江端さんのひとりごと 日帰りスキー in コロラド 第4弾 「アラパホベイスン」 冒頭から何ですが、私がこの一冬で征覇した、コロラドのスキー場は、 スチームボート(SteamBoat) エルドラ(Eldora) キーストーン(KeyStone) ベイル(Vail) ブリッケンリッジ(Brekenridge) カッパーマウンテン(CopperMountain) 残りは、 ビーバークリーク(Bever Creek) 今年は、多分、時間切れと優先度落ちで、断念となる所が、 ラブランド(Love Land) ウインターパーク(Winter Park) てなところです。 しかし、何かが足りないと思いませんか。 そう、あれがないのです、あれ。 アスペン(Aspen) ----- 一昨年前の年末、上司より、HP社との共同プロジェクトの話を正式に打診さ れた時のこと。 江端:「海外赴任ですか・・・、少し・・、考える時間を頂いてもよろしいで しょうか・・・」 上司:「江端君、コロラドには、アスペンがあるんだよ」 江端:「行きます」 てな感じで、アスペンを餌に、東海岸でも西海岸でもなく ----- 無論、日 本に電話する為には、深夜残業しなければならないのは仕方ないとしても、 夕方、ニューヨークに電話すると、すでに全員退社しており、 朝方、サンフランシスコに電話すると、まだ誰も出社していない 、 そういう、米国の中でも、特に中途半端な時間帯に位置するコロラドに送り 込まれたにも関わらず、この冬、遂にアスペンには行けませんでした。 アスペンは、ディロン湖(Lake Dillon)から、さらに車で3時間はかかります。 流石の私も、往復10時間をかけて日帰りスキーをやる体力はありません。 勿論、宿泊するなら問題ないのですが、シーズン中のアスペンのホテルは、 一泊300ドル以上、しかも3泊以上でないと、予約を拒否されるという、超強気 リゾート地だそうです。 伝聞ですが、多分事実でしょう。 ----- さて、今回出かけたアラパホベイスンは、アイゼンハワー記念トンネルの手 前で南下し、高度10000フィートを越えるラブランドパスを越えたところにあ ります。 しかし、私がそのことに気がついたのは、Exit205で降りて、地図でスキー 場の場所を調べていた時でした。 「あれ、行き過ぎたか」 まあ、どっちにしても、その日は、前日の雪でラブランドパスが封鎖されて いたため、キーストーンスキー場の前を通過する遠回りのルートで入るしかな かったのですが。 コロラドのスキー場に共通する一つの事項に、『全然、宣伝してくれない』 があります。 日本なら、スキー場の30kmに近づくとドドーンと看板が表われ、さらに10km、 5kmと近づく毎に内容が詳細になり、1km以内になると、看板情報だけで、スキー 場の全駐車場情報は元より、ゲレンデの規模まで読めるほどです。 一方、コロラドのスキー場はと言えば、例えば、自宅から2時間あまりで到 着してしまうエルドラスキー場などは、看板がどこにも出てこない。 たまに、本当に小さな小さな看板、しかもそれはスキー場の広告ではなく、 無愛想に "Eldora Ski Area 5 miles" とだけ書かれた、単に行き先を表示するだけの道路標識が表われるのみです。 実は、エルドラスキー場の最後の3マイル地点で、左折して山の中腹を登っ ていかなければならない道があったのですが、そこには看板一つありませんで した。 加えて、車が一台も来やしない。 いくら寂れていたとしても、こんなスキー場が日本にあるとは思えません。 その時、私の愛用のGPSレシーバeTrexは、あと数マイルで目的地に到着する と告げており、私自身、いくらなんでも、ここまで来て行き先を示す看板が出 ていないことはないだろうと信じ、直進方向にハンドルを固定したのですが、 そこはそれ、磨ぎすまされた天性のスキーヤーの感性、とでも言うのでしょう か。 どうも釈然としないものを感じ、私は200メートル程、車をバックさせて、 山の中腹の方に進路を変更したのです。 変更していなければ、雪で封鎖されたロッキー山脈の山道で往生していたか もしれません。 ----- アラパホベイスンに向かう途中で、キーストーンスキー場のリゾートエリア を前を通過すると、6車線あった道路がいきなり2車線に縮小し、前日の残雪も あっていきなり田舎の山道に変ってしまいました。 こんな山道の果てにスキー場が本当にあるんだろうな、と思いながら20分程 急な山道を登っていくと、突然、スキー場が表われました。 私は驚きました。 スキー場全体が、視界に収まる! とにかくここのところ、でかいは、恐いは、広いは、誰もいないは、山の頂 上から落下するはで、非日常的スキーの日々の連続だったので、スキー場を見 た時、私好みの「箱庭スキー場」だと、ほっとしたのを覚えています。 それが、全くの錯覚だと気がつくのに、それほどの時間はかかりませんでし たが。 ----- なぜ、今回アラパホベイスンを選んだか。 それは、リフト券が安かったからです。 昨年の秋、私達夫婦は、アウトドア専門の全米のチェーン"REI"のフォー トコリンズ店で、Colorado Card なるものを作りました。 住所と氏名を記入するだけで発行して貰える無料のカードなのですが、これ を持ってリフト券を買うと、15ドルから20ドルの値引きが効くのです。 まあ、このカードがモチベーションとなって、この冬、狂ったようにスキー 場に行きましたので、私なんぞは、文字通り『いいカモ』になったと言えましょ う。 3月最後の週末のその日、私は、残った2つの候補のスキー場、ビバークリー クとアパラホベイスンの値段を見比べていました。 3月末日まで、ビバークリークは$53、4月に入ると$29になることが解りまし た。一方、 アパラホベイスンは$25。 今週アパラホベイスン、来週ビバークリークと言う計算は、簡単に出てきま した。 まあ、それにしても、凄い値引きをするものです。 これではスキー場は、大損のような気がしますが、Colorado Card の発行時 に記入した住所と氏名が、名簿業者に高く売れるのでしょう。 しかし、例え、そのような個人情報が流れて、商品の電話勧誘やダイレクト メールが山のようにやってきても、私達には関係ありません。 どうせ内容が解らないのですから。 現在の所、電話勧誘も2回目はないようです。電話代をみすみすドブに捨て ることになる、と言うことは流石に判って貰えるようです。 現在の私の生活は、100段階位グレードダウンしたヘレンケラーのようなも のです。 ヘレンケラー。 その人こそ「見えない、聴こえない、話せない」という三重苦を乗り越え、 障害を持つ多くの人に勇気を与え、そのイメージが、彼女をして『奇跡の人』 と呼ばせたのは、至極当然と言えましょう。 しかし、この「見えない、聴こえない、話せない」の全ての動詞の前に、たっ た一言『英語が』を付けて見るだけで、この『奇跡の人』が一気に『使えん奴』 に成り果てるのは何故でしょうか。 現在、バリアフリーが社会の様々な面で叫ばれる一方、もしかしたら、意味 が全然違うかもしれないけど----- いや間違いなく絶対に違うだろうが-----、 どうして、社会は、私のような『言語障害』を持つ人間に、もっと優しくでき ないのだろうか。 いや、ここで「社会は」などと、大上段に構えることはしまい。 「会社は」、いや「日立は」、いやもっと的確に言うのであれば「上司は」、 あるいは「研究依頼元事業部は」でもいい。 皆さん、もっと江端に優しくしてあげて下さい。 閑話休題。 ----- 積った雪で真っ白になった駐車場は、奥の方まで満車状態でしたが、それで も何とか車を停めて、車の中でバナナを噛りながら、着替えを済ませ、ゲレン デに向って歩き出しました。 同じ方向に向かうスキーヤー達は、老若男女関係なく、全体的に無口で無愛 想に見えました。 私と同じように、一人で車を転がして来て、一人でゲレンデに出ていくスキー ヤーも少なからずいたように思えます。 スノーボードを脇に抱えて歩く若い女性ですら、何か哲学的な思索に耽って 歩いているように感じられる程でした。 アラパホベイスンは、ゲレンデの近くに、宿泊施設は勿論、土産屋もなく、 なにしろ一軒のレストランすらありません。 レストランは、メインのリフト乗り場の近くに、たった一軒あるのみ、と言 う徹底ぶりです。 ところで、コロラドのスキー場は、全体として、 (1)ベイル、アスペンに見られるような、高級リゾートを指向するスキー場 (2)カッパーマウンテン、エルドラに見られるように、スキーエリアとしての み機能することを目的とするスキー場 に大別できると思います。 (1)にしても、日本のスキー場の近辺に雑草のようにある、「根性」だの 「友情」などと掘られたキーホルダー(誰が買うんだ、こんなもん)を売ってい るような土産屋などは見あたりません。 なにしろ、扱っている「物」が違う。 土地とか別荘とか、毛皮とか宝石とかを売っています。 特に、土地とか別荘などの、不動産関連の出店は、(2)のタイプのスキー場 でもよく見かけます。 山頂からさっそうと滑り降りてきて、『このスキー場の景色、気にいったわ。 一つ、別荘でも買っておきましょう』とでも言っているんでしょうか。 昨年の夏には、嫁さんがこちらに来てから友人になった、奥さんの招待で、 近くの湖に出掛けて、自家用ボートに載せて貰いました。 旦那さんは、HPの半導体部門で働いているらしいので、収入は私とそんなに 変わらないと推測するのですが、いずれにしても、こちらでは「自家用ボート」 「スノーバイク」を所有していること自体は、あんまり珍しくありません。 多分、自家用飛行機を持っている人もかなりいると思います。 その辺に、飛行場なんぞゴロゴロあるんですから。 ま、それはさておき。 アラパホベイスンが、上記(2)タイプのスキー場であることは間違いないの ですが、それにしても、その徹底ぶりに驚いてしまいました。 その時、私ははっと気がつきました。 「スキーしかやることのないスキー場にくる奴とは、本物のスキーヤー以外 の何者でもない」と言うことをです。 なぜ若者達が、なぜあのような醒めた表情で、黙々とゲレンデに向かうのか。 そう、彼等は、本物の「侍」だったのです。 ----- エキスパートコースには絶対に行かないこと。 上級コースであったとしても、ゲレンデが林間コースに中にあり、リフトの 位置から見えないような場所なら、極力避けること。 「コースクローズ!」の声が聞こえたら、プライドかなぐり捨てて、声の限 り「ヘルプ!」と叫ぶこと。 これがこれまでの、「コロラド日帰りスキー」で学んだことなのですが、い くら学んでも、どうしようもないこともあるのです。 超ビギナーコース と 準エキスパート(あれは「上級者コース」ではない) と、エキスパートコースしかない、そんな滅茶苦茶なスキー場があるでしょう か。 スキー場の一番低い地点が、すでに3000メートルを越えており、山頂部から、 キーストーンスキー場や、ブリッケンリッジスキー場を「見下す」ことができ るのです。 そして、このスキー場もまた、稜線からゲレンデがスタートする「稜線ダッ シュ型スキー場」であることは言うまでもありません。 ところで、コロラドのスキー場では、ゴンドラは勿論、高速リフトにすら巡 り会えないことが珍しくありません。 旧式の時代遅れのリフトが、下手をすると2km以上も続くので、リフト待ち が全然なくても、十分休憩できます。 最近は、リフトでジュース飲みながら、リンゴを食べています。 リフトを降りるまでの間に、リンゴ一個を食べ終えることが出きる、と言う ところが凄いでしょう。 ----- このアラパホベイスンスキー場では、一般の中級・上級コースがどこにもな かったので、これまでのスキー場と比べても遜色ない程の多くの地獄を体験に 至りましたが、特に恐かったのが以下の2つ。 パリバチーニボウルと言う広大なすり鉢状の急斜面の横のリフトに載ってい た時、私はその急斜面を華麗に降りていくスキーヤー達を感嘆の溜息をつきな がら ---- モーツアルトの凄い才能を理解することはできても、決してモーツ アルトのような作曲はできなかった、サリエリのような気分で ----- 見てい ました。 その時、突然、一緒に座った隣りの髭面のおっさんが、「旅行か」と、私に 話かけてきました。 「旅行だ。一人旅だ。大学の春休みだ。コロラドのスキー場は素晴しい。特 に雪質が」と、常套回答集嘘つきバージョンNo.3を一気に喋って、おっさんの 次の質問を封じました。 どいつもこいつも遠慮なく英語でしゃべりかけてきやがって、日本語でなく てもいいから、一度でいいから、英語以外の言葉でしゃべってきやがれ、まっ たく、と心の中で悪態をつきながら、自分のスキー技量の拙さに、心地よく落 ち込んでいた私は、自己嫌悪の邪魔をされて少し御機嫌が悪くなっていました。 しかし、その私の素振りも気にせず、おっさんは会話を続けました。 「お前、あのマーカーが見えるか」 「見える」 それは、パリバチーニボウルの左隣にある林間コースの中にあって、飛び出 ていた岩に打ち付けられていた50cm四方の金属板のマーカーでした。 そこには、岩から飛び降りるスキーヤーの絵が掘られてありました。 「あの岩からジャンプしたスキーヤーが、死んだ」 あの岩から、飛び降りた? 着地地点は、と、リフトの足元を除き込むと、無数の巨木が所狭しとそびえ 立つ、ほぼ絶壁の斜面。 そんなもの、着地に失敗したら ----- いや、たとえ着地に成功したとして も ----- 数メートルの高さから飛び降りた着地地点が絶壁の斜面だから、当 然、着地直後はスキーのコントロールは不能。 失速することなく、むしろ加速しながらスキーヤーは斜面を滑落し、最期に 目にするものは、視界全部を遮る一本の巨木。 私は、ぞくっ、と身震いしました。 コロラドのスキー場は、どこでもリフト乗り場のところに「自己責任」の原 則に関する記述があります。 『あなたが、どこでどんなスキーの楽しみ方をしようと、それは関知しない。 しかし、その行動の責任は自分で持つ義務があることを忘れぬよう』 ----- そして、我々は、あなたが自殺同様のジャンプを試みる自由すら 妨げない 私はその時、「自由の国アメリカ」の、本当の意味を理解したような気がし ました。 ----- 流石に林間コースは行きませんでしたが、それでも私はパリバチーニボウル に飛び込みました。 不様に下って行くだけのことになりましたが、それでも「打たれたが、敬遠 はしなかったぜ」と言い訳ができる投手の気分くらいにはなれました。 しかし、そんなことをしていても、自己満足はできても練習にはなりません。 午後からは、気持を切りかえ、練習用の中級コブ斜面を地道に繰り返すこと にしました。 ところで、ここアパラホベイスンは、バックカントリースキーのメッカでも あります。 バックカントリーとは、一般のスキーコースから外れたエリアでスキーを行 なうことを言いますが、当然スキーコースにならないということは、それだけ 危険であるということでもあります。 リフトから見ていると、山頂部のリフトを降りて、 そのままスキーコース には降りず、山の中腹を真水平に漕いでいくスキーヤーが、非常に遠くにアリ の列のように見えます。 山の斜面の左側を見ていると、中腹からその麓まで雪が剥れ落ちている大規 模な雪崩の後が見えました。 私は、雪崩のあった地点の方向に向かう一つの点のように見えるスキーヤー を見ていて、胃が痛くなってきました。 雪崩が起きたら、一瞬で終りです。 何トンにも及ぶ雪は、彼等の体を雪の中に押し込み、指一本身動きさせるこ ともえきないようにするでしょう。 リフトも届いていない山の中腹に、救援隊が辿りつくのは、どんなに早くて も2時間。 第一どこに埋まっているのかすら、分からないでしょう。 ----- 今思えば、随分恐ろしいことをしていたもんだと思うのですが、大学院の卒 業旅行でカナダのウイスラーに行った時、その当時ボーゲンしかできなかった にも関わらず、私はヘリスキー(*1)に挑戦しました。 (*1)ヘリコプターで山頂まで上がり、一日かけて降りてくるスキーツアー ヘリコプターに乗りこむ前、インストラクターから無線の発信装置を受けと り、体に装着しました。 私が「雪崩にあった時に救出する為のものですね」と言うと、インストラク ターは、ちょっと困ったような顔をして言いました。 「救出と言うよりは、むしろ、捜索・・・」 雪崩との遭遇が、生還を前提していないことを知り、その時、私は、発信装 置を握りしめたことを覚えています。 スキーパトロールなんぞは当然来る訳もなく、完璧な準備、高度な熟練した 技術が要求されるのは言うまでもなく、雪崩、滑落その他あらゆる種類の事故 が、即、死に繋がるバックカントリースキー。 それでも、行く奴は行くのです。 ----- 午後4時前にゲレンデを引き上がり、板を抱えて駐車場に戻り車の中に入っ てからも、体がぐったして5分程、着替えを始めることが出きませんでした。 原因は、少くとも2つある、と私は思いました。 一つは、3000メートル以上の高地で、普段の100倍の運動を、終日実施し続 けていたこと。 そして、もう一つについては、・・・ 考えるのを止めました。 朝方封鎖されていたラブランドパスは、今日一日の好天の御陰で、封鎖が解 除されていたので、帰路は直接ラブランド経由でI-70にアクセスすることに決 めて、エンジンをスタートさせました。 きれいに除雪されたラブランドパスの道路の斜面から、静かに舞い降りてく る粉雪混じりの風が、光り輝く真っ白な煙ととなって道の表面数センチのとこ ろでふわふわと漂い、そして、ゆっくりと谷側へ流れ落ちていきます。 私は運転しながら、粉雪の滝を横切っているかのような、幻想的な錯覚に捕 われました。 そして、稜線の影が、山脈の山肌を、夕日の赤と雪の白に真二つに切り分け、 この世のものとも思えぬそのコントラストの美しさに、私は思わず息を飲みま した。 まぎれもなく、山が燃えていました。 夕方の紅く燃える西日と、透き通った藍色の空の下、幾重にも連なる山をく ぐり抜けるラブランドパスからの風景は、コロラドの素晴しい雄大で美しい風 景にすっかり慣れてしまった私をも感動させる美しさでした。 私は、ラブランドバスをすぐに通過してしまうのが勿体なくて、私は車を路 側に停止させ、後方の車を先に行かせました。 そして、車から降りて、遠くの稜線を見つめました。 深紅に輝く遠くの稜線の上を、スノーボードを抱えたスキーヤーが、----- ここから見ると、まるで止っているかのようにも見えますが ----- それでも、 ゆっくりと進んでいるのが見えました。 それは、夕日の砂漠の中を進む、シルクロードのラクダの小隊のようでもあ りました。 一体、何時間かけて、彼は、リフトなど何処にもないこんな山にスキー板を 抱えて登り、稜線を乗り越えて行くのでしょうか。 滑落や、それが引き起こす雪崩は、間違いなく彼を殺すでしょう。 その死は、恐らく誰にも気がつかれないまま放置されることでしょう。 しかし、彼にしか分からない、それと交換可能な何かが、そこにはあるので す。 一日、1本、多くても2本の滑走の為に、危険を省り見ることもなく、大自然 に飛び込んでいく彼の姿に、私は、本当の「侍」の姿を垣間見ることができた、 と確信しました。 輝く稜線を見つめ続けながら、私は、感動を禁じ得ませんでした。 (本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)