やさしい水素爆弾の作り方



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やさしい水素爆弾の作り方

大学在学中の頃の私は、様々な変わったアルバイトをしていましたが、家庭教師や学 習塾のいわゆる普通のアルバイトもしていました。工学部の学生だった私は、理数系の 科目を主に担当していました。

私は、勤めていた学習塾の中で「名物講師」として有名でした。と言うのは、非常に 実践的な講義をすることで知られてたからです。黒板や教科書から離れて、できるだけ 自分の身の回りのことから、数学や理科の内容を覚えたり理解できるように工夫しまし た。

私は、数学や理科は、受験にも役にたつが、実生活でもこんなに役にたつんだぞ、と 言うことを知って欲しかったのです。これらの試みは生徒の多くに好評でした。

その反面、これらの試みは多くの危険があったことも事実でした。これは、そのエピ ソードの一つです。

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私の住んでいた京都岩倉の花園橋と言うところに「京都義塾」と言う小さい3階建て の学習塾があり、私は大学在学中の4年間、そこで講師のアルバイトをしていました。

花園橋は、京都大原を経由し、峠を越えて琵琶湖に抜ける街道の入り口で、街道沿い には、川が流れ、河原には色々な草木が生えていました。塾の3階からは、大原や比叡 山が一望に見渡せ、木々が四季折々に変化していく様を眺めていくことができました。

そんな訳で、この塾は、窓を開けばそこに理科の教材があるような理想的な場所にあ ったのです。

川があれば、そこに住む昆虫や微生物の話が、森があれば四季と植物の変化との対応 が説明できます。植物群どうしが自分の勢力を広げるために、お互いが戦っていると言 う話は、窓を開いて、河原に生えている雑草の群れを見せればよかったのです。

また、数学の指数関数や対数関数は、サラ金の元金と利子の関係を使って講義しまし た。彼らのおこずかいが一年後にいくらになっているか計算させ、『破産なんて簡単』 であると、とくと教えました。さいころ賭博で、確率を学習させましたし、バレーボー ルと100w電球で、日食や月食の仕組みを理解して貰いました。

ところが、どんなに努力しても、工夫のしようのない物もありました。

実験です。

実験にも色々ありますが、例えば、気体である水素と酸素が原子でくっついてできて いる水を、電気で再び水素と酸素に分解する『水の電気分解』と言うものがあります。 リトマス試験紙を使う実験程度でしたら問題はないのですが、『水の電気分解』の実験 ともなると、さすがに塾の講師では手が出せません。

と言うのは、その実験に使う薬品が大変危険なもので、薬局で手に入るようなもので はなかったのです。『水酸化ナトリウム』と言う強アルカリ水溶液を使うのですが、な にしろこの水溶液は、シャープペンなどの金属を煙を上げて溶かしてしまうもので、皮 膚についたらケロイド状のやけどになるような代物でしたから。

そんな訳で、「実践的な講義」をしたくても、これだけは手を引かざるを得ませんで した。

ある日のこと、教壇で生徒達のテストの監督をしつつ、ぼんやりと余ったテスト用紙 の裏に薬品の化学式の落書きをしていました。

(他の薬品じゃ出来ないのかな・・・。完全に水を分解しなくても、水素か酸素のどち らかが出てくればいいんだけどなあ・・。水酸化ナトリウムかぁ・・。)
(カルシウムかカリウムかナトリウムの化合物があればなあ、とりあえず水素だけは・ ・・、ん?、ナトリウム?)
(あっ!!、もしかして!!)

私は、一つの薬品を思いつき、急いでテスト用紙の裏に化学式を書いて、参考書で式 をチェックしてみました。

その結果、酸素は出てこないけど、水素と塩素を得ることができることが確認できま した。その薬品こそ『塩化ナトリウム』と言われる、非常に入手が簡単で安価な薬品だ ったのです。

『塩』です。

しかし、何度化学式をチェックしても、『塩水』に電気を流すだけであの『水素』と 『塩素』が得られる事が信じられない私でした。

なぜなら『水素』は世の中で最も軽い気体で、昔は風船などに使われていましたが、 今やこれを使う人はいないからです。

『水素』は引火すると大爆発を起こす危険きわまりない気体だからです。第2次世界 大戦前のナチスドイツが国家の威信をかけて造った飛行船「ヒンデンブルグ号」は、気 球のガスに、こともあろうに『水素』を使っていました。着陸直前、エンジンから引火 したヒンデンブルグ号は、たちまち大爆発。炎上した機体の乗客、乗組員のほとんどが 死亡と言う、歴史に残る大惨事を生み出したのでありました。

『塩素』の方は、漂白剤などに含まれている気体ですが、私は一度漂白剤を煮沸して 、窒息死しかけた事もあるほど、人体に有害な気体です。

そんな恐ろしい2つの気体がこんな容易にできていいのかなあ、と思いつつも、勿論 、私は実験をしてしまうのです。

夏休みの始まる半月前程の日曜日に実験を行う事になりました。

私は実験を塾では行わずに、自分の下宿のアパートでやることにしました。下宿には、 私が思い描いているような実験道具が揃っていたことと、それともう一つ、どうしても 生徒達に見せておきたい実験があったからです。

私は実験に立ち会う生徒を、中学3年生の受験生に限り、人数を絞りました。その生 徒達には、食塩水を電気分解すると何が発生するか、きちんと予習をやってくるように 命じ、次の日曜日に私のアパートに来るように地図を渡しました。

私の方は押入の中に潜って実験道具の準備をしていました。と言っても準備したもの は、どの家庭でも手にはいるような代物です。

そして、電極グリップとコンセントの付いた電線を用意しました。

その電極グリップには長さ1センチメートル程の超極細の針金をはさみます。この電 線をコンセントを差し込むと、バチッと言う音と火花を上げて、その針金は溶けてしま います。丁度、線香花火が一瞬きらめく様な状態になります。ただし、あまり太い針金 では、溶けずに部屋のブレーカが落ちてしまうので、十分細い物を使わねばなりません 。

(よし、これで『あの』実験はできるだろう。しかし、いいかなあ・・・)

一度チェックのために、予備実験をしてみるとよいのでしょうが、あまりに簡単な実 験で、変な結果が出る事はあり得ませんし、『あの』実験をするのであれば、少なくと も今日、生徒達に実験を見せる事ができなくなるので、ぶっつけ本番でやることにしま した。

生徒達がやってくるまでの時間、本を読んで時間を潰していましたが、なにやらそわ そわしてしまい、本の内容があまり頭に入って来ませんでしたけど。

昼過ぎになって生徒達がやってきたので、狭い6畳のへやの中央にテーブルをおいて 、実験装置を組み立てることにしました。

洗面器にバイクのバッテリー用の水をたっぷり入れて、そこに、大量の食塩をぶちま けました。ただの水道水は不純物が混じっているので、あまり良くないのです。食塩が 完全に溶けるまで洗面器の中をかき回します。次にガラスのコップを洗面器に突っ込ん でから、コップを逆さまに立てます。この時コップの中は完全に食塩水で充たしておく ようにしておきます。コップは長い物を使って、洗面器の中の食塩水の水位より高くし ます。気体の発生の状態を見る事ができるようにするためです。

次に、2本の釘のそれぞれにビニール被覆の導線を巻き付け、ビニールテープで上か ら固定します。そして、その2つの釘をコップの中に入れます。この時空気が入らない ように注意します。

最後に、コップの上に重石をおきます。コップの中に気体が集まって、コップがひっ くり返るかもしれないからです。2本の導線を安定化電源の+極と-極に取り付けて、 できあがりです。必要ないとは思いましたが、食塩水にテスターを突っ込んで食塩水の 抵抗値を調べておきました。

「では始めますが、その前に予習ノートを見せて下さい。」
と言って、生徒達のノートを見たところ、どうも今一つ今日の実験の仕組みを良く分か っていないみたいで、ろくな予習ができてませんでした。まあ、いいか、と思い実験を 始めることにしました。

電源のスイッチを入れるやいなや、2本の釘は、もうもうと湧き出る真っ白な微少な 泡に包まれて見えなくなってしまいました。そして、真っ白な泡はもの凄い勢いでコッ プの中を上がって行き、たちまち、逆さに立ったコップの上方に気体がたまってきまし た。

私は生徒達に質問しました。

S君,N君はしばらく考えていたようですが、結局答える事が出来ませんでした。

約5分経過したところで、コップの1/4程度の気体が集まったので、スイッチを切って 実験を終えました。

「一応今日の実験はここで終わりですが、最後にこの集めた気体でちょっと遊んでみま しょう。ちょっと、これを見て。」と、先ほど極細の針金をはさんだ電極グリップを見 せて、コンセントを差し込んでみました。バチッ!と言う音と閃光を発して、針金は溶 けました。

生徒達は訳が分からないと言った顔で、私の方を見ていました。

「これは、即席で作った点火装置です。これで『水素』を燃やしてみましょう。」

驚愕で悲鳴を上げるとか、青くなって「帰る」と言い出すかと思いきや、ポカンとし て特にこれと言った反応もありません。思った通り、彼らは教科書の中での現象として しか、実験を捉えていないようです。そんな実験をする無茶を棚に上げて、仕方がない なあとちょっと憤慨した私です。

水素の入っているコップを少し傾けて、空気を入れました。「酸素が入らないと、燃 えないんだったよね。」と生徒に言いながらも、洗面器のコップをじっと見つめて慎重 にゆっくりと空気を入れる私。

生徒達も私の真剣な表情に気がつき、ようやくこの訳の分からない先生に、とんでも ないことに巻き込まれつつあることが分かってきたようです。

「こういう風に火花を飛ばして火をつけるんだ。」と、針金をはさんだグリップのつ いた導線を、洗面器の食塩水の中に入れて、するすると差し込み、コップの中の気体の 部分に針金が出たところで準備完了です。勿論、コップを押さえていた重石はどけます 。

私は、生徒達にバイク用のフルフェイルメットやらオフロード用のメットとゴーグル を与えました。そしてタンスから軍手や私のジャンパーやオーバーコートを取り出して 、着るように言いました。

さらに、なるべく部屋の隅に行って、そこで実験装置の方を見る方向で、床に伏せる ように命じました。そして実験装置を見るときには、顔を手で覆い、指の隙間から見る ように指示しました。

生徒達は、青い顔をして私の言う事に黙って従うだけです。

私も野球帽をかぶり、プラスチックレンズのサングラスと、長袖のシャツを上から重 ね着したあと、右手にコンセントをしっかりと掴んで下宿の床に張り付きました。

生徒に怪我をさせる訳にはいきませんので、この様な大げさな準備をさせたのですが 、部屋の隅の方にいれば十分安全であると計算していました。その時は。

床に伏せながら、ふう、っと大きな深呼吸をして気合いをいれます。
「じゃ、みんな。行くぞ。準備はいいか!」 生徒達は、視線の合っていない目を私に向けて、小さく数回頷きました。

私は右手に掴んでいるコンセントを、差し込む直前のところで止めて、実験装置の方 を凝視しながら大きな声でカウントダウンを唱え始めました。

「ごぉうっ!、よぉんっ!、さんっ!、にいっ!、いち!」

(南無三!)と、おもいっきりコンセントを差し込んだ瞬間。

真っ白い閃光と、巨大な風船が破裂したかのような炸裂音と共に、水素の入ってい たガラスのコップは真垂直方向にロケット花火のように吹っ飛び、激しい勢いで天井 に衝突。さらに天井から落ちてきたコップがテーブルに激突。鋭い音と共にガラスの 破片が部屋中に四散。

と同時に、洗面器はテーブルに叩きつけられて十数センチも飛び上がり、空中で180 度回転。洗面器になみなみと入っていた食塩水は、爆発の圧力のため激しい勢いで部 屋中に飛散。

突然台風が発生したように、部屋の真ん中から外側に向かって、水の混じった衝撃波 が私たちを襲いました。

全ては一瞬の間に終わったはずですが、気の遠くなるような長い時間が経ったような 気がしました。

食塩水を頭から大量に浴びて、部屋の床に石のように張り付いている私。
部屋の中は静寂で満たされていました。
夏の日の午後、蝉がやかましく鳴いて、遠くで自動車の走っている音が小さく聞こえ ました。

全ての音が鳴りやみ何も動かなくなったのを確認して、私は生徒達に声をかけました。
「・・お・おい、み・みんなぁ、生きているかぁ〜〜」

幸いな事に、私も生徒達も爆発の直撃には合わなかった様で一安心しました。

生徒達は、一体何が起こったのか分からないと言った様な顔をして、声もなく伏せた 状態のままで、跡形もなくなったテーブルの上の実験装置を見つめていました。私が、 もう動いてもいいんだと言うまで、石のようにぴくりともせずそのままの姿勢でじっと している生徒達でした。

私は立ち上がり、改めてテーブルの上の惨状を見直しました。もしもこの実験をテー ブルのそばに座って、何の防御対策も取らずにやっていたら、と思うと心からぞっとし た私でした。

実験の後片付けは、一人でやるからと言い生徒を帰らせることにしました。彼らもな にやら興奮しているようで、気分が非常に高揚しているようです。彼らが帰宅する途中 に交通事故にあわねばよいが、と心配になってしまいました。

生徒を帰した後、呆然と自分の部屋を見渡しました。そこには惨憺たる惨状となった 風景が広がっていました。

テーブルの上に置いてあった実験装置は部屋中に飛び散り、組み立てられた跡もなく バラバラのパーツ状になっています。鉄の塊のような安定化電源が横転して水浸し。も う使えないかもしれない。高かったのに。

水浸しと言えば、床も壁も食塩水が撒き散らかされ、本棚の本が随分被害に合ってい るようです。割れたコップのガラスの破片が、食塩水の床上浸水の中にまがまがしく光 っていました。

ビデオやテレビなどの電化製品や、パソコンなどの精密機械にとって、何が困ると言 われれば「水分」と昔から決まっています。まして「塩水」が、金属をあっという間に 錆でぼろぼろにさせてしまうのは、誰もが知っていることです。

部屋中に電気コードを張り巡らし、改造したコンピュータやロボットのモーターや、 学校から黙って持ってきた計測装置で溢れかえっていた、別名「岩倉ラボ」と呼ばれて いた私の部屋。

本当の悲劇はこれから始まると直感的に分かりました。これから、次々と機械が原因 不明の故障を起こすだろうと言う恐怖に、力なく座り込んでしまった私でした。

それから、私は夜まで後片付けを続ける事になります。

水浸しの部屋を雑巾で拭き掃除して、ガラスの破片を一個一個丹念に探しました。食 塩水をかぶった機械で、安いものは捨てる事にしました。

ガラスの小さな破片が、まだ散乱していましたが、床が完全に乾くまでは掃除機もか けられませんので、部屋の隅の方に布団を固めて、その夜は体を小さく縮めて寝ました 。

寝ぼけて部屋の中をうっかり歩かねばよいが、と思いつつなかなか寝つけない私でし た。

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彼らの成績が上がったかどうかは覚えていません。みんな志望校に合格し、今はどこ でどうして過ごしているのかも全く分かりません。

ただ、あの実験の後の理科のテストでは、全員が電気分解に関することに関して、完 全に正解を導いていた事だけはしっかり覚えています。

その後、何度も別の生徒から「その実験をもう一度やって欲しい」と言われ、講師か らも「実験方法を教えて欲しい」と再三求められました。

しかし私は2度とこの実験をする事はなく、そして誰にも教えることもなく、卒業と 同時に京都岩倉をあとにしたのでした。



Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996