江端さんのひとりごと            「江端号、反転!」(完結編)  今回のスキーイベントでは、スキーフリークの久保川君、河野君とグループ と、嫁さん、嫁さんのテニス友達、本多君、私のグループと、マイペーススキ ーの草間君の3つのグループに分かれて、適当にスキーを楽しんでいました。  持ってきた無線のトランシーバがここでも威力を発揮します。  『迷子になりたくなかったら、トランシーバ持っている奴から離れるんじゃ ないよ。』と散々注意しておいたのですが、大方の予想を裏切ることなく、早 速マイペーススキーの草間君が迷子になりました。  ゲレンデでの迷子は自力復帰が原則。  群の外に出てしまったスキーヤーは見捨てる。2次迷子を避けるためです。  これもまたスキー道なのです。  -----    リフトの停止する1時間前になって吹雪いた来たため、女性軍と久保川君が レストハウスに撤退すると、残りのメンバーが人気のほとんどない上級者コー スへのアタックを開始し始めました。  私は新雪スキーというのが苦手だったのですが、今回のスキーでこつを見い だしたようです。ふわふわする新雪は、本当に柔らかい綿の上を滑っているよ うな感覚で夢見心地の状態でした。  気が付くと、「うほほほほほーー」とも「うひゃひゃひゃひゃーー」ともつ きかねる奇声を発しながらゲレンデを爆走していました。  新雪フリークの河野君は、たちまちゲレンデを地響きを立てるような勢いで 降りていってしまい、私もその後に付いてたちまち降りていってしまいました 。急斜面を滑り降りて、ふと振り返ると、本多君がスキー板を吹っ飛ばして、 顔からゲレンデに突っ込んでいる姿が見えました。  少し気の毒なことをしてしまったと思いましたが、本多君がゼイゼイ息をし ながらおりてくるや否や、彼に休憩の時間を与えずリフトに向かう、情け容赦 のない同期の仲間でありました。  ゲレンデの全てのリフトが停止して、私達がスキー場のレストハウスに戻っ てきたとき、女性軍と久保川君は椅子に座って、缶コーヒーを飲みながら私達 を待っていました。  嫁さんは、顔を火照らせ息を弾ませて、生き生きとした表情で新雪のゲレン デの様子を語る私の顔を見て、『結婚してから、こんな嬉しそうな顔を見たこ とがない。』と少し面白くなさそうでした。  -----  雪の駐車場は、ナトリウムランプと水銀ランプに照らされた眩いオレンジ色 に着色されていました。  私達は、シビックの回りに集まって、江端さんの手作りビールを瓶ごと掴ん で、それを誰それ構わず回し飲みをしました。  スキーで心地よく疲れ切った体に、江端さんの「ベルメゾンビール」は染み 渡りました。私のビールは実にうまい!ビール名人江端!!と再確認するにい たりました。  しかし、この後、神立高原スキー場名物の温泉とサウナを堪能した後、今ま で感じなかった疲れが体中に浮き出てくるのを感じていました。  風呂上がりの待合い室では、先ほどまでの高揚感は消え、皆一応に疲れから 無口になっていました。  駐車場に行くと、ビールを飲んだときに落としたはずなのに、自動車はかま くらのように雪にすっぽりと覆われていました。  (いくらなんでもこの積雪量はただことではない。)  空を見上げると、ナトリウムランプに照らされたオレンジ色の雪が、拡散し ながら定規で引いたような真っ直ぐな軌跡で、同じ速さのまま休むことなく降 り続けていました。  この日、東北・北陸地方は、記録的な豪雪に見舞われることになります。  勿論、この気象変更は誰にも予想できなかったですし、予想できたとしたら 誰もスキーに出かけようとは思わなかったはずです。  -----  帰路の配車は荷物の都合もあり、シビック江端号には、久保川、本多の両氏 が同乗し、アベニュー河野号には、草間、嫁さん、嫁さんの友人の4人が乗り 込みました。  私達の2台の自動車は、新雪の積もった道路をゆっくりと進み、湯沢越後駅 に向かいました。  私が運転している横で、助手席の久保川君が運転手の私に色々やかましく注 意をします。  「セカンドに入れろ。」「ブレーキはゆっくり踏め。」「ハンドリングが速 すぎる」など、色々チェックを入れてきて、私はちょっとうっとうしく感じて きました。  「しょうがないだろう、今回が始めての雪道運転なんだから。」と言った時 、一瞬、彼が息を飲み込む音が聞こえたような気がしました。 久保川君:「お前、何年スキーをやっているんだ!」  江端 :「うーん・・・かれこれ10年以上にはなるな。」 久保川君:「その間、一度も雪道運転をしなかったのか?」  江端 :「と言うか、誰もやらせてくれなかった、と言うのが正しい。       もっとも、やりたいとも思わなかった。面倒だし疲れる。」  あきれた、と言う感じの彼の溜息が聞こえてきました。本多君は後ろの座席 で黙ったままでした。  -----  越後湯沢駅の駅前の焼き肉屋で食事を済ませた時には、すでに夜の10時を 過ぎていました。我々一行は高速道路のインターから、関越自動車道に入り、 東京方面へと進路をとりました。  50Km/hの速度規制がかかり、路上はタイヤの轍のところから微かにア スファルトの色が見える程度でほぼ完全に雪が覆っていました。  もちろん追い越し車線などなにも見えません。  道路の塀がなければ進行方向も分からない程の惨状で、私は自動車を轍に乗 せることが精いっぱいでした。  降り注ぐ雪は、ワイパーを停止させかねないようなめちゃくちゃな勢いでフ ロントガラスに降り注ぎ、視界はどんどん悪くなってきます。  私は背を伸ばして、ぼやけて見える隙間からなんとか道路の状態を認識しよ うとしていますが、時間の経過と共に視界はさらに悪くなって来ています。  いつもなら、高速道路から見えるスキー場のナイターの美しいライトアップ も、この時間では消えてしまっています。  高速道路の照明灯が、唯一進むべき方向を辛気くさく示すだけで、シビック は白い悪魔と漆黒の闇の中を突き進んで行くしかありませんでした。  大きなトラックが、追い越し車線から雪の飛沫をまき散らせて、凄い勢いで すり抜けていきます。  その度に、白い煙が完全に視界を遮り、数秒間目をつぶって運転するのと同 じ状態になります。  この時点で河野号はすでに私の前方数キロに位置し、無線で連絡を呼びかけ ていたようですが、私はハンドルから手を離す余裕などまったくありません。  その時、私は、愛車シビックの後方に不気味な「揺れ」を感じました。  周波数1Hz程度で、左右にシビックの後部から伝わってくる不気味な振動 は、今までの人生で全く体験したことのない恐怖を伝えてきました。  それは、私の命令を確実に実行し動作してきた、忠実な愛車シビックX25 のはじめての反攻の狼煙。  腋を閉めてハンドルと両腕を完全にロックし、安全速度をさらに落とし、私 はシビックに自分の命令を強制します。  突然、シビックは振動を止め、安定走行に状態へ遷移しました。  (システム擾乱停止−−確認。)と、ほっとして心の中で溜息をついた、ま さにその直後、第2波の異常振動が−−今度は、後部の振動ではなく、ハンド ルの操舵角に対して、進行方向に対して左向きに微か1〜2度のずれで車体が 進行しているのを感じました。  それは恐らく運転者の私でしか感じられない驚愕の体験でした。  全輪が、同方向に同時スリップ!!  正面に向いて走っているはずの車が、今、私の制御を離れ、斜め横方向に勝 手に走っているのです。  勿論、わずかな偏向角だったので、同乗者の久保川君や本多君は気がついて いないようでしたが、私は心の中で絶叫を発していました。  『シビック斜行』と言う恐るべき現実にくわえ、収まっていた後輪の単振動 現象が再開されて、微かな振幅幅は、わずか数秒の間に何倍にも膨れ上がって いきます。  振動を収束させようと格闘する私の運転技術をあざ笑うかのように、シビッ クは単振動から、カオス振動状態に至ります。  ついに振動は、同乗者の体を激しく揺さぶるまでに大きくなります。  「江端っ!違うっっ!!」  助手席の久保川君が何か叫んでいるようですが、私には聞こえません。  発散モードに入ったシビックは、生き物のように、私のコントロールを完全 に無視し始めました。  バックミラーの中に、暗い車内の中で、ひときわ暗くなって顔面から血の気 の引いた本多君の顔を見たような気がします。  その直後、進行方向の軌跡をはなれついに前輪が横滑りを始め、車体が右斜 め横へ平行移動を始めたとき、私の理性は跡形も無くなり、思わず私は信じら れないことをしていました。  私の右足は、渾身の力を込めてブレーキを踏みつけてしまったのです。  その瞬間、全輪が雪上でロック!  普通だったら急ブレーキで起こるはずである、前のめりの制動力は全くなく 、シビックは進行速度を維持したまま、ゆっくりと右回りの等速度の回転を始 めます。  見えるはずもない高速道路の中央分離帯が、正面一面に真横に広がっている のを見ながら、シビックが『真横』に流れているのを、唖然としながら見てい る私。  しかし、シビックの回転は全く止まる気配もなく回り続けます。  その次に見えてきたのは、この豪雪の高速道路の雪上に残っている無数のタ イヤの轍と、漆黒の闇の中に消えていく道路でした。その道路をみながら、シ ビックはさらに『後ろ向き』に流れて行きます。  それは、あたかも低速で回る遊園地のコーヒーカップ。  あるいは、スローターンで大きな円の軌跡を描くフィギュアスケーター。  (止まれ!止まれ!!)  シビックを言い聞かせるように、ハンドルを両腕で渾身の力で押さえつけま した。  もちろん、心の片隅では、そんなことをしたって何の効果もないことは分か っていました。  しかし、私の願いがシビックに通じたのか、回転はゆっくりと停止モードに 入り、4分の3回転、270度回転してようやく停止しました。  丁度私の目の前には、高速自動車の側壁のコンクリートが立ちはだかってい ました。  高速道路のどこにも衝突することなく停止できたのは、まさに奇跡としか言 えませんが、シビックの中の3人の男たちは、一様に青い顔をしてこの奇跡に 感謝する余裕すらありませんでした。  とにかくその時の私は、『高速道路の真ん中で停止している』と言う状態の 恐ろしさに怯えて、慌ててギアをバックに入れたりトップに入れたり、訳の分 からない動作をしていました。  私の恐慌状態は終わっていないのです。  高速道路のど真ん中で停止。  これがどういう状態か分かるでしょうか。  時速100kmは、秒速27メートル。つまり、私達は100メートルを4 秒足らずのスピードで突っ込んでくる鉄の塊の前に立ちふさがっているのです 。  しかも、その時のシビックはボディを車線の進行方向に直行状態、すなわち 最も簡単にシビックをぺちゃんこに潰せる所に位置し、−−−そして、これが 最も重要なことなのですが−−−走行車線のど真ん中で『真横』に停止してい たのです。  人間の視界は、昼間でさえも200m先の状態を認識できません。  ですから、高速道路の工事中を示す標識は2kmも手前から表示されるので す。  滝のように降り注ぐ雪と視界を遮るガス(霧)。  タイヤが触れることのできないほど凍結した路面。  薄暗い街路灯。  前方にも後方にも一台の車も見えない高速道路に、進行方向に真横に『停止 』している普通乗用車。  どこかの世界の悪魔が、高性能の計算機を使い『奇跡』を装ってこのタイミ ングを待っていたとしか思えません。  速く逃げたい一心でアクセルを踏み込むのですが、車輪がスリップして全く 思うように動かすことができません。  久保川君も助手席から色々アドバイスしてくれるのですが、車体を進行方向 に向けることすらできませんでした。  運転席で悪戦苦闘している最中、私は左側、すならち高速道路の後方の遠い 地点に微かな光を確認しました。  両眼視力2.0(調子の良いときは3.0くらいはあるかもしれない)を誇る私の 目は、普通の人には見えない光を捉えることができます。  首を左の方向に向けて、恐る恐る地平線の彼方に目を凝らしていた私は、針 のように微かな、しかし、鋭く瞬く一点の光を確認しました。  −−−来た!  距離300m、ヘッドライトの位置と数から、大型トラックが少なくとも2 台と普通乗用車一台の一群。  (規制速度の時速50kmで走っていたとしても・・・)と私はすばやく頭 の中で計算して、絶望的な時間をはじき出します。  (30秒・・・ない!!)  車体の方向転換だけでも大変ですが、時速50kmで突っ込んでくるトラッ クから逃げるためには加速時間も必要になります。  とりあえず残された時間を使って、シビックを潰す覚悟で前方、すなわち路 側帯に突っ込んで衝突させるしかない、と腹をくくったその時、私の心を見抜 いたかの様に、助手席の久保川君が言いました。  「動くな。」  驚いた私は、と言っても彼の方を見る余裕もありませんでしたが、息をのみ ました。  「この状態のままで、あの車はやり過ごせ。」  (本気か?)とも思いましたが、彼が自分の命をかけてギャグをするとも思 えません。  こういう状況になると彼は必ずと言っていいほど、私に冷静な言葉で指示を 与えます(*1)。あれは3年前、走行中にいきなり炎上し始めた車から彼と二人 で脱出した時も、彼は静かに一言『逃げろ。爆発するかも知れない。』とだけ 言い、驚いた私はドアを開けるなり地面を這いながら逃げたものです。  どのみち、30秒足らずでこの状態から脱出できる見込みはなく、そして、 スキー道10年以上のキャリアと雪道運転経験者である彼の言葉に、私は逆ら う気力などどこにも残っていなかったのです。 (*1)江端さんのひとりごと「久保川号炎上!」   http://www.kobore.net/tex/alone95/node17.html  地平線の彼方から吹雪の中を突進してくる光の点は、たちまちボール状の大 きさになり、雪に照らされて光の束となってこちらを射してきます。  私は停車を示すサイドライトを点滅させ、まさに息をひそめてトラックがこ ちらに気がつくのを待つしかありませんでした。  すると、これまで固まっていた光の束が横に広がりました。  2台の車が、走行車線と追越車線の両方に分かれたのです。  (なんてことするんだーー!!)  2台の車がどの程度の距離があるのか、私の位置からははっきりと確認でき ませんでしたが、もし、ほぼ平行に走っていたとしたら・・・。  走行車線側を走っている車は、追越車線に出ることも出来ず、そのままシビ ックに向かって突っ込むしかありません。  このまま行けば、トラックは急ブレーキをかけるが、間に合わずシビックに 激突。  車体をアルミ缶のように潰されたシビックに乗り上げられたトラックは走行 車線側に倒れ込み、走っていたもう一台のトラックに横上方から押しかかり、 そのまま中央分離帯を乗り上げ、対向車線の半分をふさぐ。  そこに上り下りの自動車が次々と突っ込み・・・・。  豪雪時の高速道路の惨事とは、こうやって作られていくものなのです。  トラックの車種が完全に確認できるまで近づき、運転席のトラックの運ちゃ んが驚愕している顔が容易に想像できるところまで近づいてきました。  しかし、一向に減速しない2台のトラック。ヘッドライトの光が直接シビッ クの車体を照らし始めました。  神様っ!   正月とクリスマスと最近では結婚式を除いて、不信心の私でしたが、この時 ばかりは心の中で叫ばずにはいられませんでした。  追越車線に逃げるんだ!  もうすぐ目の前には恐ろしい障害物が立ちふさがっているぞ!   ハンドルを握る手は汗でぐっしょりとなり、私はぎらぎらした目でトラック を睨みつけました。  しかし、ヘッドライトの光は大きくなるだけで、その進行方向が変わる兆し はありません。  だめか−−−!と思った、その時、走行車線で点滅していた光がふっと消え 、追越車線の方に集まり、次の瞬間ゴオォォォと言うエンジン音と、踏みつけ られて飛び上がった雪と、その雪の雪煙で包まれた大型トラック2台とワゴン が、シビックの真横を激しい勢いで通り過ぎて行きました。  ほんの一瞬の出来事でした。  (た、助かったぁ・・)と、極限のプレッシャーから解放されたのもつかの 間、すかさず本多君が「車は来ていないぞ。」と言い、久保川君がお世辞にも 親切とは言えない無愛想な口調で私の運転をこと細かく指示して、私達は悪魔 のターンポイントから脱出することができたのでした。  -----  「制限時速は50kmだぞ。」と言う久保川君を無視して・・・いや、正確 に言うと口が全くきけずに、フロントガラスを凝視してハンドルを握りしめる 私。  「おい、江端・・・速度。」  「・・・・。」  私は相変わらず、ハンドルを握りしめ、何時起こるかも知れないカオス振動 に怯えていました。  「20km以上も・・そんな速度じゃ危ないんだぞ。」  「・・・。」  吹雪と暗黒の闇の中を凝視しながら、私は微動だにしませんでした。  「だから・・、もっと『速く』走れ!!」  その時私は、原付の法定速度以下の速度で、高速道路をのたのたと這ってい たのでした。  ---------  関越自動車道上り方面の全ての車両は、関越トンネル前のサービスエリアに 誘導され、そこでチェーンを『はずす』ように指示されました。  トンネル内には雪は積もっていませんから、そのまま走行するとチェーンが 切れたりして事故が起こることがあるからだそうです。  シビック江端号は、アベニュー河野号と無線機で連絡を取り合い、サービス エリアのトイレの近くに車を停車させて、チェーンを取り外す作業を開始し始 めました。    午前0時近くの、ピンポン状のみぞれのような雪が滝のように流れ落ちる、 氷点下数度の極寒のサービスエリアで、車体を持ち上げるためにきんきんに冷 え切った金属のジャッキを右手に持っただけでも十分気持ちが滅入りました。  ポンチョを着て作業をしていても、ちょっと背をかがんだだけで即座に背中 に雪が積もり、しかもみぞれ状の雪は簡単にポンチョの中に侵入してきます。 みぞれの水たまりが湖のように広がり、運動靴からは水が這い込んで、ぐちょ ぐちょの状態になっています。勿論その水は、足に流れる血液を遮断するほど 冷たい水でした。  さらに悪いことには、風もどんどん強くなってきて、視界の悪い吹雪の中で 、薄暗いナトリウムランプだけが唯一の光源でした。  サウナに入った後の疲労と、魔の270度回転の緊張で、すでに立っている だけでも気の遠くなるような疲れを感じるところへ、全身に氷水をじわじわと かけられるような氷点下でのびしょぬれの路面に這ってでの作業。  泥だらけのタイヤにしがみつき、どす黒く汚れたスプリングに手を這わせ、 なかなか思うように外れないチェーンの金属をはずすために、金属を指に食い 込ませるその痛みは、この世のものとは思えぬ激痛を伴います。  チェーンの脱着作業は、大抵の場合一人でしかできません。  というのは、タイヤにしがみついて手探りでタイヤの裏に手を回すことの出 来る位置にいられるには、一人だけだからです。渾身の力を込めてチェーンを 引き込む作業は、ひたすら孤独です。  気分は、シベリヤ抑留の旧日本軍、八甲田山死の行軍です。  -----  スキーに出かける前に、私は嫁さん『誰かが雪の中でチェーンを付けている ときに、車内で居眠りをしていることがないように。』と釘を指しておきまし た。何も出来なくても、一緒に寒い思いくらいはしなければならないから、と 言うと、『そんなこと当たり前じゃない。』と当然のように言い替えされまし たが。  険しい形相でひたすら無口になって、時折『クソッ!』とか『ちくしょう! 』とか呟きながら、吹雪の中で頭を真っ白にしながら作業する私を、嫁さんと 嫁さんの友人は、怖いものを見るように、遠巻きに眺めていました。  -----  しかし、私を徹底的に絶望的な気分にさせたのは−−−  関越トンネルを抜けた後、再びチェーンを『装着』しなければならない事実 でした。  普通、関越トンネルを抜けると積雪がなくなり、そのまま一路東京へ、と言 うことになるのですが、その日は記録的な豪雪で、沼田ICまでチェーン規制 がかかったままだったのです。  不運としか言いようがありません。  「じゃあ何か?もう一度装着して、さらにもう一度脱着しなければならない のか。3回も? この寒さと吹雪の中でか!?」  私は回りの人間に当たり散らしていました。  -----  河野号のドライバー、河野君はスキーの当日風邪を引いていました。  スキーヤーの間で普通に知られている神話の一つに『風邪を引いたらスキー に行け。』と言うのがあります。  この神話はかなり信憑性が高く、私の場合、風邪の治癒率は100%です。  心理的な効果の他に、汗による解熱が良い効果を生むのだと思います。  これは嫁さんに教えて貰った話ですが、嫁さんが風邪を引いた時、行きつけ のお医者さんから『空気が澄んでいて喉や鼻にとてもいいから、スキーに行き なさい』と言われたそうです。本当の話です。  ですが、新雪スキーで大暴走の後、サウナに1時間半。交通規制のかかった 高速道路の雪道運転に、さらに深夜の氷点下の吹雪の中での肉体労働。しかも 3回。  遠目に見ても、彼の形相が疲労で困憊し青白くなっているのは簡単に分かり ました。誰もが彼の倒れる時がそんなに遠くないと思い、心の底から気の毒だ と思いました。  でも、誰も彼の運転を代わることを言い出す人は、終ぞ誰もいなかったそう です。  薄情な同乗者達です。  -----  私は、雪がこびりついたままで取り外したばかりのチェーンやジャッキを乱 暴に助手席の足下に投げ込むと、靴を脱ぎ靴下をエアコンの風気口にぶら下げ て、温風のスイッチを最大にします。  私の白い靴下は、靴の色に染められて黄色とも紫とも言えない不気味な色と 模様で汚染されていました。  車内は猛烈な湿気と靴下の独特な臭いで満たされ、私の中にある不快指数の メータは軽く振り切れていした。  そして、この異臭を放つ靴下と、内部まで完全にびしょびしょの靴を、あと 『2回』履いて−−−異臭を放つ濡れた靴下や、靴底に水の滞った靴を履き直 す、と言う苦痛がどれほどのものであるかは分かっていただけるかと思います が−−−、吹雪の中でチェーンの装着と脱着の作業をするのかと思うと、私は 心底やりきれない気持ちになりました。  このようなやりきれない事体に加え、2回目のチェーン装着の時に、河野君 はチェーンを『裏返し』に装着すると言う考えもおよばないことをしでかして しまいます。  ですから、私達は装着したチェーンをもう一度脱着するという作業を余儀な くされました。  この時、河野君だけでなく誰もが脊髄反射で作業を行い、大脳で考えること は全く出来なかったのだと思います。  むしろあの時は、全員が異様な高揚状態にあり、男たちがチェーンにしがみ つき、薄ら笑いを浮かべながら、タイヤをブッ叩きチェーンを引きちぎらんと ばかりに、彼の車の車輪に飛びついて行きました。  誰一人として彼を責めたりはせず、チェーンを外し終えたときには、全員が (おおおおお!やったぜぇぇぇ!!)と言う感じで盛り上がっていました。  疲労が極限に至りハイ状態になった私達は、すでに「あっち」側の住人とな っていたのでした。  -----  我々の『楽々スキーwith江端ビール』は、参加者全員が吹雪の中で震えなが ら地面に這い蹲り、油と泥にまみれ、両手を擦り傷だらけにし、全身をびしょ 濡れにし、そうして体力の最期の一滴までを使い果たし、東京、横浜、川崎に あるそれぞれの家に帰ってきました。  今でも全員が無事に生きて帰れたことが不思議なくらいでした。  (一人くらいは死ぬんじゃないかな。)と考えていましたが、どうやら良い 方向に期待が外れたようです。  しかし、その後、嫁さんの友人美代子嬢は、河野号の車の中に化粧セットの ポーチを忘れ、(シ研)川崎ラボラトリから、日立美しが丘寮、ベルメゾン柿 生のリレーを経て、3日後の火曜日にようやく本人の手元に戻りました。  久保川君は、江端号の中に、全財産と十数枚にも及ぶクレジットカードの入 った財布を忘れ、次の日曜日の夕方、弁当を買うことも出来ぬまま、ベルメゾ ン柿生の江端家に2時間近くかけてやってこなければなりませんでした。  そして、風邪をひいていた河野君はと言えば、−−−メールを出しても全然 返事が来ないので不審に思っていたのですが−−−本格的に風邪をこじらせて 、ついに自宅で倒れたそうです。  ---------  スキー道とは、誠に奥が深いものです。  単にスキー技術だけにあらず、極限の苦難を体験しそれを乗り越えて日常に 帰ってくると言うサバイバルゲームであり、便利至上主義で支配された現代の 私達に、大自然の驚異に驚き怯え、その中で人間の無力さや小ささを感じさて くれるものです。  そして、生命の安全を保障された現代社会に、今一度注意を呼び起こさせて くれるものであり、また生きていることのすばらしさを感じさせてくれるもの です。  本当に、スキーは素敵です。  しかし、そんな私の心に入り込みずしんと重くのしかかる彼の言葉が、スキ ーシーズンを終わった今でさえ、私の胸に去来します。  −−−−日立の『楽々スキー』って何なの?  何なんだろう?  本当に何なんだろう?   そもそも、日立の『楽々』とは一体何なんだろう?  日立とは−−−、  ソフトウェアの開発を『楽』にする仕組みを作るために残業を繰り返し、開 発の進捗が遅れると言っては、どんどん人を投入してさらに面倒を広げていく 不思議な会社。  『ゆとりのある生活』を実現するために、組合の本部で残業を繰り返す組合 幹部のいる会社。  「ピンポンポンポン・・・今日は、ノー残業デーです。皆さん、業務を終え て早く帰りましょう。」と言う放送と共に部内会議を始める課のある会社で、 さらにその反撃として、メインコンピュータの電源をたたき落とすということ までして、社員を家に帰らせようとする会社です。  今回のスキーは、確かに不運の重なったイベントとなりました。  これが私達の性格によるものか、日立社員としてのキャラクターを露呈した ものであるのか、私にはわかりません。  しかし、確実に言えることは、私達は来年もまた同じ様な愚を犯してでもス キーに出かけるでしょう。  私達は全然懲りていないのです。  日立の社員にとっての『楽々』とは一体何なんだろう?  私は今でもそれを考え続けています。  ----  江端号が反転したその日。  『愛』について完全な悟りを開いたと言われる「愛の永久機関」江端智一が 、スキーという非日常を体験し、次なる挑戦『日立とは何か』『日立にとって 「楽々」とは何か』を考えはじめた、まさにその日となったのです。         江端さんのひとりごと「江端号、反転!」                 完   (本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。) 〜〜〜〜 E-mail:See http://www.kobore.net/mailAddress.gif 〜〜〜〜〜 (If you would like to enjoy your life, send message "subscribe kobore" to majordomo@iijnet.or.jp .)