贈る言葉(研究室の後輩へ)



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贈る言葉(研究室の後輩へ)

江端です。
さて何から語り始めようか。まずは言い訳からでしょうか。

今の私は本当に忙しいんだってば。嘘だと思うなら、春の情報処理学会の予稿集を見 て下さい。私の名前で2つエントリーされているでしょ。で発表が25日なのだよ。さ らに、今月に入って4日も年休を取ってしまったし。実は11日の木曜日から年休を行 使して、組合のスキーツアーで雫石(世界大会のあったところ)に行ってしまったし。

ちゃんと組合の方からフォローしておいたのにも係わらず、水曜日の定時後に上司に 挨拶したら、真っ青になっていたようです。つまりそれくらい忙しいのです。

勿論君達の卒業式に出席したいのは、言うまでもありません。はっきり言って仕事な んかどうでもいいのです。特にあの上司に義理立てする必要など全くありません。この 他、私が家庭教師をしていた教え子が今年同志社の英文学科を卒業するので、お祝いが てら伺いたいとも思っているし、なにより奈良の『友人』にも会いたいので。

ついでですので、現在も機器研で蔓延っている誤った噂を訂正したいと思います。昨 年の卒業式で私が経済学科の卒業式の日程を聞いたのには理由があります。私は、大 学在学中に、岩倉に住んでいる姉妹の家庭教師をしていました。この姉君の方が昨年 経済学科を卒業したため、お祝いを送るために君達に卒業式の日程を聞いたのです。 そして、今年は妹君の方が無事に英文学科を卒業することになりました。君達が想像 するような、いわゆる『良い目』にはあっていません。敢えて良い目を主張できるこ とは、お家に伺えば必ずご飯を食べさせてくれることです。お父上を含めて一家で全 員がそろって、夕食を食べさせて頂けるあたり、井戸田家とそっくりです。

『去年は来て、今年は来ない』

そんな寂しいことを言ってはいけません。私はいつでも君達の心の中に共にあるので すから。もし万が一何かの間違いがあって、私が結婚するということになりましたら、 披露宴はともかく、2次会は京都で敢行します。ついでにその幹事には徳田君を任命す るつもりです。勿論彼は断るわけがありません。実際のところ、結婚式も京都でやりた い江端ですけど。

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さて、もうすぐ社会人になる君達に何を言うことができるだとうかと、長いこと考え てきました。「こういう時にはこうすると良い」と言うアドバイスは、私が持っている だけでも相当数あります。このような情報は多分、多くは君達の役に立つことと思いま す。

しかし、私は敢えて「何も教えないこと」を君達に贈りたいと思います。

これから君達のほとんどが会社に努めるか、なんだかの形で社会と係わり合って行く ことになります。そしてたいへん残念なことなのですが、この社会はうんざりするほど の不合理で一杯です。時として殺意を感じるほどに腹立たしいことがあります。うっと うしい人がいます。『こいつは殺した方が世の中の為になるんじゃないかな』と思う奴 もいます。君達が落ち込むような事態は、結構溢れているかも知れません。勿論その反 面楽しいこともたくさんありますけど。私が記録してきた「日立こぼれ話」もその一つ です。不合理の中には、お腹を抱えて笑い飛ばれるものも多くあります。

とにかく社会はカオスです。

私が君達に期待したいのは、「悟るな」「納得するな」「変に大人になるな」と言う ことです。君達が間違っていることを強要され、そしてそれがどうしても許せないとき には、徹底して怒って悲しんで泣き叫んで欲しいのです。殴りたいと思った上司は、頭 の骨ににひびが入るほど殴り飛ばして下さい。殺したいような奴がいれば、遠慮はいり ません。君達が心地よく過ごすために、そいつを殺める必要もやむを得ないでしょう。 『こんなことで、文句を言っては大人げない』と言うつまらない思慮は不要です。

ただ、ここで問題となるのは、そのような反逆に使うエネルギーです。 何かに逆らうときには、逆らっている相手から膨大な攻撃が係り、その全てに対抗する ことは本当に疲れるのです。特に自分がたった一人で闘いを仕掛けるときには、自分の 破滅を覚悟した徹底的な闘争が必要となると思います。勿論自分が負けてしまったり、 破滅しそうになったときには、どんなに悪い状況でも、自爆してでも自分の敵も一緒に 巻き込んで欲しいと切望します。

さて、このような膨大なエネルギーを使わずに生きて行くためには、適当な妥協が必 要とされることもあります。譲れるところがあれば、どんどん譲っていいのです。それ は、何も恥ずかしいことではないように思えます。逆に言えば、譲れないものがなくな れば一番らくちんなんですけどね。私に関して言えば、2つのことを除いて全てを譲っ ていいと考えて生きています。まあ、良い機会なので公開してしまいますと、私の譲れ ないモノとは、「私の生き方に関する干渉」と「私の好きな人たちへの攻撃」です。私 の持っている自己基準によれば、この2つに係わってくる者には無条件で無差別に(粛 正を含めて)テロを仕掛けてよいことになっています。法や権力の犬など問題ではあり ません。

だから、これからも最も親しい友人として付き合っていく君達にお願いがあるとすれ ば、私のことを「エバちゃん」だの「クソエバ」だのと、最高の親しみと尊敬と敬愛を 込めて呼んでくれることなぞ、問題ではありません。むしろ私は誇らしく思っているく らいです。このような形式化した社会において、見せかけの上下関係を越えた、このよ うな呼びかけの一つ一つに、君達の偽りのない私への友情を見ることができます。

でも、私の持っている信条や信念を修正しようとしたり干渉しようとしたりしては絶 対ダメですよ。私の人生において、このような愚かなことをした3人の人物は、今だに 私のブラックリストに登録され、私はテロを仕掛ける時期を伺っているのですから。

もう一つ、私は君達が本当に好きですから、君達が攻撃を仕掛けられていることが分 かれば、君達がそれを望もうが望むまいが全く介さず、君達の敵に襲いかかるくらいの つもりはあります。何か困ったことがあれば、是非とも相談して下さい。なんの役にも たたない愚痴話に付き合うこともできますし、必要とあれば君達の敵を罠に陥れるアド バイスをいたします。私が直接手を下して君達の敵を葬ってもいいですし。そうですね 、やるなら完全犯罪です。中途半端な計画ではダメです。徹底的にシミュレーションし てから取りかかりましょう。

でも、敵は作らないに越したことはないのですけどね。

私はいわゆる「大人になった」君達には会いたくないなあ。妙に大人しくて、静かに 笑って、落ちついて行動している江端さんに、君達は会いたいですか?多分「そんな江 端は江端じゃない!」って言うのではありませんか? でもね、別に私だって好き好ん でどたばたしているわけではないのです。早く落ちついて、いっぱしの小市民として、 小さくともささやかで幸せな家庭を追い求めているのです。しかし、君達を含め、私の 環境がそれを許してくれないのです。本当です。全部悪いのは私の環境であり、私には なんの責任もないのに・・・。最近、会社でも上司先輩は言うに及ばず、同輩後輩まで もが、なんだか、気安く仕事を押しつけていくような気がする。「江端組み易し」の風 潮が蔓延っているようだから、ここは一発どかんと、私の厳しいところを見せなければ イカン!!

あ、ついでだから言っておくけど、仕事を始めたら雑用が結構多くなります。注意し ておきたいのは、「容易に雑用を受けないこと。」と「容易に雑用を命じられる人間を 目指すこと。」と言う一見矛盾している2重背反を実行しておいて。つまり、(あいつ は、雑用を嫌がっている)と言うことを知らしめながら(あいつが最も処理能力が高い )と言うことを分からせることが大切ですから。と、と、仕事のアドバイスはしないこ とになっていたのだっけ。

君達は、君達のやりかたでこれからの自分の人生を生きて下さい。
私は敢えて「何も教えないこと」を君達に贈ります。
君達の人生に、人のアドバイスがどれだけの意味を持つというのでしょうか。

どうか、忘れないで下さい。 君達の人生は、君達のものなのです。
人の倫理や道徳などに縛られる必要はありません。人と同じになることはありません。
自分の納得する方向に向かって大爆走して下さい。

そして、必要とあれば私を呼んで下さい。
何もできませんが、喜んで一緒に暴走させて頂きますとも!!!

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「人生なんてラクチンラクチン、渡る世間は甘かった」
「人生80年、100年後、私を知っている人は無い」
がモットーの江端です。

ちょっと辛い目にあって、いきなりしかめっつらになって、若い人に
「お前は人生の重さがわかっておらん!」
なんて言うアホなおっさんにはなりたくないです。

すごく辛い目にあって、なんども泣きそうになって、くじけて、倒れて、それでも
「うん?人生? らくちんなものよ。」
としゃあしゃあと言ってのけたい。

昨日、ユニット(課)の送別会がありました。同期の友人の一人が退社して大学院に 進学することになりました。彼は「仕事のことで、課長と江端の話している内容が分か らない。」と嘆いていましたが、いつの間にかこの様な決意をしていたようでした。 で、いつもの飲み会のように、私は大騒ぎしていたのですが、友人のMさんが、「や っぱり人生は、江端さんのように激しくなくては。」と今まで何度となく言われて来た ことを、やっぱり言われてしまいました。(みんな、私が笑っているところしか知らな いもんな)と少し寂しくなってしまった江端です。まあ、私にも過去には色々(恋愛以 外にも)あったのです。詳しくは音響研の加藤さんにでも聞いて下さい。

で何が言いたいかと言うと、「うん?人生? らくちんなものよ。」と言う風に装っ ている人も、きっとどこかに大きなの悲しみを持っているんですよね。私は、そういう ことを、ときどき思い出せる人間になりたいと思います。世の中には、うわべだけで、 あまりにも簡単に人の幸不幸を簡単に判別するバカヤローが多くいますが、私はこの様 な輩を絶対に許しません。

なんだか、一生懸命自分と他人との『不幸くらべ』をする人が多くて嫌になります。 自分はあんたよりより不幸なんだ、自分はかわいそうなんだと主張することで、何とか 自分をつなぎ止めていると言う感じです。勿論、世の中には、どうしようもない悲しみ や耐えられない辛いことがいっぱいあります。これは事実です。勿論愚痴を言うことで 、少しでもその人の心が軽くなるなら、私は喜んで協力したいと思いますけど、何にも 建設的な方向にちっとも向かおうとせず、現状の自分にひたって悲しんでいる奴には、 同情などしません。
「江端君みたいな幸せな人に、私の不幸なんて分からないわ!!」
「おう、そうだ。俺は幸せだ。お前なんか、かなわないほど幸せだぞ。お前はずっと不 幸だ。どうだ、参ったか!わっはっはっは!!」
こういう対応してみたいです。

私としては、「振り返れば、そこにいつでも笑顔の江端さん」を理想として掲げてい ます。しかし、感情の時定数が異様に小さい江端さんは、実に簡単に怒るし、悲しむし 、落ち込むし、恨むし、根に持つし、しかもしつこい!、・・まだまだ理想には遠いで す。

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さて、言いたいことの百分の1も書けていないような気もしますが、今日(土曜日) も出社せざるを得ない私のこと、どうぞお許し下さい。

この話題で最後にしたいと思います。

卒業後、私が大好きだった人を失って本当に悲しかったとき、君達がそばに居てくれ たことが、本当にどれだけ私を助けてくれていたことか知らないでしょう。
君達が私と一緒にこの悲しい出来事を笑い飛ばしていく過程で、いつの間にか私は、こ の出来事を、やさしい思い出に変えていくことができました。

君達みんなが、無遠慮に私の中に入ってきて、私のことをこき下ろして、批判して、 文句を言って、アドバイスする、そんな無茶苦茶で非常識なやさしさが、私にはとても 嬉しかったのです。
(でも、多分君達はそんな思いやりの気持ちはなくて、単に面白かっただけだとは思い ますけどね。)

これからも私は苦しいときに君達に頼ると思います。
今までと変わらぬ君達で、やはり変わらぬ無茶苦茶で非常識なやさしさで、どうか私を 支えて下さい。

私は、苦しいことや悲しいことがあると、
「あんなに楽しい時間を過ごすことが出来たのだから、今は少しずつ、その貸りを返し ているのさ。」と思うようにしています。
本当に心からその通りだと思っています。

君達がこれからの人生を生きていく上で、大学、大学院で過ごしてきた時間が、君達 にとって大きな人生の支えになることを、願って止みません。

最後になりますが、君達の御両親や恋人に負けないくらい強い想いで、心から君達の 卒業を祝いたいと思います。

おめでとう。そして、本当にありがとう。

機器研M2の諸君へ

93年3月21日

江端 智一


Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996