IETF惨敗記

江端さんのひとりごと

「IETF惨敗記」

1999/03/25

ミネソタ州ミネアポリスのヒルトンホテルで開催されているIETFミーティ ング参加初日の夜、私はホテルのベッドで、久々に早朝覚醒型の不眠で目が 覚めました。精神的な疲労が極に達すると、私のこの病気は予告なく私を襲 うようです。

私にとって、このIETFミーティング1日目は、まるで10日間も徹夜して 働いたかのような、すさまじい、そして強烈な疲労感と絶望感そのものでし た。

最初から最後まで完全に理解できない会議、---文字どおり、一言も理解 できない---、と言うものが、この世にあろうとは思わなかったのです。

私は、何も記入できない真っ白なノートを胸に抱えながら、欧米人の出席 者で一杯になったヒルトンホテルのミーティング会場で、ただ呆然として前 方のスクリーンに写し出されたOHPシートを見ているだけでした。

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IETFとは、Internet Engineering Task Forceのことで、インターネットの 標準を規定する非営利の団体で、年に2度Meetingが開催されます。

インターネットとは、つまるところ色々な人が色々な目的で使う通信シス テムのことですので、これを動かすためには共通の決まり(プロトコル)が 必要です。

この決まりを決める団体が、IETFです。

IETFには、会員と言う概念がなく、やりたい人がどんな提案しても良いこ とになっています。その提案は、まず「ドラフト」と呼ばれる英語の文章で 提出しなければなりません。そして、その提案が受け入れられるか否かは、 このIETFミーティング会場の出席者の多数決で決定されているようです。

要するに、「オープン」であることが、このIETFの特徴とされているので す。

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今回のIETFの出席者はおよそ2000人、ざっと見たところ、日本からも 30名程度の出席者があり、(シ研)からのも7名が出席していました。

この2000人の人間が、会場のロビーで技術に関する議論を戦わせてい る様子は、実に壮観です。

実にやかましい。

このIETFのオープンの考え方と言うのは、かなり徹底しているようで、モ ラルも規範もあったもんじゃありません。

初日、私はスーツ姿で出かけていって、いきなり恥をかきました。

会場には、フォーマルな服装できている人間は、一人もいませんでしたか ら。全員が、Gパンにスニーカ&Tシャツと言ういでたちで、ロビーのす みっこで壁に持たれかかりながら、ノートPCを叩いていました。朝食は ビュッフェ形式で、あふれるほどのパンやフルーツ、ドリンクが提供される のですが、それを山のように皿に盛っては、床にあぐらをかいて食べていま す。

さらには、足を別の椅子に投げかけながら、ミーティング会場にまで食べ 物の皿を持ち込んで、口をもぐもぐさせながら、発表者の話を聞いていま す。

最初は驚いていた私も、そのうちマネするようになりましたが。

  

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まあ、驚いたといっても、そんなことはどうってことはなかったのです。

本当に驚いたのは、議事の進行方法です。

まずチェアマン(議長)が、議事を箇条書きに書いたOHPを示し、『今 日はこれだけのことを決める。じゃあ、最初の提案者、どうぞ』と言って、 いきなり提案者による提案ドラフトの説明が始まります。

本当に、面食らいました。

大抵、会議というのは、まず「今日は皆さん、お集まりいただき・・・」 と言う挨拶から始まり、このミーティングの背景、目的を説明し、提案者の 紹介をして始まるものですが、IETFミーティングでは、そのようなことは まったくしてくれません。ミーティングの議事内容まで、すでにそのワーキ ンググループのメーリングリストで検討が終わっていることになっており、 残るは質疑応答と採決だけです。

ですから、そのメーリングリストに入っておらず、またドラフトを事前に 読んでいなかった私は、何が何だか分からないまま、ただひたすら議事が進 んでいくのを見守るしかできなかったのです。

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ですが、私が、メーリングリストに入っていて、ドラフトを事前に読んで いれば、理解できたか、と言うと、その可能性は絶望的に近いほど低かった でしょう。

ネイティブスピーカのネイティブスピードのもの凄さと言うものは、 TOEIC600点台の人間にとっては、バッティングセンタで、飛んでく るボールに小さく書かれているメーカ名を読みとるより、遥かに難しいので す。(実際、きちんと視力を測定すれば3.0以上はあるだろうと思われる私に は、そっちのほうが楽かも知れない。)

質問者は、会場にあるマイクの前に並んで、正面の提案者に向かって質問 をしていきますが、NHKの「上級英会話教室」のように、一語一語をきれ いに区切って、クリアな発音でしゃべってくれるわけではありません。

一つの質問が2秒ぐらいで、その中には、実に25ワード以上は入ってい るかと思われます。私には、単に動物の『ウオー』とか言うような唸り声の 様にしか聞こえません。

この唸り声に対して、会場がワッと笑いに包まれます。周りを見回してみ て、笑っていないのは、私(と多分他の日本人)だけのようです。

私は心底、傷つきました。

私に出来ることは、写し出されたOHPシートの内容を、ノートパソコン に写しとることだけだったのです。 

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そもそもなぜ私がIETFなんぞに参加することになったかというと、これま た自分の意志ではいかんともし難い、悲しいサラリーマンの宿命にありま す。 

昨年までやってきた仕事である、マルチメディア監視システムのプロトタ イプを無事完成させ、今年は製品化に向けて、設計とコーディングの日々だ と自分では思っていたのですが、今年の初め、私は上司から別の仕事を命じ られることになります。

それが、ポリシーベースネットワーク管理システムの研究です。

「ポリシー」などと聞いて、私は学生時代にちょこっとだけ参加した左翼 運動の実績を見込まれたのかしら、などと呑気なことを考えていたのですが (70年代には、政治的理念のない人間のことを、『ノンポリ』と言いまし たから)、どうもそういうことではなくて、ネットワークをビジネス運用 (どのデータをどの経路で通せば、最も効率的に儲かるかとか)の観点から 管理する、最近新しいネットワーク技術のことです。

この研究を通産省の補正予算で行うことが正式に決定し、そんでもって、 いつものことですが、私が放り込まれた訳です。マルチメディア監視システ ムのほうは、外注のシステムエンジニアを雇って、私のエージェントとして 動いてもらうことが決まり、一応会社側としては筋を通したつもりでいるよ うです。

もちろん、そこには、再びその『ポリシーなんちゃら』を、一から勉強し 始める私の苦しみや辛さは何も計上されていませんが、まあ、サラリーマン とはそういうもんです。

ところが、このポリシーなんちゃら技術の研究は、極めて新しい研究らし く、現在のところ、日本において権威といわれている研究者も研究機関もあ りません。従って、その研究に関する書籍はもちろん、研究発表資料、論文 も何一つありません。しかたがないので、私は毎日行きと帰りの電車の中 で、IETFの関連ドキュメントを、片っ端から読み倒す日々が続きまし た。

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ミネアポリスで行われているIETFは、5日間の日程で行われ、その間同じ く(シ研)から来ていた、M氏のおかげで、他社の技術者と直接話すことが できて(当然、私に英語で技術討論をする力量などあるわけがない)、一応 報告書を書くためのネタはいくつか出来てきました。

しかし、今回の私にとって、最も重要なミッションはポリシー技術に関す るIETFの動向調査でしたから、まさか「英語がわかりませんでした」と書い た報告書を提出するわけにもいきません。

私は、IETF会場のターミナルルームに準備された100台以上もあるコン ピュータの1台を占拠して、ポリシーに関するドラフトを印刷しまくり、 ミーティングに出席せず、ロビーに座り込み壁に持たれかかりながら、ひた すらドラフトを読みつづけていました。 -----

ポリシーワーキンググループセッションが始まる前日の深夜、ホテルの デスクでひたすらドラフトを読んでいる時に、電話がかかってきました。 "Hello" 応答がありません。 "This is Ebata Speaking." と言うと、「・・・智一君?」と、おどおどした風の声が聞こえてきまし た。

嫁さんでした。

私が海外出張ということもあり、嫁さんは娘の麻生をつれて実家の福岡に 帰っていていました。

江端: 「おお、よく電話してきたね。」

嫁さん:「フロントが出たのだけど、何を言っているのか全然分からなくて・・・で、辛うじて『スペル』と言う単語だけ分かったから、EBATAとだけ言ったらつなげてくれた。」

江端: 「こっちはねえ・・・英語が全然わかんないよ・・・。」

嫁さん:「そりゃ、会議で使っている英語なんだから・・・」

江端: 「ちがうんだ、そうじゃないんだ。フロントから、ハンバーガショップから、タクシーから、何もかも何を言っているかわからないんだよ。」

そう、私が最高に落ち込んでいる原因は、実はIETFの内容が分からないこ とではなく、日常会話が全然理解できなかったことです。しゃべることは難 しいだろうなとは、思っていましたが、日常会話が聞き取れないという事実 は、私を徹底的に絶望させました。

江端: 「とにかく、こちらの能力にあわせて、しゃべる速度を落とすという考え方がないんだ。」

嫁さん:「そう言えば、フロントも全然ゆっくりしゃべってくれなかったよ。」

これは、多分に偏見かもしれませんが、ミネソタでは世界中の人間が英語 をしゃべっていると思っているのではないかと思わせる場面が多々ありまし た。

私がダウンタウンの郊外にあるミシシッピ川を一人で散策していると、5 人の子供を連れた子供のお母さんが、私に道を聞いてきます。

"Sorry,I am a stranger here (地元の人間じゃないんで)"と言うと、 しかたなさそうな顔で、子供を連れてどこかにいってしまいました。

また、冬期の雪の積雪量と、おそらくは治安の悪さも原因だと思われます が、ミネアポリスのダウンタウンのビルのほとんどは、スカイウォークと言 う空中回廊で相互につながれていて、ダウンタウンにいる限り道路を歩く必 要はほとんどありません。もちろん、そのスカイウォークは迷路のようにダ ウンタウンにはり巡らされていますので、簡単に迷子になってしまいます。

夕食を終えて、誰もいないスカイウォークを歩いていると、私の前方にス カイウォークの地図を覗き込んでいる黒人カップルが、私に経路を尋ねてき ました。

もちろん、"Sorry, Stranger I am."と答えるしかありません。

ミーティングが終わった当日の午後、歩いて彫刻美術館と言うところに行 きました。バスは乗り間違えると、とんでもない目に会うことは、これまで の海外旅行の経験で熟知していましたので、ひたすら歩いていきました。

その途中の道で、母親につれられた可愛い少年が、私に向かって言いまし た。

"Where are you going, Mr?"

私はとっさに、"What?"と答えましたが、それと同時に、この少年が明ら かに『おじさん(Mr)』と呼びかけたのを不快に感じていました。母親のほう が『知らないおじさんに声をかけちゃダメよ』と言う風に子供の手を引っ 張って、私とすれ違っていきました。

コンビニエンスストアで、水とミルクをもってレジに向かうと、レジのお じさんにいきなり何かいわれてドキリとしました。"Pardon?(すみません が)"と私が聞き直すと、"Mexican?(メキシコ人か)"と聞かれていることが わかり、呆然としてしまいました。

ミネアポリスの最後の夜に、IETFに参加した日本人の集まりで、ベトナム 料理を食べながら、この事件の話に加えて、中国でウイグル人に間違えられ たこと、京都でブラジル人に間違えられたことなどを話したら、「要する に、モンゴリアンなんですね。」と総括されてしまいました。

『ミネアポリスの連中は、きっと、アメリカ大陸の外側は大きな滝になっ ていて、そこから海の水が落ちこんでいて、そしてアメリカ大陸は、カメが その下で支えていると信じているんだ』と屈折した思い込みで、ミネアポリ スの日々をすごしていました。

江端 :「加えて、(シ研)の奴等が、僕の泊まっているホテルの地区が危ないって言うし・・・」

嫁さん:「え!危ないの?」

江端 :「とは、僕には思えないんだけどね・・・。」

私はホテルのクオリティには、あまり頓着しないほうで、会場のホテルが 予約できなかったので、旅行代理店に『安いところを適当に』と言っておい たら、食事付き一泊79ドルと言う破格のホテルを予約され、周りの人間を 随分心配させました(大体150ドル程度)。

学生の頃、私は一泊10ドルと言うドミトリーにあたりまえのように泊 まっていたので、その辺の感覚が麻痺しているのかも知れません。

後輩の、T君に言わしめて曰く、『スカイウォークが繋がっていない、駐 車場に派手な落書きがあった』ことが、その危険であることの根拠らしいで す。

江端:『でもね、僕が泊まってきたところって、安全フェーズが2段階ほど違うよ。』

T君 :『どういうところですか?』

江端:『中国のウイグル自治区内の安宿とか、ネパールのコンクリートがむき出しになった宿とか、インドのニューデリーの宿では、目の前に物乞いの人たちが一ダースぐらい・・・』

T君は、絶句していたように見えましたが、付け加えて言いました。

T君 :『しかし、江端さん。決定的に違うことが一つあります。』

江端:『何?』

T君 :『拳銃』

そりゃもっともだ、と思った私は、それからIETF会場のミネアポリスのヒ ルトンホテルから、ウエスタンダウンタウンと言うモーテル系のホテルま で、走って帰ることにしました。

江端:「ところがねえ、慣れない街だからねえ、道を間違えてどこを走っているか分からなくなって・・・と言って、信号で泊まると恐いから、青信号の方を選んで走るから、さらに道がわからなくなってきて、そうして、昨夜はミネアポリスの街中を、ぐるぐる走りまわっている変な日本人が一人いたわけだよ。」

15時間の時差のある電話の向こうで、嫁さんは大爆笑していました。

そしてこの話は、「夜のミネアポリスを走り回る日本人」と言うエピソー ドで、そのIETFの期間中、ことある毎に語られることになります。 -----

さて、ひどく落ち込んでいた私は、嫁さんの電話で少し元気をとり戻し、 今一度IETFを眺め直す余裕が出てきました。

午前を回っていましたが、私はベッドの上にひっくりかえって考え始めま した。

まず第一に、IETFは本当にオープンなのか?

あのスピードの英語を日本に取得できる人間がどれだけいるのか。どれだ けの人間が、あの技術情報を母国に持ち帰れるのか。そもそもネイティブス ピーカでない我々日本人が、あのミーティングに参加することができるの か。

次に提案者、質問者の面々です。

提案者はまあ良いとして、質問者です。

みーんな、同じ顔。

同じメンツが、マイクの前に立ってぐるぐると順番待ちをしているだけで す。オープンどころか、クローズなグループメンバによる芝居のように見え るのは、私の穿った見方でしょうか。

と、そこまで考えたとき、私は背筋がぞくりとするような寒気を感じまし た。

(これはやばい。相当にやばいぞ・・・)

私は基本的に、自分のことしか考えない利己主義者ですが、その私の利己 を脅かすほどの恐ろしい現実が進行しつつあることに気がつきました。

これからも情報通信技術が、ある一国で閉じる訳がありませんから、この 技術の検討が国際共通語である英語で行われることは間違いありません。

そして、インターネットの世界に関しては、当面IETFが支配的な地位を占 めていくでしょう。

IETFは、いかなる形でも強制力を持ってはいませんが、インターネット標 準の決定機関です。インターネットに関わる全てのベンダ、サービスプロバ イダ、ユーザは、このIETFの決定事項に従って動いていくしかありません。

すなわち、IETFに対して提案活動を行うと言う事は、すなわちその提案の 内容が世間に公表される前に、すでに手が打てるわけです。

例を挙げましょう。

例えば、私があるマルチメディア帯域制御方式を実現する通信ソフトウェ アを開発したとして、その内容をIETFに提案し、これが受理されたと仮定し ましょう。他の会社は、この通信方式を実装するために、私が提案したドラ フトを読みながら、製品を作らなければなりませんが、私はすでにその実装 が終わったソフトウェアを開発し終えているのです。

この開発機関がどの程度になるにしろ、すでに私は、他社に対して開発期 間分(数ヶ月以上)リードしている訳です。他社が開発を行っている間、私 は営業活動を進めて、シェアを拡大させる事ができます。

つまり、イニシアティブが全てなのです。

提案ドラフトを読んでから製品化に着手しているようでは、シェアを取る 事が出来ないのです。

逆に言えば、このようなIETFのような国際的標準機関でイニチアティブを 取るためには、英語が必須なのです。しかしそれは、英語が単に読めること でも、しゃべれる事でも、理解できることでもありません。

「検討」し、「討論」でき、そして「論破」できることなのです。

しかるに、我が国の英語教育の水準は、間違いなく世界最低クラスです。

先進国と言われているアジアの国々のほとんどと比較して、TOEICの 平均点が低い事は、意外に知られていませんが、私は色々なアジアの国を旅 をしてきた経験から、感覚的にこの事実に気がついていました。だって、一 応英語が使えれば、どの国のどの街のどんな所でも旅が出来たんですから。

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(21世紀も、欧米中心の文化に引きずられながら、我々は生きていかね ばならないのか?)

パソコンの設定一つの為に、膨大な英文資料に翻弄されて過ごしている 日々。

そして、ろくな特許のアイデアも出せず、まともなシステム構築すら出来 ない技術者が、ただ英語が使いこなせると言う理由だけで、より優位な地位 に立てる日本の技術者社会。

私は、娘の笑顔を思い出して、憤然とした思いに駆られました。

娘の世代も、欧米文化に追従する日々を生きねばならないのか?

私は最近、戦前の陸軍の関東軍のエリート軍人達が、日本語を基本とした 大東亜共栄圏を作ろうとした気持ちが少し分かるような気がします。

軍事的にアジアを占領して、すべて日本語が通じるようにして、米国と ヨーロッパ共同体に対抗しようとしたその行為は、もしかしたら英語がしゃ べれないコンプレックスに起因していたのかもれない。

しかし、それでも、彼らは日本のシステム体系が世界で無視されることを 予期し、それを恐れていたのです。イニシアティブをとれない国が、没落し ていくかないことを熟知していたのです。

日本がどうなるかは、私にとってどうでもよいですが、娘がどうなるか は、私にとって大問題です。

この欧米主義中心の世界観をどのように変えていけばよいのだろうか、と 私は考え始めました。

その1 全世界侵略論

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全世界を武力で制圧し、日本語を世界共通語として強制する。

しかし、公式に核非所有国を宣言している我が国が世界征服をするのに比 べれば、太陽系以外の他の星系に移住可能な星を見つけて、日本国民全部が 移住する方がはるかに簡単でしょう。

その2 大東亜共栄圏論

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これは人口比率から言って、中国語しか選択はない。この中国語による大 東亜共栄圏で欧米文化に対抗する。

しかし、日本人全部が中国語を勉強し直すくらいなら、こういう発想はそ もそも出てくる訳がないので、もちろん却下である。

その3 英語教育再編論

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文部省は、教育としての位置付けをやめ、教育カリキュラムから、英語教 育を放棄する。一種の高級なプログラム言語の一つとして、通産省にその権 限を移譲し、「情報処理技術カリキュラム」の一つとして組み込む。すなわ ち、文化としての英語を全面的に方向転換し、単なる通信プロトコルと捕ら え、その「技術」を教えるものと考える。これにより、偏向した欧米中心主 義文化からの脱却を図る。

とは言え、どのようなカリキュラムがあろうと、現実的にその英語が使え なければ、意味がありません。

そこで、私は韓国の徴兵制(*1)にならい、英語技術の徴役制度の導入を提 案します。 (*1)韓国では成人男子全員に兵役の義務がある(イスラエルでは女性も)。

さて、その懲役をどこでやるか、一番安いコストと言う点では、在日米軍 あたりで兵役につかせてしまおうか、と言う乱暴な考えもあったのですが、 何もアメリカの世界戦略構想に協力する必要はないし、第一、個人的に嫌。

ならば、どこかの英語圏の島を買って、そこに高校教育を終えた若者を、 全て強制的に収監すると言うのはどうか。

当然、島の中には武装した教官がおり、日本語をしゃべったものに対して は、射殺を含む刑罰を施行する権限を有するものとする。期間は、最低2 年。大学の前期教育を兼ねても良い。当然、日本語で記述された全ての書物 は没収される・・・・・

程度のことはやらんと、本当にやばいんではないかと思い始めています。

要するに、私がIETFに出席して、ほとんどその任務を果たし得ず、そし て、私と同じような立場に負い込まれるものが、今後も間違いなく大量に発 生する、と言う事が言いたかったんです。

そして、日本はどんどんこれから国家としての国益を失っていくだろう、 と。

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さあ、どうしましょう。

我々が、どこで育ち、そして生きてきても、名古屋弁や秋田弁などのよう にどの地域の言葉も理解できるように、世界のどこにいても、どの言葉も理 解できるようにならなければならない時代が来ています。

いや、正確に言えば、我々の前の世代は、すでに我々がその程度のことを 実現してくれることを期待して、膨大とも言える時間と労力を我々の英語教 育に注いでくれたと思うのです。

しかし、その教育のやり方が悪かったのか、あるいは我々の努力が足りな かったのか分かりませんが、我々はついに、彼らのその熱い想いに応える事 はできなかったようです。

それはIETFで発言した日本人を、ついに一人も発見できなかった事からも 明らかだと思います。

さあ、どうしましょう。

私たちは、次の世代達に、『どう世界とつきあって生きて行け』と言うこ とができるでしょうか?

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)