「あの江端がディズニーワールド?」 大学在学時代の私を知っている人なら、このニュースは最初に驚きを持って 迎えられ、その後すぐに、ちょっとした失望の溜息をつきながら、『まあ、家 庭を持てば、所詮、江端も・・・』と呟きつつ、そのまま忘れてしまうことと 思います。 『昔は、自治寮の寮長として、ハンドマイクでアジっていたもんだが・・・』 と言う江端のセリフや、その他の多く類いは、江端が学生運動家として第一線 で闘っていたように見せかけてはいますが、これらの多くは(と言うか、全部 は)誇張して表現されております。 アジったのは、ただ一回だけ(*1)。 デモに参加したのも一回だけ。 だいたい、第一線の学生運動家は、大学当局との話し合いを方針と掲げたあ げくに、寮生から不信任を浴びて粛正されたりしません。 (*1) この時のアジテーションの内容が、日立製タイムシェアリングシステム (TSS)型大型コンピュータ導入批判で、その目的が「学生管理強化を目的とし たものなのだ!」と言う噴飯ものの内容で、今、思い出すだけで、恥ずかしさ で、布団の上で転げまわってしまいそうなもんです。 「TSSでそんなことできるか! バカタレ!! 学生管理に、浮動小数点演算 や、フォートランライブラリが要るか! たわけ者!!」 まあ、要するに、『無知は力なり』 タイムマシンがあれば、日立の技術者として、同志社の田辺キャンパスで、 阿呆なアジテーションをしていた当時の私に説教してやりたい。 閑話休題。 私は、結婚してから、嫁さんに連れられて、何回か程東京ディズニーランド に行き、初回で私の中の何かが破壊された音を聞きました。 本当に心の底から嫌がる先輩のN氏を、拉致同然に同伴させたこともありま す。 N氏が、入園後30分で正気でなくなり、1時間後に第1の人格が崩壊し、1時間 半後に私も嫁さんも見たことのない2つ目の人格が表層化し、最後にはジェッ トコースターで嬌声を上げていました。 私は、冷静な心理学者のような視点で、ディズニーランドという名の人格破 壊巨大システムの恐しさを、思い知ったのであります。 ----- 結婚をして娘を持つに至り、サラリーマンとして、できるだけ無難な日々を 楽チンに送りたいと考えることで手一杯な私ですが、『新婚旅行にアフガニス タンに行きたい(*2)』と主張して却下された人間が、たとえ今や小市民街道を 爆進中であったとしても、ディズニーランドは、やはり辛いところです。 (*2)石窟大仏が破壊された時は、私がタリバンを殲滅する、と心に誓ったもの だが、最近になって米軍が実施してくれた。 私を愛しているはずの嫁さんが、なんで私を、大草原の中にある石窟大仏と 対極の場所にある、常春のフロリダ(私は、日本から4時間も余計に飛行機に乗 らなければならないと言う理由で、東海岸は嫌い)の、山手線内回り面積の1.5 倍もの敷地の中に、4つものテーマパークを持つディズニーワールドなるとこ ろに私を連れて行き、ネズミのキャラクターと記念写真を撮らせようとするの でしょうか。 どう考えても解せんのですが、嫁さんはこの日の為に、わざわざ娘を出産し、 私の米国赴任を雌伏して待ち、その娘にディズニーのビッグタイトル(ピーター パンとかアリスやら)のビデオを見せ続け、落ちつきのないネズミ(ミッキーと かミニーとか言うらしい)やら、間抜けな顔をした犬(グーフィーやらプルート と言うらしい)やら、やたら騒がしいトラ(ティガー(Tigger)と言うらしい、こ れを「タイガー」と呼んだら、相当な間抜けらしい)のぬいぐるみを娘に買い 与えていた、としか思えません。 どこぞの研究所の課長や部長が作成する『長期計画書(略称、長計)』なるも のとは、その構想、規模、期間、どれを取っても比較にならないほど、遠大か つ壮大なプランニング、そして、それを絵に書いた餅とすることなく、着実に 実施するその実行力を、どこぞの研究所の所員は、嫁さんの爪の垢でも煎じて 飲むべきでしょう。 嫁さんは否定していますが、最近は英語のヒヤリングに関しては、私のそれ を軽く凌駕しているように思えます。 しかし、スピーキングに関しては、オーランド空港のタクシーの運ちゃんに、 日本の横浜からやってきて、ニューヨークで乗り換えをした日本人の観光客だ、 と大嘘をこいて喋るなんぞ、私にとっては朝飯前です。 と言う訳で、旅行中の我々のコミュニケーション形態は、嫁さんが英語を聞 きとる→日本語で私に通訳する→英語で私が答える、と言うなんとも変な形に なっています。 なにはともあえ、今回の旅行、あまり語ることがありません。 フロリダのディズニーワールドに関して色々知りたい方は、日本でも腐るほ どガイドブックが出ていますので、そちらを御覧になって下さい。 第1日目(01/18/2002) デンバー国際空港発11時のフライトで、オーランド国際空港へ ディズニーワールドの敷地内のホテル、スワンホテルは、最上階に羽 をすぼめた白鳥の銅像が2匹座っていたが、その隣にあるドルフィン ホテルには、名古屋城の金の鯱鉾が2匹座っていた(嘘だと思う人は、 見に行ってみると良い)。 テーマパークの一つ、エプコットで、花火を見る。目の前の巨大な池 の水面で、花火を絨毯爆撃のように爆発させるのである。日本なら、 消防法かなんかに抵触して、責任者即逮捕だろうと思う。 第2日目(01/19/2002) マジックキングダム。 私は、子供の頃でさえ、ぬいぐるみと写真を撮るということに価値を 見い出せただろうか、としばし思い出してみるが、やはり思い当たら ない。 第3日目(01/20/2002) アニマルキングダム。 秀逸だったのは、ライオンキングのミュージカルくらいで、あそこは、 誰が何と言おうが、あれはサファリパークである。トラックで回るも、 動物達にやる気が見えない。無闇やたらに正のエネルギーのオーラを 巻き散らすディズニーワールドの世界にあって、ようやく仲間に会え た様な気がする。 時々、ドンピシャのタイミングで動物が見えることもあるが、裸眼視 力2.0、心眼3.0の私の目は胡麻化せない。麓のゴンドラリフトの乗り 場から、山頂のスキーヤーの数を勘定できる私の目は、イミテーショ ンの動物か本物かを見分けるのに何の造作もない。 第4日目(01/21/2002) MGM 美女と野獣のショーが休止中であることを知り、嫁さんが随分落ち込 んでいたことだけ覚えている。 第5日目(01/22/2002) ホテルからレンタカーを使って、ケネディスペースセンターへ。 4日間もディズニーに囲まれていたせいで、ここはインタラクティブ なアミューズメントがほとんどない(当たり前だ)と感じる。 娘は最後まで、月着陸船イーグルから、ミッキーマウスが手を振って 降りてくると信じていた模様。 第6日目(01/23/2002) シーワールドで、シャチに盛大に水をぶっかけられる。 第7日目(01/24/2002) ユニバーサルスタジオで、大地震や竜巻のシュミュレーションの体験。 娘が、髪に糸で装飾をするヘアラップなるものをして、喜んで飛び回っ ていた。現在に至るまで、それを外させてくれない。 以上 ------------------------------ 以下、上記レポートに対する先輩N氏からの反論と所感 先輩のN氏です。 かなり遅いフォローですが。 Tomoichi Ebata さんは書きました: > 本当に心の底から嫌がる先輩のN氏を、拉致同然に同伴させたこともありま >す。 > N氏が、入園後30分で正気でなくなり、1時間後に第1の人格が崩壊し、1時間 >半後に私も嫁さんも見たことのない2つ目の人格が表層化し、最後にはジェッ >トコースターで嬌声を上げていました。 私が嬌声をあげた? そんな事実はありませんな。 ディズニーランドの中で、私が最も怖かったのはアトラクションは、 ボートに乗ってゆっくりと川を渡るやつ。 誤解してはならないが、最後の急降下が怖いのではない。 ゆっくりと川を流れていく、あの途中経過こそが恐ろしいのだ。 極色彩に彩られたメルヘンな色覚世界。 両手で塞いだ耳に、それでも届く大音量のメルヘン音楽。 川の両岸に居並ぶ、無垢と純真を絵に描いたような(それだけに不気味だ)平 板な表情をしたメルヘンな人形達。 メルヘン、メルヘン、メルヘンの絨毯爆撃。 いわばメルヘンなアウシュビッツであり、ファンタジーな収容所群島である。 あそこに24時時間閉じ込められたら、私なら気が狂うだろう。