江端さんのひとりごと 「無知は力なり」 2002年11月16日 これは決して自慢なのですが、筆頭発明者として、私は海外に3つ、日本に1 つ特許権となった発明の筆頭発明者であり、ここ半年の間にもう一件づつ増え る予定です。 企業の研究員としては並程度なのかもしれません(実際のところ、企業研究 員が、平均してどれくらい特許権の取得にこぎつけているか、私は知らない) が、間違えないで頂きたいことは、「特許権にこぎつけたこと」と、「特許出 願をすること」は、その難易度において、100万倍も違うと言うことです。 特許出願だけなら、私はすでに30以上はエントリーしていると思いますし、 出願するなら、「プロレスの技」でも、「下駄を使って天気を予想する」など も可能です(ちなみに前記の2つの例、冗談ではなく本当に出願されていました)。 ある一定期間中に、その出願国(海外と国内)の特許庁に、特許審査請求を提 出すると、ここから、特許権を取得したい発明者(あるいは発明者の属する企 業)と、特許権を取らせたくない特許庁や、日立以外の企業との間で、凄まじ いバトルが開始されます。 このバトルに打ち勝った場合のみ、特許権の交付に辿りつける訳です。 「知のバトル」などと言うと格好いい感じがしますが、本当のところ、 ----- 暴風雨のどしゃぶりの雨の中、訳の分からぬ嬌声を上げて号泣 しつつ、相手に掴みかかり、泥だらけの取っくみあいになって地面を 転がり回りながら、相手の顔に爪を立てる ----- と言う喧嘩の、ホワイトカラーオフィスバージョン思って頂ければ、大体雰 囲気は正解です。 このバトルのプロセスについては、ネタが山程(腐る程)ありますので、いず れまた。 閑話休題 ----- 最近、特許絡みの仕事が増え、工業所有権権法の本なんぞを読んで見たりす る機会が多くなってきているのですが、ふと、私の発明が、どのように扱われ ているのかが気になって、調べてみたりしました。 特許法の第35条に「職務発明」なる条文があり、その第一項に『使用者は、 通常実施権を有する』なる文言がありました。 この条文を解釈して、私の発明に当てはめてみますと、どうやら、「日立製 作所は発明者の私から、発明を実施する権利を頂戴している」と言うことのよ うです(後述しますが、誤りです)。 言いかたを換えてみましょう。 「発明者江端は、日立製作所に特許発明の実施権をくれてやっている」 と言うことらしい(後述します。誤りです)。 なんだか、いい気分になってきました。 ついでに、この「通常実施権」なるものも調べてみました。 特許権者(つまり私)が、第三者(ここでは、日立製作所)に、特許の実施許可 を与えるもので、日立製作所は、私江端から、特許侵害で差止請求や損害賠償 の攻撃を受けないですむ、という性格の権利のようです(完全な誤解です)。 (そうかぁ、私は、日立に「情け」をくれてやっていたんだぁ・・・) しみじみと、酒でも飲みたくなってきました。 ふと、その時思いました。 『じゃあ、発明者である私は、自分の特許発明を、自分で実施したり、他の 会社に売ってもいいんじゃないの? 』 工業所有権法の法令集を真面目に片っぱしから調べた結果、私の解釈を覆す 条文は出てきませんでした。 おほほほー。 日立のライバル会社にも通常実施権を設定して、明日からは左団扇で、バラ 色の特許収入生活。 だって、私、『発明者』で『特許権者』なんだもん。 特許の存在期間は20年もあるもんね。 発明は5年も前だけど、あと15年は大丈夫。 特許4本もあるし。 一つくらい、どこかの会社が実施するさ。 (完全な誤解です。お話になりません)。 ----- 「ですよね!先生!! 」 と、知り会いの弁理士先生に、勢い込んで尋ねてみました。 即座に、 「甘い!」 と、一蹴されてしまいました。 「特許法第35条第2項を読め」と言われました。 ----- 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除 き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権利、若しくは特許権を承継 させ又は使用者等のために専用実施権を設定することを定めた契約、 勤務規則その他の定の条項は、無効とする ----- 江端:「要するに『日立が勝手に定めた規則は無効』と言うことなんでしょ?」 先生:「君が行なった発明の種類は何だね」 江端:「職務発明です」 先生:「第35条第2項は、職務発明*以外*では『日立が勝手に定めた規則は無 効』と言っている訳だよ」 江端:「・・・・?」 先生:「第35条第2項は『裏』で解釈するんだ」 江端:「はぁ?」 先生:「職務発明なら、日立が勝手に定めた規則は「有効」になるの!」 江端:「・・・あっ!」 先生:「君は多分知らないだろうが、君は日立に入社する手続きをした時に、 この職務発明に関する契約(予約承継)をしているはずなんだよ。 していなければ、入社できないはずだから。 で、その内容はおそらく - 発明者の私は、実施権を行使しません。 - 発明者の私は、実施権を日立以外に設定しません。 ・ ・ - 発明者の私は、日立の奴隷でございます。 てな、内容になっているはずだよ」 ・・・唖然。 先生。 特許法第35条職務発明の条文は、 『使用者側の権利を押さえ、従業員の発明へのインセンティブを上げ、 もって発明を奨励し、産業の発展を図る』 ことが主旨なんじゃないんですか? ------ 発明と特許明細書の執筆は、企業研究員の存在意義であり、必須業務です。 それはそうなのですが、今回、いらんことを調べてしまったおかげで、発明 意欲がどえらい勢いで落ち込んだ感じが否めません。 無知は力なり。 よけいなことに首を突っ込むのは、やめましょう。 (本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。) 補記 日立製作所を含み、一般の企業は入社時において、従業員は使用者 (企業等)に「特許を受ける権利(特許法第33条,第34条)」のための専 用実施権を設定するので、従業員が出願しても、その特許権は、本人 には与えられず、企業のものになります。 特許権も発明者本人のものになるわけではありません(と言う訳で、 上記の私の記載は、「特許法35条第2項反対解釈」の部分を除いて完 全にでたらめです)。 特許法35条第1項2項だけでは、『これじゃあ、あんまりにサラリーマ ン発明者が可哀想ではないか』ということで、特許法35条第3項に、 自分の勤めている会社に独占的な実施権利を与えることを条件に、 「それ相応の金を貰える」と言う規定があります。 御参考まで。