江端さんの忘備録

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2012年 08月 31日
クリスマスツリー
皆さんが「安全」と考えているものと、制御システムで定義されている「安全」は、随分違います(が、今日はこの話はしません)。

今、「原子力安全工学」という資料を読んでいるのですが、なかなか怖い記載があったので、一部ご紹介など。

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■スリーマイルアイランド原発事故においては、

設計時には想定されていなかった運転員のエラーにより事故が発生し、中央制御室は、100を越える警報が一斉に点灯して、何が起きたのか判断できなくなる状態になったそうです。

これを、「クリスマスツリー(警報雪崩)」と呼ぶのだそうです。

映画では良く登場するシーンですが、できれば、こういう「微笑ましい」とは対局にある光景を見ることなく、一生終えたいものです。

ともあれ、多重安全設計で「がんじがらめ」にされている巨大システムが、ささいな運転員の操作ミスで、驚くほど呆気なく崩壊していくという、最良の実施例を提供することになりました。

比して、

■福島原発事故においては、

全電源喪失となり、いわゆる

「逆クリスマスツリー(警報無言)」(命名 江端)

となった訳です。

今まで、ピカピカ点滅していた装置、監視用モニタ、そして原発の健全性を証明する計器が、一瞬で全部沈黙。

叩こうが蹴ろうがピクとも動かない。

こっちも、映画では良く登場するシーンです。

映画の場合は、スリル感を盛り上げるために、徐々にシステムが壊れていくシナリオになりますが、こちらは、映画よりももっと壊滅的。

これでもか、これでもか、というくらいに、うんざりする程、多重に準備されたバックアップ電源が、津波による水没で一気に(多分1分内くらいで)全滅。

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制御システムに関わる者として、また、既婚者として、「クリスマスツリー」も「逆クリスマスツリー」もいりません。

何も起こらない、普通の日常が一番いいです。
2012年 08月 30日
福島原発事故の映画化
先日、福島原発について調べていると記載しました。

私は、1号原子炉の原子炉容器の中の冷却水の水量と、燃料棒が完全に露出した時間(分単位)が知りたいだけなのです。

今も調べているのですが、膨大な電力会社への非難コメントが、もう泣ける程「邪魔」でしょうがありません。

『憎悪や非難の書き込みなんぞ、どうでもいいんだー』

『数値だ。数値が欲しいんだよ。崩壊熱発生時の熱量をエクセルで計算したいだけなんだよー』

まあ、事故発生後の、国民の怒りは当然のことだとは思うのですが。

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東京電力の報告書をひたすら読んでいますが、―― とにかく長い。

この400ページを越える報告書に、とりあえず全て目を通した日本人は、私の他には何人くらいいるんだろうなー、と考えながら読んでいます。

しかし、この報告書は「誰に向って書かれたものだろう」と疑問に思うことがあります。

ちょっと、以下の文章を読んで頂けますか。

<ここから>
原子炉建屋1階北東に敷設された原子炉補機冷却系(RCW)配管において、高線量 (220〜260mSv/h)が計測(5月5日)されたが、圧力容器から滴下した高温の燃料が格納容器内に落下した場合、ペデスタル下部の機器ドレンサンプピット内に敷設された冷却用のRCW配管が損傷して、放射性物質を含む高線量の水・蒸気が配管内に移行する可能性があることと合致する。
<ここまで>

私は、一人のエンジニアとして、この報告書が可能な限り事態を正確に記載して、開示しようとしている姿勢は正しい、と思います。

しかし、これを、国民に対して開示しているのであれば、「翻訳版」も併わせて開示すべきなのではないでしょうか。

こんな感じで。

<ここから>
■原子炉の建屋(高さ47メートルのコンクリート製の原子炉を覆う建屋)の、1階に、原子炉を冷す水を、グルグル巡回させる配管があります。

■そこで、200ミリシーベルト/時の値が計測されました。(総計5000ミリシーベルトの被爆が致死量です)。

■原子炉格納容器は、下の部分がコンクリートで埋められています。

■超高温度の2800度のドロドロのウラン燃料が、原子炉の圧力容器をぶち破って、そのコンクリートに落下したとします。

■もし配管に穴が空いていたとすると、そこから、極めて危険な高い線量の放射性物質が、その穴から入って、移動した可能性があります。

■今回、この可能性が事実である可能性があることが分かりました。

(事前調査に2時間、翻訳時間30分)
<ここまで>

この報告書を作成した人が「この程度の文章の意味が分からん人は、原発について論じなくて良い」など、奢った(おごった)ことを考えているとは思っていません。

しかし、「原発存続こそが未来への道」であると信じる会社が書く文章としては、少々誠意に欠けませんでしょうか。

私のような、原子力発電の素人が、ヘトヘトになりながら、事故調査報告書を読んでいるという状況は、良くないと思うのです。

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という訳で、どうでしょう。今回の福島原発の事故も、アニメ化・・・、いや、さすがにこれは止めよう。

せめて映画化を。負の遺産をきちんと残せるように、ひたすら客観的事実のみに基づいて。

私のイメージとしては、映画「東京裁判」または「東京オリンピック」です。
http://www.amazon.co.jp/東京裁判%20[DVD]/dp/B0002B58KY
2012年 08月 29日
不快害虫
この梅雨から夏にかけて、我が家では、またヤスデが大量に発生しました。

ヤスデは、いわゆるゲジゲジ虫の一種で、ムカデを3cm程度にした態様をしています。

これが、梅雨の時期になると、家の屏壁に大量(30匹以上)に発生するのです。

私は、殺虫剤で片っぱしから殺していますが、嫁さんや娘達にとっては、視界に入るだけでも、恐怖に怯えています。

殺虫剤を噴霧する為に、ヤスデに接近すること自体が、すでに拷問のように感じるようです。

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ヤスデは、毒を持っていない「不快害虫」という範疇に分類されているようです。

しかし、駆除した後の体液は結構臭いですし、ちょっとシャレにならない数が出現しますので、私は定期的に、粉状の殺虫剤を、屏の下、駐車場他、あらゆる場所に散布しています。

しかし、それらの薬も梅雨の最中は雨で流されてしまい、その後、ヤツらは再び登場してきます。

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ある日、史上最大数のヤスデが一斉に発生した時がありました。

出社まぎわだった私は、嫁さんに殺虫剤散布を頼んで出社しました。

その夜、帰宅した時に、家の庭がボンヤリとした光で発光しているのを不審に思いながら、家に近づくと、

―― 粉状殺虫剤が、庭の色を変える程に散布されていました。

そこには、不快害虫で、完全に「キレた」嫁さんの恐怖と怒りを見て取ることができました。

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まあ、無理はない。

しかし、この量の殺虫剤では、ヤスデだけでなく、家族全員にも健康被害が及ぶ可能性もあると思いましたが

―― 今でも、そのことは黙っています。
2012年 08月 28日
リアルタイムという屁理屈
制御システムの世界では「リアルタイム」という言葉がよく使われます。

多くの人が、「リアルタイム」という用語に持つイメージは、「すぐに」「直ちに」「即座に」「至急」という意味であると思いますが、制御の世界では、これは正しくありません。

リアルタイムのシステムとは、所定の時間内に100%処理を行うことを言います。

で、その「所定の時間」とは、短かい時間(例えば、100分の1秒とか、100万分の1秒とか)である必要はありません。

30分でも、3時間でも、3日でも、「所定の時間」としてもよく、その時間内に処理を実施できれば、リアルタイムと呼んで構いません。但し"100%"です。

99%でも、99.9999%でもなく、100%です。

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「この仕事、リアルタイムで頼むよ」と、上司から言われた場合、所定の時間に対して何も言われなければ、その時間を決めるのは「あなた」です。

「私のリアルタイムは3日だ」と決めれば、3日以内に100%実施すれば良いのです。

あなたは、本日は、予定通り、ビアガーデンで飲み会に出席して構いません。

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―― という屁理屈で対応するから、理系男子は嫌われるのです。

下らない知識をひけらかして、嫌われるのは止めましょうね。

御互いに。
2012年 08月 27日
島の領有権を争う多国間の思惑を取り扱うアニメ
私、ドラマが嫌いで、アニメを見るのが好きです。

嫁さんは、この真逆です。

従って、夫婦でテレビを見るというのは、かなりのレアケースです。

「なんでかな」と考えてみたのですが、アニメというのは、結構いい技術研究ネタが仕込まれているからかもしれない、と考えてみました。

ロボットとか、戦艦とかでは、それなりの機械工学の知識が含まれていないと、理系男子でなくとも、薄っぺらく感じてしまいます。

時空間(タイムトラベル)ものにいたっては、相対論やら量子論までもを配慮したシナリオが記載されているし、遺伝子関係についても相当の専門分野の話が入ってきています。

『見ていると、なんか賢くなった気がする(正確には、分かったような気がする)』という魔力が、(ある一部の)アニメにはあるのです。

特に、私のように、技術ネタでコラムを書く人間にとっては、ネタ元としては、結構、舐めてかかれない程の情報が含まれているんですよ。

・・・というのは、多分建前で、まあ、好きなんですよ、私は。特にSFのアニメは。

ただ、私の嗜好が強すぎて、同時に2つ以上のアニメを継続して見る、ということが滅多にありません。

もっと技術的に難しくて、専門的で、基本的には筋が通っていて、技術者が主人公である。そういうアニメは、なかなかないものでしょうか。

# イメージとしては「さよならジュピター」だけど、映画化だけでなく、アニ化メまで失敗されたら、私は立ち直れない。

さて、それはさておき。

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SF以外のアニメの設定では、「不良」「部活」そして「生徒会役員」を扱うものが多いようです。

部活も、かつてはスポーツ部と決まっていたものです。

しかし、最近では、文系も多くなっていますね。漫研、文芸部、ブラスバンドなどはあったのですが、軽音、古典部、かるた部とか、(すみません。ちゃんと見ていません)

―― すごいダイバーシティだ、と思います。

私の世代から見ると、このダイバーシティ(またはバラエティ)は、とてもうらやましい。

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ダイバーシティと言えば、今や「武装する図書館のアニメ」まであるくらい(すみません。見ていません)なのですから、どうでしょう、いっそうのこと、

○政権党(内閣を含む)と野党を取り扱うアニメ

○島の領有権を争う多国間の思惑を取り扱うアニメ

○列強によって分断された国家を取り扱うアニメ

など、誰か企画してみませんか。

なんか、ツイッターを追ってみると、どうもこの手の話題になると、表層的な感情論で、簡単にヒートアップする内容が多くて、正直うんざりしています。

なんの為に、私達は義務教育や受験で、世界史や日本史の勉強をさせられてきたのやら、と溜息がでてきます。

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「歴史」という教科の存在意義は

(1)過去において、この手の隣国間のトラブルなんぞ腐る程あり、

(2)概ね時間の経過(まあ、3ヶ月も必要ない)で軽く忘れ去られ、

(3)忘れ去られる前に、一部の馬鹿が火をつけて、時々回復不能な事態(戦争等)に発展させてしまったこともあり、

加えて、

(4)外交上「白黒はっきりさせない」という戦略が、過去において相当有効に働いてきた

という史実(歴史的事実)を学ぶものだと、私は思っています。

「いい国(1192)作れず、鎌倉幕府」などという、下らない暗記をすることが、歴史の勉強の目的ではないと思っています。

『今回の事件は、過去のあの事件に似ているなぁ』と冷静に把握し、可能な限りの背景事実を収集した上で、筋の通った論理的な主張をすることは、正しいかどうかはさておき

―― かっこいい、とは思う。

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ジオン公国と地球連邦政府(すみません。ガンダムのストーリー全く知りません)の歴史を知る、その気力の1/10で十分です。

隣国と自国の歴史を勉強してみることは、結構良い方法であるし、現実に必要であると思うのです。

でも、多分そんな、楽しくもないこと、誰もやりゃしませんよ。

ならば、いっそ、アニメという手段で、国際政治な動きの裏側を、軽いノリと笑いで表現して、隣国を理解するというのは、良い方法だと思うのですよ。

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いや、難しくないですよ。

我が国の首相や内閣のメンバ、隣国の大統領や中央政治局常務委員を、全員、

「美少女アニメキャラクター」

として制作すれば足ります(多分)。

半分くらいは、真面目な提案です。
2012年 08月 26日
"Second Pearl Harbor Attack"
2001年9月11日、イスラム原理主義者による航空機を使ったアメリカ同時多発テロ事件が発生しました。

私はその時、家族で米国赴任の最中であり、その時の恐怖については、すでに多く記載してきました。

<引例>
思えば、あの悪夢の「2001年9月11日」に、私たち家族が正確な情報を把握しきれず、どれほど怯えていたことか、説明するのが困難なほどです。

なにしろ、第一報は日本の嫁さんの実家から『とにかくテレビをつけなさい』と言われて、テレビに向かった瞬間、世界貿易センタービルが崩れ落ちるところでしたから。

画面の左下に赤い小さな文字の"LIVE"と言う文字の点滅と、悲鳴のような声で叫ばれ続ける意味不明のアナウンス。
その後、全米全航空機飛行停止、デンバー空港完全封鎖。

江端さんのひとりごと 「Japanese Englishという発想」より抜粋
http://www.kobore.net/JapaneseEnglish.txt

</引例>

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この事件の後、私達家族を、心底悲しませたフレーズがありました。

"Second Pearl Harbor Attack"
「2度目の真珠湾攻撃」

"Second Kamikaze Attack"
「2度目の神風攻撃」

全てのテレビ、ラジオが、この事件から数ヶ月もの間、このフレーズを連呼し続けていました。

私は信じられませんでした。

なぜ、民間人の殺戮を目的としたテロ事件が、真珠湾攻撃や、神風特攻隊と同じ取り扱いになるのだ、と。

そして、多くの米国人が、私に対してすら、このフレーズを使って「全くの悪意なく」喋ってくることを、心底驚いていました。

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■真珠湾攻撃は、当時の政府・外務省のプロトコルの不手際で「宣戦布告なしの不意打ち攻撃」であり、

■神風特攻隊は、敗戦処理の行われている最中に、絶対的な意味において無用であった人間の死を強要する、政府・軍部の低能、無能、下劣、卑怯、卑劣な作戦であった、

と思います。

特に、真珠湾攻撃は、国際法違反の「テロ行為」であると言われても、仕方がないかもしれません。

であるとしてもです。

『9.11のテロ事件と、真珠湾攻撃、神風特攻隊が、同列に扱われることだけは、絶対に許せない』と、嫁さんと熱く語りあっていたものです。

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私は、「同列に扱うのをやめてくれ」と、論理的に反論できなかったことを、今でも悔んでいます。

なぜか。それが、できなかったからです。

反論の論理を構築しようとしたのですが、米国人の視点から見ると、

「9.11のテロ」=「真珠湾攻撃+神風特攻隊」

と見えるのは、本当に残念なことではあるのですが、攻撃を受けた側の視点からでは、誠に理に叶っているのです。

(米国なんて、頼まれもしないのに、他の国で戦争をしかけまくっている当事国であるという事実は、暫定的にここでは忘れて下さい)。

「イスラムの正義の正義」と「我が国の存亡を賭けた戦い」の差異は、米国人にとっては、意味がありません。

そして、突然攻撃を喰らったという点も、自爆攻撃であるという点でも同じです。

但し、「戦闘員または戦争施設のみを攻撃対象とした」という点において、絶対的に異なります。9.11テロのように「最初から、非戦闘員である民間人を攻撃していない」のです。

(ここで、東京大空襲や、広島・長崎の原爆が、非戦闘員虐殺を目的にした攻撃であった、という事実も、一時的に忘れておいて下さい)

しかし、そこに気がついて、「"Second Pearl Harbor Attack"と称呼するのは止めよう」と言っていた米国人はいなかったように思います。

私は、そのことに対して、米国の人を責める気はないのです。

だって、私がちゃんと整理して説明できないことで、分かってもらうのは無理なことなのですから。

(今になって思えば、私が日本国政府から米国政府に、正式に申し入れて貰えばよかった。今頃気がついても遅いですが)

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「永遠の0(百田尚樹著)」は、神風特攻隊の話です。

この本が、私の上記の悔悟に対して、それを救済してくれている訳でもありません。

また、「9.11のテロ」=「真珠湾攻撃+神風特攻隊」に対して、成否いずれの論理を展開している訳でもありません。

しかし、私が、そして、当時、米国に居住していた、多くの日本人が、

"Second Pearl Harbor Attack"

という言葉に、憤慨し、苦しみ、そして、それに対して、何も主張できなかったことの悔しさを、

―― 多分、もっとも正確な「形」として、後世に伝えてくれるだろう

と確信し、それが、本当に嬉しかったことを、覚えています。
http://www.amazon.co.jp/永遠の0(ゼロ)[単行本]/dp/4778310268
2012年 08月 25日
NHKオンデマンド
福島原発の事故を調べておりますが、どの文献も書籍もよく分かりません。

○専門家の報告書は、各論に入り過ぎ、
○コラムニスト、エッセイストの文章は、事実と予測と願望と主観(責任論)が、ごちゃごちゃ、かつ自分に都合の良いように、記載されており、
○過去のブログ等の内容は、後でに判明した事実と矛盾が生じており、

まったく収集がつきません。

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そういえば、福島原発の事故の直後、全てのテレビのチャンネルの解説者が「メルトダウン」の発生の可能性に対して、「素人考え」だと『せせら笑って』、取りあっていませんでしたね。

現実は、「メルトダウン(燃料棒が解ける)」どころか、「メルトスルー(圧力容器をブチ抜く)」となっていましたし、圧力容器や格納容器が高温高熱で、放射性物質ダダ漏れ状態でした。

これは、専門家の存在意義を問われても仕方ありませんね。

もっとも、後から分かったことで、人を責めるのは酷ですけどね。

でも、自信がないならテレビなんぞの出演は拒否すべきだし、出演した以上は、今からでも、きちんとした「自己批判」をすべきだと思います。

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それと、

○フジテレビは「メルトダウン」で論陣を張るとか、
○テレビ朝日は「炉心爆発」まで言及するとか、
○日本テレビは「数日後には、問題なく冷温停止する」と言い張るとか、

政府発表を鵜呑みにしない、独自の主張をしたとしても、よかったのではないかとも思います。

でも、難しいかっただろうな、とは思います。

あの情報の錯綜した、恐怖の大混乱の状況の中では。

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で、今、私が最も頼れる文献は、「NHKスペシャル」「サイエンスZERO」です。

先日、「NHKオンデマンド」に登録して、検索キーを「原発事故」として、深夜に片っぱしから、パソコンで見まくっています。

一番組で210円取られるのですが、もう、バンバン小銭を放り込んでいる状態です。

気分は、神社の賽銭箱の前に立つ受験生、ゲームセンタで"Continue"の秒読みを表示されているティーンエイジャです。

それでも、「NHKオンデマンド」には本当に助けられています。

しかし、「3日で再聴取できなくなる」、というの、なんとかなりませんか。

パソコンのHDDにダウンロードさせてくれ、とまでは言わないので、せめて一月くらいは、再生可能として欲しいですよ。

私は、番組見ながら、放射性物質の名称、数量、範囲などメモに書き取っているんです。

3日程度では、十分なレビューもできやしません。

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それにしても、なぜ、今ごろ「福島原発事故」を、と?

それは、もうすぐ分かります。
2012年 08月 24日
地球にやさしくして貰った記憶
環境問題、というのが良く理解できておりません。

「地球にやさしく」と言いますが、私は「地球にやさしくして貰った」の記憶がないので、どうも、このフレーズでは、モチベーションが働きにくいです。

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ところで、話は変わりますが、

故小松左京先生の「さよならジュピター」(○SF小説、×映画)の中で、宇宙開発に対して、批判的な彼女と、開発前線にいる主人公の会話が出てきます。

この本は「木星太陽化計画」という木星をぶっ壊して太陽にするという、太陽系秩序の破壊を前提とする計画の話から始まります。

このカップルの価値観は当然に対立し、

○「あるべき宇宙をあるべきままに維持すべき」という彼女に対して、

○宇宙という虚無の中にあっては「秩序そのものが価値」であり、それを資源を活用することが、「知性」が宇宙に在る理由である、と主人公は言います。

エントローピーの法則に因れば、どんな秩序であれ、いずれは崩壊します。

ここで言う「秩序」というのは、体育の授業でいう「前にならえ!」のことではなくて、ピラミッドのような構造物のようなものをイメージして下さい。

エントロピーの法則における、「エントロピーが増大する」とは、ミラミッドは、これまで4000年かけてボロボロになっており、そして、何れは砂漠の中に消えてなくなる運命にある、ということを言います。

つまり、間違っても砂漠の中から、ほっとけばピラミッドが自然に再生されることはないということです。

宇宙も長い時間の果てには、全ての物質が原子のレベルで崩壊して、全く何も動かなくなる「熱量死」の状態に至る、と考えられています。

「さよならジュピター」の主人公は、そのことに対して、

『宇宙に手を出しても、出さなくても、どっちも同じ結果になるなら、手を出して楽しんだ方がいいじゃん』と言っている訳です。

(あの世で、小松左京先生に、殴られそうなフレーズですが)

これはなかなか難しい哲学的命題です(が、今日はこれ以上は止めておきます)。

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「地球にやさしくする」という行為は別に構わないと思います。しかし、それによるリターンは何でしょうか。

現在、私が、もっとも理解しやすい有力な理由は、

『自然が持つ自己修復性を超えて自然環境にダメージを与えると、自然からの恩恵が得られなくなってしまうから』

という理由づけです。

つまり、「卵を食べ続けるために、卵を生むニワトリはギリギリ生かしておく」という、「生かさず、殺さず」で、「私達は美味しく卵をいただこう」という、人間様中心の唯我独尊の思想です。

# 「全ての生命は等しく平等である」の理論は、当初から却下しています。

しかし、長期的ビジョンでは、地球という系もいずれは崩壊する訳でして、まあ、この「環境問題の対策」というのは、地球リソースの延命処理、となりますが。

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「環境問題」の解釈は、これで足りると思いますが、ちょっと違和感があります。

それは、人類がこれまで、リソース負担の押し付け合い(水争いとか、漁業水域問題とか)をしてきた過去の歴史と、一致しないのです。

「どこからの誰かが、なんとかしてくれる」という、無責任な体質こそが、人類の一般的属性でした。

ところが、「環境問題」という観念においては責任回避を回避する方向に動いている(様に見える)

この今の状況は、私には少々気持ち悪い、というか正直にいうと「怖い」。

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―― という話を、後輩にしたところ、以下のように教えて貰いました。

江端さんは、「環境問題」を「系(システム)」や「効果」や「利害関係」から把握するから、そういう違和感が発生するのです。

「環境問題」とは、つまるところ「宗教」です。

現段階において、世界でもっとも信者の多く、分かりやすく簡単で、共有しやすく、無条件に「善」であると受けいれられる、「信仰」であると考えて下さい。

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「環境問題 = 宗教」

なるほど、これは分かりやすい。

この話を聞いて、私はようやく「環境問題」が理解できたように思えました。
http://www.amazon.co.jp/さよならジュピター〈上〉(ハルキ文庫)[文庫]/dp/4894565226
2012年 08月 23日
濃縮ウラン
8月14日の日記で「夏休みの自由研究」と題して、電力会社のお客様窓口にメールで質問してたのですが、13日16時頃にご回答頂いておりました。

当方のメールの確認が不十分であり、正しい記載を行っていなかったことを、福島原発を所有している電力会社の皆さんと、この日記の読者の皆さんに、お詫び申し上げます。

http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20120814

それはさておき。

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最近、本当に暑いですね。

夏休み、帰省した後も色々と疲れていたので、時々幻覚が見えたりします。

先日、ボーとした頭のままでと新聞の広告を読んでいました。

「濃縮ウラン 無料提供!」

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― ほう、濃縮ウランをタダでくれるのか。そりゃ嬉しいな。4kgくらい頼むか。

― <北>に転売すると、いくらくらいになるかなぁ。

― いや、TNT火薬を大量に手に入れれるルートがあるかな。

― 起爆タイミングの調整が問題か。しかし、多分今のパソコンの性能であれば十分だろう。

― ウランの管理が難しそうだけど、来年の夏休みの自由研究にしようかなぁ、「原子爆弾の作り方と実験結果」。

もちろん、私も見間違いであることは分ってはいたのですが、朦朧(もうろう)とした頭で、フワフワした妄想を放置していました。

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「濃縮『ウコン』」を、無料で頂けるそうです。
2012年 08月 22日
子供達を責めないで(続き)
「子供達を責めないで」の原作を追ってみました。

びっくりしました。

あの、サミー・デービスJr.が歌っているんです。

http://www.youtube.com/watch?v=DxZseSNZRDc

ああ、こんなことやっている時間はないのに、「内容が知りたい」の衝動が止められません。

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Back to: Sammy Davis Jr. lyrics
Sammy Davis, Jr. - Don't Blame the Children

翻訳(+誤訳):江端智一

"Don't Blame The Children"
子供達を責めないで。

You know we read in the papers
新聞を読み
And we hear on the air
ラジオを聞けば、
Of killing and stealing
殺人、盗み、
And crime everywhere
ありとあらゆるところに犯罪だらけだ

And we sigh and we say
溜息ついて言っちゃうよね。
As we notice the trend
嫌な世の中だよ
This young generation
若いやつらの時代は
Where will it end
いつ終るんだろうってね。

But can we be sure
しかし、気がつかなくっちゃね。
That it's their fault alone
それは、彼らの過ちではあるけどさ、
I mean, that maybe a
多分、それはさ、
Part of it isn't our own
俺たち自身じゃないのかな?

Are we less guilty
俺たちはそれほど悪くないけど、
Who place in their way
彼等の中にあってさ、
Too many things
あまりに多くのことがさ、
That lead them astray
彼等の道を誤らせている、と

Like too much money to spend
例えば、使う金が多すぎるとか、
And too much idle time
暇な時間がありすぎるとか、
Too many movies
映画が多すぎるとか、
The kind of passion and crime
それも犯罪を助長するようなね。

Too many books, man
多くの本がありすぎて、
That are not even fit to be read
読むのに相応わしくなくて、
Too much evil in what they hear said
彼等の中ではよくないものが多すぎるとか。

And too many children
多くの子供は
Encouraged to roam
うろつきまわるのが悪いとは思わないさ
By too many parents
だって、多くの大人は
Who won't even stay at home
家にいやしないんだもの

(Don't blame it on the children)
(子供達を、そのことで責めないでやってよ)

Well, man, kids don't make the movies
でもさ、子供は映画を作らないよね。
And they don't write the books
本も書かないし、
And they don't go out
夜遊びだってしない
And paint gay pictures
ゲイの絵も書かないし
Of gangsters and crooks
それも、ヤクザや詐欺師のね

They don't make the liquor
酒を作っている訳でもないし
And they don't run the bars
バーで飲むこともない
And they don't make the laws
法律を作るわけでもなし
And they don't buy the cars
車を買うこともしない

They don't peddle junk that
ヤクの売人にもなれない
Well, that addles the brain
そして、それで脳を腐らせることもない
That's all done by older folks, man
全部、大人のやっていることじゃないか、なあ兄弟
Greedy for gain
がつがつした金への執着でさ

Delinquent teenagers, oh, man
怠惰なティーンエイジャーってのはさ、
How quick we do condemn
どんなに早くとがめたところで
The sins of a nation
国の失策ををね、
And then go and blame it on them
そのことで責めてたとしてもだよ

But the laws that are blameless
とはいえ、法律には文句を言えないし
The Savior makes known
イエスに知らせても、
Now you tell me who is there
あんたは俺に言うのか、そこに誰がいて
Among us to cast the first stone
俺達のなかから、誰かが最初の石を投げる、とさ

For in so many cases
あまりにも多くのことがあるけど、
It's sad but it's true
悲しいけど、それが真実だ。
That the title Delinquent
「怠慢」の称号は、
Fits older folks too
俺達大人にこそピッタシなんだよ

(Don't blame it on the children)
(子供達を、そのことで責めないでやってよ)
(Don't blame it on the children)
(子供達を、そのことで責めないでやってよ)
(Don't blame it on the children)
(子供達を、そのことで責めないでやってよ)


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まあ、超訳なので、意味を取り違えているところも沢山あるとは思いますが、

―― それにしても、なんと、深い洞察と示唆に富む自己批判でしょうか。

感動しました。

特に、"Among us to cast the first stone" って、あれですよね。ヨハネの福音書に出てくる、

◯イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が姦通の現場で捕えられた女を連れてきた。姦通は律法では石打ちの死刑と決まっている。

◯イエスは「私達の中("Among us")で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい("cast the first stone")」と言った。

◯これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。

って話。

なんか、かっこいいですよねー。

聖書が生活に密着していないと使えないフレーズですよね。

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しかし、この素晴しい歌詞が、どうして日本では、

「私は子供に生まれないでよかったと 胸をなで下ろしています」

という、歌詞で翻訳されるんだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=DxZseSNZRDc
2012年 08月 21日
子供達を責めないで
ああ、この曲だ。

学習塾(小学生)の塾の講師をしていた時、この曲のカセットテープをクラスに持ち込んで、大爆音で生徒達に聞かせたことがありました。

後で、塾長に叱られましたが。

私のエッセイは、この作風を目指していたんだ、と、再発見しています。

当時、泣く程笑ったなぁ。今日もすでに30回以上聞いています。

もちろん、amazonで購入ですよ。

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「子供達を責めないで」唄 伊武雅刀、作詞:秋元康、作曲:Barnum Reeve

私は子供が嫌いです
子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり□に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって絶壁です 絶壁です 絶壁です

努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児
そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ

私は思うのです この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています

私は子供が嫌いだ ウン!
子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです
身勝手で 足が臭い
ハンバーグ エビフライ カニしゅまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン
好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ

スクスクと背ばかり高くなり  定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ

そんな子供のために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか
これだけ子供がいながらひとりとして 感謝する子供なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ

子供はきらいだ 子供は大嫌いだ 離せ 俺は大人だぞ
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ 私は本当に子供が嫌いだ〜〜〜

(本歌詞の掲載は、著作権者の許諾を頂いておりません。著作権法第21条基づく複製権その他の権利に基づく差止請求権(112条)の警告を頂ければ、直ちに応じます)

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(1)http://www.youtube.com/watch?v=RiGRbC4n6mc
音声が小さくて残念です。

(2)http://www.youtube.com/watch?v=32xLyAb_y9k&feature=related
歌詞が歌と合わせて出てくるので良いのですが、曲とイメージがちょっと・・

(3)http://www.youtube.com/watch?v=mijzAmRii9E
1:44 からのライブ、最高です(涙が出そうになりました)。
これを是非見て下さい。

1:44 からです。

http://www.youtube.com/watch?v=mijzAmRii9E
2012年 08月 20日
当たりさわりのない穏当な絶交
合法ハーブ、合法ドラッグが、100%危険であることが分っていても、ティーンエイジャが、それに嵌って(はまって)いくプロセスには、簡単な法則があります。

これは、万引、「援助交際」と呼ばれる淫売、その他のティーンエイジャを取り巻く各種の犯罪に共通する事象です。

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『大したことないよ、ちょっとだけ試してみようよ』

これです。

このセリフが、ティーンエイジャを苦しめるのです。

「自分だけ、仲間と違う行動を取る」ということくらい、ティーンエイジャにとって恐いことはないのです。

大人の思考としては、勿論「なんじゃ、それは?」な話ですよ。

しかし、私達もティーンエイジャの頃、その場面で「正論」を言う勇気はなかったでしょ。

「あいつ、一人だけ『いい子』でいやがる」と言われて、仲間外れにされることくらい、恐いことはなかったはずです。

いわゆる「いじめ問題」も、詰るところ、ここに帰着すると考えています。

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それにしても、私は、大人になって本当に楽になりました。

「『馬鹿』を切り捨てて、一人で自由に生きれる」という、当たり前の事実と、当たり前の生活が担保される、大人の世界は「極楽」です。

ハレルヤ! おとな帝国!!

てなもんです。

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私達大人は、現実的に、子供を合法ハーブ、合法ドラッグ、犯罪から守り、かつ、子供達がコミュニティから排除される手段を真面目に考えて上げる必要があります。

自分の子供に対して、

「お前が『間違っている』と思ったことは、それを正々堂々と主張すべきだ。それが真の友人だ」

という保護者がいたら、私は言ってやりますよ。

「あんたは、アホか」と。

あんたは上司や取引先にすら『正論』を言えていないだろう、と。

「正論」は企業の指揮命令系統を破壊し、あなたの収入源を危機に陥れるはずです。

ですから、我々は「正論」に拘泥しないで、適当な「嘘」や「デタラメ」を交えて、場当たりの対応で、私達は毎日を生きているのです。

自分ですらできていないことを、自分の子供に押し付けるのは止めましょう。

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私は、娘達に実践的な対応を教えています。

こんな感じで。

<ここから>

『大したことないよ、ちょっとだけ試してみようよ』、と言われたら、携帯電話がバブルで鳴っていることにして、携帯を取り出して、そこで架空の作り話を創作しろ。

(1)『静岡のおねちゃん、え? 今から遊びにくるの? 今晩泊り。うん、いっしょに夕食?? うん、分った』といって、その友人と別れてくる。

で、次も同じことがあったら、

(2)『え! ジョン(自宅の犬)が車にはねられて! それで、今は! えっ!?危篤!!』と叫んで、そのまま、自宅に走り戻ってこい。(「ジョン」を「お父さん」と換えても良い。しかし、この場合、事態が大きくなる恐れがある)

それでも誘ってくるようなら、これは最後の手段だが、「私」の名前を出して、こう言え。

(3)『昨日、父に殴られて、あなたのことも含めて、クスリの話をしゃべってしまったの。学校と警察に電話しようとしたから、土下座して、それだけは止めてって頼んだけど・・・。父のことだから、もう学校に連絡いっているかも・・・。ゴメンね、こんな私じゃ、もう友達じゃいられないよね! サヨナラ!!』

と、泣きながら、走って逃げる。

<ここまで>

私の話を聞いた娘は、『うーむ、難しいなぁ』と言っていました。

「ま、難しいのは分かるが、『当たりさわりのない穏当な絶交』に持ち込むには、この程度の演技は、やっぱり必要だろう」

と、言っておきました。

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それにしても、ティーンエイジャって本当に大変ですよね。

私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています(by 伊武雅刀 -子供達を責めないで)。
http://www.youtube.com/watch?v=RiGRbC4n6mc
2012年 08月 19日
合法ハーブ(続き)
えーと、昨日の宣言(合法ハーブについてのコラム執筆)を撤回します。

やっぱり、このコラム止めます。

いろいろ調べてみたのですが、「合法 = 安全」という意味ではなく、「合法 = 脱法」ということらしく、恐しく危険であることも分かりました。

こんなもんに巻き込まれるのは御免ですので、尻をまくって逃げることにします。

もしコラムを書くことになったら、流れ的に「江端が自分で試してみました」というレポートにならざるを得ないし、一回でも試したら、どうやら「一発で終り」のようです。

「コンパートメント」は、虚構であるかもしれません。

しかし、「合法ハーブ」「合法ドラッグ」のように、人間を廃人にしたり殺したりするものではないですしね。

これでは、コラムの構成すら立てられない。

まあ、私がコラム書かなくても、これほど危険性が誼譟(けんそう)されているのに、それでも手を出す馬鹿まで救う必要はないでしょう。

残念なことは、これでは何の為に、昨日『百億の昼と千億の夜』を出してまで、前フリしてきたか、ということです。もったいない。

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学生の頃、インドや中国の放浪の旅の途中で、ハシシやマリファナの売人を睨めつけて追い払っていたのに、―― なんで、今になって、こんなリスクを取る必要があろうか。

私は「自分だけは中毒にならない」だなんて、根拠のない自信を持つ程、自分に自信はありません。
2012年 08月 18日
合法ハーブ
光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』は、私が生まれる時代に出版された、壮大なスケールのSF作品です。

# そんなに古い作品とは知りませんでした。

Wikiには、『「神」をテーマにし、終末観と救済など、宗教・哲学的色彩も濃い』と記載されているのですが、私の中では、ちょっと違いまして、

「宇宙の果ての向うには、何がある?」

という、『人間の根源的な問いに対する、SF文学からの挑戦』と読み取りました。

文章では重いという人は、萩尾望都によって漫画化されていますので、是非ご一読下さい。

(私は、あまりこの単語は乱発したくないのですが)これは「名作」です。

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この作品の中で「コンパートメント」という概念が登場します。

大ヒット映画映画「マトリックス」は、この作品の「コンパートメント」のコンセプトを、非常に見事に取り込んでいます。

# このことについて、私は『確信』しているので、誰とも議論する気はありません。

「コンパートメント」とは、人間が一人入る為の「箱」です。その箱の人間は、脳をメインコンピュータに直接接続して、ユートピア社会の中で幸せに生きます。

主人公が、

「そんなバーチャルな世界で生きることが幸せか!」

と叫ぶと、メインコンピュータは、

「何がリアルで、何がバーチャルであるかを『認識』する手段はない」

と決めつけます。

主人公が、

「それでは『不可知論』に終始することになる」

と反論すれば、コンピュータは、

「『不可知論』を主張するなら、その前提となる『認識』は何処にあるのだ?」

と、反論を封じます。

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さて、ここで「不可知論」とは、感覚的経験以上の実在を人間は知ることができないとする主張です。

例えば、人間は、究極的真理とか神とかの存在を知り得ることができない、ということを「不可知論」と言います。

つまり、メインコンピュータは、こう言っているのです。

(1)バーチャルの世界の住人が、バーチャルな世界で感覚的経験(認識)をしているとする。

(2)とすると、そのバーチャルな世界での認識の上に、不可知論を展開することに意味があるのか。

(3)『認識』の存在している場所を、客観的な定点として固定できない以上、「不可知論」の反論は、ナンセンスである。

まあいずれにしてもですね、『この世界が、本当に実在する世界なのか?』という疑問は、全人類がティーンエイジャの時に経験してきているハズです。

もし、経験していないティーンエイジャがいれば、それは、いろいろな意味で「幸せな奴だ」と思います。

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長い前置きでした。

実は、今度、どこかでコラムを書く機会を頂ければ、、今、社会問題となっている「合法ハーブ」「合法ドラッグ」を扱ってみようかと思っているのです。

『完全に安全性と非習慣性が担保される「ハーブ」「ドラッグ」』であれば、上記の「コンパートメント」と同じだろう、という論旨を展開しようかと、考えています。

(明日に続きます)
http://www.amazon.co.jp/百億の昼と千億の夜(秋田文庫)[文庫]/dp/4253170021
2012年 08月 17日
絵文字メール
先日、高速道路で嫁さんに運転を交代して貰った直後、嫁さんの携帯にメールが入ってきました。

途中で立ちよる、嫁さんの親戚からの連絡だったので、直ぐに返信する必要がありました。

そこで、私が嫁さんの返信メールを代筆することになりました。

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「えっと、文面はこんな感じで良いか」

<Body>
メール頂きありがとうございます。
お待ち頂いている件につき拝承致しました。
当方、カーナビの試算によれば、11時10分頃の到着の予定としております。
では、皆さんとお会いすることを、心より楽しみにしております。
</Body>

嫁さんは「却下」と断言した後、私に対して、細かく記載内容を指示しました。

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Subject: おはよー("ハート"の絵文字)
Body:
11時頃に到着できると思うよ("!"の絵文字)。
がんばってそっちに向うからね("ちからこぶ"の絵文字)
皆で待っていてね("笑顔"の絵文字)

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人生で絵文字を一度も使ったことがない私にとって、このメールの作成は、

「嘔吐(おうと)を伴うくらいに」

気色(きしょく)悪いものでした。

他人のペルソナを装って振る舞うことが、こんなにも「心をひん曲げる程」の苦痛であるとは、知りませんでした。
2012年 08月 16日
ボカロとアコースティック
こんにちは。「ボカロ」をラテン系の新しいダンスと思っていた、江端です。

先日、静岡に立ち寄ったのですが、そこで、楽器メーカのエンジニアの方とお話する機会を得ましたので、色々と質問させて頂きました。

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Q:「最近の楽器メーカは『初音ミク』という新しいメディ(製品)アの登場をどのように考えているか」

◯現状では、状況を見守る以上のことはできない。

◯「初音ミク」で採用されている、ボカロ(ボーカロイド)音源については、ヤマハが事実上の独占。そのヤマハについても、「初音ミク」でどのようなビジネスモデルを展開する予定なのかは、分からない。


Q:「ボーカロイドなどの新しい歌唱表現手段が出てきたことによって、従来の楽器は、その存在意義を失ないつつあるのではないか」

◯確かに、マイコン等によって音声が自由に作られる以上、未来の楽器が、従来のギターやドラムの様な有体物である必要は必ずしもない、とも言える。

◯しかしながら、ボーカロイドを中心として、コンピュータによる楽曲作成は、まだまだメジャーな存在とは言えず、音楽の世界では亜流扱いである。

◯現在、楽器の主流なトレンドは「アコースティック(*1)」である。つまり、マイコンを使った、ピアノ、ギター、ドラムであっても、それが演奏者にとって、いかに現実のピアノ、ギター、ドラムの演奏感覚(インターフェース)に近づけるか、が、目下の技術開発の課題である。

(*1)楽器本来の響きを生かした音を指し、電気楽器と対照して用いることが多い。

Q:「では、当面は、アコースティックの開発に注力していくことになるのか」

◯難しい質問だ。楽器のインターフェースなど、どうでも良いと考える世代が現われているのは事実だが、といって、従来の楽器が完全に無くなっていくと考えることも難しい。

◯なにしろ、数百年の時を経て、なおかつ生き残ってきた楽器のインターフェースであるからである。パラダイムシフトが劇的に発生するとは断言できない。

Q:「現時点で、楽器がアコースティック指向であることは分った。とすれは、楽器の演奏自体も、従来と同様の形態が指向されているのか」

◯そうとも言えない。まず、巨大ディスプレイに表示される「初音ミク」は勿論であるが、

自分の素顔を全く見せないまま演奏する形、
自分のシルエットだけを投射して演奏する形態、
楽器の形をした物体だけを持参するものの、演奏するフリすらしない形態

まで現われてきており、演奏方法のパラダイムも多様化している。

Q:「ボカロは次世代の楽曲として主流となると思うか」

◯分からない。ボカロが当然となっている世代にとって、ボカロは異様なメディアではない。ボカロと従来の楽曲は、矛盾なく併存するのではないかと考えている。

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このインタビューの後、大型書店に飛びこんで、色々文献漁っていました。

この夏休みに、自分のパソコンに何か歌わせてやろうか、と、考えていたのですが、まだ十分な情報が出ていないようです。

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江端のボカロデビュー(といっても、お試し程度であろうが)、は、来年の夏くらいを予定しています。

例の

「理性を喪失したアルコールの鯨飲とそれによって発動されるとめどもない痴呆的会話・・・」

に、曲を付けたら、さぞ面白いだろうな、と思いまして。
2012年 08月 15日
給湯室での討論
会社の先輩に教えて貰ったことがあるのですが、

「『永遠なるモノ』を求めると、左であれ右であれ、最終的には国家(ナショナリズム)に至る」

のだそうです。

人間の寿命は、たかだか100年弱なので、『永遠なるモノ』を「個」に依存する媒体とするには、弱すぎる。

1000年オーダでの『永遠なるモノ』を乗せる媒体としては、「国家」という概念が、ちょうど良いのだそうです。

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しかし、「国家」でもまだ弱いと思うのですよね。

私が確認している限り、最長にして最強の乗り物は、やはり「宗教」です。

といっても、現段階でも、2000年± 程度の寿命でしかなく、これからの1000年は、分ったものではありませんが。

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理系男子だから、という訳でもありませんが、私は「物理」と「数学」だと思うのですよね。

但し『永遠なるモノ』の種類は限定されるのですが。

少なくとも、善悪、道徳、生死観、哲学、というような、無体の知的観念は、運搬できないという、大欠点があるのですが。

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1990年代の職場(但し、企業研究所ですが)では、こういう話を給湯室で、2〜3時間ぶっつづけで議論していても、上司は看過してくれていました。

単に「大らかな時代だったから」という理由だけではないと、私は思っています。
2012年 08月 14日
夏休みの自由研究(続き)
いる電力会社の、お客様窓口に、

「この数値を教えて欲しい」

「それが無理なら、関連文献とかURLを教えて欲しい」

とメールでお願いしたのですが、まだ、お返事を頂けていません。
</引用>

と記載致しましたが、13日の16時にご回答頂いておりました。

当方のメールの確認が不十分であり、正しい記載を行っていなかったことを、福島原発を所有している電力会社の皆さんと、この日記の読者の皆さんに、お詫び申し上げます。

江端智一
夏休みの自由研究
今、夏休みの自由研究について、色々調べている最中です。

# 娘の自由研究ではなく、「私」の夏休みの自由研究です。

今年の冬休みは、
「制御向け通信企画EtherCatのコントローラをパソコンで作る」

その前の夏休みは、
「倒立振子の制御プログラムを、リバースエンジニアする」

というように、これまで私は「夏と冬の自由研究」を、誰の為でもなく、どこへ報告するでもなく、ずっと一人で密かに実施してきました。

最近の週末研究員としての私は、「英語に愛されないエンジニア」についての論文作成に忙しくて、なかなか技術的なことで遊べない、という状況もあります。

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さて、この夏の自由研究のテーマは、

「福島原発の水素爆発に至るまでの経緯」

です。

今、色々調べています。

2800度の融点を超えてメルトダウンした原発のウラン燃料が、原子炉→原子炉格納容器を破って、どの程度の量(何トンくらい)、原子炉建屋まで流出したかを調べています。

しかし、どうしても、インターネット等の公知情報からは、この数値が登場しません。

と言う訳で、福島原発を所有している電力会社の、お客様窓口に、

「この数値を教えて欲しい」

「それが無理なら、関連文献とかURLを教えて欲しい」

とメールでお願いしたのですが、まだ、お返事を頂けていません。

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きっと、お客様窓口も「夏休み」なのでしょう。

夏休みの後に連絡頂くことになると、私の今年の「夏休みの自由研究」は間に合わなくなりますが、こればかりは、仕方ありませんね。
2012年 08月 13日
目標を設定する人生
昨日、「成功のコンセプト」という本を読んでいるという話を書きました。

この本も含めて、人生の啓蒙書と呼ばれるものの多く(というか殆ど)で記載されていることの一つに、

「目標を設定しろ」

というものがあります。

目標を設定すると、目標までの時間と、そのプロセスの見積ができ、目標までのその進捗状態が「見える化」できる、という内容です。

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これらの啓蒙書の著者は、つくづく「分っていないなぁ」と思います。

目標設定すれば、そして、その目標が高ければ高いほど、その進捗が芳しくならなくなるのは当然です。

そのような、進捗が思わしくない「見える化」は、目標までの到達意欲を、著しく減退させます。

到達意欲の減退は、目標への努力を、簡単に「断念」させてしまいます。

啓蒙書の作者は、多分、夏休みの宿題を7月中に終わらせてしまうような人ばかりなのだろうと思います。

そんな作者の啓蒙書を読むのは、時間の無駄です。少なくとも、その著者と私の間には、相関関係は全く見当りません

# 逆相関係数は高いかも。

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人生の啓蒙書が出版されているのは、売れているからです。

何故売れているかと言うと、別の啓蒙書で失敗した人が、再び別の啓蒙書を購入するからです。

つまり、人生の啓蒙書とは、そこから人生を学べない人の為に存在する、という逆説的な結論に至っても、あながち暴論ではないと思うのです。

第一、書物ごときから人生を学べる程、人生が単純・明快である、私には到底思えませんが。

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私の人生訓は、以下のような感じですね。

「自分の人生訓も含めて、いかなる人生訓も当てにしない」
2012年 08月 12日
イッツ ア スモールワールド
調査の必要があって、「成功のコンセプト」という本を読んでます。

以前にも書きましたが、私は本にカバーをしないので、こういう本を読んでいることがバレてしまいます。なかなか、恥しい気がします。

最近コンビニなどで見かける、「30代でやっておかなければならない20のこと」という内容の本も、題目を見ているだけでも恥かしい。

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コンビニと言えば、最近、ブックコーナーに「自己啓発の本」「著名人の名言集」とかが、たくさん陳列されています。

特に多いのが「心が弱ったときに読む」という傾向の本です。

「コンビニ」と「弱った心」というのは、結構、強い相関関係があるのでしょうか。

孤りでいるのは嫌だけど、誰かと会話するだけの気力もないという時、コンビニというのは、結構、現代人のオアシスだったりするのかもしれません。

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仮説なんですが、コンビニというのは、「イッツ ア スモールワールド」みたいな世界なのかもしれません。

食料、飲料水もある。酒、タバコ、もちろんある。週刊誌、雑誌、人生の啓蒙書、綺麗なトイレも完備されている。ATMもあって、コンサートのチケットも購入可能。

「ああ、外界と遮断されながら、この閉じた世界で、誰ともコミットせずに、ヌクヌクと過したい」

という現代人の願望の一態様、と見てみましたが、さてどうでしょうか。
2012年 08月 11日
「美しい親子の文化」の危機
私は、本に表紙カバーをしません。

カバーする習慣がないのと、大抵の本は図書館で借りてきていること、そして基本的には、

「本を大切に扱わない」

ということですね。

読み終わった本は、「もう一度読みたいと思うだろう」と思わない限り、ゴミ箱に捨てます。

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しかし、捨てた本に限って、後で必要になってくる場合があります。

そして、そういうケースは多いようにも感じるのですが、実際、そういう「嫌な思い出」は、記憶に残りやすいだけ、なのだそうです。

しかし、現実に困る場合もあります。

ですから、普段から、本をぶった切って全ページをスキャナでパソコンに取り込んでから、本体を捨てることをやっています。心理的にも実用的にも、お勧めです。

これを「自炊(じすい)」と言うのだそうです(語源は調べて下さい)。iPadなどで本を読む人は、普通にやっていることのようです。

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この「自炊」は、保護者が、自分の子供には絶対に見せたくない「えげつない本」などを、実体として持つ必要がなく、電子ファイルで保管できるというメリットもあります。

しかし、これは逆に、子供がエロ本を「自炊」して、電子化してパスワードをかけてしまうことも可能となる訳です。

―― 子供はエロ本をベッドの下に隠し、親はそれを当然に知っていながら知らないフリを続ける

このような、脈々と受け継がれてきた美しい親子の文化が、「自炊」によって破壊されようとしています。

これはゆゆしき事態です。

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この文化を、「形式的」にでも維持し続ける為には、、

(1)親が、自分のパソコンから子供のiPadに侵入し、

(2)子供のログインパスワードと、エロ本のファイルのパスワードもクラックし、

(3)そしてその本の内容を全部知った上で、その事実を子供には黙っている

という、極めて高度なITスキルが必要になります。

保護者のみなさん、大変厳しいご時世ですが、親子の正しい文化を維持する為です。

お互いがんばりましょう。
2012年 08月 10日
「面白くない」(続き)
娘の通っている中学校は、英語教育に力を注いでいるようです。

特に、日本の英語教育で指摘されている「読めるが、書けない、話せない」を克服しようとする姿勢が感じられていて、保護者としては好印象です。

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しかし、娘が完璧な発音でセンテンスを読み上げると、父親である私は、どうも機嫌が良くありません。

―― 中学生ふぜいが・・・

と。

「まあ、なんだ、その、英語なんていうのはだな、30歳から真剣に始めれば十分なんだ」

「発音がきれいなら『それでいい』っていうもんじゃないんだ。英語は・・・ソウルだ。ソウル。わかるか? 魂なんだよ」

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どんな親だ。

酔っ払いのたわごとだって、もっと筋が通っている、と思う。

大体、どこの世界に、子供の勉学モチベーションを下げる親がいる。

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つまるところ、流暢な英語の発音をする娘に、私は「面白くない」のです。


(参考文献)
執筆者の江端氏、「実は英語ができる!?疑惑」に迫る

http://eetimes.jp/ee/articles/1208/09/news004_2.html
2012年 08月 09日
「面白くない」
◯下の娘(小学4年生)が、塾の全国模試において、私の人生において最高であった偏差値を軽く凌駕するスコアを叩き出してきました。

◯主役を張っている上の娘(中学2年生)が、演劇の全国大会(演劇の甲子園みたいなものらしい)の出場を決めてきたらしいです。

もちろん、父親として誇らしいというのは言うまでもないが、なんか、

「面白くない」

―― なんで、あいつらばっかり、そんな良い目にあっていんだ

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分っています。

第一に、自分の娘に嫉妬してどーする。私の器は小さい。顕微鏡で見なければ発見できないほど小さい。小さいにも程がある、と思う。

第二に、誰の人生であれ「人生というのは山あり谷あり」です。

悪いことと、良いことが、正弦波(sin)関数のように出現してくるのだから、悪いことがあっても、パラメータt(時間)を雌伏してガマンすれば、いつかは良いこともやってくるものです。

良いことが連続することが難しいように、悪いことが連続することも、また難しいのです。

と、わかっちゃいるのですが。

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例えば、一月も前に提出した原稿を、締切土壇場の今頃になって却下通知されると、さすがに私でも凹むんです。

自分の会心作の連載コラムが、PV(ページビュー)数を稼げないと分かると、落ち込むんです。

勿論、全力を注いで執筆した以上、自分では『絶対に良い内容のコラム/エッセイのはずだ』と信じていますし、そして、私の創作物を楽しんでくれている読者の皆さんが多くいることも知っています。

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だだ、それを遥かに凌駕する程の膨大な数の、私を支持して「くれない」読者がいるという事実は、

―― それが、客観的に絶対的な事実で、仕方がないことだと分ってはいても、

やっぱり、それなりに凹むのです。
2012年 08月 08日
「エロ本を取り上げる保護者」のITバージョン(続き)
先日の日記(2012年07月31日 (「エロ本を取り上げる保護者」のITバージョン)で、以下のような文章を書きました。

<引用>

私はゲーム世代といわれる人間の一人です。

もっとも、私はゲームが苦手だったので、ゲームでは遊びませんでしたが、それほど屋外でも遊ばなかったし、泥遊びもしなかった。

酷暑の夏や、極寒の冬に、外を走り回るなどという、(子供心にも馬鹿げたと思う)行為もしなかった。

野原を駆け回ることもしなければ、虫を手で掴むこともしなかった。

で、その結果として、私は、一体何を失い、何に困っているのでしょうか。

別段、何も失っておらず、困っていることもありません。

</引用>

この意見に対して、私達の世代、およびそれ以下の世代は、異様な犯罪(少女を狙った性犯罪等)が多いという人は、多分、多くいると思います。

そのような人は、私達が、子供時代に、外で走り回らなくても、泥だらけになっていれば、今のような犯罪は発生していなかった、とか主張する人かもしれません。

そのような、子供時代の自然とのふれあいの行為こそが、人間の正しい成長を促すのだ、と。

-----

はっきり言いましょう。それは勉強不足です。

ちゃんと犯罪白書や統計を読んでみれば分かりますが、青少年の犯罪(凶悪犯罪、性犯罪も含めて)は、昔に比べれば「劇的」に減少しています。

私は、数年前に見守りセキュリティの市場調査を行ったことがあります。そして、その調査結果の結論は以下のような内容になりました、

(1)見守りセキュリティが、一つの市場として確立するには、現在の日本の犯罪発生率は「低すぎる」。

(2)少なく見積っても、現在の「300倍程度」の犯罪発生率が必要とされる。

ただ、これは市場規模とビジネスモデルの話で、子供を守るシステムが不要と言っている訳ではありません。

そもそも犯罪は統計値や期待値で測っても意味がなく、犯罪の被害者となれば、何をしたって、被害の前の状態に戻れる訳ではないからです。

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個人的な話になりますが、現実に私は自宅にセキュリティシステムを自作し(トラップを含む)、子供達には、無理矢理セキュリティ用の携帯デバイスを持ち歩かせております。

加えて、子供には、門限の時間までに約束の連絡をしない場合は、「帰宅したころには、大騒ぎになっているぞ」と言い含めています。

教師、友人、その保護者、警察官が、自宅に、わんさか集って大騒ぎになっている ―― そう覚悟しておけ、と、子供を脅迫しています。

子供にとって「親に叱られる」ことよりも、「自分のコミュニティをズタボロにされる」方が、遥かに現実の恐怖のはずです。

そして、普段から、私は子供に対して、その程度のことなら軽く実施してしまうという、父親の姿を見せ続けています。

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いかん。話が逸れました。

青少年の犯罪が「劇的」に減少していることと、現在のマスコミ報道とは感覚的に一致しません。

それは、この少子化社会において、青少年の犯罪が、ニュースソースとしては視聴率を稼げるからです。はっきり言えば、「美味しい」からです。

ろくな調査を行わずに、適当なインタビューをして、深刻なコメントをして、ニュースとして流すだけで、視聴率が取れれる。真面目に番組を制作するのが、バカらしくなる程、チョロイからです。

だからといって、このようなニュースが無意味である、とはまでは言わないですが。

# どうも今日は、こういう「言い訳」じみた文言が多いな。

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犯罪を含めて、色々な事件の発生原因を、子供の頃の環境に求めるのは、「見える化」できるので、納得しやすいと思います。

しかし、そのような安易な結論で満足しては、いつまでたっても犯罪を抑止する力になり得ません。
2012年 08月 07日
真夏の熱い缶コーヒー
自動販売機というものは、自らがセールスを実施するものではありません。

一般的には、人通りの多い動線上に設置して放置するものです。

もっとも最近は、人の顔を認識してお薦めの飲み物を提示する自動販売機も出
てきているようですが、

「よお、そこのオジさん。今、コーヒーがキンキンに冷えているぜ!」

と声をかけてくることはありません。

# やればできるるのだろうが、多分法律で制限がかかっているのだろう。

このように、自動販売機とは、顧客の登場を待ち、パッシブ(受け身)な販売しか行い得ないのです。

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しかし、今の時期になると、特定の自動販売機を求めて、ユーザの方からアプローチする人物が出現します。

私です。

私は、灼熱の太陽光線が差し込む、この猛暑の夏において、ガンガンに燃えたぎるように「熱い」コーヒーが欲しいのです。

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私の「熱い缶コーヒー」のニーズは、単に飲料目的ではありません。これは、健康管理プログラムの一環なのです。

(Step.1) 先ず、自動販売機で購入し、そのまま電車に乗ります。

(Step.2) 席に座ったら、直ちに、熱い缶コーヒーの角を、手の指圧のツボである「合谷(ごうこく)」に押しつけます。

「合谷(ごうこく)」は、頭部の疾患、首や肩の不調、精神的な症状にも効果があると言われており、「万能ツボ」と呼ばれているものです。

要するに「缶コーヒー」でお灸をしているのです。

(Step.3) 適度な温度に下ってきたら、こんどは缶コーヒーを上着から差し入れて、缶の側面を右肩に押しつけ、暫く、その熱さをガマンします。

(Step.4) そして、缶コーヒーが冷めてしまわない内に、左肩に押しつけます。

不思議なことに、この行為を行っている最中、回りの乗客の方は、私から意図的に視線を逸らしているように感じます。私の勘違いだとは思うのですが。

(Step.5) これらの一連の作業が終ったら、おもむろに熱いコーヒーで、一服する。

なんと効率的な、缶コーヒーの使い方であるか、と自画自賛してしまいそうです。

この方法で、方式特許(特許法2条3項2号)を出願しようかと考えているくらいです。

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なぜ、自動販売機の運用者は、私のようなユーザの存在を無視するでしょうか。

このように、熱い缶コーヒーで、多角的な健康管理を行なうユーザはいるはずです(ただ、私は、私以外には知らないだけです)。

しかし、もしないのであれば、それを開拓すべきでしょう。

私は、「真夏の熱い缶コーヒー コンサルタント」として、有用なコメントが提供できると思います。

報酬は、今年と来年の夏分の、熱い缶コーヒーでいかがでしょうか。
2012年 08月 06日
「結論」から話して貰えると助かります
「理系男子は、理屈っぽくて、色々知識をひけらかして、偉そうで、頭良さそうに振る舞うから嫌い」と文系女子が言います。

これは、概ね事実なのですが、一つだけ違うところがあります。

理系男子は、原則「頭が悪い」のです。

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何かお願いする時、理系男子でない者の多くは、状況「だけ」を説明する傾向があります。

(ここでは対立する概念として、便宜的に「文系女子」と称呼しますが、実際には現実には、理系男子を除く全ての人間のことです)

こんな感じ。

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「AさんがBをして、CさんがDをした結果、EさんがFという状況にになっている。ところが・・・・。しかし、その一方、Gさんに因れば、・・・ということになっているらしい」

と、ここで、話が唐突に終了。

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上記の文章だけで、文意を理解できる文系女子は、理系男子より、知能レベルが格段高いと断定して良いです。

私達、理系男子は、こういう、状況の説明だけの文章から文意を把握することはできない。

そういう風には「作られていない」からです。

理系男子は、一種の入出力装置、ブラックボックス、もっと簡単に言えば、パソコンと思って扱って貰うのが望ましいです。

こんな感じ。

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(1)お願いがあります。

(2)Gさんに、AさんとCさんとEさんの状況をインタビューして、現時点での状況を、私に教えて下さい。

(3)私が知っている事実は、以下の3つです。
(a)AさんがBをし、CさんがDをしたという話がある。
(b)これにより、EさんがFという状況になったという話がある。
(c)しかし、Gさんにの話からは、上記(a)(b)と矛盾が生じている。

(4)お願いしている理由は、AさんとCさんとEさんの状況が分からないと、次の打ち合わせの内容を決められないからです。

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上記のように「結論と依頼」を、一番最初に持ってくるという話し方は、効率もよく誤解も少ないというメリットがあります。

しかし、このような直接的なお願いは、我が国の文化に即していない、ということは、理解しています。

我が国は、直接的な「結論や依頼」を明言せずに、婉曲表現によって人間関係を緩やかに維持することを特徴とする文化を確立し、ここ1000年くらいうまくやってきました。

多分、これから先、1000年間も有効だと思います。

時間はかかるかもしれませんが、意図的に物事をはっきり言わないことによって、対立する観念を、武力行使なく纏めるというコミュニケーション手段は、世界に誇る素晴しいメソッドです。

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しかし、理系男子は、できるだけ多くの情報を取得して、短時間で結論を出すことを、日々訓練されています。

そして、理系男子が扱う物(コンピュータ、製造装置、建築物、配電・排水等の設備、その他)は、「命令」によって動かす必要があります。

コンピュータに、背景の説明や自分の気持ちを入力しても、なーんにも答えてくれません。コンピュータは、コマンドプロンプトで命令を待っているだけの単なる、アホな装置です。

理系男子への依頼方法は、コンピュータと同じで良いのです。

我々は、そのように取り扱われることに「慣れている」のではなく、そのように取り扱われないと「動けない」のです。

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ただ、理系男子として言われて頂くと、文系女子のメソッドも、「時と場所を選べ!」と言いたいことがあります。

電話がかかってきたとします。

◯家の前の角のところに、石がでっぱったところががあるじゃない。
◯あそこって、カーブする時、死角になりやすいんだよね。
◯普段から十分気をつけていたのよ。
◯でも、今日はたまたま対向車に気を取られていたの
◯・・・

もし目の前に、

『自動車に跳ね飛された子供が、血を流しながら道路に横たわっている』

と、想像しながら、血の気の引いていく思いをして、こんな話を聞かされている当事者から、言わせて貰えば、

「結論を先に言え!」と、怒鳴る理系男子は、多分悪くない。
2012年 08月 05日
「ミッキーマウス」と「初音ミク」 (続き)
昨日のインターフェース論の続きです。

昨夜、「ミッキーマウス(きぬぐるみ)」のペルソナについて、長女(中学2年)と話をしていたところ、面白い解釈を聞いたので紹介します。

まあ、一言で言うと、「共同幻想論」とでも言うのでしょうか。

(1)ミッキーマウスにハグして貰う人は、架空のミッキーマウスの人格(もちろん、そんなものはないが)を「幻想する」。

(2)ミッキーマウスの中にいる、アルバイトのニーチャンは、ミッキーマウスの人格に成り切ろうとする意思(演劇)をもって、架空のミッキーマウスの人格を「幻想する」

(3)上記(1)(2)の両者は、ミッキーマウスのペルソナの裏にある「人格」を、共同で(というか、共犯的に)幻想することで、その「人格」を実体化する。

(4)以上より、(少なくとも)当事者間において、ミッキーマウスのペルソナと人格は、共同的に実体化されることになり、問題はない。

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次に、「初音ミク」に関する解釈なのですが、こちらは娘の解釈も「不徹底」でした。

(1)「初音ミク」が歌う楽曲は受けいれられる(というか、ポッドに録音して、毎日聞きまくっているようだ)。

(2)「初音ミク」が2次元(平面)の媒体として登場して、歌を歌っている状態も、特別問題はない。

(3)しかし、「初音ミク」が3次元(立体(ポリゴン等))の媒体として登場して、歌を歌っている状態は、不気味である。

(4)さらに、立体表示される初音ミクのコンサートに集って、熱狂している聴衆を、心底「気持ち悪い」と思う。

私は、そもそも「コンピュータ」による、仮想人格による声楽が(つまり(1)の状態)から、「気持ち悪い」と思っているので、論理矛盾はないと思っています。

ただ、娘の場合は(3)の3次元ポリゴンになった状態から、「不気味」「気持ち悪い」と言い出しており、理屈に一貫性がないように思えます。

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「なんか、人間と同じように振る舞われる状態が、気持ち悪いんだよね」と言われた時に、あ、あれか、と思い出しました。

「不気味の谷」という現象です。

ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わることを言います。

この理由については諸説ありますが、本日は割愛します。

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私は、「初音ミク」には興味はないのですが、コンサート会場の、巨大な3Dポリゴンを表示するディスプレイや、表示手段、スピーカの配置、およびバンドとの共演の方法には興味があります。

# 多分、普通のコンサートにはない、特別なノウハウがあると見た。

ITの研究員としては、是非見学したい。

しかし、折角のコンサート会場で、このようなエンジニアリングの興味だけで参加している者の挙動は、相当「迷惑な存在」となることは間違いありません。

「だからさ・・、中学生に随伴する保護者の立場でだなぁ・・」

と私が全部言い終わる前に、

「絶対、イヤ」

と娘は、キッパリと、コンサートへの誘いを拒絶しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/不気味の谷現象
2012年 08月 04日
「ミッキーマウス」と「初音ミク」
本日は、最初に、昔、先輩から受けとった飲み会の案内状の内容を紹介します。

<案内状の一部>
理性を喪失したアルコールの鯨飲とそれによって発動されるとめどもない痴呆的会話。

ペルソナの崩壊に伴う反道徳的至福と卑俗な哄笑そしてデカダンス。

交錯する自己の幻影が空虚な現在の鏡像に過ぎないと言う覚醒から実存への憧憬を経て、永遠の聖性を希求する魂の彷徨の果てに、善悪の彼岸に達した我々の酔眼に、無垢な朝焼けはどのように映じるのであろうか?と言う哲学的アポリアに答を出すためにも、

諸君の圧倒的参加を待っている!
</案内状の一部>

<案内状の要約>
さあ、飲みに行こうぜ!
</案内状の要約>

さて、本日の話題は、上記の文章で登場する

>ペルソナの崩壊に伴う反道徳的至福と卑俗な哄笑そしてデカダンス。

の「ペルソナ」の話です。

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ペルソナとは、心理学者ユングの提唱した概念で、自己の外的側面のことを言います。

例を挙げてしまします。

私は、

(1)「誠実」であることを「単なる人生の戦略」程度にしか考えていないくせに、

(2)人とのつきあいにおいて、人々の楽しい雰囲気を構成し、潤滑なコミュニケーションを図るように努力しているように見せかけている、

という、2面性を持ちます。

この、上記(2)が、私の「ペルソナ」になります。

「ペルソナの崩壊」とは、その人間の本性が露呈している状態を言う訳でして、

○普段真面目に見えているような人が、酔って、酷く猥褻(わいせつ)な言葉を喚き散らす

とか、

○清楚なイメージで男性から人気のある独身女性が、酔って、裸で踊り始めるとか、

等が、該当することになります。

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そもそも、私は

http://www.kobore.net/cgi-bin/diary/read.cgi?date=20120422

にも記載しているように、

世界はペルソナだけでコミュニケーションを行なう「インターフェース社会」に向かっており、「ペルソナの崩壊」を引き起すようなイベントは、不要と考えています。

そのイベントとは、例えば、会社などのという組織の存在を前提とした「ノミニケーション」などと称される飲み会が該当します。

ところが、私の上記のインターフェース論が、論理構築において「不徹底」であることが分ってきました。

なぜなら、私の「インターフェース論」は、相互のコミュニケーション(インタラクティブ)までも否定するものではなく、また、(そのインターフェースの一態様である)ペルソナの裏側には、「人格」が実存している、という暗黙の了解がありました。


この、私の「インターフェース論」を不徹底にした2つの媒体が、

「ミッキーマウス」と「初音ミク」

です。

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「ミッキーマウス」と一緒に記念写真を撮るだけのイベント館が、ディズニーランドにあることを知った時、その館の前に長蛇の列ができているのを見た時、そして、そこに並んでいる自分を発見した時、

私は、文字通り、動天驚地の衝撃を受けました。

『ミッキーマウス』とは、単なる「きぬぐるみ」です。「きぬぐるみ」と写真を撮る為に、列を作って待つというのは、一体どういう意味を持つのでしょうか。

『ミッキーマウス』の「ぬいぐるみ」と一緒に撮影するというのでは足りないのでしょうか。また、任意のポーズを取るようにプログラムされたロボットのミッキーマウスでも、良いのではないのしょうか。

ミッキーマウスと一緒に写真を取りたい人が、単なるミッキーマウスのペルソナを求めているのではないことは明らかです。そこに「ミッキーマウス」の真の人格と接したいと思うからこそ、写真撮影の前に握手して、ハグする訳です(ちなみに、私はしませんでしたよ、そんなこと)。

しかし、『ミッキーマウス』の「きぬぐるみ」を着ている人の人格が、「ミッキーマウス」の人格である訳がありません。その人格は、オリエンタルランド(に東京ディズニーリゾートの経営法人)の社員か、バイトのニーチャンかネーチャンです。

そして、物心のついていない幼児を除けば、そんなことは皆知っていることです。誰も、バイトのニーチャンとハグしているとは思っていないのです。

この現象は、私の「インターフェース論」では、説明できない事象です。

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「初音ミク」とは、予め、プログラミングされた情報に基づき、踊りながら曲を歌う人物を表示するアプリケーション、または、その歌うコンピュータ上の仮想人物の名称です。

簡単に纏めると、エンドユーザが、女性アニメキャラクターに、踊り歌わせることを可能としたものです。

この「初音ミク」という「インターフェース」は、外部出力専用であり、入力装置がない。

つまり、私達のコミュニケーションに応答することはできない。単なるプログラムのアプリケーションに過ぎないのです。

この「初音ミク」の3次元映像が、ニューヨークでコンサートをするに至った事実(しかもYoutubeを見る限り、大成功だったように見える)は、私の「インターフェース論」を強化しているように見えて、逆に、破綻させているのです。

# しかし、なんで、ニューヨーク公演で、日本語で歌っているんだろう?
# プログラミングなら、簡単に、英語で歌わせることもできるように思えるんだけどなぁ。

「初音ミク」自身は、単なるプログラミングの結果に過ぎず、そこには、感情も性格などの人格に相当する概念はなく、―― そして、「ペルソナ」すらも必要ありません。

そこには、ただ「インターフェース」があるのみだからです。

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私のインターフェース論は、再考が必要とされています。

私には、完璧な「インターフェース論」を完成すべく、昼夜を徹した真剣かつ誠実この上もない討論が必要とされています。

私は、この理論に要求される要素をおおよそ想像し得るあらゆる角度から分類し、比較し、検討し、吟味し、分析し、体系化した上で解体し、統合し、止揚し、脱構築化した後に再構築する必要があるのです。
http://www.kobore.net/tex/alone93/node30.html
2012年 08月 03日
テクニカルライティング
老化は、「老化を自認すること」で始まると言われます。

まあ、老化かどうかは分からないのですが、最近、体はだるいし、時々「真っ直ぐ歩けないこと」があり、全身疲労が著しいです

少なくとも「夏バテ」という奴なのかもしれません。夏バテにしても初体験になりますが。

どなたか、民間療法でも、都市伝説でも構いませんので、この「夏バテ」対策の、愉快な方法を教えて下さい。

なるべく、科学的根拠に欠けるものがいいです。

× 適切な休養を取る。栄養価の高い食物を摂取する。

○ コーラを毎日4リットル飲む、真昼のアスファルトの上に1時間寝ころがる、逆立ちしたままリンゴ酢をちょこに3杯飲む

今の私は、この民間療法、都市伝説の最適な被験体、実験材料になり得るでしょう。

このチャンスを、是非、ご活用下さい。

それはさておき

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そんな訳で、昨日は早く帰宅したのです。一秒でも早く眠る為にです。

ところが、帰宅したところで、娘(中学2年生)の書いていた「サマーキャンプの思い出」という感想文に、嫁さんが文句をつけていました。

『記載内容が稚拙だ』

ということでした。

いやーな予感がしたので、私は早々にその場を離れようとしたのですが、予感は的中してしまいました。

「パパはどう思う?」

巻き込まれるのが嫌だったので、

「いや、良く書けていると思うよ。中学生にしては」

と逃げをうったのですが、二人とも許してくれませんでした。

しかたなく、きちんを書評をしました。

と、そこまでは良かったのですが、記載方法についてのアドバイスまで要求されました。

「えー、しんどいんだけど。今日だけは、勘弁してくれないかなぁ」

勘弁してくれませんでした。

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という訳で、マインドマップやらを使って、簡単なテクニカルライティング手法(リンク御参照)を教えながら、実際にサンプル例文を作りました。

「こんな、簡潔な文章、普通の中学生は書けないよー!」

と言うが娘に対して、私は応えました。

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『パパが、ここまで書けるようになるのに20年はかかっているんだ』

『中学生風情に、こんな文章をサクサク書かれてたまるものか』
http://www.kobore.net/geppou.txt
2012年 08月 02日
「月日」という残酷
先日、カルト宗教のテロ事件の容疑者2名が逮捕されました。

それは良いことなのですが、今回の逮捕で、「指名手配写真の無力さ」を実感した人は、少なくないと思います。

「歳をとる」ということは、内面だけでなく、外見も「別人に変化していく」ということなのでしょう。

とすると、我々は常に異なる沢山の人生を、無段階変速(というか、変化か)しながら生きている、とも言えます。

そういえば、上記2名の容疑者の現在の年齢と思われる似顔絵も出ていましたが、全然、似ていませんでしたね。


まあ、そんなことはよくて、問題は、「指名手配写真の無力さ」を、以下に脱却していくか、ということですね。

これを、残された血痕から取り出されたDNA、生活パターン、心理状態から、適切な老化後の姿をを推定する研究が期待されます。

画像処理だけでは駄目で、医学、行動心理学などとの連携が必要になるのでしょう。

それはさておき。

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昨年、実家に帰省した時に、私の大学時代のアルバムを娘達に見せていました。

「この、かっこいい人がパパ? 嘘だ! 絶対に嘘だよ」と、二人の娘が同時に叫んでいました。

『なんで、私が他人の写真を、自分のアルバムに張らねばならないのだ』

と主張しながら(なんで、私がそんな抗弁する必要があるのだ?)、二人の娘は、ようやく納得したようですが、

―― これ(写真の私を見て)が、

―― これ(私の方を見る)になるのか

と、凄く残念そうに、私を見る視線は痛々しかった。

『月日というのは、本当に残酷なものなんだね』

と二人の娘の目が言っていました。
2012年 08月 01日
本を読みながら飯を食べることに関する一考察
私は、本を読みながら御飯を食べるのが、大好きです。

本の内容も楽しみ、そして御飯の味も同時に楽しめるだけでなく、「食事の味」が良くなる、という効果が認められるからです。

ところが、この「効果」については、どうも一般的でないようで、基本的に、私だけの特性のようなのです。

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先日、食堂で、「定食を食べながら、本に読み耽っている人」を見ました。

本をテーブルの上に置いて読みながら食べることになるので、当然、下を向きながらの食事になります。

目で本を追いながら、箸で食材を口に運搬するだけ。

そこには「食材」や「調理した人」に対する敬意の欠片もない。

なんて、無礼でインモラルな食事の仕方なのだろう。こんな食べ方をするなんて、その人格を疑わずにはいられない ――

とまで、思うほどに、見苦しい光景でした。

『そうか、私は皆から、このように見えていたのか』と、大変ショックを受けました。

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そして、その日、私は本を読みながらの食事を ―― 続けていました。

見苦しいけど、私には、私の姿は見えませんですしねえ。

気分が悪いのは、私以外の回りの人だけですから、諦めて頂きます。

「本」と「食事」というのは、私の中ではベストミックスなんですよ。

知識の豊かな友人と、知的な会話を楽しみながらの食事というようなものであり、これは、誰がなんと言おうとも、私にとっては「至福の時間」で、譲ることはできなのです。

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さて、「本を読みながらの食事」が外観的に美しいものではない、ということは、分かりました。

では、それ以外の行為についてはどうだろうか、と考えてみました。

例えば、

◯テレビを食べながらの食事。

◯家族や友人と語らいながらの食事。

これも、並列処理をしていると言う点では、本を読みながらの食事と、基本的には同じはずです。

「変じゃないか?」と家族に尋ねてみたところ、次女(小学4年生)が、なかなか示唆に富む意見を言いました。

『食事をしている人全員が、共有して認識しているモノやヒトに対しては、並列処理は認められる』

なるほど、一理ある。

そこで、私はもう少し突っ込んで質問してみました。

「では、全員の席に、全員分のノートパソコンがあり、そこに同じ内容の記事や映像が、完全に同期して共有されていれば、それは認められるのか?」

と尋ねたところ、次女は

『認められる』

と断言しました。

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なるほど、この理屈に因れば、次女の理屈には瑕疵(かし)はなく、論理的には、正しいと思います。

しかし、一人の親として、

『この意見を「論理的に正しい」と言い切る小学4年生』

というのは、正しいのか、と少々心配になっています。