自分の席に戻って行きました。

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もし、あなたが何かの用事で、フォートコリンズに来られることがあり、デンバー空港からインターステーツ25号線を北上し、EXIT265からHarmony Roadに入ることがあるようなら、

ヒューレットパッカード社の正門を越えたあたりで、進行方向の左側に見えてくる、広い原っぱに目を凝らして下さい。

■半袖のYシャツにスラックス、右手にペットボトル、
■左手に「携帯版 英会話とっさのひとこと辞典」を持ち、
■ダークグリーンのリュックサックを背負い、
■ウォークマンを聞きながら、
■だだっ広い原っぱの中の小さな点となって
■雑草のたなびくのに合わせて、風に吹かれながら瓢々と歩いている不可解な東洋人が見えたら -----

それは、私です。


(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)