第1章 Good Picture



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第1章 Good Picture

大学時代の友人であった古田さんが結婚すると言う話は、今年5月の連休に友人の結 婚式の披露宴の始まる前、本人からホテルの喫茶室でオレンジジュースを飲みながら聞 かされた。

『何も無い、誰もいない』と言い張っていた友人達が、さっさと結婚してしまうこと を水臭いなあと思っていた頃もあったが、最近は好きなようにして頂戴と言う気持ちに なっていた。

しかし、「おめでとう」と言いつつも、やっぱり何か寂しい気はする。

(自分が一番早く片づくつもりだったんだけどなぁ。)

こんな時は、思わず昔の苦い思い出に苦笑してしまう。

古田さんの結婚式の半年ほど前の金曜日のこと。

夜9時頃まで、研究所で主任研究員のMさんと話していたところ、Mさんに電話がかか ってきた。Mさんが受け取ると「君だ」と言って私に受話器を差し出した。
受話器を受け取ると、F通の関連会社に勤務する古田さんであった。
「あれま、古田さん、久しぶりだね。どうかしたの。」と聞くと、今度の日曜に婚約 者を紹介したいとの話であった。

結婚式の打ち合わせのため、婚約者に会いに東京に出てくると言うことであった。私 は特に予定もなかったので、2つ返事でOKして、日曜日に渋谷で会うことにした。
先日友人の披露宴の始まる前の喫茶室で、『今度、新婦を紹介しろよ。』と言ったの を覚えていたとしたら、なんと律儀な奴!と一瞬感動してしまったのだが、何か心の中 で引っかかるものがあった。

その時は、それが何だかよく分からなかったのだが。

渋谷と言えばハチ公前で待ち合わせと言うのが、いわゆる東京のスタイルであると長 いこと思っていた私であるが、それは勘違いであった。
ハチ公前しか立ち止まる場所がないのである。
歩道は多くの人がひっきりなしに歩き回り、通り過ぎる。そんな人間の大河の中州が 、いわゆるハチ公前なのである。そんな状態だから「ハチ公前で待ち合わせ」をしてい る人間の数はピーク時には間違いなく2、3百人のオーダーになる。

約束の日、私はハチ公前の人混みから少しはなれたところの駅ビルの壁にもたれかか るように立っていた。
両眼共に2.0の視力を誇る私の目は、50メートル先の人の顔でも認識できるので、古 田さんは勿論、彼に寄り添ってたっている彼女も、とっくに捉えていたのである。

しばらく、と言っても多分1分程であるが、私は二人を眺めていた。

良い絵だなと思った。

遠目をしてちょっときょろきょろして私を目で探している普段着の古田さんと、正面 をじっと見ている涼しげな色のブラウスを着ている彼女は、とてもお似合いに見えた。 ちょうど木の枠の額縁にすっぽり入りそうな感じの絵である。

(ちぇ、ま、しょうがないか。)
渋谷ハチ公前の人混みの中、私は古田さんの方に向かって歩き出した。

「で、江端さんに出席して貰いたいのだけど・・・・」
地下のロビーのど真ん中をちょっとした手すりで囲っただけの空間にテーブルと椅子が おかれていると言った喫茶店で、私と古田さんと古田さんのフィアンセの3人で、お互 い紹介を終えた後、いきなり言われた。
「でも、大学の友人は呼ばないって言っていたじゃないの。」
親戚関連で人数が埋まってしまったんだ、ごめん、悪い、と言っていた古田さんであっ たはずだった。
「いや、スピーチをお願いしたいんだ。」

河岸を変えてイタリア料理屋でパスタのセットを食べながら、新婦となる古田さんの フィアンセとも話をしていた。
理系出身である彼女の大学の卒業論文は、現在私のしている研究と大変関連のあるテ ーマであったので、私は古田さんを放って、彼女と色々な研究に関する質問で盛り上が ってしまった。

一通り質問を終えて、今度は私と古田さんの昔の思い出話に花が咲いた。
どたばたしていた大学時代、古田さんと共に過ごしていた京都のことの他、現在のお 互いの仕事の話やら、二人の新婚旅行の予定の話をしているうちに、私は、つい言って しまったのである。

「司会でもやらせてくれれば、きっとうまくやってみせるのになあ。」

最近の披露宴の司会は全く『間』と言うものを分かっていないし、感性も台詞もくさ い。僕がやればあれの10倍は美しくまとめてみせるなど。
アルコールの一滴も入らない昼飯で、ここまで言ってしまう自分の向こう見ずにも本 当に困ったものである。

その後2週間ほど、パソコン通信で古田さんからの手紙が届いた。
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1 古田聡 RHCxxxxx 07/20 08:48

江端殿

全く最近の暑さといったらもうたいへんです。私は特に暑いのが苦手ですから通勤とか お昼御飯なんかは無くてもいいと思うくらいです。

そうも言っていられないので汗だくで頑張っていますが、江端さんはいかがでしょう か。

さて、先日の打ち合わせで、江端殿に司会をお願いすることにしました。

何だか、司会者マニュアルなどというものがあるそうで、近いうちにお渡ししたいとい うことです。また、おそらく14日前の打ち合わせの際に江端さんにも参加していただき たいので、神戸でデートの約束を入れておかれると一石二鳥ですね。

詳細事項が決まり次第連絡致します。とりあえず、結果報告まで。
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うーむ、やはり来たか。誇大広告のつけだな。

しかし、決してそんなに嫌なわけでもなく、むしろ喜んでいる気持ちの方が大きかっ た。どうも私は、どういう訳か人がやっていないことや、あまりやろうと思わないこと をやるのが、好きなようである

『司会を失敗したって、新郎と新婦に殺されることはなかろう。』と言う一種どこか が破綻した考え方が、私にとって何か行動を起こそうとするときの、いわゆる支配方程 式となっているようである。

そんな風に、古田さんの披露宴司会者という大役を引き受けることになったのである 。



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:11:56 JST 1996