IETF惨敗記2(白夜のノルウェー編)

江端さんのひとりごと

「IETF惨敗記2(白夜のノルウェー編)」

1999/08/21

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入社したての頃、私は遺伝のメカニズムを使った計算アルゴリズムの研究に 興味を持っており、遺伝、酵素、ウイルス性の伝染病などに関して勉強する機 会を得ていました。

例えば、人間は食物を食べてそれをエネルギーに変換する為には、色々な種 類の消化酵素と言うものが必要です。消化酵素のおかげで、我々は有象無象の 食品をエネルギーとして吸収することができるのです。

このような酵素が、生まれつき欠損していると、「酵素欠損疾患」と呼ばれ る病気として扱われるようになります。

私は、これまでの人生でアルコール分解酵素が欠損している人を3人ほど 知っています。3人とも日常生活には何の問題もありませんが、ビールを一口 飲んだだけで、倒れたり吐いたりしてしまいます。

私は、ビール、ワイン、日本酒等を、酒税法違反を承知で製造する程、体 内にたくさんのアルコール分解酵素を持っていますので、このような話を聞く と理由もなく申し訳なる気持ちがするのです。

この「酵素欠損疾患」と言う病気が、いつ頃発見され、そして認知されるよ うになったかは知りません(大抵の人は未だに知らないかもしれない)が、そ れまでの間、色々な惨劇が繰り返されていたことは、想像に固くありません。

気をつけて頂きたいのは、将来皆さんが上司になって、酔っ払って醜態晒し た挙げ句、この病気を抱えた部下に対して『何ぃ〜、それじゃあ〜何かぁ〜〜、 お前はぁ、俺のぉ、この酒がぁ・・・酒が飲めないっっ〜〜んだなあぁ。そ〜 か、そ〜い〜ことかぁ〜!』とか言って、無理やり酒を飲ませるようなことを したら、----- 傷害致死罪、下手をすれば殺人罪に問われます。

ちなみに、人間にアルコール飲料を直接皮下注射したら、かなり高い確率で 死にます。アルコール分解酵素が無い人に、アルコールを飲ますと言うことは、 同じことをしているようなものです。

このような「酵素欠損疾患」の厄介なところは、この病気があまり一般的に 知られていないことに加え、病気の症状が日常的に見られる一般人の振舞とあ まり変わらないところにあります。

だからこそ、我々は、その人の苦しみの主張に対して真摯に対応し、----- 既知の病気ならもちろんですが ----- 、原因が明確に判らない場合でも、 『きっと何かまだ知られていない疾患で苦しんでいるんだ』と、その人の立場 になれないまでも、いっしょに悲しんだり、苦しんだりすることはできるはず です。

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最近、私は酵素欠損が原因としか思えない、新種の病気を発見しました。

私は今度の学会(医学関係の学会はよく知らないのだけど)で、この疾患名 を発表したいと思っております。

残念ながら、現在のところは統計学的アプローチから導出したものであり、 仮説の域を出ませんが、山ほどの症状報告がなされ、特にアジアの極東地区に おいて突出して現れていることから、民族的な遺伝子に起因する疾患であるこ とはほぼ確実で、今後は生理病学的なアプローチから、この疾患が解明されて 行くことと思われます。

その名は、「非母国語コミュニケーション酵素欠損症候群」 "Anti-Mother Tongue Mutual Understanding Ability Deficiency Syndrome" 略して"AMDS(アムダス)"です。

このAMDS(アムダス)とは、母国語以外の言語能力を司る酵素が、生まれなが らにして欠損していると言う、恐ろしい先天性の疾患です。この酵素が欠損し ていると、どのように一生懸命外国語を勉強しようとも、外国語によるコミュ ニケーションは出来ません。

出来ないだけならば良いのですが、それを強要されると、滝のような汗が流 れだし、心拍数と血圧は異常なほど上昇し、理性的な判断ができなくなり、そ の場で卒倒することさえあります。自立神経失調症と同じ症状が、突発的に発 生するものであると言う説もあります。

さらに、このような事態を強要され続けると、最悪の場合、死に至る場合も あります。

現在のところ、AIDS(Acquired Immunity Deficiency Syndrome 後天性免疫 不全症候群)エイズと同じように、この疾患に対して、有効な治療方法は確立 されていません。

これからの医学の進歩に期待するしかありませんが、現在のところは、この ような症状を発生させる要因、例えば、外国語の文献調査、外国語の文章の精 読、あるいは外国人との会話などから、患者をできるだけ遠ざけることぐらい しか有効となる手立てはありません。

海外出張などは論外で、自殺行為と言っても過言ではありません。

「外国語は、場数だ」などと言っている人は、たまたまこの病気を持たずに 生まれて来れただけにすぎません。

己の健常さを当り前のように語り、アムダス患者に対して、耐性を持たない 環境に晒すことを強要するのは、その昔、高熱で苦しんでいる人間を、氷水の 入った風呂にいれて治療をすることに匹敵するくらい非道で野蛮な行為なので す。

繰り返しになりますが、このような「欠損疾患」の厄介なところは、この病 気があまり一般的に知られていないことに加え、病気の症状が日常的に見られ る一般人の振舞とあまり変わらないところにあります。

だからこそ、 我々は、その人の苦しみの主張に対して真摯に対応し、----- 既知の病気ならもちろん ----- 、未知の病気、あるいは仮説の域をでない病 気であったとしても ----- 『きっと何かまだ知られていない疾患で苦しんで いるんだ』と、その人の立場になれないまでも、いっしょに悲しんだり、苦し んだりし、その人の命を守ることを最優先に考えなければならないのです。

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私は、昔から「地理」という科目が不得意でした。生まれて初めて、追試 験、いわゆる「赤点」を取ったのも、地理でした。

私は自分の住んでいる地区にしか興味がありません。

世界中のどこが熱帯雨林地区で、一年の何月が雨期でスコールが発生しよう が、そんなことは全く興味はありません。アメリカの東海岸と西海岸は、『要 するに、海辺なんだろう』と言うくらいの認識しかありません。先日、ヨー ロッパが中東の真上(北方向)に有ることを知り、本当に驚きました。

ですから、次のIETFがノルウェーで開催されると聞いたとき、私が真っ先に 思い付いたことは『寒い国』と言うことくらいで、「エスキモーの人と、氷の 家の中で、一緒にアザラシを食べるのだな」などと、一瞬考えたくらいです (物凄い誤解と偏見)。

せめて、「小さなバイキング、ビッケ(*1)」が住んでいた国、程度のイメー ジにとどめるべきでした。 (*1)筆者が幼少の頃、そういう名前のアニメがあった。 その後、読者より以下の指摘を頂いたので、この場を借りて紹介する。 『「ビッケ」の国籍です。確かハルバル父さんが「スウェーデンのバイキング」 と自称していました。でも、ノルウェーがスウェーデンから独立したのはビッケ の時代からだいぶ下ってからですし、実際は現ノルウェーの地域にビッケの村が あったのかもしれません。だいいちに方言程度しか言葉の違いも無いそうです。』

ノルウェーはドイツの北上に位置し、スカンジナビア半島を縦に真っ二つに 割った左側の国で、北半分は北極圏に入っています。

今回のIETFが開催されたのは、ノルウェーの首都オスローで、会場はスカン ジナビア半島最大の規模を誇ると言われているホテルRaddison SASでした。

ミーティング参加の為、私は週末の土曜日、出張の準備に走り回り、次の日 曜日は朝5時に起きて、成田に向かいました。これで、私の貴重な貴重な週末 は、全部パーです。

午前11時30分発のフランクフルト行きの飛行機に乗り込み、食事が終る や否や、私は、さっさとハルシオン(睡眠薬)を飲んで眠ってしまいます。

私が現在勤務している日立横浜工場の診療所は、海外出張時に特別に薬を処 方してくれ、睡眠薬も簡単に出してくれるので、時差惚けや現地での不眠が ちな私にとって、とても助かっています。

処方してもらったハルシオンには、使用上の注意が書かれていたのですが、 そんなことには全く気にせず、適当に使っていました。

そして、この「使用上の注意」を無視したつけは、帰国時に十分に払うこ とになるのです。

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先天性の「非母国語コミュニケーション能力欠損症候群 AMDS」を患ってい る私としては、海外出張は大変憂鬱なことですが、それにも係わらず、なぜ私 が似合わない海外出張をやらされ続けているかと言うと、それは、国から金を 貰って行っている日立の研究プロジェクトに、私が参画させられてしまったか らです。

国(通産省)は、このプロジェクトの中で、いくつかの課題を我々に課しまし たが、その課題の中でシステム開発研究所が引き受けた事項の一つに「標準化 活動」があります。

「標準化活動」とは、今回の通産省のプロジェクトで作成した製品に関し て、世界標準の規格を策定し、それを世界中の企業や研究機関に広めることで す。

例えば、現在世界中で使われている電源のコンセントの形や使用できる電圧 は、国によって大きく異なります。日本の家電製品は、変換器なしにヨーロッ パ地区で使うことが出来ません。これは、歴史的な経緯から、標準化に失敗し た典型的な例です。

要するに世界中で合わせておかなければまずい事項の調整を行うのが「標準 化活動」で、インターネットの標準化を行っているのがIETFと言うわけです。

が、どうも私にはこのIETFの標準化の作成手順が、いまひとつ良く解らない。

IETFの標準は、最終的にRFC(Request for Comment)という文章で交付されま す。例えば、電子メールに関するIETF標準化提案は、RFC822と言う文章で公開 されています。

この文章の内容に従う義務は全くないのですが、世界中の多くの技術者がこ のRFC822の文章をに従って電子メールのソフトウェアを作ることになるの で、これに従わない電子メールのソフトウェアを作っても、誰からもメールを 受け取ることはできませんし、たとえメールを出しても誰にも届きません。

たまにこのRFCの内容を良く理解しないで、ソフトウェアを作って、訳の分 からんデータを世界中に巻き散らし、ネットワークを混乱させるMの頭文字で 始まる阿呆な会社もありますが。

さて、それではIETFの標準化作業の手順を簡単に説明します。 (Step.1)

IETFのミーティング(今回はノルウェーのオスロで開催された)で、あるイン ターネットの分野の標準化が必要だ、と考えた有識者が、新しいワーキング グループ(WG)の設立を提唱し、その設立の可否を問う会議を招集します。これ をBOF(birdS of A feather)と呼びます。

今回のIETFでは、新たに「宅内ネットワーク」に関するBOFが開催されてい た様です。 (Step.2)

BOFにて設立が決議されたら、WGに昇格します。 (Step.3)

WGでは、チャータ(憲章)で標準化の方針が決まります。

一例ですが、在宅ネットワークのWGでは、「家庭内家電製品の宅内ネット ワークのプロトコルを制定しよう」てなことが決められるわけです。 (Step.4)

このチャータに従って、世界中の研究者や標準化活動に携わるものがdraft (ドラフト)と呼ぶ標準化案を提出します。この文章は世界中の誰が書いても構 わないことになっています。

ですから、私が洗濯機と冷蔵庫に必要となる情報を根拠として、洗濯機仕様 プロトコルを提出しても良いことになっているのです。 (Step.5)

IETFのミーティングにおいて、このドラフトの概要が発表されます。 (Step.6)

このドラフトの内容は、メーリングリストを使って世界中の研究者や標準化 活動家達の間で討論されます。 (Step.7)

十分な討論ができたと判断された時点で、このドラフトはRFCとして正式に 登録されていくことになります。勿論、討論の過程で消えていくドラフトもあ ります。

このようなオープンな環境で標準化が行われるため、インターネット標準化 は「オープンである」と言われています。

しかし、これが英語文化の問題から、完全に「オープン」でありえないこと は、すでにご報告いたしました通りです(*2)。 (*2)江端さんのひとりごと「IETF惨敗記」

ところが、IETFの標準化作業には、まだいくつか納得がいかない点があり、 それは「オープン」どころではないような気がするのです。

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「エスキモー」と「氷の家」と言う大変な誤解と偏見に反して、オスローは 温暖な気候でした。

見た目には日差しは強くないようにも見えるのですが、太陽光線の下に晒さ れると、針にちくっと刺されるような感じがするほどです。空気が乾燥してい るため、非常に気持が良く、高原の初夏を感じさせてくれました。

オスロー国際空港に到着したのは、21時30分でしたが、陽はまだ高く、 夕涼みをするのが丁度よい夕方、といった感じでした。

時差惚けは勿論ですが、この日照時間の違いが、私の体内時計をさらに狂わ せ始め、そしてその時間の狂いは、少しずつ私の体内に蓄積され、帰国時に爆 発することになるのです。

空港から一時間、電車から降りた私は、目の前にそびえる、ホテルRaddison SASを見ることができました。

ホテルに到着したのが、22時。

まだまだ十分に明るい夕方の街中をぶらぶら歩きながら、食事をするところ を探していました、

ホテルで食事を取るのも面倒だったので、チェックインを終えた後、マクド ナルドのハンバーガで済ませたのですが、その値段の高いこと高いこと。

これまでの海外旅行で、私は日本の物価が如何にめちゃくちゃ高いものであ るかを体感して来ました。特に東南アジアの国々の多くで、1000円あれば一日 飲み食い、貧しい学生でもそれなりのクオリティーで旅を続けることが出来た ものです。

アメリカ出張では、日米間の物価は概ね同程度と感じていましたが、少なく とも日本より高い物価の国が存在するなど考えたことはありませんでした。

ハンバーガ、コーラ、ポテトフライで、65ノルウェークローネ(Nk)。日本円 にして1040円(1Nk=16円)。

ハンバーガにしても別に特大サイズではなく、心持ち日本のマクドナルドよ り小さいような気がしましたし、他に関しても、北米のようにバケツのような 容器にでてくるコーラを飲まされるということもありませんでした。

マクドナルドごときで1000円を越える食事をするなど、私の人生では到底あ り得ないことでしたが、今回の旅の中では、日本円に換算するたび、ひやっと する場面が何度もあったのです。

23時。

ホテルに戻り、33階のホテルの窓から、ようやく暗くなって来たオスローの 街を一望しました。

海岸と山脈に挟まれて(海岸と山脈の間に)、美しいヨーロッパの街が広 がっているのを見ながら、私は直観的に、この街を好きになれそうだ、とと 思ったのでした。

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今回、何人かが(シ研)からIETFに参加しましたが、国家プロジェクトがらみ で参加したのは、同期のM氏、後輩のT君、そして私です。

恥を晒すようですが、仕事に関しては、私はいつでもこのM氏、T君の二人に くっついて歩いていました。

私は、海外先で常に群れて歩く日本人が嫌いです。

行き先一つ一人で決められず、現地の言葉を使ってみようと言う気概もな く、ましてや、その国の文化や歴史を知ろうと言う素ぶりすら見せず、土産屋 にたむろする日本人を見ると、石を投げてやりたくなります。

ですが、国内にあってさえも、勘違いと誤解(そして時々は悪意で)仕事を混 乱させるこの私が、たとえ善意と誠意と最大努力で接したとしても、インター ナショナルな場面で、まともな仕事が出来るわけがないことは、私が一番良く 知っています。

何よりも、M氏、T君にTOEICで何百点もの差をつけられている私なんぞが、 下手にでしゃばって、仕事の内容を混乱させるより、彼らの話を聞いて、後で 報告書を書くと言う仕事こそ、私には似合っているのです。

どんなに悔しくても、「非母国語コミュニケーション能力欠損症候群」を患 わっているこの身ではどうしようもないのです。

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今回のIETFのミーティングも、前回のミネアポリスと同じ形式で行われ、私 は前回と同じように、プロジェクタで表示されたプレゼンテーションの内容 を、必死で日本語に変換してノートに書き写していました。

今回、日本語変換と言う面倒な作業を敢えて行った理由は、前回の反省に因 るものです。

前回のIETFでは、英語のままで書き写していたのですが、帰国後、報告書を 書くためにあらためてノートを見直してみると、内容を完全に忘れ去っていた 、ということが理由の一つであったのですが、もっと大きな理由は、『字が汚 なくて、何が書いてあるのかよくわからん』ということでした。

確かに、英語の崩し文字は非常に速く書けて助かるのですが、ただでさえ字 の汚い私が、英語で、しかも崩して書けば、訳の分からない曲線の羅列になる ことは、火を見るより明らかです。

私は、自分のノートの解読をするためだけに、1日と半分を費すというよう な馬鹿げたことを二度としたくなかったのです。

日本語で書かれた私の文字も、汚いことには違いないのですが、日本語であ るという分、後で解読が楽になったのは事実でしたから。

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2日目のミーティングは、夜の21時まで行われましたが、その後会食等の 予定なども全く無かったので、私はホテルの最上階にあるサウナに向かいまし た。

回りのメンバも誘ってみたのですが、あまり興味が無いようでしたので、私 は部屋の浴室のタオルを一枚掴むと、一人で最上階行きのエレベータに乗りま した。

エレベータから降りると、いきなり無機質なロッカールームが現れ、そこか ら『サウナ』と書かれた矢印を辿って奥の廊下を進んでいきました。

サウナ室のドアの前で男性用であることを確認して、ドアを開けると、そこ にはとんでもないものが転がっていました。

太った、と言うよりははっきり言って太りまくって肉がぶよぶよした白人の 男性が、体を仰向けにして、白い体が火照ってピンク色になった肌を晒しなが ら ----- 『ちんちん』を天井に立て、そして時々『ちんちん』をいじりな がら -----、サウナのクーラ通気口の上で寝そべっていました。

私は内心びっくり仰天して、すぐさま180度回転してその場を立ち去りた かったのですが、この程度の異様な光景に動じる風を見せることは、自分のプ ライドが許しませんでした。

『ふふん。俺はなあ、この程度の異様な場面には何度も立ち会ってきたんだ ぜぃ。』と強がりつつ、自分で自分に言い聞かせても仕方がないだろうと、自 分に突っ込みながら、わざと平静を装って、そのままサウナ室に入っていきま した。

しかし、サウナ室の中には、「ちんちん」いじりながら寝そべる白人男性 と、私しかいないことが確認されるまで、それほど時間はかかりませんでし た。

私は新たな恐怖に教われましたが、(大丈夫だ、智一。お前は、合気道の有 級者(5級)(*3)じゃないか、大丈夫、大丈夫)と自分に言い聞かせながら、 私は服を脱ぎ出しました。 (*3)先輩のNさんに「お前なあ、『有段者』と言う言葉はあるが『有級者』っ て言葉は無いぞ。せめて『経験者』くらいにしておけ。」と指摘された。

日本から持ってきた、高村薫の「神の火」を読みながら、狭いサウナ室で汗 を流していると、あのちんちんおじさんがサウナ室に入ってきました。 私は本に集中しているふりをしながらずっと無視していたのですが、数分が 経過してちんちんおじさんが、何気ない風に口を開きました。 ちんちん:"Hot!"(熱いなあ)

こう言う状況で口をつむぎ続けるのは難しいです。(くそっ、やっぱり喋り かけてきやがったか!)と思いつつ、私も仕方なく応えました。

江端 :"Too hot"(熱すぎますね)

これに気を良くしたちんちんおじさん、私に色々聞き始めてきました。

ちんちん:『インターネットの国際会議に出席しているのか』

江端 :『そうだが、あんたも?』

ちんちん:『いや、私は別の会議だ』

明日会議でで出会ったりしたら面倒くさいったらありゃしない、と思ってい たので、私はほっとしました。

ちんちん:『日本人だろう。私はカナダだ』

江端 :『この国は始めてか?』

ちんちん:『いいや、2回目だ』

と言うような、どうでも良い会話をしばらく続けていた後、少し会話が途切 れたので、私は再び文庫本の方に目を落としました。

ちんちん:『どうしてお前はサウナでパンツを履いているんだ』

どうしてって、お前の知ったことか!とも思いましたが、私は一応丁寧に答 えてやりました。

江端 :『サウナの後にプールに入るつもりだ。だから履いているのだ。』 ちんちん:『プールはすでにクローズしているぞ』

私は一応プールが開いている時間を調べてきていましたので、驚きました。 後で調べたら、やっぱりプールは営業時間内でしたが。

江端 :『そうか。でも一応行って見ようと思う。』

ちんちん:『プールに入れないのだから、パンツを脱げよ(Take off your shorts)』

来たか!やっぱり来たか!!最初からそうなるような気がしていたんだ。

私は驚きつつも、心のどこかで自分の予想が当たっていたことに感心してい ました。

ちんちん:『暑苦しいだろう。パンツを脱いだら楽になるぞ』

江端 :『いや、俺はこのパンツが好きだ(I like this shorts)。このパンツは快適だ(I feel confortable with this shorts)』

下らない英語を喋らせるんじゃねえ!と私は笑顔のままで半分以上怒って いました。

それでも、ちんちんおじさんは、執拗に『パンツを脱げ』とせかすので、私 は話題を変えるように言いました。

江端 :『私はサウナが大好きなので、私の友人をこのサウナに招待した(I invitated my friends to come this sauna)。すぐに彼らはここにやってくるだろう』

と言うと、ちんちんおじさんは、ちょっと首をかしげた風にした後、そのま まサウナ室から出て行きました。

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今になって考えると、あのちんちんおじさんは本当は親切心で、パンツを脱 いだほうがサウナを楽しめると私にアドバイスをしてくれたのかもしれませ ん。

しかし、百万歩譲って、あのおじさんが変態でも同性愛者でもなく、単に親 切な人物であったとしても、私は異国人の他人に対して「パンツを脱げ」と言 うような文化など、断じて認める訳にはいかない、と思うのです、

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今回の出張直前に、私は上司から、現在日立と共同研究を行っているドイツ の研究機関のグループと接触し、その人達を食事に接待するように命令されま した。

最近、私の上司が中心となって、ドイツの国の研究機関と一緒になって、 ネットワークの研究を立ち上げたことがきっかけだったのですが、私には私な りの打算があって、このミッションを実施させ、どうしても成功させる必要が あったのです。 

3日目の夜、ホテルのレストランで女性を一人含む3人のドイツ人研究者 と、日立側で、国家プロジェクト関連の私達3人を含む5人で、会食を行いま した。

私が席に着こうとすると、M氏が私に別の席に座るように言いました。 江端:「なんで?」 M氏:「そこは、ホスト席ではない。」 江端:「ホストって誰が?」

M氏は私を指差しました。

英語が堪能なM氏とT君の後ろに隠れて、うまい汁を吸いつづけてきた私 は、ようやくそのつけを払わなければならないときが来たのです。

私は、生まれてこの方ホスト役などやったことはありません。しかし、今回 だけは行きがかり上やらざるを得ない立場にありました。 

そこで、かなり怪しげな英語で会食の挨拶と、日立が支払いをすることを説 明すると、皆が口々に"Thank you very much , Mr.Ebata"と言うので、私は 『私ではなく、日立製作所が支払うんです。』と繰り返さなければなりません でした。

ワインのテイスティングなど、公式の席で一度もやったことはありません が、ワインの色を見るふりをし、鼻で香りをかぐふりをし、口に入れて味見を しているふりをし、最後に感心したふりをした後"good"と言いました。

まあ、ドンペリを出されようが、1000円のチリ産ワインを出されよう が、私の"good"の内容は変わりないんですけど。

何度も繰り返すようですが、私は英語が苦手です。特にヒアリングは苦手中 の苦手です。

それでも日本人の発音する英語(我々はこの英語を"Japanese-English"と呼 ぶ)ならかなり理解できます。要するにAmerican-Englishが苦手なのです。

その日の朝食時、T君とこのAmerican-Englishに関して話していたときのこ とです。

T君:「江端さん、『スピッ』って判ります?」

江端:「『スピッ』?」

T君:「食事の時に『ドユワナスピッ』って訊かれたんですよ。そんでよく判らなかったんで"yes"って応えておいたんです。」

江端:「それで?」

T君:「出てきましたよ、『スプライト(*4)』が。」 (*4)炭酸清涼飲料水の一種

これにもまして、ドイツ人研究者の喋るGerman-Englishは難しく感じられ、 私にはほとんど理解できませんでした。ですから、他の人達がしゃべっている のをニコニコしながら聞いているだけに徹しておりました。

ですが、そうも言っておられません。先ほども申し上げた通り、私には私な りの打算がありました。それは、ドイツの研究機関の人と協力して、私が今 行っている標準化活動を進めて行き、最終的にこの研究機関の方に標準化活動 の成果を、IETFで発表してもらいたいということです。

言うまでもありませんが、私が英語でプレゼンテーションなどできるわけあ りませんから。

この会食は、私の任務の成否がかかった、重要な交渉でしたが、結果的に、 色々な条件は付きましたが、私は、ドイツの研究機関の人に私の申し出を快諾 して頂き、ようやくほっとして食事やデザートを楽しむ余裕が出てきました。

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外国のレストランでは、ウエイターあるいはウエイトレスは、そのテーブル に専属に付きます。私達のテーブルには、ラテン系のちょび髭のユニークなお じさんが担当になっておりました。

私がトイレの場所を尋ねると、そのおじさんは『どうしたんだい!アミーゴ !!』と言った大げさな仕草をすると私の肩を抱いて、トイレに案内してくれ ました。

私は「非母国語コミュニケーション能力欠損症候群」を患っている身です が、その一方で、私はTOPIC(Test Of Playing International Communication) 国際コミュニケーション演劇テストの提唱者(*5)です。 (*5) 江端さんのひとりごと「TOPIC」

TOPICとは、私が提唱したテストで、身分・国籍・年齢・性別・収入等に全 く関係無くコミュニケーションを実現する能力を測るテストであり、その手段 として「演劇」を用いるものです。簡単に言えば身振り手振りでコミュニケー ションを計る能力を測定するテストです。

私は、このTOPICの提唱者ですから、当然フルスコアに近い能力を持ってい るはずです。事実、すでに各国でこの演劇を使ったコミュニケーションに成功 しております。

2時間半に及ぶ会食もそろそろお開きにしようと思い、私は、チェックをし ようと、他のテーブルで給仕をしていたそのアミーゴを呼び寄せようとしまし た。

最初、指をパチンと鳴らして、そのアミーゴを呼び寄せようとしました が、気がついてくれませんでした。

次に私は、手招きする様に手の甲を上にして指を動かしました。すると、ア ミーゴは向こう側のテーブルで一瞬きょとんとした表情をした後、私と同じよ うに手の甲を上にして指をパタパタと動かし始めました(*6)。

(なんで来ないんだろう?)と号を煮やした渡しは、今度は、私は両手挙げ てその仕草をし始めました。

丁度私の対面に座っていたT君が、訝しげに「江端さん、一体何をしている んですか?」尋ねてきたので、私はT君に目で後ろを指し示しました。

そこには私と同じように両手を挙げて、笑顔で私の方に手を振りつづけてい るアミーゴがいたのでありました。

結局、私が大声で「チェック!」と叫んだことで、ようやく彼はチェックを 持ってきてくれたのですが、私がチェックにサインをしている横で、T君は嬉 しそうに語りかけてきました。

「江端さん、『TOPIC、敗れたり』ですね。ちゃんと、『江端さんのひとり ごと』で報告してくださいよ。」 (*6)人を呼び寄せるとき、欧米では手の甲を下にして、指を曲げる仕草をす る。手の甲が上になった場合は、この逆で「向こうに行け」を意味するらし い。

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さて、私がこのようにしてドイツの研究者の協力の要請をお願いしてまで、 標準化作業を進めなければならない理由は何故かと問い掛けられれば、それは ずばり「コネ」です。

古式ゆかしい日本型のコネ文化(コメ文化じゃない)です。

IETFが本当にオープンであるかどうかどうしても納得いかないのは、つまる ところその標準化を実施しているワーキンググループの議長(チェア)の意向 で最終的に決定される場面が多い、と言うかそれが全てのように見えるからで す。

第一にチャータの設定は、チェアが中心になって行いますし、ドラフトを書 いてくる人物のほとんどはチェアと面識がある面々ばかりです。

なにより、どうしてもよくわからんのが、一体、いつ、そして誰が、ドラフ トをRFCに昇格させているのか、と言う事です。

常識的に考えれば、それはIETFのミーティング会場で採決が行われることで 決定されるように思えるのですが、まだ私はそう言う場面を見たことがない。 表向きどうであれ、最終的にはチェアが独断で決定しているように見えるので す。

要するにチェアに近い人物のドラフトでないと、RFCとして採用されていな いように見えるのです。

私がドイツの研究機関とのアライアンスを申し出たのも、私達にはチェアと 近づく「コネ」がないから、IETFで活動している彼らを通じて標準化を進めよ うという目論見があったからです。

勿論、世の中の意思決定プロセスとは、概ねこのような形態を取らざるを得 ないのはよく解るのですが、それならそれで、執拗に「オープン」を前面にか ざすこともあるまい、と、私は少し穿った見方でIETFを眺めるようになってし まいました。 -----

5日間に渡るIETFの聴講と、標準化に向けての任務を一応終わらせた後、私 達は帰国までの半日の時間を使って、オスローの観光に出かけました。

市庁前の港から、船で対岸に渡り、バイキング船博物館、フラム号博物館、 コンチキ号博物館などを見て回りました。

バイキング号博物館には、オスロフィヨルドで発見された3隻のバイキング 船が展示されていました。長さ30メートル、幅6メートルに十数本のローの 差し込み口のある手漕ぎ船を見ながら、私は小さい頃に見ていたアニメ「小さ なバイキング ビッケ」に想いを馳せていました。

どんなにビッケが可愛いバイキングであろうとも、海賊行為で生活を成り立 たせていたことは事実です。

江端:「要するに当時のノルウェーは、非合法な海上での略奪行為を基本政策としていたわけだな。」

T君:「江端さん、当時のノルウェーに『非合法』と言う概念があったとは考えにくいのですが。」

コンチキ号博物館を見物した際には、『世の中には妙なことに、情熱をかけ る人がいるもんだなあ』と感心してしまいました。

古代インディオ文明が、ポリネシアに渡ったという仮設を実証するために、 1947年に海洋学者を含む5人が、バルサ材で作った筏船「コンチキ号」に 載って、ペルーからツアモツ諸島までの6000kmを101日で漂着した船 が展示されていました。

(しかし、現代人が筏舟で渡ることができたからって、古代インディオ文明 が渡ったことの証明になるんかな?)と、素朴な疑問を感じながら、博物館を 立ち去りました。

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最近、飛行機に祟られているのではないかな、と思うほど、私の乗る飛行機 はなかなか旅立ちません。

オスローでは、機体にエンジントラブルがあったとかで、2時間近く出発が 遅れ、トランジットのフランクフルトでは空港の中を走り、チェックインした 時には予約してあった座席は、すでに誰かに取られていました。

おかげで、フランクフルトで購入予定だったお土産はひとつも買えず、ペッ トボトルの飲料水も手に入らなかったので、飛行機の中では渇きで苦しい想い をすることになります。

満員の飛行機の中、隣はANAパックの新婚さん、私の真後ろの席は足で背 もたれを蹴りまくるガキ、とゆっくり眠れるような環境にない事を悟った私 は、一刻も早く眠気がやってくるようにと、ハルシオン(睡眠薬)を一錠口に 放り込むと、ショルダーバックからドラフトを取り出し読み出しました。

しかし、ドラフトの内容は頭に入りませんし、眠気もやってきません。

仕方がないので、今度はショルダーバックからウイスキーの小瓶を取り出す と、スチュワーデスに貰ったミネラルウォータで割って、ちびちびと飲み始め ました。

国内で評判の高かった映画が、機内で上映されることを知り、何の気なしに 見ていたのですが、その内容のあほらしさ、陳腐さ、矮小さに眩暈がして、加 えて旅の疲れも相俟って、どんどん気分が悪くなってきました。

最後まで見ればきっと面白くなるんだと信じて見つづけていましたが、映画 が終わった時点で、真剣に吐き気がしてくるほど気分が悪くなりました。

『踊る大走査線 the movie』とやら言う映画です。ご覧にならないことを強 くお勧めします。

あまりの気分の悪さに、眠りつくことができなくなった私は、もう一錠ハル シオンを、ウイスキーの水割りで流し込みます。使用上の注意には、「絶対に アルコールと併用して使用しないこと」と記載されていましたが、これまで 時々そのような使い方をしても問題が起きなかったので、私は特に気にしては いませんでした。

そして、今になって思えば、あれは「眠った」のではなく「気を失った」 が、正しい状態だったのだと思います。

その時点から私の記憶はありません。

昏睡状態に陥った私は、飛行機の着陸態勢に入った時点は勿論、着陸時の衝 撃にも全く意識を回復しませんでした。隣の席の新婚さんに揺り動かされて、 ようやく立ち上がった私は、その場で転倒しそうになりました。目の前を、後 輩のT君が通過したのを確認したのを最後に、お別れすることになってしまい ました。腹部に激痛を感じた私は、乗客が降りている最中、苦痛に耐えながら 機内のトイレで用を足していました。

何とか機外に出て、バッゲージクレームで自分の荷物をようやく見つけて、 荷物を抱えて近くのベンチに座ったところで、完全に私は事切れます。

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「・・・お客さん、お客さん!」と声をかけられて、目を覚ましてみると、 そこは、新東京国際空港第二ターミナルの数台のベルトコンベアのあるバッ ゲージクレームエリア。

奥行き200メートルはあろうかと言うその広大な空間には、人っ子一人い ませんでした。

恐る恐る声の方を見上げると、制服を着た入出国管理局の職員のお兄さん。

「どうかした?」と愛想のかけらも無い声が、広いロビーに広がって微かに エコーしていました。

私は自分が失神していたことに気がつき、お兄さんに詫びを言って、出国手 続きのゲートを抜けようとしましたが、そこで徹底的に荷物のチェックを受け ることになってしまいました。

(なんでも好きなだけ調べてくれ!)と、呆然とした頭でぼんやり自分の荷 物を見ていると、そのままゲートを追いやられ、私は右に左にふらふらしなが ら、出国ゲートをくぐりました。

出国ゲートをでて、待合エリアのベンチに座っていると、突然吐き気がこみ 上げてきて、私は口を押さえながら何とかごみ箱の前に辿りつくと、激しく嘔 吐してしまいました。

(こういうこと、昔やって、二度と繰り返すまいと誓ったなあ(*7))と昔の 思い出に想いを馳せながら、端から見ると泥酔した酔っ払いのようにふらふら して、真っ昼間の午後3時、成田空港到着ゲートの前のベンチで倒れこんでい る私でした。 (*7)江端さんのひとりごと「渋谷駅の惨劇」

その後、成田空港第二ターミナル駅のホームで、さらに2時間近く倒れ続 け、やっと載った成田エクスプレスの中でも気分の悪さに眩暈を感じつつ、途 中の横浜駅で、スーツケースの車輪がもげている事にその時始めて気がつき、 スーツケースをずるずる引きずりつつ、ふらふらしながらながら町田行きの電 車を探している私でした。

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よくテレビなどで、麻薬を服用して検挙された後、服役して更正した人物 が、「絶対に麻薬に手を出しては行けない」などと言っている場面を見ます (NHKに多い)。

勿論、そういう台詞には迫力も説得力もあり、その人が世の中の役に立って いる様に見えますが、「麻薬に手を出しては行けない」などと言う子供にもわ かることをやり、しこたま酷い目にあって、それで「本当に酷い目にあうよ」 と語る姿は(繰り返しますが、私は有用だと思ってはいるのです)、要するに 想像力が欠如して、先人の反省を全く生かせなかった愚か者のように私には思 えます。

「学習能力欠損症候群」と言う病気があるかどうかわかりませんが、先天性 の「非母国語コミュニケーション能力欠損症候群」よりさらに質が悪いように 感じます。

睡眠薬をアルコールを併用してはいけない、などと言うのは、必ず睡眠薬の 使用上の注意に書いてあるし、それ以前に「常識的にやってはいけないこと」 と断言しても良いでしょう。

要するに、私と言う人間は、人の言うことからは学習せず、自分の行った行 為のみから学習する典型的な「想像力欠如人間」と決め付けてよさそうです。

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あまりこの言葉は乱用すべきではないとは思いますが、こういう人間を、一 般的に「馬鹿者」と呼びます。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)

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