クリスマスイブ3日前



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クリスマスイブ3日前

大学院1年のクリスマスイブの3日前の夜でした。

私の住んでいた京都岩倉は、京都の中でも特に寒いところでしたが、一昨日より全国 的な寒波に見舞われ、ことのほか厳しい寒さになってきていました。

クリスマスイブに、付き合って一年目になる名古屋の彼女が私のアパートに やってくることになっていたので、私は部屋の片付けや掃除や料理の準備で、慌ただし くアパートの中を走り回っていました。

調理場で洗い物を片づけてちょうど部屋に戻ってくると、留守番電話がメッセージを しゃべっているところでした。私はまだ手に食器を持ったままでしたので、留守番電話 をそのままにしてメッセージを聞きながら、食器を戸棚に片づけていました。

「もしもし、私です。突然で申し訳ないのですけど・・・、あの、クリスマスの日にそ ちらに行けなくなったので・・・。」

荷物を持ったまま凍ってしまった私。

メッセージの彼女は語り続けて、
「あのね、妹が死んじゃったんで、お通夜とお葬式で・・」

一瞬の思考の空白。

彼女の淡々と話す口調とその内容のギャップで、見ている部屋の壁がグニャリと曲がっ たような錯覚をもよおし、軽い嘔吐を感じたのを覚えています。
 

私は電話機が目に入った瞬間にすでに受話器を取っていて、怒鳴るような大きな声で しゃべっていました。と同時に、慌てている私を醒めた目で見ているもう一人の私を 感じていました。

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彼女の妹君が亡くなったのは、21日の朝のことでした。大学のクリスマスパーティ から帰ってきた妹君は、自宅の車庫から、家に入ろうとしました。ところが、車庫 から家に通じているドアに鍵がかかっていましたので、妹君はすでに眠っている家族を 呼ばずに、車のエンジンをかけて少し休むつもりで、暖房のスイッチを入れました。

そして眠ってしまったのでした。

(以下、彼女の手紙より抜粋)

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妹は海外旅行で肝炎に感染して、帰国後大学病院に入院し、その後も自宅療養、クリ スマスの頃もアルコールは禁止されていて、20日のクリスマスパーティでも、一滴 も飲んでいないそうです。2次会のあとJR千種駅から自宅へ「今から帰るから。」 と電話を入れてきました。それを受けたのは母です。

当時私は夜学に通っていて、いつものように10時過ぎに帰宅すると、台所にいた母 が「まだ、あの娘、帰ってきていないから鍵を開けておいてね。」と言いました。そ の頃うちでは、私も妹も帰宅が遅くなることが多く、裏口の鍵をいつも持っていまし た。ですから、いつものように、私は裏口の鍵は閉めて、鎖だけ外しておきました。

翌朝、つまり21日の朝、私はものすごい頭痛と吐き気で目が醒めました(※原因は、 車庫から家の中に入ってきた車の排気ガスのため)。かろうじて弟が起きて、家じゅ うの窓をあけガス会社を呼びましたが、これと言って異常は見つかりません。私は這っ たまま電話のところまで行き、職場に休暇を申し出ました。

夕方頃になって、母がまだ帰ってきていない妹のことを言い出すまで、私は妹が帰っ てきていないことに気が付いていません。同じ家に住んでいても、生活時間帯が違う ため1週間も10日も顔を見ない、ということも珍しくありませんでした。 その日、 気分が良くなったので、私は学校に出かけ、いつものように夜の10時過ぎに戻って きました。家に入ろうとすると車庫の中から微かに音がします。

「...?」

車庫の扉を開けようとすると、中から鍵がかかっているらしく開きません。不審 な気持ちで家に入り、母に
「誰か車庫の鍵、閉めた?何か音がするんだけど・・・。」
その一言で、母はピンと来たようです。

二人で車庫へ行きシャッターを上げると、そこには、エンジンのかかったままの車の 中に、妹が眠っていました。

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その後、彼女は車の窓ガラスを叩き割り、エンジンを止め、妹君を助けようとします。

しかし、やってきた救急車の隊員にできることは、何もなかったのです。

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「おい、大丈夫なんだろうな。本当に大丈夫なんだろうな。」

私はおろおろしながら、彼女に聞いていました。彼女が取り乱すでもなく、非常に冷 静に淡々と状況を話しているので、かえって恐くなってきたのでした。

「うん、今のところは大丈夫だよ。もう少ししたら分からないけど。」

私は張りつめて切れる直前のギターの弦のイメージが離れませんでした。

何かあったら呼ぶんだ、一人で動いたり考えたりしてはダメだ、と、くどいくらいに 繰り返し言っていた私でした。彼女は、そんなに心配しないで、大丈夫だからと、そん なに暗くない口調のまま、電話を切りました。

電話を切った後も、私はこういう時に何をしたらいいのか全く分からずに、部屋の中 をうろうろと歩き回り、軽いパニック状態に陥っていました。何をしたらいいのかよく 分からないけど何かをしなくてはいけない、と頭の中で繰り返し、そして気がついた時 には、名古屋の友人Fに電話していました。

今までの話をかいつまんで話した後。

 

時計を見るとすでに日付が代わっていましたが、私が電話をすると、やはり起きてい たのかすぐに彼女がでました。私が、お通夜に参列したいと言うと「やっと江端さん に会えて、あの娘もきっと喜ぶと思うよ。」と言いました。

私は、お通夜の始まる時刻を聞いて、電話を切りました。とりあえず明日はゼミの研 究室に出かけて、夕方新幹線で名古屋に向かうことを決めました。私は準備の為の仕事 をみんな止めて、そのまま床に着きました。

(もっと早く会っていれば・・!)

布団の中で、背中を丸めて拳を強く握りながら、何に向かっているのか分からないま ま、押さえられない悔しさで、怒りに震えていた私でした。

もっと早く妹君と会っていれば、何かが変わったのだろうか。彼女とめぐり会わなけ れば妹君は死んでしまうことが無かったのだろうか、と。取り留めの無いつじつまの 会わない想いが沸き上がっては消え、消えては浮かんで、そして今夜、多分眠れない であろう彼女のことを考えながら、私もまた眠れない一夜を過ごしていました。

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Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996