江端さんのひとりごと            「江端号、反転!」(前編)  京都の大学在学時代にスキーを始めた私にとって、スキーとは年に3度ある かないかの大きいイベントでした。  冷え込みの厳しい冬の夜、スキー板とスキーバックをずるずる引っ張って、 京都駅八条口に集合。冷え冷えと冷え込み、人通りもすっかりなくなった午後 10時、スキーのツアーバスに乗り込みます。スキーバスの中は、温度が暑す ぎたり寒すぎたり、決して乗り心地の良いとは言えません。  うつらうつらしながら、時折目を覚まして窓を見ると、薄暗い高速道路に降 りしきる雪と、疲労し尽くした顔が映り、『なんで、こんなしんどいことして いるんだろうなぁ・・・』と自問自答したりしたものです。  少し深い眠りの後、まぶしい光で無理矢理目を覚まされて、眠い目を擦りな がら窓を見ると、圧倒的な真っ白な光の圧力で全身が押しつぶされそうな錯覚 とともに、視界一杯に広がる雪の光景と、その間にわずかに見える針葉樹林の 一群。朝日に反射して、きらきらと輝きながらゆっくりと落ちてくる新しい雪 。時折、重みに耐えられなくなって枝からばさっと落ちてくる雪が、次々と別 の雪を巻き込んで落ちてきて、雪煙がたちあがります。  その風景を一目見た時から、疲れや後悔の気持ちは心の中から消えて行きま す。  そして次の瞬間、スキー場の最高地点に雄々しく立ち、厳しい目で雪質の状 態をチェックしている私が、くっきりと見えてくるのです。  -----  関西からは、概ね2泊3日くらいの大きなイベントととなるスキーツアーで すが、「日帰りスキー」なる考え方が無かったわけではありません。  関西からの日帰りスキーとは、自家用車を使って「午後9時出発、翌日午前 8時到着、同日午後6時出発、翌日午前3時到着」と言う、総計30時間あま りの「超」強行軍を意味しました。  当然、最低3人の人間が交代しながら運転を繰り返し、絶望的な疲労困憊の の中でこのイベントは実施されることになります。  体力と休暇に恵まれる学生以外に、このような狂気のイベントを行うことな ど出来るわけがありません(が、こういう社会人の友人を、私は少なくとも3 人知っているのだが)。  当時、私は運転免許を持っていながら、自家用車を所有していなかったため 、それらのイベントではいつでも「お客さん」状態で、殆ど運転することなど ありませんでした。  当然、友達が苦労しながらチェーンを付けているときに、いびきをかいて眠 っていたそうですし(寝付きが良くなるようにと、小瓶のウイスキーを飲んで いた記憶もある)、雪道の運転などは終ぞすることはありませんでした。  運転はしない、チェーンは付けない、スキー場では元気に滑りまくり、車の 中ではひたすら眠り続ける仁義無きスキーヤーとして学生時代には随分友人達 の顰蹙を買ったものでした。  ---------  ところで、関東エリアでのスキー場は、大きく分けて「中央道沿線」「関越 道沿線」に分かれます。  「中央道沿線」ではスキー場は、江端さんのアパートから3時間以内にお手 軽に到着することが出来るのですが、都心部に近いと言うこともあり『雪質』 に問題があります。雪が堅いんです。  その点「関越道沿線」のスキー場は、雪も柔らかでうまくいけば極上のパウ ダースノーの中で、雲の中で滑っているような心地よいスキーを楽しむことが 出来ます。だけど、私のアパートからは遠いし、おまけにチェーンの着装が不 可欠で、高速道路の雪道運転には神経を使います。  日立製作所システム開発研究所のスキー同好会では、12月から4月までの 毎月、所員にスキーイベントの提供を行っています。  今年1月のイベントを担当した同好会会長である吉川さんが、『江端・・・ 俺はもうダメだ・・・後を頼む・・』と電子メールで言い残して、入社以来の 風邪で倒れたのは、イベント実施2日前でした。  「倒れるなら、もっと早く倒れてくれればいいのに・・・」と、ぶつぶつ言 いながら、しぶしぶ幹事代行を引き受けた私は、出発前日になって企画の調整 を開始しました。  こう言う場面では、電子メールは非常に便利なものでして、一度に、しかも 簡単にイベント参加者全員にメールを送れるので、前日になって目的地を決め るなどと言う無謀なことも、比較的簡単にできるのです。  しかしながら、今思えばこの電子メールの便利さが「あだ」となったとしか 思えません。  この電子メールの宛先リストの中には、学生時代からの私のスキーの師匠で あり、年間総滑走日数30日以上、そしてその滑走日数の殆どを海外のスキー 場で過ごすというスキーフリークである野村総合研究所の久保川君(*1)と、病 的なまでに新雪を求め、腰までつかろうかという深い新雪の中を大爆笑しなが ら滑り降り、間違いなく新雪にエクスタシー、あるいは常軌を逸した偏向的な 愛を注いでいるとしか考えられない、新雪フリークの101ユニットの河野君 が入っていました。  「中央道沿いのスキー場」で最期の詰めに入っていた私の企画を、土壇場で ひっくり返したのが、この二人のスキーフリーク達でした。  『断固として、新雪のある関越道沿いのスキー場に行くべきである!』と言 い張る二人に対して、私は「二人で企画を詰めて、後でみんなに発表しておい てくれ。」と電子メールに書き残して、後は彼らに任せることにしました。 (*1) 江端さんのひとりごと「久保川号炎上!」参照  幹事の吉川さんによって「らくらくスキー with えばたビール」と名付けら れた今回のイベントは、朝出発→昼からスキー→夜到着と言う、無理をしない 半日スキーと、アフタースキーに江端の手作りビール(*2)を楽しもうと言う、 「大人のスキー」をコンセプトとしたエンジョイスキーを目的としていました 。  翌朝の7:30分、嫁さんと嫁さんの友人を含む総勢7人、2台の車は、お 互いにアマチュア無線で連絡を取りながら、関越道沿いの「神立高原スキー場 」に向かいました。  今回はテストケースとして、青梅街道から圏央道を経て関越自動車道にアク セスすると言う手段を採用したのですが、これは完全に裏目に出ました。特に 道路が渋滞していたと言うわけでもないのですが、とにかく青梅街道は信号が 多くて、関越自動車道に入るまでに2時間半もかかってしまいました。  関越へのアクセスは、東名高速−首都高速の利用をお勧めします。 (*2) 江端さんのひとりごと「おいしいお酒のつくりかた」参照  スキーヤーにとっての最初の試練は、関越トンネルです。ここでスキーヤー 達は車のタイヤにチェーンを装着せねばなりません。最近はチェーンの高機能 化によって装着はかなり簡単になってきたとは言え、面倒で重労働であること にはかわりはありません。  -----  関越トンネルと言えば・・・  一昨年前、関東地区が大雪になったとき、関越自動車道は関越トンネルより もかなり前のサービスエリアでチェーン規制がかかったことがあります。その 時は、河野君と当時同じ課であった本多君の3人でチェーンの取りつけを行っ ていたのですが、ピンポン大の雪が空気抵抗を無視したかのような勢いで落ち てくる様な恐ろしい大雪で、かがんでいるだけで背中に積雪してしまう程でし た。当然チェーン着装は難航しましたが、男3人が束になってかかれば大した 仕事ではありませんでした。  その時、我々から10メートルほど離れたところに、赤い軽自動車を困惑し たように取り囲むカラフルなスキージャケットを着こなした可愛い系の女の子 が3人。その中の一人の女の子は、ジャッキをあげるためのL型の金具をうま く回せずに、手を滑らしていました。残りの二人は、不安げな表情できょろき ょろしながら回りを見渡していました。  明らかに「今回が最初のチェーンで〜す。」と言う、そのぎこちない手つき は、回りの若い男共の下心と同情を誘うのには十分でした。  私は、ちらっと河野君と本多君を見ました。  彼らも、私を見ました。  我々は、お互いに微かに肩をすくめました。  そして、我々は申し合わせたように自動車の座席に滑り込むと、同時に3つ のドアを閉めて、勢いよく高速道路の車線へ飛び出していきました。   そうです。  我々3人は、赤いダイハツ・ミラでスキーにやってきた可愛い系の彼女たち を、豪雪のサービスエリアに見捨ててきたのです。  『チェーンの装着もできぬ人間に、スキーをやる資格なし。』  私は腕組みをしながら、フロントガラスにぶつかってくる雪を見つめていま した。  あの時の私(あるいは私達)には、一片の後悔もありませんでした。  それから2年の歳月が流れましたが、やはり後悔はありません。  彼女たちが、あれに懲りてスキーをやめてしまったのであれば、それもまた 一つの道であり、チェーンの着装方式を学んだのであれば、それもまた一つの 道です。  また、男−−行きも帰りも黙って運転をし続けて、雪の中で喜んでチェーン の取り付けをやり、『すごーい、どうしてこんなに速くチェーンをつけれるの ?』と言う言葉を与えるだけで簡単に喜んで幸せになれる−−そういう単純な 男を調達できるようになったのであれば、それはそれで最も素晴らしい一つの スキー道と言えましょう。 〜〜〜〜 E-mail:See http://www.kobore.net/mailAddress.gif 〜〜〜〜〜 (If you would like to enjoy your life, send message "subscribe kobore" to majordomo@iijnet.or.jp .)