その451  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 通産省は、最近の激動する情報社会の変化を「情報革命」と位置づけ、こ の動きに対応する人材の育成カリキュラムを発表した。 国も情報産業の育成に力をいれんと、国際的に見ても、本気でまずいと思 い始めたのだろうと思う。 確かに、歴史的に見ても、イギリスで始まった「産業革命」に乗り遅れた 国の末路は相当悲惨なものだった。列強に国土を蹂躙され、植民地化され、 自治権を奪われ、国家間の貧富の差は、どう見たって、あと100年たって も埋められないように思われる。 そのような「産業革命」の影響も終っていないのに、この世紀末にやって 来たのが「情報革命」である。 「情報革命」と言っても、その姿は漠然として良く分からないところが多 いが、無理して例を挙げてみれば、「株価情報」がある。 ある企業が提供する株価情報システムは、株価情報をリアルタイムで顧客 に提供しているが、15秒後の株価情報に対しては、課金していないのであ る。 要するに、15秒後の株価情報は、なんの価値もない『ゴミ』として扱わ れているのである。まさに、情報による革命と言っても良い現象の一つであ る。 その一方で、家庭向けに販売された10台パソコンの内、9台が押入で 眠っており、オフィスに導入されたコンピュータを扱えない中高年サラリー マンが溢れ帰っていると言う、厳然たる現実がある。 これは、「情報革命」以前の問題である。 情報処理の道具を扱えずに、どうやって情報を扱えば良いか。ペンと紙な しに文字を書くようなものである。 『パソコンのマニュアルがわからん』とメーカの研究員を苛めても、『根 性が足りん』とパソコンユーザを嘲っても、何の問題の解決にもならない。 またそれとは別に、コンピュータと言う道具が使えることは、所詮、道具 を使いこなせると言うことに過ぎず、情報処理の能力があることとは全く別 問題であることに気が付いていない人間が多い。 アルファベット文字が使えたって、英語を使いこなせる能力がある訳では ないのと同じである。 ----- 先日の休日、電車の中での出来事である。 新宿行きの電車の中で、専門学校に通っている様な感じの二人の若い男が 話をしていた。 男1:「そりゃ、これからは情報化の時代なんだから、『情報処理2種』が     取れれば、将来は絶対安泰だぜ。」 男2:「そりゃ、そうだな。」 私は、すんでのところで、電車の中で彼らに説教をかましてしまうところ だった。 私も、情報処理関連の技術者をしている私の友人のほとんども、当然、情 報処理2種くらいは保持している。しかし、安泰している人生を送っている 者を思い浮かべることはできない。 ----- 今、日本は『情報』に対する誤解で溢れている。 こんな状況で、日本が「情報革命」の波をくぐり抜けることができるの か、私は真剣に不安に思っている。 これは提言であるが、通産省は、人材の育成カリキュラム以前に、まず日 本中にはびこる馬鹿げた『情報信仰』を排除し、正しい情報処理の概念を、 国民に教育する作業から始めた方が良いと思う。