愛の永久機関論



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愛の永久機関論

今までの人生で、「『愛』って何ですか?」と聞かれた人はいますか?

盛り上がった二人がそのままベッドになだれ込んでいく過程で発せられる、バック ミュージックのようにいい加減に扱われる言葉としての『愛』を言っているのではあ りません。

「『数学』ってなんですか?」「『テニス』って何ですか?」と言う、この世に存 在するオブジェクトを識別するための質問としての『愛』です。

恋人を愛する方、子供を愛する方、肉親を愛する方などは、日常でも特に目立ちま せんが、勤務先を愛すると言うように日本経済を支えてくれる奇特な方々もいますし 、国を愛して愛して愛しすぎて、思わずラウドスピーカーから軍歌や君が代を流して しまう方もいらっしゃります。

主義を愛してビルを爆破するような方も、教義を愛して毒ガスをばらまく方もいる ことを考えると、『愛』と言うのは、必ずしも無条件に美しく素晴らしいものではな いようです。

思うに、『愛』は多種多様で、様々なパラメータで簡単に状態を変えてしまう極め てデリケートなものですから、『愛』に関して他人に質問することは、無為であるば かりでなく、質問者、回答者ともに大変な時間の無駄遣いのように思えることもあり ます。

私の場合、基本的に『愛』、あるいは『恋愛』と呼ばれるものは、最初から最後ま で当事者のもので第三者が簡単に干渉できるものではないと考えています。従って、 私に限っては、恋愛の「相談」なんぞには乗れませんし、乗ったところでろくな回答 が出来るとも思えません。

(数秒の沈黙の後)

・・・・どうして、見たこともない私に相談してくるの?

自分の心で決めることのできない愛を、人のアドバイスでなんとかしようと思わな いようにしましょう。心当たりのある方、もう二度と私を巻き込まないように。

いいですね。

私が乗るのは恋愛の「応援」だけです。特にこの世の中で容認されにくい様々な愛 の形なら、一層応援したいと思っています。

困難の多い愛を続けていらっしゃる方。例えば、「上野動物園のパンダを愛してし まったの!どうしようも無いくらい、あのパンダが好きなの。」と言う、戯れ言のよ うに聞こえる想いに対してさえも、これ以上もないくらい真摯な態度で望みたい思い ますし、「彼氏と駆け落ちするしかない!」と言う具体的な相談などであれば逃走の バックアップに当たります。

実際に、大学時代には友人の家出の支援をしたという、輝かしい実績もあります。

辛い愛に苦しんでいる方へ。

を条件に、「愛の永久機関」江端が万難を排し支援させて頂きます。

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先月の下旬頃まで、横浜の戸塚区の事業所に数カ月間派遣になっていて、その期間 事業所の近くの独身寮に住んでいました。

いつものようにコーディングに心身共に疲れ果てて、布団に倒れ込んだ9月のある 夜のことでした。

突然けたたましく鳴り出した電話の音にびっくりして目覚めた私は、枕元の電灯の スイッチをつけて目覚まし時計の時間を見ました。

午前0時15分。

こんな時間に電話をかけてくる非常識な友人は私にはいないはずなので、不審な思 いで受話器を取りました。電話口の向こうは、数カ月に一回ほど時々思い出したよう に電話をしてくるI嬢でした。

「寝てた?」と聞きながら、I嬢は何気ない口調でさし当たりのない話題で話を始 めました。

と答えながらも、私は(・・・違う。これは会話のきっかけに過ぎない。他に何か言 いたいことがあるな。)と、気がついていました。

I嬢は、色々なアルバイトをしているフリーターで、現在は居酒屋でウエイトレス をやっています。

話の運び方に随分無理があるなと思いましたが、私は黙って彼女の話を聞いていま した。

「でね、その車のことで思い出したわけでもないんだけど、その人も車を持っていて それで今度ドライブに行こうかな、って話をされて、でもね別に私だってそんなに期 待している訳じゃないし、別にどうでもいいんだけど、ちょっとしばらく江端さんに も電話していないし、でも江端さん彼女がいるし、あまり電話するのもねえ。それで ね、・・・」と、延々と果てしなくいつまでも続く続く。

(こりゃ、本題に入るまでは相当長いな。)と思った私は、左手で受話器を持ちな がら、『ふーん』『ほう』『そりゃ大変だ』などの、実にいい加減な相槌を繰り返し ながら、布団の上にひっくり返り、右手で情報処理試験を開いて予想問題集の問題を 考えていました。

問題集の出題予想問題の回答を考えていた時、I嬢が突然「江端さん、聞いている ?」と問い正して来ました。私は右手から本を落としてしまいましたが、「勿論、こ れ以上もないくらい真剣に聞いているとも。もう一度言ってくれ。」と答えていまし た。

それでも、ようやくI嬢の話に登場人物が出てきた所で、私は本を置いて受話器の 方に集中する体制になりました。

I嬢の話は要約すると以下の通りです。

I嬢は、居酒屋で働いている時に、常連のちょっとかっこいい30代の男性Aさん に一目惚れしていました。Aさんはその時同僚のBさんと一緒にお店に来ていて、I 嬢とI嬢の友人C子さんに『仕事が終わったら一緒に飲みに行かないか。』と口説か れ、4人でバーに飲みに行くことになりました。『あこがれのAさんと一緒に飲みに 行ける!』I嬢は嬉しさのあまり舞い上がってしまいました。

ところが・・・。

あこがれのAさんは、I嬢の友人C子さんとお喋りしてふたりっきりの世界で思い っきり盛り上がっています。C子さんは話題も豊富で、話に入るのがとても得意な快 活な女性です。一方I嬢は、話題をうまく作ることが出来ず、二人の間に入ることが 出来ず、いらいらするは、悲しいはで、話しかけてくるBさんともしっくり来ません。

喋ってくれない娘と盛り上がれる方法ってあるかなあ、と思いながら私はI嬢の話 を聞いていました。

I嬢、C子さん、Aさん、Bさんの4人は、『今度一緒にドライブに行こう。』と 言う話に落ちつき、その日は何事もなく別れました。このドライブの話が、私の乗っ ている車の話のきっかけらしいのですが、それにしても、ちょっと無理のある長い引 きでした。

 

この段階で私にも様相が読めてきました。『大好きな人を友人に取られてしまう』 と言う、ドラマでは定番の痴話話のようです。しかし、当事者にとっては大問題の事 態です。

私は意味が分からず、I嬢に聞き返しました。

 

(軽いなあ!)

『軽さの1000[mg]』と言うタバコのCMを思い出しながら、思わず精神の空中浮揚 をしてしまった私でした。

(そうかぁ。やっぱりあるんだなぁ、そういうことって。)と私は頭の中の片隅で 呆然と考えていました。ドラマや小説の中では、そういうシチュエーションがよく出 てきますが、こんなに身近な話として聞く機会が得られるとは思いませんでした。

うろたえて、思わぬことを語ってしまう私でした。

I嬢の台詞は、どんどん悲鳴を帯びてきていて、ヒステリー状態の一歩手前までや ってきているようです。ロジックが弾け跳んだ女性の扱いは、私の最も苦手とすると ころです。男なぞは怒鳴りつけて感情的な部分を冷酷に指摘してやれば、内心私に対 して怒りまくりながらも一応冷静な風を装います(男には、ヒステリックな状態にな ること=格好悪い、と言う幼少時代からの『刷り込み』がある)。

全ての女性が感情的になって自分を見失うと訳ではないでしょうが、I嬢の場合に 限っては、自分で発生させた台風で自分を吹き飛ばす方なので、暴風圏内に巻き込ま れた私としては、本当に迷惑な面倒な目に遭わされている、と言う気分になってきて いました。

(これは、その場しのぎの気休めでは、対処しきれそうにないぞ。)と思った私は 、布団の上に正座をして、本腰に説得の体制に入りました。

ここに、江端の十八番である「愛の永久機関概論」の講義の幕が切って落とされた のでありました。

I嬢が深呼吸が終わるまで、私は受話器を持ちながらずっと待っていました。そし て、I嬢が「終わった」と言ったところで、再び私はI嬢にゆっくりと語りかけまし た。

質問が分からない、という風に戸惑うI嬢。

異国の地で初めて喋った外国語が通じたときのような、喜びの声で答えるI嬢でした。

私はここで一息ついて、話を続けました。

私はその時、I嬢に劇的なパラダイムシフトを施そうとしていました。既成のドラマ で定番の愛の姿ではなく、「愛の永久機関論」より導出される答えを与えようとして いたのです。

I嬢は馬鹿にされている、と思ったのか憤慨して怒鳴っていましたが、私は怯むこ となく話を続けました。

 

しばらく、I嬢は沈黙していました。

 

静かに訥々と語る私の話に、I嬢は黙ったままでした。

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しばらくの沈黙の後で、私は話の調子をがらりと変えて、快活な声でI嬢に語りか けました。

I嬢は、さっきのヒステリー状態を忘れたかのように、すっかり落ちついてきてい ました。

 

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I嬢は、短大を卒業後、北海道から東京に出て、人材派遣会社に努めていましたが、 不況の折に解雇になり、今は保母のアルバイトをしたり居酒屋のウエイトレスなど、 いわゆる「フリーター」をしています。

勿論、生活は苦しいようで、切り詰めた日々を送っているようです。

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ときどき電話をしてきては、『何時になったら日立の人を紹介してくれるの!?』 と急かすI嬢は、方向が違えども、私と同じ「愛の永久機関」と呼んでも良いのでは ないかと、私は思っています。

I嬢は、初めて出会ったときから全然変わらず、今でもちょこんとした小柄の可愛 い女の子です。

 

(本文章は、本文章に登場する全ての人物から、記載の承諾を得ております。)



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Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:07:50 JST 1996