怒りの大地

江端さんのひとりごと

「怒りの大地」

1999/06/02

先日、後輩のT君とこんな話をしていました。

江端:「東京のサラリーマンは、仕事が終わったら必ずワンショットバーに行き、隣の席には必ず悩ましげな美女が座る、と思っていた。」

T君:「僕は、東京に住んでいる人は、みんな英語がしゃべれると思っていましたよ。」

無論、両方とも幻想です。

サラリーマンは残業でくたびれ、ワンショットバーの扉を叩く時間がありませんし、金もない。

第一、ワンショットバーに似合う美女がそんなごろごろいる訳ありませんし、いたとしても曰く付きで、恐くて声などかけらない。

東京都民全員が英語がしゃべるなら、ほとんど全ての駅前に(はっきり言ってて使えるようになるかどうかもわからんような)語学教室を腐るほど設置する必要があるわけもないのです。

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最近の私はあまり面白くありません。

エッセイを書けないほど忙しい毎日に面白くありません。

かれこれ3週間以上も連続で働いて、慢性不眠に陥り、体調ががたがたなのに働きつづける自分に腹を立てています。

これが、全世界的な『停滞』を呼びかけた、日本停滞党党首の振る舞いかと自嘲してしまいます。

「社畜」とは、まさに現在の私のこと。

どうか皆さん、笑ってやってください。

そして、なんで私は、デンバー空港なんぞで、4時間遅れのサンフランシスコ行きの飛行機を待っているんだ、と思うと、これ以上もないくらい腹が立ちます。

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自分で手を挙げさえしなければ、酷い目に会わないのに。何をやっとるんだ、私は、と思います。

嫁さんは、「ただで海外旅行ができていいなあ」と言いますが、仕事で行 く場合と遊びで行く場合では、背景がぜんぜん違うんです。

仕事の場合、手ぶらで出かける訳にはいかんのです。

例えば、今回の仕事では、2つのミッションが要求されていました。

・ある標準化グループのリーダーとコネをつけること。

・日立のアライアンス(協力関係)の会社の開発者に、現在の我々のチームの仕事を説明すること。

日本人相手にだって、こんな面倒な仕事はしたくありません。況や、外人をや、です。

この『江端さんのひとりごと』シリーズを通じて再三言っていますが、私は「英語が扱うのに長けていない」のです。

そりゃ、人並みよりちょっと大目には努力はしているつもりです。

毎日の通勤時間は、英語のテープのヒヤリングに徹しています。

でもね、ホテルのフロントで言われた「つーどー、おしゃー」を"To drive or shattle (bus)"と解釈できるようになることと、私の懸命な英語の勉強との間に一体どんな関連があるのか、果たして説明できる人がいるのでしょうか。

今朝も空港行きのシャトルバスの中で、乗り込んできた運転手が、"Warning!(警告)"一言と言ったのに対して、思わず緊張して身を固めてしまった私を、一体誰が責められますか?

そして、その運転手に対してバスの乗客が同じように"Warning!","Warning"と 対応しているのを聞いて、ようやく自分の勘違いに気がついた時の、自分に対する気まずさと失望感。

「おはよう」は、「モーニング」だ!ちくしょう!!「ワーニング」じゃないぞ!!などと、誰が誰に言えましょう。

まだまだ、言いたいことはあります。

主語を省略するな!主語を省略すると、命令形になるんだ、日本で教わった英語では!!

一つの文章の終了(ピリオドの位置)では、一度明確に台詞を切れ!3つの文章を、一気にしゃべるんじゃない。

特に、UA(ユナイデッド・エアー)のパーサーの太ったおばさん!ただでさえあんたのしゃべり方は早いは、なまっているはで聞き取れないのに、マイクを口にべったりつけてしゃべるんじゃない。

ほとんど獣のうめき声にしか聞こえないじゃないか!

総じて私の言いたいことは、なぜアメリカ人は正しい英語をしゃべってくれないか、と言うことです。

しゃべり方が早いのは許してもいいと思います。個人差があるから。

定冠詞、助詞、時制の動詞の変形もかまわんとします。

私の人生で、そこまで聞き取れて解釈できる時期がくるだろうとも思えないから。

だが、でたらめな文法や、適当な省略をするのは止めて欲しい。

プロトコルを正確に守ってくれんと困るだろうが。

私は、英語と言う言語を「文化」として見なすのは最初からあきらめているのです。「通信技術」と言う観点のみで捕らえている私にとって、プロトコル違反には再現のない再送要求、すなわち"Pardon?"を連呼するしかなく、その辛さを少しは思いやって欲しいのです。

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今回のミーティング会場となった、フォートコリンズは、デンバー空港から近い、と言ってもゆうに100Kmは離れています。空港からのシャトルバスの風景は、永遠に続く緑色の平原が広がっており、その所々で牛や馬が放牧されている風景に出会えます。

・・・などと書くと、江端はアメリカの広大さに感動したんだな、などと勘違いされる方も多くいらっしゃいましょうが、実のところ、その広大な風景を見ながら、私は腹を立てていたのです。

ところで、日本人の中には「地平線まで続く広大な大地を見て、自分が人間的にスケールが大きくなったような気がする」などと、恥ずかしげもなく自叙伝に書いたりエッセイにしたりする馬鹿者が多いようです。

そういえば、学生の頃、ゼミの後輩で、卒業旅行でJALパックでモンゴルに出かけ、「人間的に成長した」と公言していた救いがたい野郎がおりました。

日本人仲間同士がぞろぞろとツアコンに引っ張られて、現地の言葉を一言も喋らず、黙っていてもバスや飛行機に乗せてくれる旅行を通して人間的に成長できたのであれば、そいつは人間としてどこか変だったのか、あるいは生まれつきおかしな変な奴だったとしか思えません。

それはさておき。

そもそも、アメリカ合衆国と言う国は-----

母国語が、国際標準言語として採用され、 外国語の勉強なんぞは教養程度のたしなみに過ぎず、概ね気候的にも安定した広大で肥沃な国土を有し、その国土の下には、これまた十分な石油をはじめとして、膨大な燃料を十二分に確保している。

全世界の電気消費量の3割以上を、世界のわずか25分の1以下の人口で消費し、バケツのようなカップのアイスクリームを食べながら、それがローファット(低カロリー)であるかどうかを病的なまでに気にし、高カロリーの肉類、糖質を常食としながら、ダイエットだと言ってエクササイズルームのランニングマシンで滝のような汗を流す。

こうして、ひたすら世界のエントロピーを増大させつづける、こんなふざけた国民が、一体世界中のどこにいる!

もちろん、他民族を受け入れ、ルールを制定し、開拓者精神を擁護し、個人民主主義を確立し、正義の名のもとに世界の平和を守ろうとする、アメリカ合衆国の不断の努力と高い理想主義は認めるし、賞賛してもいい。

だが、建国以来、一度足りとも、本土を空爆されたことはないくせに、頼みもしないのに年がら年中、他の国に戦争を仕掛け、ほとんど内政干渉とも言える露骨な国際外交を繰り返す。

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戦後日本は、アメリカ合衆国によって、従順に、そして卑屈なまでに、その指導に従ってきました。

国際標準語としての英語も、義務教育にいれてまで頑張ってきました。

ここまで、他国の精神を尊重し遵守し、その語学教育に精を出している国民に対して、アメリカ国民は一体何をしているでしょうか。

最低の礼儀として「NHKラジオ英語会話」に準ずるレベルの英語を喋るべきではないでしょうか。

私にはどうも、アメリカ人の多くが「世界中の国民は、全員英語を喋れるべきである。」と言う尊大な考えをもっているのではないかと言う気がしてしかたがありません。

よし、よかろう。

米・穀物輸入の自由化を、ある程度認めよう。

サブマリン特許(米国の特許システムは、公開が義務つけられていないため、存在しているかどうかもわからんような特許が、いきなり日本の企業に襲いかかり、莫大なパテント料を請求される事件が勃発している)にも我慢してやろうではないか。

我々の要求する事項はただ一つ。

「NHKラジオ英語会話を、合衆国義務教育カリキュラムへ!」

仮にも国際標準語を標榜するのであれば、(少なくともノンネイティブに対しては)国際標準プロトコルを、正確に守ることを確約しろ!

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今回のミッションは、一緒に出かけた同僚のM氏のが、ミーティングが終る直前に一応標準化グループのリーダーとコネをつけることを成功させました。

また、もう一つの、日立のアライアンス(協力関係)の会社の製品開発担当者に、現在の我々のチームの仕事を説明する任務の方は、私が日本で作っていったプレゼンテーション用の英語の資料に、喋る内容を全部書き込んで、なんとか形にすることができました。

まあ、喋るだけなら、暗記していけばいいんですから、なんとかなるもん です。

問題は「質問」です。聞き取れないと恥ずかしいです、実際のところ。

今回、私たちの説明を聞いてくれた、H社のMr.H氏は温和な方で、ゆっくりとした英語をしゃべってくれましたので、それなりの議論を行なうことが出来た為、私はいい気分で仕事を終えることができました。

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前回のミネアポリスの出張の時のエピソード、「夜のミネアポリスを走りつづける日本人」(*1)のころから比べてば、確かに色々な英語の台詞が、いくらか素直に頭に入ってくるようになってはいます。

少しは苦しんだ甲斐があったのかもしれません。

でもやっぱり英語で生活することは苦しく、険しい道です。 (*1) 江端さんのひとりごと 「IETF惨敗記」

このままでは江端が仕事で使いものにならん、と言う理由で、半年近くアメリカのどこかに飛ばしてしまおう、と言う本人不在の陰謀が進んでいると聞き及んでおります。

しかし、「やる気がある」と言うことと、「やるだけの能力をもっている」と言うことは別なんです。

確かに私は、「このままでは英語に負けたような気がする」ので、挑まれれば、消耗しつづけながら、そして醜態をさらしてでも、英語と闘いつづけるでしょうが、結局最後には十分な戦力としてモノになると言う気はしません。

日立の上司の皆さん。

無理にリサイクル何ぞ考えず、不用品はさっさと捨てるのも一つの良い選択とも思います。日立には優れた部品・・・もとい人材が山のようにいるんですから。

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そして、今。

帰路のデンバー空港行きのシャトルバスの中での、私の 『今夜はサンフランシスコで、寿司を食うぞ!!』と言う、この私の可愛らしい些細な夢は、サンフランシスコ空港天候不良のためのデンバーでの4時間待ちで、完全に跡形もなく粉砕しました。

今、こうしてノートパソコンを手にしながら、私は、デンバー空港43Bの搭乗口から、飛行場の滑走路と、その向こうに広がる地平線が見ていま す。

永遠に続くまばゆいばかりの新緑の平原-----

それは、エネルギーや人口問題で、永遠に問題から開放されている祝福された大地。

そして、国際標準語として、これからも色々な技術分野でのリーダーシップを約束された国家。

UAのおばさんの訳のわからん英語をぼんやりと聞きながら、そして時差ぼけで焦点の合わない目を地平線の向こうに漂わせつつ 、その表情には決して表れないようにしながらも-----

私は青白い憎悪の炎を、ゆらゆらと揺らしつづけていたのです。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)