江端さんのひとりごと          「サンクチュアリ オブ エルカン」  事は先週の金曜日の夜に遡ります。  夜の10時を過ぎて、食後のオレンジを嫁さんと食べていたときのことで す。 突然電話がかかってきて、嫁さんがコードレスの受話器を受け取りました 。嫁さんは、ころころ笑いながら楽しげに談笑しているので、『ああ、銀行 (*1)の友人からだな。』と思いつつ、私は浴室に手を洗いに行きました。  浴室の中でも嫁さんの楽しげな声が聞こえ、『こっち(川崎)では友達も いなくて寂しいだろうからなあ。』と、嫁さんが可哀想に思えてきました。  浴室から出てくると、嫁さんが私の方に受話器を差し出していましたので 、私が受話器を受け取って『誰?』と尋ねると、彼女は軽い調子で応えて言 いました。  「エルカン。」   (*1) 嫁さんは、結婚前に大阪の銀行に勤めていた。  ---------  エルカンが、どういう理由で酔っぱらった時に限って江端家に電話してく るのかよく分かりませんが、今回もまた、  『おいっ、江端!貴様!!俺は別におまえなんかに用はないんだが、電話 をかけてやったぜ!!』  と、訳の分からないことを、ろれつの回らない口調でしゃべっていました 。  しかし、エルカンのその泥酔した醜態は、嫁さんが「エルカンの部屋に行 きたい。」と言い出した時、一瞬にして消え去ったのでありました。  江端家は、サンヨーのテブラコードレスと言う、受話器を手放したままで 話が出来る電話機を購入していたので、通常エルカンと電話するときは嫁さ んを含めて3人で会話をしています。  『いや、ちょっと・・・・それは、待て。』と言うエルカンのうろたえぶ りは、いきなり酔いが覚めたと言わんばかりの、泥酔状態をみじんも感じさ せない、真剣そのものの声でありました。 エルカン:「総じて、独身男性の部屋は、想像を絶するほど汚いものなのだ       。」 嫁さん :「だから見たいの!!」 エルカン:「し、しかし、この部屋は未だかつて女性を入れたことのない、       女人禁制の部屋であるし・・・。」 嫁さん :「じゃ、私が最初ね。うれしいな。」 エルカン:「・・・・。」  私は、嫁さんの横顔を眺めながら、おそらくエルカンが考えていたことと 、全く同じ事を考えていたと思います。  (・・・・・強い。強すぎる。)  私は心の中で呟かずにはいられませんでした。 ---------  この後、私が「まあまあ、エルカン。彼女一人を部屋に行かせる訳じゃあ りませんし・・・」と宥めると、エルカンは「あたりまえじゃ!!」と、私 を一喝しました。  そんな訳で、私はエルカンを含めて3人で湯河原の露天風呂に入浴して、 その後にエルカンの家でご飯を食べる、と言う計画を立案し、休日出勤する 予定だったエルカンを強制的に連れ出す事になったのでありました。 ------------------  翌日正午、エルカンに電話するしたのですが、何度電話しても話し中のコ ールが返ってきました。最初は『牧さんでも呼んで、対策を協議しているの だな。』と思ったのですがあまりにも繋がらないので、114に電話して調 べてもらったら受話器が外れているとのこと。  (昨日の夜、酔って受話器を握ったままで寝たな・・・・。)  114から、エルカンの電話に注意信号を送って貰い、エルカンをたたき 起こすことに成功しました。  その後、私たちは簡単に昼食を済ませると、CDを抱えてシビックに乗り こみました。 ---------  東名自動車道路から厚木小田原自動車道を、こわばった顔の嫁さんがフロ ントガラスを凝視しながら、時速120kmの速度で飛ばしています。彼女 の手を取ってみると、掌が汗でびっしょりになっています。 江端:「いや、あのね。恐かったら速度落としていいんだからね。」 と言いながら、私もシートベルトを握り締めていました。彼女は、前を凝視 しながら小さくうなずいています。  彼女は、10年来のペーパードライバで、10年前に一度父上を助手席に乗 せて運転して時に、父上から運転席に座ることを禁じられたという経歴を持 ちます。  突然、前方を凝視している彼女が鋭く私に聞きます。 嫁さん:「ねえっ!今、追い越し車線に出ていいの!?」 江端 :「ちょ、ちょ、ちょっと待ったぁ!」  と私は叫びながら、後ろを振り向き、追い上げてくる追い越し車線の車の 距離を確認した後、 江端 :「まだだ! あの車が出た次にすぐでるからね!」  と応えます。 嫁さん:「どの車!?見えないよ〜!」 エバタ:「今、バックミラーの死角に入っているからっ!、よし、3秒前。      方向指示器を出して!今すぐ出すっ!!よし、今だ!!」  右から頭部を『がくっ』と突き飛ばされたような感触とともに、まるで反 復横飛びをしたような感じでシビックが追い越し車線に入りました。  と、思いきや、次の瞬間、彼女は中央分離帯にぶつかりそうになるのを避 けようとして急激に左にハンドルを切った為、今度は左から頬を叩かれるよ うな衝撃と共に、頭が右に『かくっ』とひん曲がり、首に鈍い痛みが走りま した。  追い越し車線に入って走行が安定したところで、私は首筋をそろそろと撫 でながら、彼女に言いました。 江端:「うん・・、まあ、その・・なんだな。『なかなか迅速な車線変更』     、と言う意味では、とても良い運転だったんじゃないかなぁ。」  と言いつつも、 江端:「今度は、もう少しハンドルの操作をゆっくりしてやってみようね。     」  と付け加えることだけは忘れませんでした。  そうして追い越し車線を走っているうちに、シビックがどんどん走行車線 の方に入ってきて、走行車線を走っている車の走行を妨げるようになってき ました。 江端 :「ちょ、ちょい! もっと右側を走って!! シビックが走行車線      に半分入っているよ。」 嫁さん:「でも、ここ(追い越し車線)では、速度が落とせないし、中央分      離帯がすぐ近くにあって・・・・、きゃぁ〜〜〜恐い恐い恐い恐      い!」  (恐いのは、こっち!!)と言いそうになるのをぐっと押さえ、シートで 伸びをして、あくびまでして見せると言う振りまでしていた、いじらしい私 でした。 嫁さん:「ねえ!、今、走行車線に戻っていい!?」  と言い出した嫁さんのために、後ろを振り向いて車を確認し、再び私たち 夫婦は、応答確認のために、大声の応酬を始めるのでありました。 ---------  JR小田原駅の隣の駅、鴨宮駅で待っていたエルカンは、後部座席に乗っ て10秒も経たないうちに、嫁さんとの挨拶で見せた温厚な社交的態度を完 全に失い、顔は引きつり、脅え、青ざめ、生唾をのむ音まで聞こえてきそう でした。  しかし、さすがの私もこの時ばかりはエルカンを『軟弱者!』と罵る事は できませんでした。  左方から直進してくる車(しかもそちらが優先道路)に注意を払うことな く、停止線を突っ切って走り続け、しかもすんでのところで衝突しそうにな れば、どのような剛の者でも脅えるのは仕方ないと言えるでしょう。  後にエルカンは、『ただ車に乗っていただけなのに、やけに体力を消耗し たような・・・』とコメントしています。  この後私たち3人は、湯河原の日帰り客専用の温泉に入り、夕方日の暮れ る前に、再び鴨宮駅に帰ってきました。  私たちは3人分のお寿司を買って、いよいよエルカンの下宿に向かう事に なりました。 ------------------  エルカン宅に執拗に入ろうとする私たちのことを、エルカンは「秘境探検 隊が、幻の珍獣を求めているようなもの。」と言います。  エルカンの部屋は2DK風呂付きと言う、住宅事情の著しく悪い我が国の 一人暮らしにしては、あまりに贅沢な住居です。2階建て、4つの住居が入 っている建物は、まだ外装が白く、美しい感じすらします。  2階にあがる途中の階段で、美味しそうな味噌汁の匂いがしてきました。 「子供の泣き声がうるさくて。」と言いながら、エルカンは玄関の扉を開け ました。  嫁さんはエルカンの家に入るのは初めてでしたが、私は何度も来ていまし た。  それでも、2年ぶりに見たエルカンの家の中は、  ・・・・何も変わっていない。  軽く8畳はあろうかという、フローリングのダイニングには、無造作に新 聞や雑誌、そしてゴミと化した段ボールがつまれていているだけでした。  あの段ボールは、確かに2年前にもあの位置にありました。冷蔵庫も2年 前と同じものですが、この調子では冷蔵庫の中に、2年前の食料を見つける 事も可能かも知れません。私は冷蔵庫を開けませんでした。  フローリングの床の上を歩くと、心なし足の裏がべたべたするのですが、 極力無視するようにして感じをなるべく気にしないようにして、キッチンの 方を覗くと・・・やはり、相変わらずガスコンロも、何もない。なにしろ、 このキッチンには照明器具がない。  キッチンの零れ灯で玄関が照らされるような状態は、確かに我が家でもす ることはありますが、玄関の電灯の零れ灯で、運用されるキッチンと言うの は、世界的に見てもかなり珍しい文化に属するのでははないでしょうか。  洗い場の方を見ると、包丁やボールが詰れているだけでした。妙に懐かし く見慣れた、それでいて不気味な光景です。多分、この洗い場で洗われたも のは、私が2年前に焼き肉をやったときに洗ったキャベツが最後のものなの でしょう。  (あ、でも昨日、会社の友人と焼き肉やったっていっていたなあ。)と、 ふと床の上を見ると、無造作に放置されたホットプレートの表面には、鈍い 茶色のささくれだった焼きそばの残骸が、まるで焼き魚の骨の残飯のように こびり付いていました。  『台所はその家の顔』とは誰が言ったのかしりませんが、うまい事をいっ たものです。  この広々としたキッチンを支配しているのは、辛気臭い薄暗い雰囲気。そ して、厚さ数ミリに堆積した埃から想像され得る、その家の顔とは・・、ま さにエルカンが自ら称するように「完全無欠のやる気のなさ」でした。  と、嫁さんの方を見ると、まるで吊り橋を渡ってくるかのように、私の後 をつけて歩いてきます。秘境を探検する隊員が、隊長の背中についてくるよ うな足さばき。  「掃除機はどこにあるの。」と尋ねる嫁さんに、エルカンは床の上に落ち ている「ほうき」を指差しました。  エルカンに案内されて、6畳の居間に案内された時、私は感銘を受けまし た。  女性が来るというのに、この惨状。  さすがは私が師と崇めただけの人のことはあります。  布団は、広い部屋の1畳半を使って、粗大ゴミのように無造作に詰れてい るだけ。床の間の差の部分には、いくつもの服がハンガーにかかってぶら下 がっています。なにしろ、この家には、たんす、洋服入れ、その他ありとあ らゆる『収納』の概念がありません。そして本来、壷や掛け軸があるはずの 床の間には、段ボール箱が、ドンドンドンと3つ。  その真ん中の段ボール箱には、エルカンの新鮮な使用済み靴下とパンツが 、私たちの方を向いて、無防備な状態で晒されています。  (立派だ・・。男とは、かくありたものだ・・・・。)  私は、込み上げてくる感動を押さえ切れませんでした。  壁から天井にかけては、埃ともクモの巣とも判断の付きかねる、埃のよう なものが糸状になったものが無数に張り巡らされ、壁の色を『アンチック』 といえば言えるような状態に装飾していました。 ---------  エルカンは、テーブルを引っ張り出してきて、部屋の真ん中に置き、私た ちに座るように言いました。  食事を始める前に、エルカンが一昨日前全力で掃除をした、と言うお風呂 を見せてもらいました。  嫁さんは、浴槽を一目見て「何これ?」と驚いた様子でした。 嫁さん :「どうしてタイルの目路が、こんなに黒いの?お風呂も、黒い帯       のが張り付いているし・・・・。」 エルカン:「でもなあ、一時間もかけて一生懸命、たわしで擦りまくったん       だぞ。何しろ3ヶ月ぶりの掃除だったから。」 嫁さん :「3ヶ月!!どうして?!」 エルカンは、不思議そうな顔をして応えました。 エルカン:「だって・・・・そういうものだろう?」 嫁さん :「信じられない〜〜。毎日に決まっているでしょ!」 エルカン:「毎日?そんな毎日やっていたら大変じゃないか!!」  そこで、江端家当主にして、江端家風呂掃除担当者は言いました。  江端 :「・・・エルカン、毎日掃除していれば、数分で済みますよ。」  エルカンは、そこで初めて気が付いた、と言う風な声で叫びました。 エルカン:「そうか!毎日掃除をすればいいのか!そうだったのか!!」  エルカンの声は大きく、心持ち甲高かったと覚えています。  その側で、嫁さんが垢で黒くなった洗面器を指差して、ころころ笑ってい ました。 ---------  テーブルの上に買ってきたお寿司をおき、エルカンが昨日の宴会であまっ た発泡スチロールのお皿で、3人で食べはじめました。私は帰りの運転を嫁 さんに任せる事に決めて、エルカンと一緒にビールを飲み始めてしまいまし た。 エルカン:「江端ぁ〜。本当にいいのかぁ。柿生(*3)に帰れるんだろうなぁ       。」  江端 :「まあねぇ、二人一緒ならどこに行ってもいいですよ〜。」 と、とりあえずのろけて見せる私でありました。 (*3) 川崎市麻生区上麻生432 ベルメゾン柿生102号室  そのうち、当然の成り行きとして、「なぜエルカンは結婚をしないのか? 」と言う話になりました。 エルカン:「ま、モチベーション(*4)がないからな。」  江端 :「モチベーションねえ・・・。」 嫁さん :「大阪の方なら、いい子がいっぱいいるのだけどねえ。こっちに       は知り合いが少ないからねぇ。」 (*4)動機、ある行動に対する根拠  その後、エルカンと嫁さんは「男らしさ」とは何かについて、結構激しく 意見のやり取りをしていました。論理的に批判調で展開していくエルカンに 対して、あえてステレオタイプ的な意見で応酬する嫁さんは、なかなか良い 取り合わせではないかいな、と、ビールを飲みながら微笑ましく二人を眺め ている江端さんでありました。  私たちはその時、隣の部屋にあるテレビを見ていたのですが、その部屋は フローリングの6畳の居間で、そこには、---それはほとんど信じられない光 景ですが---、パソコンとテレビと、すう十冊の本の束だけが、床に直に、 ぽつんぽつんと無造作に置かれ、それらのオブジェクトの合間にはうっすら とした埃の層だけがありました。  その光景は、まるで山頂から見下ろしたときに、眼下にたなびく雲の間か ら垣間見える山脈の稜線そのものです。  そうです。この部屋が単なる物置に使われているのは一目瞭然でした。  確かに、ここ小田原では都心部と違ってそれほど深刻でないとは言え、こ の住宅難の日本においてこのような空間の占拠が許されてもいいものでしょ うか。 ---------  そして、嫁さんがトイレを覗いたとき、嫁さんは驚愕の叫び声を発しまし た。 「なに〜〜、これ〜〜、どうしたらこんな状態になるの〜〜!!」  エルカンが、このトイレに関して相当な時間をかけて掃除をしたというの は、私にもわかりました。トイレ部屋は、一応きちんと掃除がされ片付いて いましたが、嫁さんが(勿論私も)驚いたのは便器でした。  洋式便器の底の方に、水流方向に流線形に描かれる無数の茶色の筋は、ま るで空間をひん曲げ光子さえ吸い込むブラックホールの様でした。  茶色に着色されるまでに放置された便器。  どんなに掃除をしても落ちないまでに沈着した、その「物体」とは・・。  (よせ!考えるのを止めるんだ!!)と心の中で叫び、私は思考を停止さ せました。  インドや中国のすさまじい便所で鍛えられた私ですらショックを受けたの です。「ベージュ」か「ホワイト」と言う、便器の概念を打ち砕くそのオブ ジェクトは、私たち夫婦の脳裏に焼き付き、一生離れる事はないでしょう。 ------------------------------------  そこそこに時間が経ち、お寿司も大方食べきって、ビールも全部開けてし まった頃になると、私も『高速運転指導』の疲れが出てきたのか、私は瞼が 少し重くなってきました。  私は、エルカンが出してくれた高価な大吟醸をあおりながら、私はぼんや りと学生時代のことを考えていました。  『まだ10年も経っていないんだなぁ・・・・。』  ずいぶん遠くに、エルカンと嫁さんの会話が聞こえます。  学生の頃には、私もこんな部屋に、・・・いや、もっともっと小さくて汚 い下宿に住んでいました。トイレ、風呂、台所は共用で、大屋さんが時々掃 除をしに来るだけで、夏はサウナのように暑く、冬は部屋の中の水が凍る事 がありました。  隣の部屋の住人が彼女を連れてくると、その夜は薄い壁から、楽しげで、 そのうち悩ましげな声が聞こえてきたものです。  最初のうちはびっくりしましたけど、そのうち、にっこりと微笑みながら 『頑張れよ。幸せになれよ。僕は応援しているからな。』と呟いて、電子工 学実験のレポートを書いているようになった私でした。  授業料稼ぎで、毎日が学習塾のアルバイトで、アルバイトが終わってから もう一度大学に戻って、研究室でプログラムのデバッグをしていました。  学会宛ての論文を書き終えた日は、奮発して「餃子の王将」でニラレバ丼 に、餃子2人前とエビスビールをつけるという贅沢もしました。  3日分のつもりで作ったカレーを一日で食べてしまい落ち込み、その後異 様な匂いが漂い出すまで、カレーの鍋をテーブルに放置し続けました。  コピーしていたIEEEの論文で鼻をかんだし、長い間探していた参考書を見 つけ、衝動買いして夕食を抜いたこともありますし、プログラムリストを掛 け布団にして寝たこともあります。  何時でも、貧しかったし、眠かったし、忙しかった。  だけど、何でも美味しかったし、だれもが優しかった。  だから、いつでも心だけは『王様』だった。  今では、なりたかったエンジニアになり、毎日仕事をしています。曲がり なりにも社会人として認められ、自分自身もそのように振る舞って生きてい ます。好きだった女性と結婚する事もできました。  いずれ子供を作り、育て、送り出し、そして、二人とも老い、どちらかが どちらかの死に目に会い、そして死んでいくのでしょう。  私は、そういう人生を生きたいと思います。  でも、・・時々、それは本当に時々ですが・・ (あの『王様』の日々に戻りたい!!)と、巻き起こる切実な想いに心がか き乱される事があります。  そこには、どのような人であれ干渉を許さず、自分の思う通りにわがまま に振る舞い、それをやさしく許して貰っていた日々がありました。  ここ ----- この小田原のエルカンの非日常的・・、いや、もはや非文 化的、あるいは反社会的といって過言ではない『この部屋』こそが、まさに あの泣きたいほどに懐かしい、自分だけの王国であり、王様が住まわしむ「 聖なる間」なのです。  (そう、ここは「聖域」なのだ。−−−エルカンの聖域・・・・、サンク チュアリ、・・サンクチュアリ オブ エルカン)    私は、泥酔して混沌となってきた頭をゆっくり振って、天井にかかってい るクモの巣状の埃をぼんやりと眺めながら、そっと心の中で呟き、そして、 そのまま顔から、手と足を広げて畳の上にうつ伏せに倒れ込んでしまいまし た。  その時、『江端ぁ・・貴様ぁ、人の家で寝るんじゃねえ〜。』と言うエル カンの声を、聞いたような気がします。  学生の頃、私は、友人の下宿で酔っ払うと、一番先につぶれて次の日には 簡単に風邪をひいてしまいましたので、こんな時には、友人達に乱暴に足で 蹴られながら起こされたものです。  (あれは何よりも優しい暖かい『蹴り』やりだったなぁ)、と思い起こし つつ、埃の匂いを感じながら、エルカンの部屋の畳にうつぶせ続けたのであ りました。 (本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)