江端です。 tanigutiさんは書きました: >> なにか、若々しくフレッシュで明日への希望に満ち、力強く覇気迸る >>21世紀の政権党としての「停滞党」の英語名をお待ちしております。 > > >江端氏の言いたい事を大雑把にいうと >「現状の物質的な方向を向いた進歩でなく、もっと別の方向の方向に >向くべきだ」と理解しています。  うんにゃ、全然違います。  私の言いたいのは、停滞主義の目的が「楽の追求」であり、「楽の追求の 果てにある一つの解が、「幸福」である」と言う、比較的容易に共有しやす い感覚的観念をへて、「楽の追求を行う手段とはなにか」を考察するアク ションに至ります。  そして、「楽の追求」の根本にある近代社会が運命的に持っていかねばな らぬテーゼ「今日の不便を、努力と進歩で明日解決するのだ」と言う暗黙の 了解に対するアンチテーゼとして、「なにもしない」と言う新しいパラダイ ムを提案している訳です。  そしてここが重要なポイントですが、「なにもしないこと」は、往々にし て「楽」であることが多いのです。  ここにリカーシブな論理の帰却が行われ、停滞主義の本質であるところの 「楽で楽になる。」が導出されるわけです。  言い換えれば「アグレッシブな無作為」です。  従って、停滞主義がすべての事象に対する停滞を呼びかけるものではあり ません。  例えば、どのような犠牲を払おうとも、開発段階で人死にが出ようとも 「カーナビ」の機能は進歩せねばなりません。この「カーナビ」が、停滞主 義で特別扱いされる理由については、停滞党宣言付録2−J「カーナビに関 する停滞主義見解」で述べられます。  停滞主義が掲げるテーゼは、単なる停滞を目指すものではなく、「楽を追 求する手段の一つとしての停滞」を掲げるものであります。さらにそれが単 なる空理空論で終わらぬよう、理論と実践を常に表裏一体として実現してい く、いわば「実践的」「前衛的」であり、かつまた「武闘的」な停滞を目指 すものでなければならないのです。  まとめますが、停滞主義の目的は「停滞」ではありません。  手段が「停滞」。目的は「楽」です。