第4章 How much is a Tip?



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第4章 How much is a Tip?

式の前日、私は定時で仕事を終えて、そのまま大急ぎで研究所からバス、電車を乗り 継いで、新横浜駅へ向かう。今日、古田さんは私の為にわざわざホテルを予約してくれ たのである。

しかし、相変わらず私の体調は芳しくない。こういう時私は、おもいっきり食べて、 薬を飲んで、さっさと寝て体調をもとに戻すのであるが、今おもいっきり食べたらどう なるかは明白であった。

結局、ゆで卵とサンドイッチを駅のキヨスクで買っている、情けない私であった。

新幹線の中では、原稿の最後の暗記に努めた。ミスをしそうなところをアンダーライ ンでチェックしていたら、たちまち新神戸駅に到着してしまった。午後9時32分で あった。

再びやってきた新神戸オリエンタルホテル。

磨き抜かれた真っ白な広いロビーの隅の方にありフロントでは、こんな時間でもたく さんの人が出入りしている。

日本で開催される学会に参加するような海外の教授みたいな人もいれば、いかにもど っかの中堅会社の社長と思われる恰幅のいいおっさんが、若い女性を伴って、分厚いお 札入れからお金を支払っている。

「『江端』で予約されていると思いますが。」
順番待ちをしていて、ようやくフロント係と話すことができた。
「江端智一さまでいらっしゃいますね。西村さまよりご伝言のメッセージが入っておら れます。」

『西村さま』とは明日になると古田と言う姓名になる古田さんの婚約者である。 メモには『後でご連絡下さい。』と部屋番号が書かれていた。

不意に「申し訳ございませんが、今日は既に満室でございまして」と言われ、慌てて 何か言いかける私を、機敏に察して、フロント係は言った。「お部屋が、ご予定の場 所と換わることになりますが、よろしいでしょうか?」勿論、構いませんとも。ああ、 野宿しろと言われなくてよかった。風邪も引いているしなあ。

「お鞄をお持ちいたします。」と、すっと私の後ろに立ったボーイは、年のころにした ら20前後のまだあどけない表情の残る青年であった。

本当は断りたかったのであるが、荷物を持ってすたすたと歩き始めたので、内心慌て ながら付いていくことになってしまった。

悠々と歩くように意識しながら、私の右手は背広のポケットをさまぐっていた。小銭 入れをポケットの中で開いて、指先で金額を計算していた。やはりこういう場合はチッ プを渡さねばならないのだろうが、一体いくら渡せばいいのだろう。

私の小銭入れの中には、数枚の1円玉と10円玉が入っているだけで、その他にはく しゃくしゃになったスーパーマーケットのレシートの残骸だけであることが、指先の感 触で分かった。

お札で渡すと言うのも、ちょっと金額が大きくて困るだろうなあ。チップのお釣りを 貰うと言うのもちょっとなあ・・・。

落ちついた風に歩きながらも、私は結構焦っていた。

私の泊まる部屋のある17階とその下の16階は、エレベータの止まらない階である 。エレベータの操作盤の差し込み口に、私の部屋の鍵を差し込むと17階のボタンが点 灯して、エレベータを止めることができるのである。

なんの為にこのような特別な階を設けているのかよく分からないが、要人のテロリス ト対策かもしれない。テロの巻き添えは嫌だなとちらっと思った。

そんなことより私はボーイに渡すチップのことで頭が一杯であった。

ボーイがドアを開け、部屋を照明をつけてから、部屋に入るように促す。 私は軽く頷いてから部屋に入る。 続いてボーイが私の荷物を持って先に部屋に入る。

シングルの部屋で決して広くはなかったが、夜の神戸港を一望できる海の方向に面し た最高の部屋であった。

その夜景を少しだけ見入ってから、私はおもむろに後ろに控えているボーイの方を振 り向くと、一言「ご苦労様」と心からの労いの言葉をかける。

ボーイは軽く会釈をして、一言「失礼します。」と言い、静かにドアを閉めて部屋を 出て行った。

ほっとした私は、背広姿のままベットに倒れ込んだ。うつ伏せにひっくり返りながら 、疲労感がどっと押し寄せるのを感じていた。

メモの指示通り、新婦のご家族のお部屋に電話すると、新婦のお父上が出られた。 明日の披露宴に出席する予定である新婦の友人も同じホテルに泊まっていて、今はそ の部屋に遊びに行っているらしいとのこと。こちらの部屋番号を告げてから、受話器 を置いた。

ふーむ、最期の晩餐じゃないけど、一応家族水入らずの最終日だよな。家族と一緒に いると言うのも、あれでなかなか気を使うのだろう・・・。ぼんやりと考えながら、ラ フな服に着替えていると、新婦から電話がかかってきた。

「江端さんですか? 西村です。」

とりあえず挨拶と、明日の披露宴に関して変更事項がないことを確認して電話を切る 。

部屋で原稿をぶつぶつ呟いて練習していると、今度は新郎から電話があった。
「今、ホテルにいるの?」
「いや、実家。」
古田さんは、2年間の東京での研修を終え、現在は、jr姫路駅に近い兵庫県加西市 の実家に住んでいる。明日の最期の打ち合わせをする時間と場所を決めて、電話を切 る。

ベッドの上であぐらをかいて、ぼんやりと考える。部屋の電気を消してカーテンを全 開にすると、神戸港の夜景の光の一つ一つがきらきらしてとても美しい。

電話で話している限りでは、新郎新婦共に気負った感じは全くなかった。私よりも遥 かに落ちついていた。

もしかしたら、結婚式なんてその程度のものかも知れない。

結婚式や披露宴は所詮は儀式、社会的な儀礼である。これから二人が過ごしていく日 々の重さに比べたら、確かに大したことはないのかも知れない。

夜景を眺めながら2本目の缶ビールの蓋を開けた。



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:11:56 JST 1996