江端さんのみちのく一人旅



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江端さんのみちのく一人旅

先輩の市森さんの不参加によって、結果的に『みちのく一人旅』になってしまった私 の旅は、8日間の旅となり、一日平均走行距離250kmを私のヤマハバイクTDR 250はよく走ってくれました。とにかくこのGWは、走っている、食べている、寝て いる、見ている、だけで、無駄な時間はただの1時間もなかったであろうと言うくら い充実した、試練の8日間でした。

前日の夜、TDRの照明系統が完全に壊れてしまうと言うハプニングがありましたが、 スケジュールを狂わす事もできませんでしたので、私は故障箇所を切り落として、即 席で部品を作ってしまいました。この時ほど、電子工学を専攻してよかったと思った 事がありません。

1日目 朝の8時30分出発、会津若松の猪苗代湖のキャンプ場でテントを張った のですが・・・、どんよりした天気は、夜中になって冷たい雨を伴い、テントの中は 完全に冷蔵庫と化したのでありました。寒くて寒くて2時間おきに目を冷ましては、 コンロに火をつけてストーブの代わりとしていました。朝方、自分の息が白くなって いるのに唖然としました。

2日目 どんよりとした天気の中、鳥海山の雄々しい景色だけが見事でした。中山 ・ド・エルカンターレgifの実家へ電話。「市森君、来 ないよ。」の言葉に自失呆然。

3日目 夕方、中山さんの秋田の実家に到着。久しぶりに文明生活をたんのうした のでありました。お寿司と『あきたこまち』が絶品!!美味しかったです。

4日目 抜けるような素晴らしい青空のもと、男鹿半島一周。暖かい風に舞い上が る山桜の花びらの中、TDRは軽快に海岸線を駆け抜けてくれました。そのまま、目 的のキャンプ場に向かおうとしましたが、ガソリン、オイル、時間が全てなくなり、 地図の中に小さく小さく書かれたキャンプ場に進路を変更したのですが・・・。そこ はだーれもいない、人里からゆうに数キロ以上離れた荒涼としたキャンプ場で、途中 の林道には「熊に注意」と書いてありました。『どうやって注意すればいいんだ?』 と考えながら、一人ぽつんとテントを張って、簡単に夕食を作って食べると、いつの 間にか完全な闇の中に何も見えなくなります。恐さを紛らわすためにラジオを聞いて いたところ、オウム真理教の番組が入ってきました。

『あなたは死後の世界の事を考えた事がありますか?オウム真理教はこの問に明確 な答を与えます。』と言う言葉の後で、陰気なメロディで『♪私は死んだ〜、私は死 んだ〜、身体が欲しい〜、身体が欲しい〜』と言う歌が流れてきました。今でもあれ は冗談であって欲しいと思います。ひさびさに究極の恐怖と言うのを味わいました。

5日目 盛岡に抜ける2本しかないの林道の一本は崖崩れ、もう一本は、10km 程走ったところで、雪崩で進む事出来なくなっていました。随分時間をロスし、50 km以上も大回りをして、盛岡の小岩井牧場に向かいました。ハンバーグを食べたり 、牛乳を飲んでいる内に夕方になり、天気は悪くなり気温は下がり霧が発生するとい う、最低の天候になってきました。キャンプ場を探したのですが、どこも水場が確保 できず、身体は限界を訴えていましたので、ついに盛岡駅前のカプセルホテルに避難 してしまいました。

このように軟弱な自分を叱咤するために、その日の夕食はラーメンとチャーハンセ ット520円と言う罰を与える事にしましたが、そのあとサウナに入り、ビールを飲 んだのでは意味がなかったのかもしれません。

6日目 この旅で最も最低な一日。盛岡から太平洋側に抜け、三陸海岸を南下。終 日冷たい雨の豪雨。レインウェアだけでは間に合わず、ゴミ袋に3つ穴をあけて頭か ら被り、歯を食いしばって8時間約300km走破。

7日目 天気が回復、しかし昨日の低気圧の影響でリアス式海岸には高波が打つけ る。海岸の絶壁をよじ登って、海にぎりぎりまで近づく。と、突然何十回に一度とい う、大波が襲ってきました。『し、しまった!駄目か?!』と思いながら岩場にしが みつくと、突然波が、いきなり前から後から右から左から何メートルも立ち上がり、 私はその波の柱の中に取り囲まれました。が、その岩場はちょうど底は台風の目に相 当するところであったので、運よく助かったのでありました。勿論あたふた逃げまし たが。

8日目 300円を出して、近くの温泉に入れさせて貰った後、磐梯山の有料道路 を攻めました。火山弾が散らばる、草木の一本も生えていない荒涼とした大地は風が 吹き荒び、抜けるような青空と、まだ積もったままの白雪と共に、まるで時間の止ま った世界に来たような感覚に襲われました。

東京まであと50kmのところで、硫黄の焼ける匂いがした後で、照明系統が再び ダウン。バッテリーがついに悲鳴を上げ始めたようですが、だましだまし、祈るよう に横浜まで走らせ、無事美しが丘寮に到着しました。

到着時刻21:30分、総走行距離1984kmでした。

感想は『ああ、辛かった!!ああ、楽しかった!!ああ、また行きたいな!!』です。



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:06:42 JST 1996