TPPとWTO… 矛盾した国際条約が成り立つ“ぶっとんだ”カラクリ

かつて日本にもあった?外国技術を“マネ”するという国家戦略

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 こんにちは、江端智一です。

 2011年11月11日に、野田佳彦首相がTPP交渉に入ると宣言してから約1年になりますね。ご存じの通り、TPPとは「環太平洋戦略的経済連携協定」の英語の頭文字3つを並べたもので、その目的は色々と言われていますが、加盟国間(現在9カ国)での関税をすべてなくしてしまうことです。

 関税とは、要するに、「ショバ代」です。「おうおう、うちのシマ(国)でモノ売ろうってなら、それなりに筋を通してもらわねえとなぁ」と凄まれて、しぶしぶ払うお金のことです。つまり、ある国に商品を持ち込んで商売する場合には、輸送費に加えて、この関税――ショバ代が必要になるわけです。(言うまでもありませんが、この「ショバ代」はあくまで例えです。関税はその国の法律で規定され、その国の政府が運用しているので、別に各国のギャング<暴力団>が仕切っているわけではありません)

 さて、この「ショバ代」は、当然、その組……ではなくて、その国の利益となるのですが、必ずしもお金が欲しくてやっているわけではありません。

 むしろ、お金よりも自分のシマ(国)を守るためです。例えば、自分の組が焼きイカを中心に生計を立てているところに、他の国が焼きイカの屋台で自分のシマに入ってきたらどうなるか? そりゃ、「仁義を切っていない」ってんで、たちまち抗争になってしまいます。

 ですが、国家間において、そんな頻繁に戦争をやるわけにはいきません。戦争をやらずに他の組に引き取ってもらうには、「そのシマで商売すると損になる」という程度にまで、ショバ代を上げてやればよいのです。こうすれば、他の組は自分の組のシマには入ってこられないことになります。TPPとは、太平洋に接した国同士では、この「ショバ代」制度を全部取りやめてしまおう、という試みです。

 TPPに賛成している人は、「これで、他の組のショバでうちのシノギ(売上)が上がるぜ」と言っており、TPPに反対している人は「他の組のやつらが、うちらのシノギを喰いに来やがるぞ」と言っているわけです。乱暴にまとめると、TPPに賛成している人のシノギは「自動車の製造と販売」で、TPPに反対している人のシノギは「米の生産と販売」と思ってもらえれば、まあ、大きくは外れていないでしょう。

●聖書よりTRIPSを読め

 話はいきなり変わりますが、私は仕事柄、特許法や著作権法、知的財産(以下、知財)権に関する条約に興味があり、特に、パリ条約とWTO(世界貿易機関)のTRIPS(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)などにちょくちょく目を通しております。

 知財の条約や協定の目的は、

「良い技術を世界中にばらまく」
 →「世界中の産業が発展する」
 →「世界中の人間がみんなで幸せになる」

ことを実現することにあります。

 ただし、その手段としては「神の愛」なんぞではなく、「アイデアを考えた人が、そのアイデアを自分でばらまきたくなる仕組みをあらかじめ仕込んでおく」ことで実現します。ですから、私などは「聖書を読むくらいなら、TRIPSの条文を読んでいるほうがマシ」と思っているくらいです。

 しかし、そのような私でさえ、腰が抜けそうになるほど驚いた規定があることを覚えています。

 「最恵国待遇」(TRIPS第4条)です。

 これは、GATTおよびWTO諸協定のすべてで貫かれているルールであり、キリスト教の「汝の敵を愛せ」という教義よりも、はるかにブッ飛んでいる考え方であると思っています。

「最恵国待遇」とは、簡単に言うと、A、B、Cという国と付き合っていた場合、B国に一番良い条件を与えたなら、即時かつ無条件にA国とC国にもその条件を適用しなければならないということです。いかなる場合も、どの国も差別してはならない。

 WTOの加盟国が159カ国ですから、その中でたった一国とだけ、「ねえ、私たちだけで関税撤廃しようよ」と決めたら、即時かつ同時に159カ国全部との間でも関税を撤廃しなければならないことになるという、すごいルールです。

●なぜTPPやFTAが誕生する余地があるのか?

 しかし、ここに、素朴な疑問が生じます。

 WTOには「最恵国待遇」の規定があるのに、なんでTPPやらFTAが誕生する余地があるのでしょうか? 

 WTOへの加盟によって、全世界の自由貿易圏はすでに完成していることになるのではないでしょうか?

 TPPやFTAとは、要するに、「なかよしグループ」経済圏、「勝ってうれしい花いちもんめ」のようなものです。戦前には、似たようなグループ(ブロック経済圏)をつくってしまったばっかりに、グループ間でケンカ(第二次世界大戦)が始まってしまいました。その反省から、GATTやWTOはつくられたのです。

「一体どうして、こんなことに……」と思って調べてみたところ、すべての元凶はこいつにありました。

 「GATT第24条」

 こいつは、「近いうちに、関税を廃止するよ」とだけ言えば、例外的に関税の同盟や自由貿易協定を設立できることを、例外的に認めてしまっているのです。つまり、このたった一つの例外規定が、多国間の貿易交渉(FTA)を許し、TPPを産み落とし、果てはEU(ヨーロッパ共同体)のような巨大な地域共同経済圏を育ててしまったのです。

●TPPをめぐり乱れ飛ぶ議論

 さて、TPPに関しては、さまざまな意見が飛び回っています。

 「鹿鳴館で慣れないダンスを踊りまくって、やっと取り返した関税自主権(1911年)を、なぜ今さら放棄するようなマネをするのだ?」
 「米国だって、昔(南北戦争の頃)は国内産業を守るために保護貿易に徹していたじゃないか(しかも関税率は50〜100%という、すごいものだったそうです)」
 「日本の美味しくて高品質の農作物を、世界に売り込む絶好のチャンスだ」

など、色々あります。

 TPPに反対される方の多くは、今回のTPPに限らず「いつだって、農業分野ばかりが誰かの何かの犠牲になってきた」と思われているかもしれません。例えば、日本は米(コメ)に関しては、戦時中の1942年に食糧管理法によって政府が流通を掌握し、戦後の高度経済成長に入ってからもその体制は続けられました。これは、「ショバ代をどんなに積まれても、ウチのシマでの商売はあきまへんな」と言うことです。

 しかし、1993年、ウルグアイラウンド通商交渉によって、ついにこれが壊されます。

 「あんたんとこが、そない高いショバ代を払うちゅーなら、まあウチ(の組)としても、まあ、オタクのメンツ立てなあかんなぁ」

ということになったわけです。この組には、別のショバでは自動車を売って商売しているのに、逆に一粒も他の組の米を売らせてこなかったという「弱み」もあったからです。

 しかし、組長は組員に対して、

 「まあ、高いショバ代取っとるさかい、うちのシマには簡単には入ってこられへん。心配せんどき。大丈夫やから」

と言っていたところに、今回のTPPがやってきたわけです。

 「ウチ(の組)は、もうショバ代取らんことにしたさかい、おんどれら、他の組のやつらより、旨くて安い米を作らんとアカンで」

と突然、組長が言い出したので、組員たちも黙ってはいられません。

 「おやっさん、そりゃ約束が違いまっせ」
 「うちのシマの田んぼ、壊滅ですやん」
 「あいつらの米(コメ)、安いだけでっせ。ほんで食うたら、うちのガキらが病気になるようなコメを売ってくるかもしれんのですぜ」
 「しかも、その危ないコメを、うちのシマで売ることを禁止することもできんらしいやないですか」
 「おやっさん!」
 「おやっさん!!」
 「おやっさん!!!」

と組員に詰めよられたところで、組長が切れます。

 「じゃかあしいい! これが平成の開国やぁ!! テメーらも、別のシマに出てって闘ってこんかい!」

と、まあTPPの農業分野の議論は、概ねこんな感じにまとまるのかと思います。

●農業と知財

 TPPというと、「農業分野の貿易自由化」の話ばかりのように思えますが、実際にはTPP交渉には24分野あり、21の作業分科会が設けられています【註1】。

 農業分野については、すでに多くの方が述べられていますので、今回は、この分科会の一つ、知財保護、海賊版の取り締まりに関する「知的財産」について、考えてみたいと思いますが、その前に、前述した「いつだって、農業分野ばかりが、誰かの何かの犠牲になってきた」に対して、少しばかり考察をしてみたいと思います。

 まず、知財分野と農業分野は、その歴史において、非常に似ているというお話からです。

 明治政府が誕生したばかりの日本(1868年)は、当然のことですが技術分野において、超後進国でした。加えて、関税自主権のない不平等条約によって、日本は当時の最先端技術の製品を「購入」だけさせられて、「自主開発」できるような技術力は片鱗すらもなかったわけです。

 それでも近代国家を目指す我が国は、絶望的に少ない国家予算の中で、外国から機関車を買い、戦艦を買い、銃を買いまくり続けました。当時の海外の帝国主義国家にとっては、日本はこれ以上もない最高の狩場。おまけに、関税率の決定権すら自分たちで握っているのですから、笑いが止まりません。当時の日本国政府は、関税で外国の製品の流入を防いで、国内で製造産業を育成することは難しかっただろうと思います。

●イタかった専売特許条例

 そんな中、明治政府も知財を守る法律の制定にかかります。明治4年に一度施行されたのですが1年で中止になり、その後、高橋是清が専売特許所長となって、1885年(明治18年)に専売特許条例【註2】【註3】が制定されます。

 その目的はーーはっきりいってイタい。

 「外国製品の模倣の奨励(『本邦人の特徴たる模造擬作の自由』)」
 「外国人には日本国の特許権を認めない」(第1条)

という、露骨な国内産業保護を図っており、国際的なメンツも何もありゃしないものでした(事実、外務省が難色を示していたそうです)。

 さらに、特許として認める要件も、これまたエゲツない。

 日本国内では知られていない発明であれば、外国文献に記載されていた技術であっても特許にでき(27条4項反対解釈)、出願前1年間、日本で使われていない技術であれば特許にでき(同5項反対解釈)、さらには、外国の製品を自分でつくらないで、輸入して使ったら特許を無効にする(28条2項)という、外国製品への嫌がらせを目的としているのでは、と思えるような条文までありました。

 つまり、知財分野においても、1942年から90年代まで続いた米(コメ)の食糧管理法と、もうそっくりそのままの対応が、明治18年から始まっていたのです。日本は、不平等条約に対して、外国製品をマネするとともに、外国製品を徹底的に不利に取り扱うという知財戦略で対抗したのです。

ところが、この専売特許条例も、やがてTPPと同じような道をたどることになります。
(文=江端智一)

※後編へ続く

※本記事へのコメントは筆者・江端氏HP上の専用コーナーへお寄せください。

【註1】TPP協定交渉の分野別状況
http://www.npu.go.jp/policy/policy08/pdf/20120329/20120329_1.pdf
【註2】専売特許条例の成立における外交的側面
http://wwwlib.cgu.ac.jp/cguwww/01/08_01/146-05.pdf
【註3】産業財産権制度 関連年表
http://www.jpo.go.jp/seido/rekishi/nenpyo.htm