江端さんのひとりごと 日帰りスキー in コロラド 第3弾 「ブリッケンリッジ」 当初、土曜日の早朝に出発する予定だったのですが、どうも体調が今一つだっ たので、日曜日の朝に急拠予定を変更し、4時半に起床し、5時には車のエンジ ンをスタートさせていました。 おかげで、スキー場のリフトが動きだす前の7時半には現地に到着してしま いました。 ブリッケンリッジは、ゴールドラッシュ時のアメリカを思い起こさせる街並 を残しているということです。 どなたか、確認してきて下さい。 実際そのような建物もあり、ぶらぶらと歩けば楽しそうだな、とは感じたの ですが、なにせ、私一人だけのスキーとなると、本当にあわただしい。 Free Parking(無料駐車場)に車を駐車し、車の中でスキーウェアを着替え、 リュックサックにバナナとリンゴとジュースと文庫本を突っこんで、スキーを 担いだら、そのまま無料シャトルバスに直行。 シャトルバスの中は、スキーウェアとゴーグルで重装備したスキーヤーばか りで、まるで敵地の上空に飛来した一個小隊が降下の命令を待っている、と言 う雰囲気です。 ですが、ゲレンデに隣接した有料駐車場にしたって、そんなに高くはありま せん。 あの「ベイル」の地下駐車場ですら、終日駐車で10ドル切っていましたから ね。 その時は、何かの間違いかもしれないと思いましたので、出口で兄ちゃんか らお釣りを受けとるやいなや、凄い勢いでインターステーツに逃げていきまし たが。 しかし、ちょっとばかりゲレンデから離れているとは言え、このブリッケン リッジの広大なFree Parkingを見ていると、日本に帰ってからスキーをするの は辛いだろうな、と思いました。 日本に帰ったら、『アメリカではね、スキー場の駐車料金を払ったことなん かなかったよ』などと自慢げに語る、いけすかねえアメリカ自慢野郎になって いる可能性が高い。 その他、 『今日は、日本と電話会議なんだ。時差があるから、夜から始まって面倒なん だよね』 『あ、そうか。日本では高速道路は有料なんだ。まいったなあ』 『パーティション? ああ、Cubeのことね』 『そこのハンドセット・・・、じゃない、受話機取ってくれる?』 などなど。 あらかじめ申し上げておきます。 仮にそのような不快な発言を吐いたとしても、特に私に関しては、決して悪 気も自慢気もなく、単にふつーに発言しているだけだと思います。 しかしながら、このような発言が日本の風土で不快な感情を引き起すことは 厳然たる事実です。 我々は、個を密殺し、大衆に迎合して生きる、美しい文化「滅私奉公」を原 点とする日本民族であります。 この素晴しい日本のありようを、軽薄な米国文化(*1)なんぞから比較・批判 するのは良くないことでしょう。 (*1)http://www.kobore.net/anger.txt しかし、万一、私が、このような発言をしてしまった時には、何も言わず、 私を一発殴ってやって下さい。 閑話休題。 ディロン湖(Lake Dillon)は、デンバーから1時間半弱のところにある、I-70 沿いにある美しい湖で、この湖を中心として、世界中のスキーヤー感涙のスキー 場 ベイル(Vail) ビーバークリーク(Bever Creek) ブリッケンリッジ(Brekenridge) キーストーン(KeyStone) カッパーマウンテン(CopperMountain) アラパホ ベイスン(Arapahoe Basin) ラブランド(Love Land) が集まっています。 私は、キーストーンの帰りに、I-70の恐怖のホワイトアウトを体験して以来、 ガス欠と、飲料水、食料の欠乏を常に恐れており、このディロン湖に一番近い Exit205で一度降りて、そこのガソリンスタンドで、給油、給水、給食を欠か したことがありません。 そして、ここで、コロラド州の地図を開き、目的地の最終チェックをするの を常としています。 ----- 古い話になりますが、大学院の卒業論文の単位認定が決まった後、私は卒業 旅行と称して、カナダのウィスラーに出かけたことがありました。 その時、私は、不遜にも「日本人のスキー技術は、全体として世界最高に位 置付けられるのではないか」と言う、どえらい命題を掲げたことがありました。 実際、欧米のスキーヤーは、私の見ている限り、そんなに上手く滑っている ようには、見えなかったからです。 その当時、日本中が気の狂ったようなスキーブームの中、『これは本当にス キーゲレンデなのか、真夏の休日の湘南海岸がそのままここにやってきたので はないか』と思われるような大混雑の中でも、日本人スキーヤーは、巧みにそ れをかいくぐり、大きな事故を起すこともなく、スキーを続けることができて いたからです。 しかし、その後、この命題の前提とした条件が間違っていたことが判明して います。 (1)日本人のスキー場における障害物回避能力は、スキー技術の一つではある が全部ではない。 (2)当時も江端は中級であった。したがって中級以上のコースに出向くことは なかった。所詮、中級コースには、中級のスキーヤーしかこない。 その後、さまざまな体験から、この命題が間違っていることは、既に判って いたのですが、前回の日帰りスキー「カッパーマウンテン」で、この命題が決 定的に間違っていることが確定となりました。 日本で威張っていられるような上級スキーヤーの技術も、コロラディアン (コロラド人)達から見れば、別になんと言うこともない普通の技術です。 特別、気合いの入っているように見えない、フツーの主婦やサラリーマンと 思われるおばさんやおじさんが(アメリカ人にしてはちびで、結構太っていた りするのですが)、日本人が好んで着るようなけばけばしいスキーウェアでは なく、地味なくすんだ赤や灰色のスキーウェアを軽くはおい、3500mの山脈の 稜線から飛び出し、向き出しになった岩から華麗にジャンプする。 全長2km、全面新雪コブ、最小傾斜35度を息を切らせることもなく、ノンス トップで降り切る。 「カッコイイ」とはこういうことだ、と思いました。 『格好いいこと』は、格好いいことに気がつかない程日常化した『何か』の 中に棲み、間違っても『格好いいこと』を目指した努力の中には、決して生ま れないのだ、と確信しました。 今、私は、何故、昔(ローティーン)の私は、自分でも訳が分からない程、モ テモテだった(本当)のに、何故、その後の私は、その隣辺さえ伺うことができ ないのだろうか、と真剣に考え始めています。 ----- アメリカ人の思考体系には、異議を唱えたい部分が少くないのですが、文句 なく絶賛したい文化もあります。 ブリッケンリッジの一番下のリフト、すなわち、初級者コースが見渡せるリ フトからゲレンデの方を眺めていると、一組の老夫婦が見えました。 奥方が、おっかなびっくりという感じで、こわごわとゲレンデを降りてく るのを、後からご主人がピッタリと付いて、アドバイスの声をかけていました。 "You've got it ! Great !" (わかっているじゃないか! すごいぞ!) さらに、その10メートルほど下の方には、若い父親と4歳位の坊や。 父親の大きな声が、ゲレンデに響き渡っていました。 "No problem ! Good skier !!" ( それでいいんだ! うまいぞ!!) 日本で、こんな会話を堂々として憚りないのは、私の知っている限り、私だ けです。 大正・昭和期の海軍軍人で、昭和15年に、太平洋戦争のハワイ真珠湾攻撃を 立案実行し、昭和18年に前線の海軍基地を視察中、ソロモン諸島上空で戦死し た、あの有名な山本五十六長官が言われた有名な言葉として、 『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かぬ』 という名文があります。 この名文にヒントを得て、平成期のサラリーマンで、特にこれと言った成果 もなく、サラリーと言う名の禄を食み、家族を養っている、あの有名な江端智 一研究員が言われた有名な言葉として、 『やってみせて貰い、言って聞かせて貰って、させてみせて貰い、誉めて貰わ なければ、私は動かぬ』 という名文もあります。 しかし、まあ、「誉めて貰わなければ、断じて動かん」と言う姿勢を貫き通 して来たこと(社内報のエッセイでも、この主張をして、幹部クラスでかなり 騒ぎになったらしい(*2))もあり、前回のHP社とのプロジェクトを完了した時 などは、上司や先輩達が、どうだ!これでもか!!と言う程、凄い褒め言葉の メールを送ってきました。 (*2) http://www.kobore.net/Chaos2.txt 多分、かなり厭味も入っているとは思うのですが、そうと判っていても、私 は十分に嬉しかったし、やる気も出てきました。 アメリカは、ベースが「誉める文化」なのです。 「叱る文化」「恥の文化」が日本の文化。 その文化が差が作り出した結果が、現状の日米間の経済、政治、ジャーナリ ズムの決定的な質の差であり、なにより、フロンティア(特に、私に関連して いるところでは、コンピュータ技術)の成果の違いです。 「馬鹿! なんで、谷足に重心を移さないんだよ!! それじゃあ、曲れない だろう」 と言う言い方をする、馬鹿な自称上級スキーヤーが、日本のスキー人口を壊 滅的に減らしました。 「いいぞ! 今度は、谷足に重心を移してみよう!! 曲りやすくなるよ」 と言う言い方をする私は、今でも嫁さんと一緒にゲレンデを楽しく滑り降り てきています。 大体、スキーで食って生きて行く訳ではないのに、趣味の世界ごときで叱咤 されたら、私は怒る(私の場合、仕事の世界でも怒ることがあるが)。 一度だけ、ウインドサーフィンの講習に出かけたことがありますが、初心者 に色々難しい技術を要求した挙句、それができないことに腹を立てる阿呆な指 導員に巡り合いました。 早く上手く操作できるようにさせてやりたい、早く楽しませてやりたいと言 う、その真摯な気持は理解できるのですが、はっきり言って逆効果。 何れにしろ、ウインドサーフィン分野は、味方に付けると頼もしいスピーカー もとなるはずの、私と言う人材を一人失った訳です。 阿呆な指導員、たった一人のために。 ----- 日本英語検定「英検」が、かなり前に準1級と言うランクを作りました。 (今、Webで調べてみたら、準2級、5級 と言うのもできているのですね) これは、2級と1級のレベルの差があまりにも大きく、受験離れが激しくなっ たための処置、と言う話を聞いたことがあります。 このように、どのようなものであれ、「レベル」と呼ばれるものは、必ずし も線型的に確定できるものではありません。 アメリカのスキー場では、ゲレンデの難度を指定するのに、以下の4段階の 表示を用いています。 Easist 初級 More difficult 中級 Most difficult 上級 Expert エキスパート 今の私は、"Most difficult(上級)"が、丁度可もなく不可もなく、と言うレ ベルにあるようです。 初級、中級もそれなりに楽しめますが、折角一人でスキーに来られる今の内 に、少しでもスキーのレベルを上げておきたいと思っていたので、限られた時 間の殆どを、上級コースに向って突っこんでいました。 そして、悲劇は、コースクローズを真近に迎えた、3時10分頃に起きました。 最後の一本を、すでに何回か滑った上級コースで終えるか、それとも、一度 はエキスパートコースに挑戦してみるべきか。 午後から、ちょっとしたきっかけで、コブ斜面を比較的楽に越えることの出 来るようになった私は、正しい自分のレベルを見誤っていました。 それと、ブリッケンリッジの上級者コースが、全体的にあまり厳しいコース でなかった、ということも、誤判定の要因となりました。 「上級者レベルの設定が、比較的低い様子だから、エキスパートも何とか行け るだろう。降りてくるだけなら、何とかなるし」 私は、エキスパート表示がされている、山の中腹の森林を切り開いてできて いる、辺りに人一人いない小道に入り込みました。 確かに、英検なら、レベルを見誤っても、試験に落ちれば済むことです。次 の試験では、一つ下のレベルの試験を受けて見るのも良いでしょう。 しかし、スキーは ----- レベルを見誤ったとしても、「やっぱり駄目でし た」が許されない世界なのです。 小道に入り込んだ後、私は、新雪状態でストックをついても、そのままストッ クが根本まで埋まるような斜面上に数回転倒し、起き上がる度に体力を消耗し ていきました。 そして、林の中をさまようようにして、何百メートルも下り、いくらなんで も、そろそろこのコースも終わるだろう、と期待していたところに、それは突 然現れました。 それは時折突き出した岩が出ている、雪を被っただけの高さ30メートル以上 の、 ----- 崖 誰が何と言おうとも、あれは絶対に「斜面」などと言うものではなかった。 まぎれもなく「崖」でした。 私はその崖の淵に立ち、呆然としました。 (一体私に、どうしろ、と言うのだ) 突然、崖の底から雪粉の混った小さな竜巻が吹き上げて、私に直撃してきま し、その竜巻が、私を通りすぎ、その後には、空気を切りさく音が小さくなっ ているのが聞こえました。 しかし、私は顔をそむけることもなく、崖の底を凝視していました。 私は、切り立った崖を、スキーで降りる練習など、一度もしたことがありま せん。 例え、板を外して降りることを試みたとしても、恐らくその新雪は私の体を、 腰まで沈めてしまい、身動が取れなくなるのは確実で、雪をラッセルしながら 進むのは、私の体力では確実に無理と思われました。 滑落して崖底に真っ逆さまになっても、多分大丈夫だと思いましたが、本当 に恐いのは全身が雪に埋まって、脱出できなくなることです。 そして、私を本当にパニックに陥いらせたのは、スキーパトローラーの叫ん でいると思われる、遠くから聞こえる微かな声でした。 ・・・ コースクローーーズ ・・、・・ コースクローーーズ ・・ コースクローズ! もう今日は、このコースに誰も入ってこない。 例え、私が崖底で倒れていたとしても、誰も気がつくことがない。 明日の朝、カチンカチンに凍った東洋人の凍死死体が、そこに見つかるだけ。 私はもう一度、崖の底を見ました。 生き残るためには、降りるしかない。 しかも、転倒は許されない。 転倒して、スキー板を外したら、多分終り。 外れたスキー板を取りに、崖を登ることは不可能だし、第一、崖の中腹では、 スキー板を再装着する場所がない。 それ以前に、体が雪に埋まって、脱出ができないだろう。 崖面を蹴ってジャンプし、深く掘られたコブ状の谷への着地を繰り返しなが ら、最小回数の跳躍で崖を降りるしかないと判断した時には、その崖っぷちに 立ってから10分も過ぎていました。 二度とエキスパートコースなんぞに紛れこむものか、と心のなかで呟きなが ら、崖を下り降りるルートマップを頭の中に作り、私は最初のジャンプの為に、 腰を落しました。 ----- 今回の日曜の日帰りスキーは、その週の私の仕事に非常に影響を与えました。 今でも首筋を伸ばすと、鈍い痛みが走り、辛いです。 それでも、行かねばならない。 どんなに辛くても、この機会を逃すことはできない。 世界的に有名なコロラドのスキー場の近くにいて、しかも、まさにこの時期 に、妻子が日本に帰国中。 こんな好条件が、人生に何度もある訳がない。 『来週もスキーに行かなければならないなあ。正直、体が辛いなあ』と愚痴 を言っては、「それなら、やめろ!」と同僚から突っ込まれている日々です。 (本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)